2008年7月 6日 (日)

テレビの買い替え

 実家のテレビを買い替えた。

 5年前に買った23型の液晶テレビが故障した。修理業者を呼んだら、部品の交換に4万円ほどかかるらしい。また3年後には、地上デジタル放送用の専用チューナー(約3万円)が必要になるから、今買い替えるのがトクだという。

 ということで、両親を連れて梅田のヨドバシカメラへ。いつの間にか、液晶もプラズマもすっかり安くなっている。どうせ難しい機能は使いこなせないから、32型で12万円弱のお手ごろ商品を買い求めた。

 それでも親は勿体ないと思うらしい。故障したテレビは、当時で30万円近くした。でも、もうモトはとっているだろう。1日6時間使うとして 5年間で1万時間。ということは時間当たり30円。テレビほど酷使する家電製品はない。

 その昔、こうやって単位当たりの計算をするのが得意な先輩がいた。5万円のスーツを50回着たら1回1,000円だとか、1万円の靴を100回履いたら100円だとか。

 レジで「古いテレビはどうされますか?」と聞かれた。持って帰ってもらうと3千円ほどのリサイクル費用がかかる。6千円払って5年間の保証をつけるのは惜しくないが、捨てるものにお金を払うなんて戦前派には許せないらしい。

 結局は近所の廃品処理業者に無料で引き取ってもらった。解体して換金するのだろうか。それも、余計なコストがかかると採算が合わないはず。明日から始まる洞爺湖サミットでも、テーマのひとつは環境問題。資源を無駄なく活用することと、ソロバン勘定のバランスは難しい。

 新しいテレビの鮮明な画像を見ながら、古いテレビの行方が気にかかる。

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2008年7月 4日 (金)

深夜営業

 若い頃、長らく初台(渋谷区)の独身寮でお世話になった。

 甲州街道に面していて交通至便。さらに便利なことに、寮の隣にコンビニがあった。日付が変わる時分にタクシーで帰還して、そのコンビニに立ち寄る毎日。

 カップ麺やら飲み物、ツマミに雑誌の類を調達。レジで支払いをすませて表に出ると、新宿副都心の高層ビル群が夜空に輝く。都会暮らしは何と便利なものかと思った。こんな生活をしていたら、婚期が遅れるのも当然だ。

 たしかその頃に、コンビニの24時間営業が始まったと記憶している。

 さらにそれから10年ほどして、ボクはある中堅ハンバーガーチェーンに籍を置く。経営は厳しく、少しでも売上げを伸ばしたかった。繁華街の店では、閉店後の深夜でも向かいのコンビニは賑わっている。「ウチもやろう!」と誰かが言い出した。たしかに深夜営業したからといって、盛り場では文句も出ないし、家賃が余分にかかるわけでもない。。

 試験的に数店でスタートしてみた。深夜の売上増によって変動費だけカバーすればいいと割り切ったから、業績は好転する。「他の店でもやろう!」 反対できる空気ではなかった。わずかながら数字は改善したが、そのために深夜のシフトまで組んで、従業員たちにも家族にも大変な負担を強いることになった。背に腹は変えられなかったとはいえ、今思えば、商売の正道ではなかった。

 最近、その深夜営業規制を検討する自治体が現れている。目的は、地球温暖化防止対策や青少年の非行防止など。京都市では早ければ来年度から深夜営業の自粛を求めるという。

 人間らしい生活を取り戻そうということだ。特別な仕事の人でもないかぎり、夜は家族団欒や安息にあてる時間のはず。便利さばかりを追求するのはいかがなものか。われわれも、生活スタイルを見直す好機かもしれない。

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2008年6月21日 (土)

手帳

 一日に何度も手帳を開ける。

 予定は変わることがあるからなるべく鉛筆で書く。細かい字でビッシリ書き込んだり、それを書き替えたり、またそれを確認したりのくり返し。丁寧には使っているつもりだが、秋口あたりになるとかなり草臥(くたび)れてきて、年末にはボロボロになる。

 サイズは市販の手帳のうちでいちばん薄いものを愛用している。スーツの胸の内ポケットに収まるし、見開きで1ヶ月単位の予定が分かって使いやすい。

 だからおのずと字は細かくなる。スペースが狭いためイニシャルだけというのもあって、あとで書いた本人もよく悩む。

 最近はケータイにスケジュールを入れている人も多いが、あれは苦手だ。画面が小さいし、一覧性がなくて使いづらい。やはり慣れた手帳がいい。

 手帳は過去の記録としても役に立つ。直近6、7年の手帳はとってあるのだが、それより古いのは断片的にしか残っていない。

 たまに時間があるときに、古い手帳をパラパラ眺めるのは楽しい。若い頃に付き合っていた人たちやよく行った店の名前なんかが出てくると、懐かしさで目がとまる。そして頭の中は、しばし数十年前にフラッシュバックしてしまう。

 大阪に引っ越してくるときに、古い手帳の大半は処分してしまった。今思えばかけがえのない財産だったのに、本当に勿体ないことをした。みんな残しておけばよかったと後悔している。

 今なぜだか手元にあるのは、小学校の日記帳と中学の生徒手帳と高校の住所録。これも今さら捨てられない。

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2008年6月15日 (日)

父の日

 今日は「父の日」。

 息子であり父親である自分は、この日は二役をこなさねばならない。

 父への贈り物は、妹に頼んでいる。昭和ひとケタ世代の父は、身の回りのものはすべて母任せで、あまり自分で選んで買う習慣がない。ポロシャツ、ネクタイ、パジャマ、帽子など、毎年妹が母と相談して決めている。

 その昔、ウチの小学校では、毎年その日に父親参観があった。教室の後ろに子供たちが描いた父親の似顔絵が並んでいて、よそ行きの格好をした本人たちが順番に入ってくる。父に感謝する歯の浮くような作文を読まされるのが、どうも苦手だった。子供心にも、何だか作為的な儀式だと思っていたが、あの頃はまだ、戦前の封建的な父権がわずかながら残っていたように思う。

 数日前の新聞によると、日本・中国・韓国・台湾4ヶ国のアンケートで「父親の威厳を尊重すべき」という意見は、日本では5割程度だが、他の3ヶ国は8割を超えているそうだ。民主主義や男女平等の台頭によって、父親の尊厳など蹴散らされてしまったらしい。記事は、日本人は明確な家族像を持たないと結んでいる。

 たしかに最近の凶悪事件を見ていると、幼い頃からの家庭崩壊に起因するものが多い。両親の役割のあいまいさにも責任の一端がある。

 われわれ父親には、母親とは違った存在意義が求められている。日常生活では些事にこだわらず泰然自若としつつも、大切な節目では毅然とした意見を言う。その距離感が大切で、それゆえ父親の言葉は重く、心の奥まで響き渡る。

 役割を上手に演じなければと、自戒しつつ思う。「父の日の お礼の電話も なぜか母」という投稿句が、昨今の父親の姿を巧く言い表している。

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2008年6月11日 (水)

叔母の見舞い

 叔母の入院先へ見舞いに行ってきた。

 春先から心臓が痛かったらしい。

 1207sutento病院で検査してもらったら、心臓の血管が3本ほど詰まりかけていた。放っておくと心筋梗塞になりかねない。ということで、狭くなった血管にステントという金網状のチューブを装着することになった。

 まず、足の付け根の動脈からカテーテルを心臓近くまで挿入する。狭くなった血管をバルーン(風船)で拡張させて、そこにステントをはめ込む。これで血管を内腔から押し広げる。

 バルーンは動脈硬化部位を広げるだけだが、ステントを使うとそのまま固定されるから、再狭窄の可能性が低くなるそうだ。

 心臓血管外科というのは最先端の医療分野。病室で造影写真を見ながら、そんなことが簡単にできる科学技術に感心してしまった。もちろん医学知識は必須だが、外科医には手先の器用さが要求される。

 1週間に1本ずつ施術して、明日が最後の1本。本人は思ったより元気そうなので安心した。

 月末に快気祝いをしようと約束して、病室を出てきた。

 叔母の好物の冷酒でも用意しておこうか。

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叔母の見舞い

 叔母の入院先へ見舞いに行ってきた。

 春先から心臓が痛かったらしい。

 1207sutento病院で検査してもらったら、心臓の血管が3本ほど詰まりかけていた。放っておくと心筋梗塞になりかねない。ということで、狭くなった血管にステントという金網状のチューブを装着することになった。

 まず、足の付け根の動脈からカテーテルを心臓近くまで挿入する。狭くなった血管をバルーン(風船)で拡張させて、そこにステントをはめ込む。これで血管を内腔から押し広げる。

 バルーンは動脈硬化部位を広げるだけだが、ステントを使うとそのまま固定されるから、再狭窄の可能性が低くなるそうだ。

 心臓血管外科というのは最先端の医療分野。病室で造影写真を見ながら、そんなことが簡単にできる科学技術に感心してしまった。もちろん医学知識は必須だが、外科医には手先の器用さが要求される。

 1週間に1本ずつ施術して、明日が最後の1本。本人は思ったより元気そうなので安心した。

 月末に快気祝いをしようと約束して、病室を出てきた。

 叔母の好物の冷酒でも用意しておこうか。

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2008年6月 6日 (金)

自動化

 自動ドアでも高速道路のETCでも、センサーが感知して開閉する。

 最近は商業施設や駅・ホテルのトイレなどで自動水栓が増えてきたが、これも似たような仕組みで、蛇口のあたりに手をかざすと水が出てくる。そして洗った後は温風乾燥機に手を入れて乾かすだけ。そのせいか近ごろは、ハンカチを口に加えて手を洗う姿も少なくなった。

 しかし、蛇口をひねるくらいそれほど大儀だろうか。むしろ不器用なボクは、蛇口に手を近づけすぎて、うまく水が出ないことが多い。不用意に隣の洗面台に載せたカバンをセンサーが感知して、ビシャビシャに濡らしてしまったこともある。障害者用ならともかく、こんなものは過剰サービスだといまだに思っている。

 決まった位置に手を出すと、決まっただけの水が出てくる。もちろん微調整など利かない。何でも画一化されて、個性は消えてなくなる。ロボットが握った回転寿司はシャリの量まで同じで、職人は出番がない。これも便利なようで味気ない。

 クルマの運転が好きな人は、オートマチックよりもマニュアル車を好む。何でも機械が決めてくれるお仕着せの生き方よりも、多少はゴツゴツしていても、山あり谷ありの人生のほうがはるかに魅力的ではないか。

 どうも自動水栓は好みでない。そんなことを思いつつ、今日もセンサーに狙いを定めて手をかざしている。

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2008年6月 3日 (火)

ドギー・バッグ

 船場吉兆が廃業を発表した。 

 老舗料亭が食べ残しを使い回しするのは客に対する重大な背信行為だが、手付かずの料理が勿体ないという感覚はよく分かる。

 産経のコラムに、ある有名な女性作家が、残したものは容器をもらって自分で詰めて持ち帰ればいいと書いている。

 たしかにその通りだと思う。日本にはあまりそんな習慣がないが、これはけっして恥ずかしいことではない。店のほうも個性的な持ち帰り容器を座敷に用意しておけばいい。ナマモノには配慮が必要だが、家で待つ妻子も土産を喜ぶかもしれない。その昔、披露宴などの料理は、その大半を折箱に詰めて持って帰るものだったらしい。家族は夜遅くまで起きて、その折詰めを待っていた。

 アメリカでは、どんな高級レストランでも持ち帰り用の容器(ドギー・バッグ“Doggy bag”)が用意されている。飼い犬のためにという口実で、残った料理を持って帰るのだ。食中毒を心配する店と、勿体ないと思う客が、阿吽(あうん)の呼吸で考えついた知恵といえる。 そして持ち帰った料理は、子供がお腹を空かせた時のおやつになったり、翌日の朝食に変身したりする。

 いかにもアメリカ的な合理主義。たしかに衛生上の問題があるかもしれないが、それは客にきちんと説明すればいいこと。納得して持ち帰れば、その先は客の自己責任だ。

 こんな慣行が根付けば、使い回しもしようがない。平身低頭の女将の姿を見ながら、そんなことをふと思う。

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2008年5月26日 (月)

ちょっと気晴らし…

 今日は以前からの約束で、仲間とのゴルフ。

 前日の雨も上がって、朝から快晴。はじめてのゴルフ場なので早めに家を出て、吹田ICから中国道を西へ。大阪市内へ向かう車は通勤ラッシュが始まっているが、逆向きなので車も少ない。

 吉川ICで降りて、8時前にはゴルフ場到着。チェックインを済ませて、ゆっくりコーヒーを飲んでいたら同伴者が揃った。それにしてもゴルフは平日に限る。空いているし料金も安い。かつてバブル期の土日ならビジターで3万円。しかも首都圏だと片道2時間はザラだから、帰りは渋滞でクタクタ。

 迎賓館と見まがうような贅を尽くしたクラブハウス。凝りすぎた戦略的なコース設計。高級割烹のような何千円もする昼食。接待用に仰々しく包装されたお土産の数々…みんな幻のように消えていった。たまに新聞で有名なゴルフ場が経営破綻したというニュースを見るが、あの頃はわれわれ庶民までが踊らされていた。

 賑やかなラウンドが終わって、ひと風呂浴びて帰路につく。もちろんアルコールはご法度だ。ちょうど帰りの高速で夕立に見舞われた。ゴルフの途中で降られなかっただけついている。

 さて、今月もあと1週間。月末締めの仕事がまだ残っている。また週末は忙しくなりそうだ。

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2008年5月12日 (月)

白いカーネーション

 母の日に花屋の前を通りかかると思い出すことがある。

 小学校の低学年くらいの頃だったと思う。

 教室で担任の先生がカーネーションの造花を配った。安全ピンで胸の名札の横につける。リボンには「お母さん ありがとう」というような文字が印刷してあった。回りを見回すとみんな赤いカーネーション。その中に一人だけ白いカーネーションをつけた女の子がいた。

 ボクは先生の説明を聞いて、彼女には母親がいないことを知った。亡くなったのか、離婚したのかは知らない。でもまるで悲しみに追い打ちをかけるような白。どうして幼い子供にそんな残酷なことをするのだろう。彼女は泣きべそをかいていた。

 その子の家は二間続きの古い文化住宅で、一度だけ万年床の上でトランプをした記憶がある。あれは今でいう父子家庭だったのかもしれない。そしていつの間にかその子は転校して姿を消してしまった。その古家のあたりも再開発されて、今では跡形もない。

 亡くなった橋本竜太郎元首相が、母の日の思い出を聞かれて「ボクはカーネーションを赤と白に分けるという発想が嫌いだった」と答えたことがある。質問した記者も意外な返答に言葉を失った。

 彼のお母さんは社会福祉活動で活躍した有名な方だが、実母ではなかったのだ。嫌味で鼻っ柱の強い性格は好きになれなかったが、寂しそうな横顔から、ちょっと人間臭い一面を垣間見た思いがした。

 我が家では昨日、子供たちが赤いカーネーションの鉢植えを買ってきた。妻の笑顔を見ながら、ふと遠い昔を思う。あの子もどこかで幸せなお母さんになっただろうか。

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2008年4月30日 (水)

ガソリン値上げ

 明日からガソリン税の暫定税率が復活する。

 ということで、夕方忘れないようにスタンドで給油。いつもより客が多い。
 「満タンですか?」
 「もちろん!これ以上入らないくらい一杯!」
 「ハハハ~分かりましたよ」

 伝票を見たらリッター131円。明日からこれに30円ほど上乗せになるというから、60リッター入れるとして2千円弱の負担増。われわれはせいぜい月に1、2回の給油だからタカがしれているが、運送業界などはたいへんだろう。

 消費者の立場からすると、もちろん安いに越したことはない。しかしこの問題の本質は、ガソリンの値段の話ではなくて税金の政策論。ガソリン国会などと注目を集めているが、少し騒ぎすぎではないか。年金やら医療保険の話とは質が違うし、影響の大きさも比較にならない。何でも反対の野党やらマスコミに、国民が躍らされている。

 近ごろの新聞は、何でも一緒くたに大きな活字で書き立てる。だから読者はその軽重が分からなくなる。とても大切なことと、まあまあ大切なことと、どっちでもいいことを、キチンと分かるように区別して書けというのはワガママだろうか…

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2008年4月20日 (日)

知らんぷり

 仕事で必要があって、役所へ印鑑証明書と住民票を取りに行った。

 わがH市では、最寄駅の改札横に市役所の出張所がある。そしてここは休日でも開いていて、なかなか重宝する。

 申請書を書いていくと、使用目的とか提出先とかいう欄に行きあたる。相続、登記、保険、自動車…いつも思うことだが、なんでこんなことを書かされるのだろう。大きなお世話だ。まともに目的を書くと長くなるので、とりあえず「その他」にマルをつけて窓口に出す。案の定、使用目的を聞かれて説明させられた。

 相手はあっさり納得して、コンピューターのキーボードを叩き始めた。かと思うと、いきなりこっちを見て、
「いつもイヌの散歩をされてますよね…」ときた。
「え…??」と驚くボク。
「わたし○○公園の近所なんです。よくお見かけしますよ。」

 イヌの散歩などせいぜい月に1、2回だが、どこで見られているか分からないものだ。しかし、市役所の職員(パートかもしれないが)が、職務時間中に来庁者とこの類の私的会話を交わすのはルール違反ではないのか。正直あまりいい気はしなかった。誰に対しても平坦に、私的な興味は持たずに応対するのが行政サービスの基本だと思う。

 ウチの事務所の近くに郵便局があって、週に2、3回は行く。職員が4、5人の小さな所帯で、だいたい顔は覚えている。ボクは世間話もしないし、相手も用件しか答えない。

 あるとき、その郵便局から事務所に電話がかかってきた。5分ほど前にボクが出した郵便物の料金が違っていたことを伝える内容だった。ボクは驚いた。あの窓口の女性は、ボクが誰だか知っていたのだ。

 考えてみたら、知っていて当然かもしれない。しかし、それに気づかせないのがプロの応対だ。ホテルのバーテンダーしかり。背後の壁に溶け込んでいても、客の話はちゃんと聞いている。場合によっては客の仕事も、客同士の関係も知っている。でも余計なことは一切言わない。

 サービス業のプロとはこういうものだ。笑顔は必要だが、その先は黒子に徹すべし…

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2008年4月14日 (月)

天気予報

 今朝は休刊日。5時半過ぎに目が覚めてテレビをつける。天気予報によると、午後からは天気も回復して気温は20℃を越えるらしい。

 晴れようが雨が降ろうが、ボクの予定は変わらない。せいぜい天候や気温で服装を変えるくらいのもので、台風や大雪で仕事をキャンセルしたことも記憶にない。要は天候に関係なく、粛々とボクの日常は進んでいく。つまらないといえばつまらないし、情緒がないといえばそれまでだ。

 そして、しばらくすると妻が、またもう少しすると長女が起きてくる。妻はカーテンを開けて空を見上げている。長女は食事をしながらテレビの天気予報に見入っている。

 このふたりの生活は、ボクよりは多少天候に影響されるのだ。

 妻はまず空模様を見て、洗濯すべきかどうか考える。マロンの散歩も雨だと出られない。天気がいいと自転車で買い物に出かけるが、雨だと車を使うらしい。

 長女は部活の予定が変わる。雨が降ると屋外コートが使えないから「キントレ」という筋肉トレーニングに相成る。外でボールを打つのは楽しいが、雨を横目で眺めながら腕立て伏せをするのはツライらしい。

 考えてみれば、気象予報士というのもご苦労な仕事。的中してほめられることもなく、外れると非難轟々。しかし天気図から大きな流れは予想できても、移動する方向や速度など正確に分かるはずがない。ましてや長期予報など人智の及ばざるところ。当たらずとも大目に見てあげようではないか。

 さてそろそろ出勤時間。庭にいた次女がスリッパを空中にフワッと上げたら、裏返しに着地した。どうやら明日は雨らしい。

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2008年4月12日 (土)

タスポ

 長い信号待ちに飽きて後ろをふり返ると、タバコの自動販売機に奇妙なモノがついている。

 自分でタバコを吸わないので気がつかなかったが、これが今話題になっている未成年者識別装置『タスポ』というヤツ。たしかこの自販機でタバコを買うには専用のICカードが必要だったはず。

 あとで調べてみたら、名前や住所、電話番号、生年月日といった個人情報に顔写真まで添えてカードを作らなければならないそうだ。たかがタバコくらいで大仰な…と思ってしまう。

 もともと酒やタバコの自販機は、深夜11時から翌朝5時までは使えない。これは未成年者の飲酒や喫煙を予防するための措置だったのだが、どうやらそれだけでは効果が薄かったらしい。これからは自販機でタバコを買うには、面倒なカードを作っていつもそれを携帯していなければならない。相次ぐ迫害に加えて、愛煙家にはますます暮らしにくい世の中になってきた。

 このシステムは初期費用だけで900億円。おまけに運営維持費が年間100億円。タバコ業界はよくそんな巨額の投資に踏み切ったものだ。

 町のタバコ屋といえば、昼間はおばあちゃんが店番をしていて、閉店後は店頭の自販機が頼り。そしてその自販機は、今やタバコ販売全体の6割を稼いでいる。

 このシステムの導入で自販機の売上げが減るのではないか。そうすると痛手を受けるのは町のタバコ屋で、24時間営業のコンビニに客が流れてしまうような気がする。

 世論の批判をかわして自販機販売を守るために巨費を投じた新システム。しかしこれが喫煙者の自販機離れを誘発するとしたら、皮肉というしかない。

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2008年3月29日 (土)

得した気分

 朝食の目玉焼きに2つ黄身が入っている。最近珍しい二黄卵。今日は朝から縁起がいい。

 電車でポケットをゴソゴソやっていたら、ティッシュの間から折りたたんだ千円札が出てきた。自分のものには違いないが、何だかトクした気分。

 午前中、梅田に出たついでにヨドバシカメラでパソコン関連の小物をまとめ買い。合計2万円弱だが、たまったポイントを使ったので出費はなし。タダで買えたみたいでウレしい。

 地下街で遅めの昼食。和定食を頼んだら、余った小鉢までサービスしてくれて650円也。さっきの千円札を広げてお勘定。

 荷物が多いのでタクシーに乗る。あいにく渋滞。カシャカシャとメーターは容赦なく上がる。最後にもうワンメーター覚悟していたが、ギリギリで踏みとどまってくれた。運転手は残念そうな顔。そうは問屋がおろさない。80円もうけた気分。

 事務所に戻ったら、スポーツクラブの無料体験チケットと銀行の食事つきセミナーの招待券が来ている。こういうのは結局高い買い物につく。危ない危ない…

 春の暖かさに誘われて、ちょっと近所の居酒屋へ。店主が気前良くなみなみとグラスに注いでくれた清酒が枡にこぼれる。それをまたゆっくりと飲み干す。これも小市民のささやかな楽しみ。アテは鰆の西京焼とホタルイカの酢味噌和え。

 こういう日はさっと引き上げる。駅で週刊誌を買って電車に乗り込む。運よく座れた。お釣りをポケットにしまおうとしたら、さっきのレシートが出てきた。何だか安いと思ったら、注文のつけ忘れ。

 何だか今日はだいぶトクをしたような…たまにはケーキでも買って帰ろうか。

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2008年3月21日 (金)

待つわ

 ボクが20代だった頃、あみんという女子大生ディオが『待つわ』という曲を歌っていた。

 ある一定の年代以上の人なら、彼女たちの
「待つわ~♪ いつまでも待つわ~♪」というスローなバラードが頭の片隅に残っていると思う。

 「いつまでも待つわ」なんて、今どき死語だろう。近ごろの若者たちの待ち合わせ事情は知らないが、ケータイ時代の勝負は早い。

 そんなことを思いつつ「『待つ』ということ」(鷲田清一)を斜め読み。ケータイの誕生は「待つ」という日常を喪失させた。本来「待つ」には、期待や願いや祈りが内包されていたのに、いつでもどこでも誰とでも交信できるケータイは即座に決着をつけてしまう。身を任せる時間は失われ、万事に段取りが重視される。

 哲学者だから難しく書いているが、要するにこういうこと。待ち合わせの相手が遅れたとする。ケータイが出現する前なら、時計を何度も見ながら、イライラ・期待・不安・あせりなどのさまざまな感情を交錯させつつ、相手との関係を認識していくという貴重な時間があった。ところが待たなくてよくなった現代人は、逆に熟慮する時間を奪われているのではないか。

 あるアンケートで、待ち合わせでどれだけその人を待てるかという質問があった。これに対して、待つなら25分、待たせるなら17分という平均値が出ている。たった2分ほどの赤信号でもイライラする大阪人なら、もう少し短いかもしれない。

 ついでに「走れメロス」(太宰治)を読み返してみた。暴君に親友を預けたメロスは、処刑されるために刑場に戻ってくる。3日間牢獄でメロスを待つだけだった親友。最後に抱き合ったときに彼は、たった一度だけメロスを疑ったことを恥じて力いっぱい頬を殴らせた。感動的なラストシーンだが、ただ待つことで相手との関係が深まることもある。

 昔の生活では当たり前のこと。返事を待つ、機が熟するのを待つ、雨がやむのを待つ、恋人を待つ。しかし情報が瞬時に伝わるIT社会ではそんな余裕はない。それがいいのか悪いのか、ちょっと考えさせられる。

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2008年3月18日 (火)

粋人

 お彼岸に入って、すっかり春めいてきた。

 仕事も一段落したので、事務所からのんびり歩いて10分ほどの太閤園でちょっと贅沢なランチを楽しむことに。

 日本庭園が望める瓢箪の窓側の席を予約しておいた。暖かい陽射しを受けて、庭園の緑がいっせいに新芽を吹きはじめている。池のさざなみに反射した光が店内の天井に不思議な模様を映し出す。

 都会の中の静寂を楽しみながら、ゆったりした気分で旬の会席膳を堪能。

 ボクたちの隣の席にひとりで現れた老人はなかなかの洒落者。70歳前後だろうか。スプリングコートを脱いで帽子を預けると、いきなり白ワインをオーダー。単行本を片手に銘柄を指定してワインのお代わりをしたかと思えば、メニューも見ないで「貝柱を○○で…」なんて注文の仕方をする。

 お任せのセットメニューではなく、好きなものを好きなだけ好きなように料理してもらって平らげる。そして実に美味そうにワインを重ねて、さっと席を立って引き上げる。あとには爽やかな残り香。

 粋人とは、そんなもの。真似してもサマにならないだろうが…

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2008年1月15日 (火)

ドンド焼き

 テレビのニュースをつけたら、東北のドンド焼きの様子が映っていた。

 Dondoこれは小正月に行われる火祭りで、正月の門松、注連縄(しめなわ)、書き初めなどを焼く。うちの実家のあたりでは濁らず「トンド」と読ませていたが、どうやら全国共通の行事らしい。

 亡くなった祖父に手を引かれて、寒い夜道を首をすくめながら近所の氏神さんまで歩く。境内に入ると真っ赤な火が燃え盛り、大人や子供が一緒になってトンドの炎を囲んでいる。青竹がパチパチと大きな音を立てて弾ける。焼け残った書き初めの切れ端が炎とともに空に舞う。

 祝い箸や注連飾りを投げ込んでいると、お神酒で頬を赤らめた町内会の役員さんが駄菓子を持たせてくれた。この行事は、正月にお迎えした神様が天に帰っていく儀式だと教わって、神妙な気持ちで火の粉のはるか向こうの夜空を見上げた幼い日。

 その火で餅を焼いて食べると無病息災。火が高く上がるほど吉兆だという。

 最近はみんな燃えるゴミとして捨てられてしまうのだろうか。考えたら近ごろは身の回りに生の火がない。オール電化住宅の普及で、生活に直結した火が減ってきた。子供の楽しみだったたき火も、防火やダイオキシン騒動の影響で目にすることも少ない。我が家は誰もタバコを吸わないから、家にマッチすらない。おそらく子供たちはマッチを擦れないと思う。

 燃え盛る炎に手をかざす心地よさ。今となっては懐かしい昭和の感触である。

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2008年1月14日 (月)

法事

 親戚の法事で奈良まで行ってきた。

 早世した従兄弟の33回忌。小学校6年生の冬に小児喘息で亡くなった。もし元気で生きていたら45歳。今ごろは家庭も持って、子供もそれなりの年齢になっていただろう。

 小さな額縁に封じ込まれた遺影は、幼い頃の姿かたちのまま。向こうは向こうで仏間に集まった親戚の顔を見渡しながら、「あいつらも年とったな…」と歳月の重みをかみしめているかもしれない。変色した卒業文集を開くと、わら半紙にガリ版印刷された鉄筆の痕がみずみずしい。

 焼香をしながら、過ぎ去った時間の長さを思う。自分でも子供を持った今、親の無念さが改めて胸にしみる。悔恨、寂寥、諦観…どんな思いでこれまでの長い年月を過ごしてきたことか。

 自宅から少し離れた店で、法要の会食。めったに会わない親戚がそろって、こちらは賑やかな宴席となった。幼い頃はよく行き来していた従兄弟たちも、社会に出てからは顔を会わすことも減った。お互いの子供たちにもなかなか会う機会がないが、知らない間に大きくなって、いずれは就職、結婚という日も近いだろう。

 あっという間に時間が経って、再会を約してそれぞれ帰路についた。

 駅で空を見上げると、真冬の雲が厚ぼったく垂れ込めている。昼間の酒に酔った頬に、白いものが触れて解ける。もうすぐ大寒…

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2008年1月 9日 (水)

買い物

 買い物はあまり得意ではない。

 とくにウィンドーショッピングとやらは苦手。たいていは必要に迫られて買いに行くのであって、何か安くていいものがないかとバーゲン会場をウロウロすることなどまずない。

 ケチではないのだが、身の回りはシンプルがいい。モノに囲まれて暮らすというのは性に合わなくて、必要最小限のモノがあればそれ以上は望まない。モノに対する執着も薄い。

 たまに家族の買い物に付き合わされるが、女性陣の飽くなき購買欲にはいつも感嘆するのみ。子供とて、オンナとしてのDNAはしっかり備えているから油断はできない。

 そのボクが唯一、見境いなく買ってしまうのが本。若い頃から、あまり考えないでまとめ買いする。読むのは半分くらいで、後は積読(つんどく)。

 だから在庫管理もキッチリできていない。その証拠に昨年だけでも、すでに持っている本を2冊も買ってしまった。ところがまったく読んだ記憶がない。きっと積読だったのだと思って本棚にあった先客を開けてみたら、何とラインマーカーの跡まで付いている。これじゃ言い訳もできない。

 いちどオツムの検査をしたほうが良さそうだ。

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2007年12月12日 (水)

auショップにて

 ケータイの機種変更をしてきた。

 P_a5527sa_image_2久々に近所の auショップに行ったが、最近のケータイの進化には驚かされる。音楽が聴けるくらいは当たり前で、テレビやビデオまで見られるし、サイフ代わりにも使えて道案内までしてくれる。

  店の女の子がカタカナ言葉を駆使して説明してくれるが、まったくチンプンカンプン。いまだにケータイでインターネットすらできないのだから、近頃流行りのワンセグやらおサイフケータイなどのついた多機能機種はとうてい使いこなせない。

「ケータイで何をされますか?」
「電話と最低限のメールができて、FMが聴けたらそれでいいよ。」
「着うたとかはこだわります?」
「全然…」 
「ディスプレイは高画質がいいですか?」
「老眼だからデカ文字のほうが…」
「それじゃシニア向けの簡単ケータイというのもありますけど…」

 うしろに並んでいる若いカップルがくすくす笑っている。

 結局は海外でもICカードを差し替えずにそのまま使えるケータイにしてもらった。定価だと4万円近くするらしいが、2年間他社に乗り換えない条件だと1万円ほど。しかも溜まったポイントを使うと、妻のと2台で1万円ちょっと。不思議な価格設定だが、店が混んできたので早々に契約をすませて引き上げることにした。

 それから2日。まだ自分でも慣れていない。それなのに、もう目ざとくボクのケータイが変わったことに気づいた連中がいる。以前と着メロが違うというのだ。他人の着メロまで覚えているとは… 思わずうなってしまった。

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2007年12月 9日 (日)

師走の日曜日

 朝起きたら冬の青空が広がっていた。

 ゆっくり朝刊に目を通してから、セーターを着込んでマロンの散歩に出かけた。3キロほどの小型犬だが、寒くなると体調がいいのかリードを引く力が強い。

 向こうからベビーカーに乗せられた小さな女の子が来た。遠くからマロンを見つけて「ワンワン!」と嬌声を上げる。背すじが伸び上がって、カートから飛び出しそうだ。後ろからそのベビーカーを押している母親が、微笑みながらこちらに会釈する。

 すれ違ってから考えた。我が家が13年前に大阪に来たばかりの頃、長女がちょうどあれくらいの年格好だった。ヤンチャで動物好き。公園でイヌに出くわすと、いつも声を上げて追いかけ回していた。

 あの頃は賃貸マンション暮らしで、イヌを飼うこともできず。ぬいぐるみの首にヒモをつけて、汗だくで部屋の中を走り回っていた。その子がもう中学生である。

 近所の公園をひと回りして、雑木林に足を踏み入れてみた。寂しくなってきた落葉樹のすき間から穏やかな陽光が射し込む。まだ朝早いから子供たちの姿もなく、落ち葉の絨毯の向こうで、同じようにイヌの散歩をしている人同士が言葉を交わしている。

 池の端で立ち止まって、持ってきたパンくずを投げてみた。池の底からコイが現れて獲物をかすめ取っていく。するとすぐに大きなサギが飛んできて、じっと様子をうかがっている。

 パンでも食べるのかと思って見ていたら、サギは器用にくちばしを水中に潜らせて、瞬時に小魚を捕らえた。なんとパンくずに寄ってくる小魚を狙っていたのだ。

 鳥の知恵に感心していたら、見物客が二人、三人と増えてきた。「また捕まえた!」「賢いな~」。ちょうどパンくずがなくなったところで、ショータイムは残念ながらお開き。笑顔で声を掛け合って解散と相成る。

 動物というのは他人同士の固い心の扉を開けてくれるものかもしれない。家で遅めの朝食をとりながら、ふとそんなことを考えていた。

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2007年12月 7日 (金)

値上げラッシュ

 最近新聞の経済欄を開くと、円高と株安の話題ばかり。ボクも多少は外貨預金や株を持っているが、あまり日々の値動きには一喜一憂しないことにしている。

 原油の上昇も止まらない。今月から石油元売り大手がいっせいに灯油やガソリンの卸価格を引き上げた。これでガソリンの店頭価格は155円くらいまで上がるとか。

 その余波は、電気・ガス、国際線の航空運賃、タクシーの値上げに及ぶ。さらに穀物高から調味料やパン、菓子、ビール…と値上げの連鎖が広がる。

 それにしても、総務省が出す消費者物価の統計数値はピントが外れている。9月まで消費者物価は下がり続け、10月でようやく 0.1ポイント上昇に転じた。われわれの暮らしに直結する食品や公共料金が軒並み上がっているのに、プラズマテレビなどの家電製品の値下がりに引っ張られて物価の平均値とやらは下がるらしい。かくも役所の統計は生活実感からはほど遠い。

 失業率は全国的に悪化しているが、なかでも大阪の惨状は目に余る。これこそ宿年の政治課題で、下請け零細企業を中心とした産業構造を大きく転換しない限り、突破口は見当たらない。

 そして年が明けると知事選。太田知事は三選出馬を断念し、各党の候補者選びは難航している。知名度の高いタレントの名前も取りざたされているが、人気投票ではなく政策論を中心とした選挙戦であってほしい。

 そろそろ、大阪に本当の春が来ないものか。

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2007年12月 6日 (木)

失せ物

 久しぶりに父と一緒に電車に乗った。

 父は改札機を通した切符を小銭入れにしまう。どこに入れたか分からなくなって降車駅で探すことが多いので、しまう場所を決めているらしい。

 近ごろはPitapaを使うから切符を買うことも減ったが、ボクも切符をよく失くす。改札機を通した後、ついつい無造作にポケットに放り込むが、どこに入れたか思い出せない。小さくて薄い切符は定期入れの間に挟まっていたり、ハンカチの中に埋もれていたりする。

 いつも通勤でお世話になっているK電鉄には『忘れ物窓口』というのがあって、ボクはその常連客。傘にカバン・土産袋まで、これまで置き忘れて受け取りに行ったことは4、5回ではきかず、情けないことにケータイにまで番号登録している始末。ところがその都度、親切な車掌さんが見つけてくれるか他の乗客が届けてくれるかして、本当に失くなったタメシがない。「これも人徳の為せるワザ」と家族には威張っているが、相手にもされない。

 一度だけ、通勤カバンを置き忘れたことすらしばらく失念していたことがあった。事務所にないから家だろうと思っていたが、どこにも見当たらない。もしや電車の中ではと、その忘れ物窓口に問い合わせたのは10日以上も経ってからのこと。あるにはあったが、保管期限が過ぎていて、すでに警察に転送されていた。

 かろうじてカバンの中味は答えられたから返してもらえたが、警察の遺失物センターでは「なぜそんなに長い間気づかなかったのか」とさんざん訝しがられた。

 さすがに最近はだいぶ学習したので、網棚には絶対に上げない。重くても手に荷物を持ったまま、カバンは肩から掛けたまま。もしそういう人を電車で見かけたら、間違いなくボクと同病の御仁である。

 最近妙に肩が凝るのは、そんな理由かもしれない。

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2007年11月29日 (木)

すごい

 2週間ほど前のこと、次女の授業参観に行ってきた。

 担任はボクと同年輩の女の先生。手ぎわのいい授業なのだが、筋書き通りでどうも面白みに欠ける。周囲に立つ保護者の目を意識していて、ふだんとは違う『よそ行き授業』のような雰囲気が見てとれた。もっと熱い血の通った授業を期待していたのだが、教師受難の時代だからそれもやむをえまい。

 そのなかでちょっと気になったのは言葉の使い方。子供を誉めるときに「すごい」を頻発する。よく調べた発表だからなのか、まとめ方が上手いのか、それとも単に声が大きいからなのか、そこをもう少し具体的に説明してほしい。ご本人は何気なく使っているのだろうが、子供のほうも何を誉められたのか分からないだろう。

 よくテレビのグルメ番組で「美味い!」を連発するタレントがいるが、そんなレポーターを使うテレビ局の気がしれない。安易な言葉に走ると表現力はつかない。

 そんなことを思っていたら、数日前の新聞で 某大学教授のコラムが目にとまった。

 ゼミ生と栗拾いに出かけたときのこと。一面のイガ栗に「すごい」。イガの中に愛らしいアマガエルを見つけて「すごい」。「全く違うものなのに同じ表現なんですよ」と苦笑する。

 その教授は「感覚的な生活言葉ばかりでは論理的に考える力はつかない」という。さらに「言葉を活用する力をつけるには教師に技術がいる」ともいう。論理的に考えて活用する力というのは、先ごろの全国学力テストで指摘された今の子供たちの弱点だ。

 先生が技術を持って子供の力を誘い出す。大切なことは昔から変わらない。

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2007年11月24日 (土)

神農祭

 昨日、神農祭に行ってきた。

 1123211 「神農(しんのう)さん」として親しまれる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社の大祭。道修町は江戸時代から薬種業が軒を連ねる薬の町で、今でも大手製薬メーカーの本社ビルが並んでいる。

 前夜にテレビニュースで報道されたためか大変な人出で、参拝客が長蛇の列を作っていた。交通整理のガードマンに誘導されながら、たっぷり30分待たされてようやく本殿の前に。

 大阪の一年を締めくくるこの「とめの祭」は、毎年11月の22、23日が大祭。これまで来る機会がなかったが、「あれっこんなところに…」と思うようなひっそりした佇まいで、ふだんの日なら見逃してしまいそうだ。

 ここの名物は縁起物の張り子のトラ。なぜトラなのかと思っていたが、江戸末期にコレラが大阪で流行した際、道修町の薬問屋がトラの頭骨を混ぜて作った丸薬と一緒に、厄よけとして患者に施薬したのが始まりらしい。

 いちばん小さいトラを買い求めて、「無病息災」「家内安全」を祈願。参拝客をかき分けるようにして境内を出た。

 さて、今日はこれからインフルエンザの予防接種。

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2007年11月10日 (土)

週刊こどもニュース

 よくNHKの「週刊こどもニュース」(毎週土曜日18時20分~)を見る。

 はじめのうちは子供番組だと思っていたが、なかなかよくできている。字幕はフリガナつき。模型や図表をうまく使って、世の中の動きを易しく説明してくれる。大人になると、今さら他人(ひと)に聞けないことがたくさんあるが、とくに国際情勢や政治問題の解説は簡潔で分かりやすい。

 ボクはいつも子供たちには知ったかぶりをしながら、実はこの番組からこっそり情報を仕入れている。特に中東情勢などは、大人向けの報道番組など何回聞いても難しくて理解できない。自慢じゃないが、主たる情報源はこの「週刊こどもニュース」と「朝日小学生新聞」である。

 出演している子供たちの視点は新鮮だ。子供は単視眼だが、遠慮なく核心をついてくるから大人もボヤボヤしていられない。

 こんなものを見ている大人もいないだろうと思っていたら、そうでもないことが分かった。あの番組の平均視聴率は10%だが、60代以上に限ると何と20%だとか。NHKでは半分冗談で「週刊老人ニュース」と呼んでいるらしい。

 どうやらもう、頭だけは老人の仲間入りである。

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2007年11月 8日 (木)

ほろ酔い

 先週末の日経に、お酒の適量についてのアンケート記事があった。

 ちょっと興味があったので丹念に読んでみた。自分が適量と考えるお酒の量は人によってバラバラ。また男性が女性より多いのも想定内。意外なのは、年をとると酒に弱くなるはずなのに、適量として回答した量は50歳代が最も多いこと。「若者の酒離れ」と「バブル期に社会人として脂の乗り切った時代を過ごしたオヤジ世代ほどよく飲んでいる」という分析結果には、なるほどと肯(うなづ)かされた。こいつは負けてはいられない。

 厚労省が出している目安だと、ほろ酔いの適量はアルコール換算で1日20gほどらしい。これはビールなら中ビン1本、日本酒だと1合、ワインでグラス2杯、ウィスキーダブル1杯に相当する。ちなみにアンケートに答えた人たちが自分で適量と考えている量の40%ほどだ。

 たしかにこんなもんじゃ生殺し。我が家で大人しく晩酌というならともかく、外で飲むときはいくらナンでもこれでは収まらない。勢いがついて「もう1軒!」なんてことになると、軽く適量の数倍ものアルコールを摂取している。

 しかしひと昔前の呑んべぇどもに比べたら、近ごろはみんな行儀がよくなった。ボクが若い頃は、肩を組んで千鳥足で盛り場を徘徊する中高年のオジサンたちや終電間際に駅のベンチで寝ている若者なんかをよく見かけたが、最近はそんな姿もめっきり減った。

 すべてにマニュアル化が進んで、型やぶりな人間は弾き飛ばされてしまったんだろうか・・・

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2007年11月 1日 (木)

生体認証

 朝、用があって事務所の近くのM銀行に行ってきた。

 給料日後や月末は長蛇の列だが、月初は意外と人が少ない。

 ふだんの出金や振込みはATMしか使わないから、窓口に行く機会などまずない。しかし今日は少し時間があったので、ヒマそうにしている行員をつかまえて生体認証のことを訊ねてみた。

 最近よくATMで、指をかざしている人を見るようになった。何だか便利そうで以前から興味があったのだが、行員の話だと生体認証はパスワードとの組み合わせで本人確認をするため、指をかざしても暗証番号の入力は必要らしい。つまり手順をひとつ増やして、よりセキュリティを高めるためのものだそうだ。

 まだすべての支店に生体認証対応のATMがあるわけでもない。しかもコンビニなどのATMではほとんど使えない。おまけに静脈の形を読み取る方法に指方式と手のひら方式の2通りの方式があって、金融機関によってマチマチ。だから、M銀行の生体認証カードはU銀行では使えない。こんな規格くらい統一すればいいのにと思いながら、今回は見送ることにした。

 この生体認証ビジネスはこれからの成長分野だとか。新しいノートパソコンには標準装備されているし、自動車のドアやハンドルに組み込める認証技術の開発が進められている。

 静脈の形はひとりずつ微妙に違っていて、それを機械が読み取って個人を識別するのが今の世の中だそうだ。先日、何百人というお客の履物を間違えずに出す料亭の下足番の話を週刊誌で読んだが、こういう人間の五感に頼る名人芸もだんだん廃れていくのだろうか。ちょっと寂しい・・・

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2007年10月19日 (金)

大阪弁と京都弁

 関東の人には分からないだろうが、大阪弁と京都弁というのは似ているが少し違う。

 まず会話のスピードが大阪は早くて京都は遅い。大阪の会話は漫才のテンポだと思えばいい。

 単語や発音も微妙に異なる。たとえば「来ない」というのを、大阪では「けーへん」、京都では「きーひん」、神戸では「こーへん」という。ちなみに神戸の人は、「どこ行きよーん」「何しとぉー」というように、語尾に「よーん」や「とぉー」をよく使う。その昔大学に入った頃、神戸から通っていた友達が「~しよーん」という言い方をするのが耳慣れなくて、ちょうどその頃習いたてのフランス語みたいだと思った記憶がある。

 ウチの子供たちは、妻の影響で家ではほとんど標準語に近い言葉をしゃべる。でも学校では、コテコテの大阪弁を使っているらしい。長女は最近ようやく大阪弁と京都弁の違いが分かってきて、ボクに京都弁を教えてほしいという。

 世間では「~どす」というのが京言葉だと思われているようだが、今どきそんなのは舞妓さんか一部の年寄りしか使わない。

 ボクが京都にいた頃は、若い女の子が「~しはった」というハンナリした丁寧敬語(ネコにまで)をよく使っていたが、今はどうなのだろうか。

 発音だけ違う言葉もある。ボクの下宿屋のおばあさんは「うち」とか「おおきに」という言葉をよく使ったが、自分が幼い頃から聞きなれていたアクセントとは違うので奇異に感じたものだ。

 以前に劇団四季が全国公演していた『ライオン・キング』は、セリフをご当地ごとの方言(本場ニューヨークではもちろんブルックリン訛り)に変えていた。マニアによると大阪版と京都版で言葉が違っていたらしいが、芸の細かいことをするものだ。

 最近はだんだん共通語化しているが、やはり方言は文化。大阪弁と京都弁とが同じ言葉にはならないでほしいと思う。微妙な言い回しを聞き分けるのも楽しいものだ。

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2007年10月16日 (火)

間違いファックス

 最近、間違い電話が減った。

 近ごろのケータイや固定電話には電話帳機能があるから、自分で相手の番号をプッシュして電話することが少なくなったからだろう。

 でも、間違いファックスはたまに来る。そしてこのファックスというのは一方通行で、送った相手もその間違いに気づかないから始末が悪い。放っておけばいいようなものの、あまり頻繁に来ると送り手に連絡しようかと迷う。でも相手が海外だとそうもいかない。以前に香港の商社から毎週のように薬の注文書が届いて困っていたが、いつのまにか来なくなってホッとしている。

 若い頃、長らく会社の独身寮にお世話になっていた。入社当初は食堂に置いてあった黒電話で呼び出すシステムだったが、最後の頃は自分の部屋に電話をつけることが許されるようになった。そしてそのときボクは何を思ったか、電話とファックスの兼用機を買った。当時の家庭用ファックスは、グルグル巻きの感熱紙を内蔵するタイプのもの。

 考えてみたら、独身の寮生にはファックスなんてあまり必要ない。そして、タマに入ってくるのは間違いファックスばかり。

 何度か続けてどこかの工務店から何十枚も設計図面が来たことがあった。感熱紙が勿体ないので先方に電話したら、謝るでもなく「処分しておいてください」と素っ気なかった。

 夜中にピーというファックス音で起こされたことも一度ならず。いちばんビックリしたのは某医療機関から、心電図と検査データが送られてきたこと。患者名の横に「緊急(emergency)」というゴム印が押してあった。放っておいたが、しばらく気がかりだった。

 一度ジョークでファックスを使ったことがある。「みんなでメシでも食べてくれ!」と大書した横に1万円札を3枚並べて、知人の開店祝いにファックスしたのだ。すぐに電話がかかってきて大笑い。あとでおごらされたのはいうまでもない。

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2007年10月 7日 (日)

口ぐせ

 誰にでも口ぐせがある。

 他人(ひと)の癖はよく分かる。家族や知人なら「また言ってる・・」と思う。テレビに出てくる有名人でも然り。昔の友達に久々に会って、若い頃からの口ぐせが直っていないのを聞くと懐かしさにホッとする。でもそれを本人に話してもあまり気づいていない。自分の癖というのはそんなものかもしれない。

 ちょっと前の新聞に、家庭でのお母さんとお父さんの口ぐせを子供たちがまとめた記事があった。

 早く食べなさい、早く片づけなさい、早く宿題しなさい、早く寝なさい・・・お母さんはいつも急(せ)からしく追い立てるのが特徴。片やお父さん。メガネ知らんか、新聞はどうした、ケータイどこ置いたかな・・・と家の中でいつも何かを探している。

 ふだんのストレスやコンプレックスが無意識のうちに口ぐせとなって出るというのは心理カウンセラー。「もちろん」を多用する人は自信家、「まあ、いいか」は自己防衛、「やっぱり」は自己主張の強さを示しているらしい。

 昭和天皇は「あっそう」。ミスター長嶋は「いわゆるひとつの」。アニマル浜口は「京子!気合だ!」。安倍前総理は「しっかりと」。他人のならすぐに分かるが、自分の口ぐせばかりは分からない。

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