2008年7月23日 (水)

勇気

 過ちを犯したときに、素直に部下に謝ることができるだろうか。

 自分の判断や指示が間違っていたために、失敗することがある。そんなときに上司から叱責されるのは仕方がない。しかし、自分より目下にある者に対して「悪かった!オレの責任だ」と正直に詫びることができるだろうか。これはなかなか難しいが、そんな魂の懺悔は部下の胸を熱くする。謙虚さは、人間として大切な資質だと思う。

 逆ならたくさんいる。若い頃、会社でさまざまな人を見た。いつも手柄をひとりじめにする人。自らの失敗を部下に押しつける人。そんな人は、酒場でさんざん陰口をたたかれていたものだ。

 昨日、クルマで聴いていたラジオで、アナウンサーがゲーテの有名な言葉を紹介していた。

 「財を失ったら、懸命に働いてとり返したらいい。
 名誉を失ったら、挽回すればいい。
 勇気を失うくらいなら、人間をやめたほうがいい。」

 ここで勇気というのは、謝罪する勇気だという。

 彼は、子供との関係を引き合いに出していた。たとえば夏休みの宿題。子供が分からないから教えてほしいという。ところが間違った解き方や答えを教えてしまった。あとで、その誤りを子供から指摘されたとき、素直に子供に謝る勇気があるだろうか。

 いくら相手が自分の子供でも、間違いは間違い。つまらない言い訳をしたり、話をすり替えたりするのは卑怯である。正直に非を認めて、子供の土俵にまで降りて一緒に考えて解いてみる。その親の姿を、子供は一生忘れない。

 人間関係一事が万事。会社でも家庭でも、けっして頭越しに見下してはならない。

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2008年7月19日 (土)

ボク・僕・オレ・俺

 このブログでは一人称を「ボク」に統一している。

 「私」にしようかと思ったのだが、ちょっとイメージが固い。覆面ブログで自由に書くのなら「ボク」のほうがペンが弾むかもしれない。そう思って「ボク」にした。

 ふだんの生活の中で「ボク」という言葉はまず口にしない。初めのうちは読み返しながら「このボクっていったい誰?」というような戸惑いを感じたが、最近はさすがに慣れてしまった。

 常用漢字に「僕」という字がある。辞書を引くと、もともと身分の低い召使い=「しもべ」の意味で、自分を謙遜して使う言葉らしい。耳で聞くと同じでも、目で触れると「僕」と「ボク」とでは印象が異なる。カタカナの「ボク」は柔らかくて情緒的。ガラス細工のような脆さと優しさが同居している。

 仕事のときや改まった場での一人称はたいてい「私」だが、これはいかにも無機質でつまらない。ちょっと親しい友達には「オレ」という。

 現在、常用漢字に「俺」は含まれておらず、今回の改定でこれを入れるかどうかもめている。たしかに新聞を見ていても、中日・落合監督の代名詞「オレ流」なんて言葉はカタカナを使っている。

 日常の口語では頻繁に使われているのに、「子供に教えるべきでない」という反対論があるらしい。でも「言葉として汚い」とか「品がない」とかいう理由で排除すべきではないと思う。

 「僕」から「俺」というのは少年から青年への通過点であり、男なら誰しもたどる道程だ。最初は背伸びして、ちょっと悪ぶって使う言葉だが、いっぱしの大人になればみんなちゃんと使い分けができる。

 何とか委員会のエライ先生方に申し上げる。「公文書では使わないから」なんて、頭の固いことを言わないでほしい。

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2008年6月10日 (火)

一秒の言葉

 「はじめまして 」
 この一秒ほどの短い言葉に、一生のときめきを感じることがある。

 「ありがとう 」
 この一秒ほどの短い言葉に、人のやさしさを知ることがある。

 「がんばって 」
 この一秒ほどの短い言葉に、勇気がよみがえってくることがある。

 「おめでとう 」
 この一秒ほどの短い言葉に、幸せにあふれることがある。

 「ごめんなさい 」
 この一秒ほどの短い言葉に、人の弱さを見ることがある。

 「さようなら 」
 この一秒ほどの短い言葉に、一生の別れになるときがある。

 一秒に喜び、一秒に泣く。

 一生懸命、一秒。

 この美しい詩に彩られたセイコーのCMが、テレビで放送されたのは23年前のこと。

 ボクが見たのは大晦日の「ゆく年くる年」。校舎を背景にこの詩の朗読が流れる。当時の「ゆく年くる年」は民放各社が共同制作していて、チャンネルを替えても同じ画像というのが何だか非日常的で新鮮だった。

 今でも「詩を結婚式のスピーチに使いたい」「教材にしたい」という問い合わせが絶えないそうだ。今年から道徳副読本(小学5年生)にも採用された。

 目を閉じて聴いていると、さまざまな記憶が目に浮かぶ。中田浩二のナレーションも渋くていい。

 今日は6月10日。時の記念日。このCMが23年ぶりにリメイクされてテレビに流れる。

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2008年5月14日 (水)

今宵はひとりで

 夕方から保険代理店の表彰式に出席してきた。

 高級ホテルの宴会場に約300人を集めた盛大なパーティー。表彰と挨拶のあとはフランス料理のフルコース。ワインを楽しみながら前菜と魚料理は頂いたものの、メインの肉料理は手付かずのまま。回りの人たちも半分以上残していて、
 「もうこれ食べないから、吉兆してエエよ!」
とホテルの従業員に声をかけている。どうやら温め直して他の客にどうぞという意味らしい。ウェイターは苦笑しながら皿を下げていく。

 料理が終わるとディナーショー。誰が出てくるのかと思ったら、何と あべ静江。出席者の年齢層に合わせたのだろうが、かつての清純派ももう50代半ば。マイクを握って客席を回ると、残酷なスポットライトが容赦なく小皺やたるみをあぶりだす。

 もう一軒行こうという知人の誘いを断って会場を出た。帰るには少し早く、足は北新地へ向かう。なじみのカウンターにひとり腰を落ち着けて、シングルモルトウィスキーを舌で転がす。

 長湯で湯当たりするというように、今日は人に疲れてしまった。他の客や店の女性の話し声をBGMにしながら、ひとりで静かにグラスを重ねて頭を虚ろにする。たまにはこういう夜もいいものだ。

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2008年5月10日 (土)

国家の品位

 金本の話の続き。

 後頭部への死球で危険球退場になった木佐貫が、翌日の試合前に謝罪に訪れたらしい。金本はスポーツマンらしく「気にするな。また思い切って投げてこい」と声をかけたと、マスコミは美談として報じている。

 車でラジオを聞いていたら、あるアナウンサーがこれはおかしいという。彼の意見は、相手チームの選手に対してはグラウンド外でも闘志をむき出しにして接すべし、ということらしい。

 でもそれは違う。ラグビーにノーサイドという言葉があるように、試合や競技が終われば、スポーツに敵味方はない。ましてや人の命や身体とかいう問題になると、勝ち負けなど超越した次元の話。木佐貫が謝りに行くのは当たり前のことだ。

 終戦直前に、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急逝した。そのとき、日本の鈴木貫太郎首相は「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」というコメントを発表している。

 スポーツどころではなく、生死をかけた戦争をしているのだ。その敵国トップの訃報に接して哀悼の言葉。おそらく非見識だと批判もされただろうが、鈴木首相は意に介さない。ちなみにこのときヒトラーは、死者に対して容赦ない誹謗の言葉を浴びせている。

 このコメントに、世界中の識者たちが驚いた。国家の非常事態下でも、あの東洋の国には、生命に対する畏敬や礼儀がまだ存在する。それはそのまま国家の品位と受け取られ、日本には騎士道精神が残っていると賞賛された。

 外務省の命令に反して、6千人ものユダヤ人に『命のビザ』を発給し続けた杉原千畝にしても然り。戦争や外交とスポーツは同列に論じられないが、どんな状況下でも勝ち負けに優先する倫理や礼節がある。ボクはこの態度、日本人らしくて誇らしく思う。

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2008年5月 8日 (木)

スワンの心

 つい先日、知り合いの女性から聞いた話。

 「私のモットーは、白鳥のようにです」と言うのだが、分かりますか?この意味が…

 白鳥は水面をスイスイと優雅に泳いでいるが、水面下では前進しようと必死でバタバタやっている。華やかな姿の陰には、人並み外れた努力がある。でもそれをけっして他人には悟らせない。

 150%の力を出し切ってクタクタになっていても、外面は涼しい顔。自分が必死で頑張っている楽屋裏など見せたくない。半分くらいの力でやっていて、まだまだ余力があると思わせる。それが彼女のプライドであり美意識なのだ。

 これは非常によく分かる。

 男でも女でも、会うたびに「大変だ!大変だ!」と大仰に言い立てる御仁がいる。いつも待ち合わせには遅れてきて、いろいろと言い訳をする。会っている間もケータイは鳴り放しで、コチラの話などそっちのけ。そしてまた嵐のように消えていく。

 そういう人は、いつでも誰に対してでもそうなのだろう。忙しい!大変だ!という気持ちが心の支えになっているだけで、実はたいした仕事はしていない。

 強いイヌは吼えない。ふだんは泰然自若として、体内に闘志を漲らせてジッとそのときを待つ。そして一瞬のスキを見逃さない。決着がつくのはあっという間だ。

 話は変わって、昨夜の巨人-阪神戦。
 080508tig20080508003_mde00350g08050鉄人金本の鉄人たる所以(ゆえん)を見た。3回表 木佐貫から頭部直撃の死球を受けて、その場にうずくまる金本。凍りつく場内。そして数分後、何ごともなかったかのようにグラウンドへ戻った金本をファンは大歓声で迎える。圧巻は次の打席。目のさめるようなライナー性の打球が右翼席に消えていく。強烈なシッペ返しで、阪神ファンは溜飲を下げたことだろう。

 彼の練習量はチーム一だそうだ。だから周囲の若手も少々のことでは根を上げられない。ぬるま湯に浸っていたチームの体質をすっかり変えてしまったのはこの人。率先垂範こそが真のリーダーの姿である。

 当たり前のように、淡々と顔色ひとつ変えずダイヤモンドを回っていく金本。その姿を見ながら、ふと白鳥の話を思い出していた。

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2008年5月 7日 (水)

ツタ

 半日かかって車庫の外壁を覆うツタを外した。

 ツタの生命力は強くて、コンクリートの壁にしっかり張り付いている。これを刃物で丁寧に剥がしていく。高いところはハシゴを掛けて不安定な姿勢で力を入れるからバランスを崩しやすい。高校時代は山岳部だったくせに、情けないことに足がすくむ。

 通りかかる近所の人が、珍しそうに見上げながら通りすぎていく。

 思い返せば、我が家を建てて丸10年。あの頃はガーデニングブーム真っ盛りだった。土のある生活は始めてだと言ったら、造園業者が庭にたくさんポット苗を植えてくれた。きれいな花を咲かせる植物のすき間にツタの苗も入っていた。

 何年かするうちに、主役だった植物は次々に枯れて代替わりしていく。そして脇役のツタだけが残って成長を続け、いつのまにかすっかり車庫の外壁を覆って隣家にまで伸び始めた。

 このまま放っておけない。ということで今回のツタ外しに相成った。

 ゴミ袋を10杯並べてホッと一息。この積年のアカは、一般ゴミとは別に回収に来てもらうことになるらしい。

 それはいいとして、妙なところに力が入ったせいか身体中あちこちが痛い。我が痩身、どうやらツタほどの生命力はないようだ。

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2008年4月29日 (火)

深夜の楽しみ

 本箱の奥のほうから古い本が出てきた。

 『マルクスと現代』(H.J.ラスキ)。あまり記憶がないと思いつつ手に取って広げたら、中から黄色く変色した数枚のレポート用紙が出てきた。

 丁寧に書かれた自分の筆跡。欄外に1-Jー4-42とある。Jは法学部の略。1回生法学部4組42番という意味で、当時の政治学のレポート原稿だと思う。しばし見入ってしまった。筆圧の強いシャープペンシルで、あちこちで迷いつつ書き直した跡がある。マルクスレーニン主義を理想論として礼賛する書きぶりはいかにも青臭いが、あの時代、あの年ごろの流行り病みたいなものだ。

 みんなが通り過ぎてきた道。そう思うと。あの頃の自分が懐かしく、たまらなく愛しくなる。今どきの学生のレポートならみんなパソコン製だろうから、こうして何十年も経ってから自分の肉筆に接しつつ、若き日の思索の跡をたどることなどできない。

 もし人格形成の過程をカーブで描くとしたら、自分の場合は18歳から20歳くらいの間が極端に角度がきついと思う。高校時代までは精神的には子供の延長線。それが大学に入った頃から、いきなり多くの書物に接し、さまざまな人に出会った。消化不良を起こさないように、何度も何度も咀嚼して噛み砕いた。そして今の自分のベースにあるものは、多くはこの時期に培われたものだ。

 この頃は多読で、マーカーをつけたり線を引いたり、読んで感じたことを本に書き込む習性があった。さらにそれで足りないときは感想を書いた紙を本にはさんでいた。

 もちろん当人はそんなことはすっかり忘れている。しかし、たまにそんな藁半紙の切れ端を見つけたりすると、たとえようもなく嬉しい。

 極上のツマミを見つけたようなものだ。妻子が寝静まった深夜に、こっそりとひとりで読み返してみる。何十年も前の自分と対峙する豊かで芳醇な時間である。

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2008年4月18日 (金)

弔辞

 Sさんが亡くなった。享年64歳。

 小雨の降る中、お通夜に参列して、最終の新幹線で今帰ってきた。

 勤めていた会社の大先輩。クチは悪いが細やかな心遣いのできる人。熱い血の通う生粋の江戸っ子だった。仕事はもちろん、人づき合いの作法から酒の飲み方まで、社会人のイロハを教えてくれた大恩人である。

 ボクが入社時研修を終えて東京に配属になったのは、ちょうど30年前の今ごろだった。関係部署にあいさつ回りをした後、与えられた自席につく。でも新入社員にはたいした仕事もない。ボンヤリと窓の外に広がるサクラ並木を眺めていたら、いきなりSさんが現れて、
「明日、群馬の法務局に行って土地の謄本を取ってこい…」という。

 第一印象は怖そうなヒトだった。コチラはいちおう法学部は出ているものの、悲しいかな実務経験は皆無。登記簿の現物なんて見たこともないし、謄本の取り方も知らない。そう言うと、
「役に立たねぇヤツだな~」とぶっきら棒に教えてくれた。
「分かったか…」
「え~でも群馬にはどうやって行くんですか?」
「バカヤロウ!」と大笑いして、
「黄色い電車で浅草まで行くんだよ!そっから東武特急だ。朝寝坊すんなよ。目覚まし2つ掛けとけ!」

「黄色い電車」とは営団銀座線のことだ。その後しばらくウチの部署では、田舎者の新人のために地下鉄を車両の色で言うようになった。(丸の内線は「赤い電車」とか)

 一緒にさせていただいた仕事は数知れず。工場の用地買収など懐かしい思い出がたくさんあるが、何といっても忘れられないのは昭和60年の日航機墜落事件(「あれから20年」参照)だ。

 プライベートでも、よく軽井沢や伊豆に遊びに行った。北海道にも足を伸ばしたし、飲み屋の客仲間十数人でハワイまでゴルフに行ったこともある。何度かお宅にお邪魔して、奥さんの手料理をご馳走にもなった。あの頃小学生だったお嬢さんが、なんと今では小学生の娘さんを持つ母親になっている。
「そりゃ~そうだろうよ。もう30年近く前のことだから…」。どこかから懐かしい声が聞こえてきそうだ。

  よく働いてよく遊んだ。楽しい時代だった。改めてふり返れば、ボクの17年間のサラリーマン生活の大半は、Sさんと共有した時間で占められている。

 3年前にリタイアーした後は、奥さんと悠々自適の人生が待っているはずだった。しかし病魔がその幸せを奪う。2年前に大手術をして声を失い、今回転移が見つかった。

 このブログの熱心な読者だった。あまり筆マメでもないくせに、昔話など書くと感想をメールで送ってくれた。再入院を知らせる最後のメールが来たのはわずか1ヶ月前。もうSさんのアクセス履歴を探すこともないのは寂しい。

 いつも面倒をみてもらうことばかりで、こちらからお返しすることはほとんどなかった。これから少しずつ恩返ししていこうと殊勝なことを考えていたのに、それも叶わなくなった。

 天国にこの記事が届くだろうか。謹んでご冥福を祈ります。どうか安らかに…

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2008年4月 8日 (火)

古い名刺

 毎日、いろいろな方と会って名刺の交換をする。

 頂いた名刺はとりあえず名刺入れにしまうが、名刺がたまると無造作に机の引き出しに入れる。たまには日付や紹介者の名前を書き加えることもある。

 そして、時間があるときにその名刺を整理する。銀行や証券会社の営業マン、不動産ディベロッパー、役所の担当者、スナックのママ…もう1ヶ月くらいたつと、顔も思い出せない人が半分近くいる。そして、申し訳ないがそんな名刺は整理して処分してしまう。

 こんなことをもう何十年も続けている。

 いったい今まで何千枚の名刺をもらったことだろう。今手元に残っているのはせいぜい数百枚だから、残りはゴミになってしまった。きっと自分の名刺も同じ運命をたどったことだろう。

 手紙や書類でもそうだが、モノには捨てるタイミングというのがあって、あまり長く手元に置いておくとだんだん捨てにくくなる。

 勤めていた頃の名刺はほとんど処分したが、まだ数十枚は残っている。フチが黄色く変色したもの、ツブれてしまった会社のもの、とっくに他界した人のものも数枚。新入社員当時の営業研修でお世話になった方の名刺もなぜだか残っている。

 どちらかというと、物持ちがいいほうではない。むしろ何でもスパッと捨てて、去る者は追わない主義。でも、その時期を逸すると逆に愛着が湧いてくる。

 古い名刺を1枚ずつ手に取りながら、よくぞここまで生き残ったと健闘を讃える。そして過ぎ去った時間の長さを思う。ほとんどの人が音信不明。なかにはボクが退職して大阪にいることも知らない人もいるだろう。いやもうボクという存在自体が、相手の記憶には残っていないかもしれない。

 そんなことを思いながら、今日も2枚新しい名刺が増えた。さてその運命やいかに。

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2008年4月 3日 (木)

ひとりごと

 この年になると、ふと人生の目的みたいなことを考えることがある。

 あまり個人的な欲はない。お金はないよりあったほうがいいだろうが、金儲けは人生の目的にあらず。「金の切れ目が縁の切れ目」というが、金でつながっているだけの人間関係は脆い。安いから来る客は、もっと安い店を見つけたら逃げていく。値段ではなく、商品やサービスの質で真っ向勝負できる人間でありたい。

 このブログのタイトルにしたからというわけでもないが、『雨ニモマケズ』の前近代的な価値観が結構気に入っている。この詩には、粗食、勤勉、無欲、奉仕、今では忘れ去られたような生き様が随所に散りばめられている。   

 唄なら『時代おくれ』がいい。要領よく立ち回るというのが何より苦手。不器用だけれどシラけずに、純粋だけど野暮じゃなく、男の嘆きはほろ酔いで、酒場の隅に置いていく。共感できる歌詞…

 自分が正しいと信じたことは頑固に貫く。他人(ひと)様に迷惑さえ掛けなければ、世俗的な評価など気にしない。大向こう受けする派手な舞台は苦手で、縁の下の端っこを担ぐ気楽な裏方がいい。

 好きなように生きて、好きなように死んでいった人。南方熊楠牧野富太郎などの自由奔放な人生が最近はちょっとうらやましい。

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2008年3月19日 (水)

数字は人格

 昔勤めていた会社の社長が「数字は人格だ」という発言をして、社内で物議をかもしたことがあった。

 これは「組織での人事考課は結果としての数字で決まる」という意味。営業なら実績、つまりどれだけ売ったかで評価する。逆にいくら努力しても、それが数字に結びつかなければ一切評価しないという。

 これを聞いた社員たちは、何と冷徹な考え方かと反感を持った。

 数字には運不運もある。たとえばいくら知恵を絞って汗をかいても結果の出ない仕事もあるし、逆に前任者が地道に種まきをしてくれていたお蔭で、着任早々に大きな実を結ぶこともある。本人の努力と結果とは必ずしも結びつかない。それなのに数字だけですべてを評価されてはかなわない、そこに至る経緯をしっかりと見てほしいというわけだ。

 ボクも当時はそう思った。経営者には熱い血が通っていないのかと感じた。しかし今、小さいながらも個人で事業をしていると、結果がすべてという考え方は至極当然のことだと思える。「過程を見てくれ」なんてノンキな戯言がいえるのは大企業に勤めるサラリーマンなればこそ。個人商店の主がいくら寝食を忘れて商売に励んでも、近所に大型スーパーでも出てきたら、いっぺんに売上げをかっさらわれてしまう。そんなときはたちまち一家は路頭に迷うが、言い訳などきかない。

 現実とは、かくも厳しいものだ。入学試験で合否を決するのは点数。スポーツの勝ち負けはスコアやタイムで決まるし、政治家の選挙なら得票数がすべて。

 猛勉強をしても、血のにじむような練習を重ねても、結果が伴わなければ黙して去りゆくのみ。遅まきながら、この年になってようやくその言葉の厳しさが分かるようになった。

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2008年3月14日 (金)

迷うとき

 朝起きたら雨。何着かクロゼットに架かったスーツを見比べて少し迷う。結局は濃紺のスーツに同系色のネクタイ。これだと濡れてもたいして目立たない。もうコートのインナーも外していいだろう。

 木曜日の朝は駅の売店で迷う。週刊新潮か週刊文春。たいていは家を出る前に新聞広告で決めている。金曜日はその選ばなかったほうを迷わずに買う日。

 いったい円高はどこまでいくのか。ついに1ドル100円を割ってしまった。事務所でパソコンを起動して、久々にドル建ての投資信託と株価のチャートを覗いてみる。見事に全滅。見なきゃよかった。こういうときは底値で拾うチャンスらしいが、迷いつつ買う勇気がない。

 食の安全。いつも外食をしている身には気になるところ。ファミレスは避けたいが、車だと入れる店が限られる。迷った末、和風チェーン店へ。サバの塩焼き、菜の花の辛子和え、ご飯に味噌汁。「50円アップでトン汁にできますけど…」。そう言われると迷わず乗せられてしまう。扱いやすい客かもしれない。

 ガソリンメーターを見たら残り3分の1弱。今日給油しておこうか。明日行くところなら洗車もできるけど、これだけ原油が高騰すると早く入れたほうが安いはず。でも迷っているうちにスタンドははるか後方へ。

 仕事でたまに判断に迷うことがあるが、そのときは基本に戻る。そして熟慮断行。いったん決めたらもう振り返らない。

 珍しく早めに仕事を切り上げる。カウンターで少しずつ前菜が出てきて、何から箸をつけようかと迷う瞬間が好き。あまり量は食べないくせに、それなりに口が肥えてしまっている。家ではいつも嫌われていることは百も承知。迷い箸。本当はあまり行儀がよくないらしい。

 帰りの駅のホーム。急行に乗るか準急か。たまにはゆっくりと準急で座って帰ろう。

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2008年3月 6日 (木)

短い手紙

 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ」

 これは、三河時代からの徳川家康の重臣・本多作左衛門重次が、陣中から妻に宛てた手紙。簡潔にして要を得た「日本一短い手紙」として知られている。

 「一筆啓上」とは一筆申し上げます。「お仙」とは息子の仙千代(後の福井県丸岡城主)、「馬肥やせ」は、いつ主命があっても戦さに出られるように馬の世話を十分にしておけということ。この手紙には、家を思い、子を愛し、さらにいつも主君を忘れぬ作左衛門の気持ちがよく表れている。

 手紙は、長いから気持ちが伝わるというものではない。用件だけというのも素っ気ないが、あまり冗長だと意図がぼやけてしまう。優れた文章というのは一つ一つのセンテンスが短くて歯切れがいいものだ。

 プライベートな手紙はそれほど書く機会がないが、ビジネスでの手紙や電子メールは毎日のように書いている。

 常に心がけているのは、作左衛門の手紙と同じく簡にして要を得ていること。でも、これはなかなか難しい。

 ボクは最初にサラっと骨組みだけ書く。これは炭で描くデッサンみたいなもの。さすがにそれだけだと血が通わないので、1ヶ所か2ヶ所彩色を施す。ここで色を使いすぎるのは禁物。濃淡がぼやけてしまうからだ。そしてしばらくそのまま放っておいて、熱が冷めた頃にもう一度読み直す。多少の手を加えて、これで完成。

 会社に入った頃、文章にうるさい上司がいた。「平文(へいぶん)で書け」というのが口癖で、赤ペンで真っ赤になるまで徹底的に直された。それまで学生時代に法律書ばかり読んでいたボクの文章は、官僚的で回りくどかったのだと思う。そしてこの数年で、ボクの文章はかなり変わった。

 今にして思えば、いい勉強をさせてもらったと感謝している。近ごろはその会社でも手書き文書は減ったとか。どうやって新入社員の文章力を鍛えるのだろう。

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2008年2月12日 (火)

国家の顔

 アメリカという国は、1年もかけて大統領選挙をする国。

 ここのところ毎日のようにクリントンだオバマだと騒いでいるが、考えてみたらまだ民主党の候補者を決める予備選挙の段階。これから本選挙への道のりは長い。

 最近はブッシュもだいぶ影が薄くなったが、それでも大統領といえば超大国アメリカの顔。中国なら胡錦濤、イギリスといえばブラウン、フランスならサルコジ(まだブレアやシラクのほうがなじみがあるが…)など、国の名前をいえば代表する顔が目に浮かぶ。

 われわれは日本という国にドップリ浸かっているからあまり気がつかないが、海外で日本といえば、まずは福田総理の顔が浮かぶのだろう。そして、彼の政治哲学や外交姿勢から始まって、表情や知性、人格といったものまでが、日本人を代表するものととらえられる。

 つい先日東京で、話題は大雪でも農薬入りギョウザでもなく、橋下新知事のことだったことにハッとした。大阪府民であるボクが彼をどんなふうに評価しているのか、部外者は興味津々なのだ。

 宮崎県の例を持ち出すまでもなく、外部から見ると首長はその自治体の顔。そして彼を知事に選んだ大阪府民の感性が好奇の目で見られている。

 そこまでは考えもしなかったが、こうなれば意地でも頑張ってほしい。ヤンチャも大いに結構。少々レールを踏み外してもいい。「破産会社の従業員であるとの認識を」という心意気や良し。しばらくは新しい大阪の顔の応援団に回ろうと思う。

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2008年2月 4日 (月)

深夜にひとり

 このところ、だいたい今時分、家でパソコンを開いている。

 家族もみんな寝静まって、真冬の深夜は物音ひとつしない。誰にも邪魔されない静謐の時間。ラフロイグのオンザロックスを舌の上で転がしながら、今日一日をゆっくりと反芻する。

 ニュースをつけると、相変わらずギョウザ事件の続報ばかり。広島のスキー場では7人が行方不明になったとか。

 風呂上りの火照った身体と仕事で疲れた頭をゆっくりとクールダウンして、熟睡できる体勢に入っていく。このわずかな時間は、今の自分にはとても貴重だ。

 明日も忙しいので、今夜はこのあたりで。

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2008年1月28日 (月)

一刻者

 NHK大河『篤姫』を見た。

 ひとことで言えば、難しい。

 宮崎あおいファンの人が軽い気持ちで見るくらいならいいが、あの時代背景を理解しようと意気込むとちょっと肩が凝る。はねっ返りの姫君を主人公にしながらも、日本が尊王攘夷から開国、そして大政奉還へと大きく舵を切っていく時代のうねりを基軸とした歴史ドラマだから奥が深い。

 この時代の薩摩藩に大きな足跡を残したのは島津斉彬。幕末の四賢侯のひとりで、西郷や大久保にも多大な影響を与えたとされる。斉彬という人物が優れているのは、幕府や藩といった小さな範囲で物事を考えていないこと。この点では勝海舟や坂本龍馬と通じるところがある。

 この番組では高橋英樹が演じているが、ちょっと疑問。彼は『翔ぶが如く』(1990年)で、斉彬(このときは加山雄三)と対立する島津久光を好演していて、その陰湿なイメージがぬぐい切れない。もう少し他に適当な役者がいなかったのか。

 それにしても、視聴率を稼ぐのはちょっと難しそうだ。

 薩摩と言えば、最近 芋焼酎をよく飲むようになった。若い頃はあの独特の風味が苦手だったのに、最近、年のせいかクセのある酒が好きになってきた。

 特に『一刻者(いっこもん)』は名前が気に入っている。ぼっけもんと同じく、鹿児島弁で頑固者という意味らしい。熊本の『肥後もっこす』とか、高知の『土佐のいごっそう』などと同じようなその土地の気質を表す言葉。県外者にはよく分からないが、筋の通った頑固者なら好むところ。

 芋焼酎を飲みながら、ちょっと幕末の勉強でもしようか。

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2008年1月27日 (日)

知事選と女子マラソン

 凍えるような朝。弱々しい朝の光を浴びながら、人影の少ない道を駅に向かう。

 今日の大阪府知事選は、やむをえず棄権。投票所に行く時間の余裕もなく、期日前投票もあきらめた。IDを確認すれば住所地でなくても投票できるようにするとか、インターネット投票でも考えてほしいと思う。

 朝8時前に事務所を出て、玉造筋を車で南に向かう。平日の渋滞がウソのように道路はガラガラ。今日は大阪国際女子マラソン。交通量が少ないのは、サンデードライバーが交通規制を避けたためかもしれない。

 午前中の仕事を終えて長居公園の近くまで戻ってきたら、運悪くひと足違いで規制に引っかかった。交通整理をしている警察官に訊くと、あと15分ほどで先頭集団が来るという。

 いさぎよくあきらめて、訪問先に電話して時間を遅らせてもらった。しばらくはマラソン見物。寒風吹きすさぶ中、待つことしばし。パトカーが何台か通過した後、小さく先頭の選手が見え始める。ギリギリまでテレビを見ていた人たちも家から出てきて、あっという間に沿道に人垣ができる。

 2008_01270001選手の姿が大きくなってきたが、福士加代子ではない。さっきまでのラジオ中継では、後続に大差をつけて独走していたはずなのに…

 ランナーたちがあっという間に走り抜けていく。福士は失速してずっと後から遅れてきた。足元がフラフラしている。初マラソンでオーバーペースだったのだろうか。

 北京代表のイスは3つ。これでまた混沌としてきた。3月の名古屋国際にはあの高橋尚子が出るという。

 Qちゃんの姿を、この大阪で見たかった。彼女も35歳。とっくにピークは過ぎているが、何とか最後のひと花をと願う。

 ちょうど今、橋下候補の当選確実が出た。新知事は38歳。こちらはこれからが勝負ドコロである。

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2008年1月13日 (日)

おはようございます

 一般的な挨拶というと、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」。

 このなかで「おはよう」だけには「ございます」という丁寧語をつけることができる。そしてこの「ございます」がつくと、語感に勢いが出る。

 もちろん本来「おはよう」は午前中の挨拶。でも業界によっては、その日に初めて会った人に対して、時間に関係なく「おはようございます」という。芸能界の話は有名だが、ボクが一時期いたハンバーガー(飲食)業界でもそういう習慣があった。

 夕方、どこかの店長が用事があって本社に来る。ドアを開けるなり大きな声で「おはようございます」と叫んでペコリと頭を下げる。仕事をしていた本社スタッフがそれに気づいて「おはよう」と応える。

 これが「こんにちは」ではマヌケな感じになる。ましてや「こんばんは」では湿っぽい。そういうときに「おはようございます」というのは実に便利な言葉なのだ。

 その会社では、年に1回全社員を集めて営業方針の説明を行う。半分は決起大会みたいなものだ。外食畑が長い社長の壇上での第一声は「皆さん おはようございます!」。社員も「おはようございます!」と合唱して返す。こうやってその場の雰囲気を盛り上げていく。

 その後は幹部が順番に出てきて、自分の担当分野について説明する。営業本部長あたりになると体育会系のノリで「おはようございます!」とコブシを挙げる。社員たちも大声でこれに応じるから会場は熱気に溢れる。

 しかしボクは、どうもそのしきたりには馴染めなかった。窓の外に月が出ているのに「おはよう」でもなかろう。今年初めて会うからといって、夏の暑い頃に「新年おめでとうございます」というような無神経さが好きになれなかった。もちろん言葉に気持ちを込めることは重要だが、言葉本来の意味を大切にすることが前提だと思う。

 ボクが壇上で「皆さん こんにちは!」と切り出したときの社員たちの表情が可笑しかった。さすがに幼稚園の子供でもあるまいし「こんにちは」とは返って来ず、気勢を削がれて黙するのみ。

 あれから15年。たまたま年末に家の近くのモスバーガーに行った。レジで注文した商品を待っていると、本社スタッフらしき人が「おはようございます」と言いながら店に入ってきた。もう日も暮れかけているのにと、一緒にいた次女が怪訝そうに彼の顔を見上げる。

 まだやっている。どこでも同じなんだ。ちょっと懐かしい。

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2008年1月 6日 (日)

初夢

 初夢のために宝船の絵まで用意していたのに、すっかり忘れていて正月もおしまい。

 T_engi03平均睡眠時間 5時間半。熟睡するタチなので疲労感もない。よく怖い夢を見て夜中に目が覚めるという人がいるが、あまりそういう経験もない。ただ時たま、今の生活や仕事には何の関係もない人、ここしばらく思い出したこともないような昔の友達が、いきなり夢に現れることがある。あれは不思議だ。

 高等動物は夢を見るらしい。我が家のマロンは目を閉じたままよく笑っている。タヌキ寝入りなのか、それとも素敵な夢を見ているのかは不明。ネコは飼ったことがないが、ネコ好きによると手足をだらんと伸ばして寝言までいうとか。

 夢のメカニズムをいろいろ調べてみたが、まだよく解明されておらず結論は出ていないらしい。

 寝ているときに見るのも夢、転じて将来の希望も夢。この2つを英語に約すと同じ”dream”だというのも不思議。洋の東西を問わず、人間の思考回路は共通なのか。

 正夢という言葉があるが、座して待つだけでは夢は叶わない。「夢は自分の力で実現していくもの」というイチローの言葉が胸に響く。

 初夢は見なかったけど、今年も頑張ろう…

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2007年12月 5日 (水)

偽名

 そんな勇気はないけれど、これまでの過去も名前も仕事も家族もすべて捨てて、まったく見知らぬ土地で別な人生を始めたらどうなるだろうとたまに思うことがある。

 かつては戦争でそんな悲劇が起こった。中国に残された残留日本人は自分の意思にかかわらずそうなってしまった人たちだし、ソフィア・ローレンの名作『ひまわり』では、愛する夫を探し求めてはるばるロシアまで行ったら、そこで夫は別な伴侶と新しい生活を営んでいた。

 自分が今こんな人間でいるのは、もちろんその本性の為せる業。しかし、長年培った人間関係の中で周囲から枠にはめられて、その足かせの中で自らの行動を規制しているという部分もないとはいえない。

 学生時代に、ユースホステルを使ってよく一人旅をした。半月ほどあてもなく北海道あたりをさまよっていたこともある。単独行動の気楽さや未知の人たちとの出会いも魅力だったが、現実のしがらみを断ち切れるというのが何とも快適だった。「旅の恥はかき捨て」というわけでもないが、若かった自分自身を見つめ直すいい機会だったと思う。

 二重人格を題材とした『ジキルとハイド』という有名な作品があるが、誰しもこんな願望があるのだろうか。はじめてこれを読んだとき、小学生だったボクは、名前の違うもう一人の自分がいたらさぞ面白いだろうと、夢のようなことを考えたものだ。

 偽名を使うと、重しが外れたように自由に動けるのだろう。ふだんはおとなしい人でも、ネット上のハンドルネームを使うときは大胆な冒険ができたりもする。

 逮捕された前防衛次官は、親しい業者とゴルフをする際に「佐浦之政」、妻は「松本明子」という偽名を使っていたという。どちらが本当の姿だったのだろうか。

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2007年11月22日 (木)

愛しき日々

 数日前のニュースで、ある大物女優が息子の覚醒剤事件で謝罪会見をしていた。

 幼い頃から欲がるものを惜しみなく与え、何不自由ない暮らしをさせてきたツケ。今度は実刑は免れないだろうと、口さがない週刊誌は舌鋒鋭く書き立てる。

 彼女の涙を見ていて、気持ちが妙に冷めてしまった。今の世の中、物質的にはどんどん豊かになっていくが、これが果たして人間の幸せに直結するものなのだろうか。

 ボクが生まれたのは昭和29年。まだ日本は戦後復興の途上にあった。われわれの親の世代は、焼け跡から立ち上がって、汗水たらしてこの国を再建してきた。それこそ不眠不休、食うや食わずの思いで働き、家族を養い子供たちを育ててくれたのだろう。そしてその延長線上に、今の日本の繁栄がある。

 その頃の一般家庭の食事風景が、たまにテレビで流れることがある。卓袱台にのった粗末な夕食を大家族が分け合うモノクロ映像を見ていると、ものにあふれた現代とは隔世の感がある。しかし、だからといってこの時代の人たちが今より幸せでなかったかというと、けっしてそんなことはない。大人は大いなる夢を持ち、子供の眼は希望に輝いている。

 ボクは学生時代を京都で過ごし、就職と同時に上京した。今思えば、京都にいた頃は、学食と図書館と下宿を往復するだけの地味な貧乏学生。着るものや食べるものにはおよそ無頓着で、そんなことをかまう余裕が出てきたのは社会人になってからの話だ。

 それでも年に何回かは、仲間と河原町に出た。当時BALというファッションビルができて、その地下にCHECKというライブハウスがあった。あの頃のボクたちにはかなり背伸びして行く店だったと記憶している。

 就職して何年かしてから、京都で労働組合の定期大会があった。東京からも何十人かが出席し、夜どこかに飲みに行こうという話になった。そのときボクの頭に浮かんだのはそのCHECK。あの店なら目の肥えた東京の連中も満足するに違いないと思ったのだ。

 ところが店に入って失望した。CHECKはまったく特徴のないスナックになっていた。メニューも期待外れ。こんなはずではなかったのに…ボクは連れて行った仲間に会わす顔がなかった。

 しばらく考えていて、店のレベルが落ちたのではなく、自分の物差しが高くなったのだと気づいた。見下すつもりもないが、昔はこんな店で充分満足していたのだ。

 帰りの新幹線でボクは、ほんの数年前に、安物のウィスキーとオイルサーディンで何時間も青臭い書生論を交わしていた自分たちのあのゆったりした時間をたまらなく愛しく思った。けっして金では買えない心の豊かさがある。その頃ちょうど『愛しき日々』(堀内孝雄)という曲が流行っていて、今でもその曲を聴くとボクはなぜだかその店のことを思い出す。

 数年前にBALの前を通ったが、今はもうそのCHECKはない。

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2007年11月 9日 (金)

不適切な関係

 最近のニュースを見ていると、役人の不祥事がやたらと多い。

 急に増えたわけでもないだろう。もともとあったのが、内部告発などであれもこれもと次々に明るみに出てきたにちがいない。

 元防衛次官の証人喚問を聞いていると、官僚としての倫理観やプライドがまったく感じられない。悪びれるでもなく、さりとて隠すでもなく、接待ゴルフに200回も行っただの、ゴルフクラブをもらっただのと、淡々と答弁する。この人の神経はいったいどうなっているのだろう。政府は給与や退職金の一部について自主返納を求める方針を決めたらしいが、強制力がないのが虚しい。

 マスコミは、防衛専門商社との『不適切な関係』などと奥歯にモノがはさまったような言い方をする。この言葉は最近の流行語。贈収賄や男女のスキャンダルなど好ましからぬ関係を直接表現することを避けてよく使われるが、底なし沼のような不透明さが不気味だ。

 『不適切な関係』『不機嫌な果実』『不都合な真実』・・・みんな似たような語感だが、オブラートに包んだ婉曲表現が現代的なのかもしれない。

 そんなことを思いながらテレビのチャンネルを変えたら、アメリカ大統領選の特集をしていて、ヒラリー・クリントン候補が出てきた。そういえば10年ほど前に、彼女の夫が大統領執務室で女性と関係を持ったことを告白した(”I did have a relationship with Ms. Lewinsky that was not appropriate.”)ときに、この『不適切な関係』という言葉が一躍有名になったことを思い出した。

 あの事件の後も政権末期まで支持率が高かったというのが、アメリカという国の不思議さだ。はたして史上初のファースト・ジェントルマンになるのだろうか。

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2007年10月25日 (木)

好きなこと(もの)

 気まぐれに知らない道をあてもなく散歩すること。手当たり次第に活字を乱読すること。ドトールでノートパソコンを叩きながら行き交う人たちの姿をボンヤリ眺めていること。早い時間にカウンターバーで一杯引っかけてサッと帰ること。

 昔の歌手なら山口百恵にキャンディーズ。噺家なら古今亭志ん朝(故人)と立川談志。ついでに桂小米と名のっていた頃の桂枝雀(故人)。横溝正史や江戸川乱歩の怪奇小説。ちょっと気取ってクロード・モネの『睡蓮』。古い映画ならジャン・ギャバンの『望郷』。

 印象に残る日本の四季はといえば、神宮外苑か千鳥ヶ淵の桜吹雪。裏六甲の新緑。隅田川の花火。奥入瀬渓流の紅葉。東山の雪景色。もう今は少なくなったが、寒い冬の朝に焚き火でパチパチと木を燃やす匂いが何とも好き。番外編として、季節に関係なく、極楽橋から眺める大阪城の夕景には幼い頃からの思い出が凝縮されている。

 アールグレイのアイスティー。焼き栗。ちょっと固めのソファー。ネクタイを少し緩めて夕刊の斜め読み。

 縄のれんと白木のカウンター。丹波の黒枝豆。ヒラメのエンガワに極上のウニを少々。プレミアムモルツ。下町のウナギ屋で、蒲焼が焼けるまでウザクと冷酒でゆっくり待つのも乙なもの。

 渋めの赤ワインなら銘柄は問わない。ちょっと臭めのブルーチーズと生ハムがあれば充分。酔い覚ましは夜更けのイヌの散歩と深夜のネットサーフィン。

 もうこの年になって、あまり他人の生き様をマネようとも思わない。でもいつも感心するのは、坂本龍馬の先見性と視野の広さ。好ましく思うのは、西郷隆盛の愚直なまでの不器用さ。短くても確かな人生がいい。

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2007年10月 8日 (月)

他人の空似

 先日ある人から、
「この間、環状線であなたにそっくりの人を見かけたよ。近寄って声をかけようとしたら違ってたけど・・・」と言われた。

 どこにでもあるふつうの顔だから、似たようなのは世間にいくらでも転がっている。高校に入ったばかりの頃、複数の友達から「オマエと瓜二つのヤツが○○高校にいる」という話を聞かされた。彼らはみんな同じ中学の出身で、その同級生とボクとがそっくりだったらしい。この地球上には自分と同じ姿かたちをした人間があと二人いるという俗説があって、この話はちょっと気味が悪かった。

 しかしこの『他人の空似』というのは月食のように人生のある瞬間にピークが来て、歳月によって少しずつズレていくものだとボクは思っている。

 長女が幼い頃、近所によく似た子がいた。この間何年ぶりかですれ違ったら、まったく違う顔になっていた。一卵性双生児でさえ、年を取るにつれて違いがはっきりしてくる。あのきんさん・ぎんさんが双子だとは、言われなければ誰も気がつかないだろう。

 人相や表情にはそれぞれの人生経験が刻み込まれていく。ある瞬間は重なっても、それから先はみんな違う道をたどる。接する人や読む本、食べるものに飲む酒、吸う空気や暮らす街、付き合う異性、などなど・・・

 逆にそうした長い道のりを経て、今の自分の顔がある。人生に『もしも』はないけれど、もし自分が違う人生を選んでいたら多分違う顔になっていただろう。

 これで良かったのかと、鏡の中の自分の顔を覗き込んで自問する。そして、高校時代にそっくりだと言われていた顔の主が今どこでどんな顔になっているのかは、ちょっと興味のあるところである。

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2007年10月 6日 (土)

ひとりきり

 今赤坂のホテルにいる。

 もう日付も変わってしまった。室内はシーンとしていて、バスタブにお湯を注ぐ音だけが聞こえる。週末の外の喧騒がウソのようだ。

 早朝の新幹線で上京した。途中で雨も上がって富士山の稜線がかすんで見える。ボンヤリと車窓から外を眺めていると、黄金色の稲穂が重そうに頭(こうべ)を垂れてはるか遠くの山麓まで続いている。あちこちで稲刈りも始まっているが、平日なのになぜだか小中学生らしき子供の姿も。

 そういえば昔、北陸や東北の米どころでは、田植えや稲刈りの頃に学校が臨時休校になるという話を聞いたことがある。そんな長閑なところだと、いじめも塾も暴力沙汰もないかもしれない。都会で複雑な人間関係の波を泳いで生きるよりも、心豊かで幸せな人生が待っていそうだ。それなのに若者は、みんな都会を目ざしていく。

 遠くのほうから酔客の嬌声がかすかに聞こえる。以前に勤めていた会社があったのがこの赤坂見附。地下鉄駅に向かう信号を渡ると、そこはネオン街の入り口。特にハナキンの夜など、さびしい独身寮へまっすぐ帰れるはずがない。このあたりのスナックで夜中までトグロを巻いていて、よくタクシーを呼んでもらったものだ。古き良き時代。

 仕事をすませた後、そんな昔の仲間たちが10人ほど集まった。久々に会うと、みんなそれぞれ年をとったり、貫禄が出てきたり、疲れていたり、味が深まっていたり。なかにはちっとも変わっていないのもいる。こうして個人ごとの最新画像やデータを頭の中で更新しておくのが、酔いが醒めた翌朝のいつもの作業。

 さ~てと、そろそろ風呂かな・・・

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2007年9月25日 (火)

死んだフリ

 彼岸を過ぎてもまだ大阪は暑いが、大雪山ではもう初雪を観測したとか。

 その北海道へ、長女が修学旅行で行っている。りんご狩りをしたというメールが、さっき妻に届いていた。

 行く前に「北海道はアチコチにクマがいるから気をつけろ!」と教えておいた。その話を信じたのかどうか分からないが、クマに遭ったらどうしたらいいかと訊いてきた。そりゃ死んだフリをするに限る。昔からボクたちはそう教わってきた。でも、それで助かったという人の話は聞いたことがない。だいたい大阪に住んでいて、野生のクマに出くわしたことのある人なんてそうはいないだろう。

 でもボクは一度だけ経験がある。もう30年も前の学生時代のことだ。場所は知床。前夜にウトロの民宿で泊まり合わせた人たちと一緒に、知床五湖から秘境カムイワッカ湯の滝に向かって歩いていた。今ではかなり奥まで車が入れるらしいが、当時はバスの終点から林道をひたすら歩く。2時間近く歩いたと思う。あの頃はカネはなかったけど、時間はあったし体力もあった。

 いきなり 30mほど前を茶褐色のモノが横切った。思わず隣の仲間と顔を見合わせた。ヒグマだ。しかもまだ子供。近くに母親がいるに違いない。育児期の母グマは獰猛になるという話を思い出して、身体が凍りつく思いだった。誰かが「死んだマネしよう!」と小声で叫ぶ。息を潜めて、しばらく様子をうかがうことにした。

 あの10分ほどは本当に長かった。結果的に何も起こらなかったのは、ボクたちが風下でクマに気づかれなかったからだと思う。死んだフリをして助かったわけではない。

 カムイワッカの滝は、原生林の中の野趣あふれる露天風呂。当時はまだ人も少なくて、秘境という言葉がぴったりだった。しかし危険箇所も多く、同行者の一人が岩角で足の裏を切って歩けなくなった。帰りは交代で肩を貸しながらクマに遭った道をおそるおそる引きかえした。どれくらい歩いただろうか。長い夏の日が暮れようとする頃に、幸運にも営林署のジープに遭遇。ウトロの救急病院まで運んでもらったら、10針以上縫う大怪我だった。

 ところであのコグマ、あれからどうしたかなぁ~ 平均寿命が20~30年で、天敵は人間くらいのもの。ひょっとしたらまだ生きてるかも・・・

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2007年9月 8日 (土)

ダイエット

 だいたいダイエットには関心がない。

 特に節制しているわけでもないが、食べても飲んでもあまり体重は変わらない。体脂肪率などほとんどゼロに近いし、メタボリック症候群にも無縁である。中年太りというのも経験せずじまい。たぶんこれは体質なのだと思う。

 だから痩せたいと思う人の切実な気持ちはあまりよく分からない。でも、たぶんそういう悩みは多いのだろう。その証拠に、朝刊を開けると毎日のようにダイエットの広告が折り込まれている。別に見たくもないが、使用前と使用後の比較写真が自然に目に入る。どんな薬だか知らないが、1ヶ月や2ヶ月でそんなに急激に痩せるなんてことがあるのだろうか。

 少し前に、東京のある業者が、サンダルを履くだけでダイエットできるというのが誇大広告だとして業務停止命令を受けたという新聞記事を見た。

 チラシやダイレクトメールを使って
「家で1日20分履いただけなのに、たった2ヶ月で34キロも痩せました」
「着るだけで脂肪がみるみる燃焼」
などと宣伝して、サンダルやTシャツを販売していたらしい。

 ダマした業者ももちろん悪いが、ダマされるほうがバカだと言いたい。サンダルでダイエットなどできるはずがない。Tシャツを着て痩せるなんてありえないと思わないのか・・・

 オレオレ詐欺に引っかかるのもどうかしていると思うが、こんなサンダルでダマされて業者を訴えた輩(やから)ははるかにその上をいく。あきれてモノが言えない。

 平和ボケしているのだろうか・・・この国の将来が心配だ。

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2007年9月 6日 (木)

ハコと中味

 先週、ある老舗のうなぎ屋で昼食をすませて外に出たときの話。

 サラリーマンの二人連れが、釣り銭を財布にしまいながら、
「ちょっとタレの味が落ちたな…」と小声でささやいていた。

 昔から、大きなカメに入ったうなぎ屋のタレは使い切らずに上から上から足していくらしい。製法は秘伝で、店によっては百年以上伝統の味が受け継がれているという。

 客は店の名前を信頼して遠くからでもやってくる。そして久しぶりに店を訪れると、以前とは味が違うと感じる場合がある。

 でも時がたつと客自身の味覚が変化していることもある。若い頃は何を食べても旨いが、そのうち美食に慣れて舌が肥えてしまう。その日の体調も影響するし、店の側だけの責任でもなかろうと思う。

 しかし専用のレシピがあったにせよ、同じ味を何十年も維持して提供し続けるのは至難の業だろう。

 若い頃、年配の人たちからサントリーオールドの味が落ちたという話をよく聞かされた。しかもいわゆるウィスキー通といわれる人たちからである。そういわれても昔の味を知らないので黙って聞いているしかなかったが、ボクはひそかに、これこそ彼らの舌が肥えたからに違いないと思っていた。戦後トリスで育った人たちには、角瓶やオールドはとてつもなく芳醇な酒に思えたはずだ。

 よくブランド戦略などというが、中味を正しく評価することのできない人たちは外面(そとずら)に惑わされる。海外の免税店などにはこうした日本人が大挙して押し寄せる。

 数日前に久々にナイターの巨人戦を観た。
  最近、とくに大阪では巨人戦の中継がめっきり減ってしまったが、改めてスタメンを眺めていると選手がすっかり変わってしまっているのに気づく。谷、木村拓、高橋由、小笠原、二岡、阿部、李、鈴木尚、木佐貫・・・さっきのうなぎ屋のタレでいうと半分以上は中味が変わっていて、何だかアクが抜けてしまった。

 それでもファンは巨人というブランドを応援する。個性はぶつかりあいながら中和されて、ひとつのカラーに収斂していくのだろうか。

 店のメニューはどんどん変わっていくのに、客は店に通い続ける。野球チームというのも不思議な魅力を備えたハコである。

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2007年6月17日 (日)

子供の勉強

 子供の勉強というのは、いったい何年生くらいまで見てやることができるものなのだ