2008年12月16日 (火)

英語と物理学

 今年も残り2週間。そろそろ今年の『10大ニュース』などという活字を見る時期になった。

 ふり返れば暗い事件が多かったが、その中で『日本人学者4人にノーベル賞』というニュースがひときわ輝く。

 文学賞や平和賞ならまだしも、物理学賞など業績を聞いても門外漢にはチンプンカンプン。おのずと注目されるのは受賞者のキャラクターである。

 物理学賞の益川敏英さんは記念講演の冒頭で ”I can’t speek English”と言い放ち、スピーチを最後まで日本語で貫いた。これに対してノーベル財団も、授賞式で授賞理由の一部を日本語で読み上げるという粋な計らい。

 ノーベル賞学者くらいになると、世界を股にかけて研究活動を続ける英語の達人というイメージがあるが、この先生はそんな虚像を木っ端微塵に砕いてくれた。それにしても大学院入試でドイツ語は完全白紙だったとか、パスポートも持っておらず今回が初の海外渡航だとか、平素から英語で肩身の狭い思いをしている我が身には、何やら小気味よくて、思わず拍手喝采を送ってしまう。

 研究ひと筋の偏屈者とお見受けするが、喜怒哀楽が分かりやすくてユーモアにあふれている。インタビューで何を言うのか、いつも楽しみである。

 英語なんかできてもできなくても、物理をやるには関係ないということだけは分かった。しかし逆は真ならず。残念ながらボクは日本語はできるが、物理はさっぱりである。

 日本語が国際舞台で脚光を浴びたらいいと思っていたら、ハリウッド映画『ドラゴンボール』のテーマ曲歌手が浜崎あゆみに決まった。60ヶ国以上で公開予定だが、ジェームズ・ウォン監督の希望は日本語の歌詞だという。

 うん…英語と日本語。やっぱりどっちもできたほうがいいようだ。

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2008年12月 7日 (日)

『外科室』

 泉鏡花の『外科室』を読んだ。

 言文一致前の文語体だから少し読みづらいが、こんな現実離れした耽美の世界には、古めかしい文体がよく似合う。

 ある伯爵夫人が青年医師の手術を受けるところから物語は始まる。夫人は麻酔を拒否して、自分の胸を切り開かせる。麻酔で夢うつつになって、心の秘密を呟くことを恐れたのだ。

 若い頃、彼女は植物園ですれ違ったある医学生に恋心を抱いたことがあった。ただそれだけのことなのだが、その唯一の秘密を麻酔で犯された精神が口走るのを危惧した。

 二人きりの外科室。メスを当てる医師の手に夫人の白い手が添えられる。血飛沫が上がる。
 「痛みますか」
 「いえ 貴下(あなた)だから、貴下だから」
 「でも、貴下は、私を知りますまい」
 「忘れません」

 その医師は、あのときの医学生だったのだ。

  言葉も交わさずに別れたふたりは、お互いがずっと同じ想いを持ち続けたことを、この短い会話で確かめ合う。 そのまま夫人は笑みを残して息絶え、医師も後を追うように自殺する。外科室という狭い空間で、一途な愛を貫くために麻酔も使わずに行われた執刀手術。これは心中に他ならない。その気高い自虐性が魂をも溶かし、この世のものならぬ恍惚感をかもし出す。

 命を捨てることで永遠の心を閉じ込める純愛なんて、今どきカビ臭くて流行らない。しかし当時は、夫ある身で他人を恋するのは大罪。だからこういう掟(おきて)破りの筋書きが斬新で、明治の進歩人たちの心を揺り動かしたのだろう。

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2008年12月 1日 (月)

京橋花月

 いよいよ12月。

 今年も残すところ1ヶ月となった。街はクリスマス一色。書店には年賀状ソフトや手帳、カレンダーが並んでいる。いくら不況といっても、商店街も活気づいて何となく気ぜわしく、子供ならずとも心躍る季節である。

 2008_12010003そんな時期に、事務所の近くに『京橋花月』がオープン。京阪電鉄が手がける複合商業ビル『KiKi京橋』最上階に、核テナントとして入居した。

 仕事帰りにビルを覗いてみたら、裏の通用口を若者が取り囲んでいる。お目当ての人気芸人でも待ち受けているのだろうか。正面から入ってエスカレーターで5階まで上がってみたが、さすがにオープンしたばかりとあって、飲食店街は物見高い客たちであふれている。この活況が続いてくれたらいいと思う。

 ボクが子供の頃は、京橋といえばディープな歓楽街。それが大阪ビジネスパーク(OBP)ができてから、イメージが一変した。今では、キタ・ミナミに対抗して”ヒガシ”と呼ばれているらしいが、これでまた新しい人の流れができるかもしれない。

 若い頃、生まれが京橋というとちょっと好奇の目で見られたものだ。ところがいつだったか、妻が「主人の出身は京橋」と子供の同級生の母親に話したら、「お洒落なところね」という返事が戻ってきたという。この話にはいささか面食らった。最近のお母さんたちには、高層ビル群や高級ホテルが目に浮かぶらしい。

 京阪沿線はお笑い芸人の宝庫といわれているとか。我が出身中学も、何人か吉本興業のタレントを輩出している。これでまた、新たなスターが誕生するのだろうか。

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2008年11月22日 (土)

『江夏の21球』

 20代の頃、愛読していた雑誌といえば ”BRUTUS” と ”Number”。

 ”BRUTUS”は都会生活者向けのスノッブな情報誌。社会人になって上京した直後に創刊されたこともあって、すぐに飛びついた。今思えば東京暮らしを始めた田舎者のマニュアル本で、発売を心待ちにするほど入れこんでいた時期もあった。

 いっぽうの”Number”も、同じ頃に創刊された総合スポーツ雑誌。これは今読んでも面白くて、何冊かは我が家の本棚の隅にある。

 その”Number”で好きだったライターは、何といっても早世した山際淳司。スポーツライターの草分け的存在で、多くのエッセイを残しているが、衝撃的だったのは1980年4月創刊号の『江夏の21球』。

 これは彼のデビュー作で、前年の日本シリーズ・近鉄vs広島第7戦の最終回に江夏が投じた21球だけに焦点をあてて書き綴ったもの。広島1点リードで迎えた9回裏、1アウト満塁のピンチを背負った江夏の1球ごとの投球を、緻密な取材をもとに再現している。

 ただそれだけなのだが、その書き方が実にうまい。ライターとしての主観や考えをまったく交えずに、ピンポイントのテーマだけを乾いた文体で表現する鮮やかな手口は、熟成を重ねた古酒を彷彿させる。静まりかえったスタジアムのように、何の感情も交えないクールな書き方が、かえってその奥に潜んでいる熱い思いを浮き彫りにしていく。

 その頃かけ出しのサラリーマンだったボクは、毎日のように報告書や議事録を書かされて、上司から赤ペンだらけの原稿を突っ返されていた。

 「ビジネス文書は小説じゃないのだから、簡にして要を得た書き方をしろ!」と叱責されながら、いつも回りくどい修辞を散りばめてはひとり悦に入っていた。

 『江夏の21球』に出会ったのはそんな頃。頭から冷や水を浴びせられたような気持ちになった。今読んでも彼の文章は取材対象と適当な距離を置いていて、過度な思い入れがない。多少のダンディズムやエスプリにも心躍らされる。

 彼の作品はほとんど読み尽くしてしまった。もうこれ以上、新刊書に触れる機会がないことが残念である。 

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2008年11月20日 (木)

漢字の話

 昨日、ある地方紙を読んでいて面白いコラムを見つけた。

 社会部記者としてある市政を担当していたときに、『瑕瑾(かきん)』という言葉をめぐって市長と問答したことがあるらしい。部下の不始末を謝罪する談話にこの語を使いたいという市長と、難しい漢字は新聞では使えないから他の言葉に言い替えてほしいという記者のやりとりだったそうだ。

 30年近く経った今でも「言葉は正確に使いたい。とくに謝罪の言葉は自分の気持ちに添った日本語で」という市長の言い分が印象深くて、これだけは譲れないという気迫とともに鮮明に記憶しているという。

 ちなみに『瑕瑾』とは聞きなれない言葉だが「全体としてすぐれている中にあって惜しむべき小さな傷」の意味。市長は、市政全体はうまく運営されているにもかかわらず、その中の小さなミスで信頼を失ったことの無念さを市民に伝えたかったのだろう。

 平易な言葉に替えると、微妙なニュアンスがうまく表現できないことがある。この場合は『瑕瑾』という言葉をそのまま使って、紙面で注でもつければよかったと思う。

 言葉にこだわった市長もなかなかの人物で、漢字を読めないどこやらの首相とはエライ違いである。

 それにしても、新聞で難しい言葉を覚えるというのも素敵なことではないか。

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2008年11月17日 (月)

KY

 首相というのは日本の顔。われわれの代表なのだから、どこに出しても恥ずかしくない教養人であってほしい。

 たしかに漢字は難しいが、このところの麻生さんの誤読は目を覆いたくなる。

 日中青少年交流行事で「これだけ頻繁(はんざつ)に両首脳が往来したのは例がない」「四川大地震は未曾有(みぞうゆう)の自然災害」などと平然とあいさつし、また「詳細(しょうさい)」を「ようさい」、「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」、「有無(うむ)」を「ゆうむ」と読んだという話もマスコミの好餌にされている。どうもこの人は一級の知識人どころか、平均的な日本人よりも漢字を知らないようだ。

 英語が堪能だと聞いていたが、先週の国連総会演説では冒頭以外はすべて日本語だった。ところがその日本語も、翻訳する機械のトラブルで初めからやり直す破目になったのはお気の毒。さすがに翻訳機も誤読までは訳せまい。

 彼のマンガ好きは有名だが、主食をキッチリ食べたうえで別腹のデザートに手を伸ばしているのかと思っていた。ところがどうやら、おやつだけで腹を膨らませていたらしい。こうなると、新聞を読まないという話もにわかに真実味を帯びてくる。

 1年ほど前に「KY(空気が読めない)」と揶揄された首相がいたが、麻生さんの「KY」は「漢字が読めない」の略だと週刊誌に皮肉られている。

 「原稿に かな振っとけと 新首相」

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2008年11月14日 (金)

読書感想文

 いつだったか、NHKの報道番組で読書感想文についての賛否を議論していた。

 聞いていたら、結構反対派が多い。

 小学生の頃、夏休みなどに課題図書が与えられて、よく感想文を書かされた。今思えば、ああいうのを要領よくまとめるのが得意な子供だった。それを評価する先生の心をくすぐるようなポイントを探し当てていて、落とす言葉を随所に散りばめて原稿用紙を埋めていく。『アンネの日記』など読んでも何の感動もなかったけれど、歯の浮くような感想を書き連ねて賞をもらった記憶がある。

 だいたい本は好きで読むもので、他人から強制されるものではない。早熟だったボクは4年生くらいで子供向けの文学全集は卒業していて、高学年の頃は実家に積んであった旧カナ遣いの歴史小説やら、本屋が毎月届けてくれる『オール讀物』なんかを読み耽っていた。

 同じ本をいっせいに読ませても、ひとりひとり感じ方が異なるし、感動する量も違うはず。それなのにあらかじめ評価基準を決めておいて、それに沿って採点するなど馬鹿げた話だ。個性の尊重とはおよそ逆行している。

 文章を書くことの面白さは、想像力を膨らませることにある。枠にはまった感想文よりも、自由に書かせたほうが考える力がつくと思う。

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2008年11月 6日 (木)

常用漢字

 「子ども」「子供」…かなで書くか漢字にするか、こんなブログでも毎日書いているとよく迷う。「分かる」「解る」「判る」…読む人はあまり気にしないだろうが、書く方はどの漢字を使おうかと思い悩む。

 考えがあって書き分けることもあるが、その日の気分で適当に決めることも多い。あとで通して読んでみて気がついたところは統一しているつもりだが、どうも自信がない。

 先ごろ、常用漢字表に追加する予定の字種191字の音訓を定める案と、現行の常用漢字の一部に音訓を追加する案が承認された。

 パラパラと眺めていたら、「臭(にお)い」と「匂(にお)い」、「怪しい」と「妖(あや)しい」、「恐れる」と「畏(おそ)れる」など異字同訓の用法が新たに認められた。常用漢字の表現力が多少は豊かになりそうである。

 追加される字種には「切る」に対して「斬(き)る」、「張る」に対して「貼(は)る」、「捕らえる」に対して「捉(とら)える」、「当てる」「充てる」に対して「宛(あ)てる」、「跡」に対して「痕(あと)」、「歌」に対して「唄(うた)」などがある。

 追加される音訓では「込む」に対して「混(こ)む」という訓を認め、「負けが込む」「電車が混む」のような使い分けができるようになる。ただし「込(混)み合う」「人込(混)み」はどちらも使える。ほかにも、「延べる」に対して「伸(の)べる」、「作る」「造る」に対して「創(つく)る」、「早まる」に対して「速(はや)まる」など。

 このほかに追加する訓読みは、日常生活などで使う機会が多い「育(はぐく)む」「委(ゆだ)ねる」「応(こた)える」「関(かか)わる」など。すべて異論ない。

 ボクが何とかしてほしいと思っているのは、かな交じりの漢字熟語である。以前に「女性ら致される」という不思議な新聞の見出しを見た記憶がある。何を致されるのかと思ったら「拉致」のこと。

 ほかにも「だ捕」「改ざん」「ねつ造」「補てん」「団らん」などはどうにかならないものか。ふりがなつきでもいいから「拿捕」「改竄」「捏造」「補填」「団欒」と書いたほうがずっと分りやすい。

 かなと違って漢字には、想像力を膨らませられる奥行きがあって楽しいものだ。

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2008年10月24日 (金)

サンキュー

 エレベーターで外国人と一緒になったとする。

 ドアが開く。相手が女性だったら、目で合図して先に降りさせる。そんなとき、たいてい相手は”thank you”と軽く微笑んで、甘い香りを残して去っていく。

 外国人とくに欧米人は、こういうときの笑顔が素敵で”thank you”という言葉が自然に出る。

 いっぽうの日本人。「どうも」「すみません」「ありがとう」くらいが言えたら上出来で、いったい何を急いでいるのか、こちらを見向きもせずに足早に雑踏に消えていく紳士も多い。

 ボクはなるべく「ありがとう」という言葉を意識的に使うようにしている。

 銀行の窓口で手続きを終えたら「ありがとう」。ホテルのフロントで部屋のキーを受け取って「ありがとう」。店でビールを運んできた従業員に「ありがとう」。

 しかしこれは同等もしくは親しい人に使う言葉で、初対面なら「ありがとうございます」、格上の相手なら「おそれいります」。

 このあたりの日本語は難しいが、英語にはそういった微妙なニュアンスはない。”thank you very much”という言葉はあっても、これは相手に対する敬意を含むのでなく、単に感謝の量が多い(たいへんお世話になった)ことを意味するにすぎない。

 日本でカタカナ言葉を使うときに、敬語の意味合いを含ませるのは難しい。社会的地位の高い人にお礼を言うのに、サンキューではいかにも軽い。

 それにしても奇妙なのは、メンバー様、ファンの方々、スペシャリストの先生、ゲストの皆さん…などという不可思議な丁寧語。どうやら英語だけでは物足りないとみえる。こんなときにはいつも、日本語を学ぶ外国人の労苦を思う。

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2008年10月23日 (木)

食感表現

 味覚の秋・食欲の秋にちなんで、こんな話題。

 わが日本語は食感表現が豊富である。たとえば、とろとろ、ふわふわ、サクサク、もちもち…などなど。農林水産省の広報誌によると、日本語には445語もの食感をあらわす表現があるらしい。

 誰が数えたのか知らないが、あのフランス語でも約230語、中国語は約140語、ドイツ語や英語ならせいぜい100語だそうだ。これらと比較すると、日本語の食感表現の多彩さは群を抜いている。

 さらに、粘り気や弾力を表現する言葉が多いのも特徴だという。

 ねばねば、ねっとり、にちゃにちゃなど、粘り気の表現は70語、ぷりぷり、ぷるぷる、ぶるんなど、弾力の表現は63語もあったとか。おそらく、日本でよく食べられる食材や、日本人の食感の好みが背景にあるのだろう。自分に重ね合わせても、その擬音語・擬態語を聞いただけでいくつか好物が思い浮かぶ。

 われわれ日本人は古来から繊細な食感を持つ民族である。それなのに昨今のグルメ番組でタレントたちが「美味しい!」という単純な言葉をくり返すのを聞いていると、本当に情けなくなる。こちらが知りたいのは、どんなふうに美味しいのかということなのに、語彙が不足しているのか、それとも感性が未熟なのか。少なくとも、こんな輩をレポーターに使うべきではない。

 われわれ世代の大人なら、刺身をひと口食べたら鮮度くらいは分かる。ところが今の若者ときたら、店で出された枝豆が冷凍かどうかすら見抜けない。というよりも気にしないのかもしれない。

 この季節の変化に富んだ国で暮らしていて、高価なものでなくても、せめて四季折々の食材の美味さが分かる人間でありたい。

 しかるに最近の中国製ギョーザや冷凍インゲンの事件をみていると、食卓から旬が消え失せてしまったような寂しさを感じる。便利さばかりが優先されて、われわれの食生活は逆に貧しくなりつつあるのではないか。

 さて秋本番。今年もしっかりと旬の味覚を堪能しておこう。

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2008年10月10日 (金)

ノーベル賞

 このところ暗いニュースが続くなかで、4人の日本人がノーベル賞に輝いた。

 もともと物理や化学は苦手である。しかも、これまでそういう難しい世界とはまったく縁遠い人生を送ってきたので、新聞をいくら読んでもその業績などさっぱり理解できない。それにしても、いっぺんに4人というのは快挙である。

 記者会見を見ていて、失礼ながら笑みがこぼれた。やはりそれぞれ浮世離れしておられる。髪の毛もバサバサで服装にも無頓着。たぶん朝から晩まで寝食を忘れて、ずっと研究室で好きな研究に没頭してこられたのだろう。良くも悪くも研究ひとすじで、金儲けや世俗の楽しみなどには何の興味もない。そんな人だからこそノーベル賞がとれたに違いない。

 同じ世代の政治家や企業経営者に比べたら、マイク慣れもしていない。頬を紅潮させて受賞の喜びを語る表情は、少年のように素直であどけない。

 4人のうち2人がアメリカ在住というのも、少し考えさせられた。優秀な頭脳の海外流出に歯止めがかけられないものか。

 受賞者の年齢を見ていて、長生きしなければ受賞できないことも改めて感じた。早世していたら栄誉に浴することもなかった。ちなみに南部さん(87歳)は、40年前から候補にあがっていたそうだ。

 残念だったのは村上春樹(59歳)。今年こそ文学賞をと期待していたのに、また選に洩れた。でも考えてみたら、彼はまだ現役バリバリ。長生きしてもらうしかない。

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2008年10月 8日 (水)

秀吉逝く

 緒形拳(71歳)が亡くなった。

 最近はずいぶん痩せて、枯れた表情から誰の目にも衰えが見てとれた。肝臓を患っていたらしい。

 2008100700000021oricentview000新聞の評伝を眺めていたら『復讐するは我にあり』『楢山節考』『北斎漫画』『鬼畜』などが代表作としてあがっていて、見た映画が多いことに気づく。テレビではやはり『必殺仕掛人』。骨太の男臭い役を演じさせると圧倒的な存在感があった。たとえ主役でなくても、その名前が一枚入っているだけで映画館に足を運んでみようかと思わせる。自分にとってはそんな数少ない役者のひとりだった。

 デビュー作はNHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)。当時小学生だったボクは、ほとんどすべてライブで見ている。総集編の録画テープが中学校に置いてあって、授業でも見た。映像は雨が降ったように劣悪で、雑音もひどかった。おそらくこのドラマが自分の歴史物の原点で、緒形拳(秀吉)のほか、藤村志保(ねね)、高橋幸治(信長)、佐藤慶(光秀)、石坂浩二(三成)、三田佳子(淀君)など、主だった配役は今でもスラスラ言える。

 昨日クルマでラジオを聴いていたら、興味深いエピソードが紹介されていた。

 彼は、敵役になる共演者とは、撮影が始まる前にゆっくり二人で話をして、
 「これから1年間はクチをきかないけど悪く思うなよ。けっしてキライじゃないから…」というようなことを伝えるのだそうだ。プロの役者はこうやってテンションを高めていくのかと感心。

 『不羨富 不憂貧』『不惜身命」という言葉が好きだったという。その言葉の通り、命を惜しまなかったのが残念である。

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2008年10月 5日 (日)

ワッハ上方

 昨日、久々にミナミへ行ってきた。

 お昼は自由軒の名物カレー650円也。有名な観光名所だから、ガイドブックを持った客も多い。狭い店内は息苦しいほどで、そのすき間を高齢の女性スタッフたちが走り回る。カレーの熱さと辛さを生卵がうまく中和してくれる。懐かしい味…平らげるのにモノの5分とかからない。

 その後、ワッハ上方へ。

 Soci01ワッハ上方(上方演芸資料館)は、ミナミの繁華街のど真ん中にある。横山ノック知事の時代(平成8年)に、上方演芸発祥の保存と振興のために大阪府が設置した。

 それが今、橋下知事の財政非常事態宣言で見直しが進められている。運営経費が年間4億3千万円(うち吉本興業への賃料2億8千万円)というのはたしかに多い。採算だけを考えたら閉鎖すべきだろう。

 しかし、文化は利益が上がらないからこそ府が支えるべきだという意見もある。メセナ活動の一環として、博物館やコンサートホールなどを経営している民間企業があるが、これらはすべて事業としてみたら赤字である。カネにならない文化活動の支援こそ、本来は税金を投じて行うべきものと思う。

 ワッハホール(307人収容)は天満繁盛亭と同じくらいの広さで、昨日は満席だった。規模としてはちょうどいいだろう。

 数日前に 本屋で『ワッハ上方を作った男たち』(毛馬一三)という本を見つけてパラパラと斜め読み。誕生までの府の職員たちの情熱と努力、吉本興業との交渉プロセスなどが物語風にまとめられていて読みやすい。

 閉鎖はいかにも惜しい。運営方法を再考して、何とか残せないものか。

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2008年8月20日 (水)

はまり役

 役者には『はまり役』というのがある。

 Atumiたとえば、渥美清の寅さん。

 あの名作『男はつらいよ』シリーズは48作を数える。若い頃、何度か映画館でも見たし、レンタルビデオも借りた。団体旅行の観光バスには『男はつらいよ』と『釣りバカ日誌』のビデオは必需品だった。

 もう彼が亡くなって12年。あれだけのドル箱だったのに、あとを引き継ぐ役者もいない。特異なキャラクターで体臭が強すぎた。彼の強烈な個性が寅さんという架空の人物を埋め尽くしていて、もう誰もそこには入りこめない。「余人をもって替えがたい」とはこのことだろう。

 座頭市も、勝新太郎をおいて他にはない。男のナマ臭さと、憎めない可愛らしさ。破天荒で隙だらけのキップの良さは、私生活にも重なる。

 彼が亡くなった後でビートたけしが座頭市を演じたことがあった。悪くはないが、やっぱり勝新と比べたら凄みに欠ける。今度は松平健が演(や)るらしいが、彼は暴れん坊将軍のイメージが強いし、何より顔立ちが端正すぎる。

 水戸黄門は、東野英治郎、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太郎と多くの役者が演じてきた。でもやっぱり、東野英治郎の印象が強い。実際の水戸光圀がどんな人だったのかは知らないが、小柄で矍鑠(かくしゃく)とした老人であったような気がする。テレビの映像というのは恐ろしいもので、視覚がなじんでイメージが固定化されていく。

 OO7なら初代のショーン・コネリー(吹き替えはもちろん若山弦蔵)が秀逸。その後、タイプの違うさまざまなスターが演じてきたが、なにせ超人的でカッコ良くて、名うてのプレイボーイの秘密諜報員。今のダニエル・クレイグで6代目だそうだが、あとになるほど印象が薄い。 

 金田一耕助だと頭に浮かぶだけでも、古谷一行、鹿賀丈史、役所広司、小野寺昭、豊川悦司…と多士済々。原作のイメージとは遠いが、なぜだか石坂浩二あたりがいちばん安心できる。

 キャスティングというのは、なかなか難しくて楽しい仕事である。

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2008年7月21日 (月)

筆順

 その昔、小学校の先生に、漢字の部首やら画数やら筆順やらをうるさく教えられた。

 部首と画数は漢字辞書を引くのに必要だった。日本語というのは難しいものだと思いつつ、無理やり幼い頭に叩き込んだ。「次」という漢字の部首が、偏(へん)ではなく旁(つくり)の欠(あくび)だなどと、大人になった今ではほとんど必要のない知識。半分以上はすっかり忘れている。

 筆順も苦労した。「必」「飛」「武」「発」などは何度も書いて覚えた。「右」はタテの払いから、「左」はヨコ棒から、と似たような字でも筆順が違うのが不思議で、どうしてこんなつまらないことを覚えさせるのかと思った。最近は漢字を書くことがめっきり減ったので、筆順どころか漢字そのものが思い浮かばない。

 子供たちが勉強しているのをたまに覗くことがあるが、驚くのは筆順が滅茶苦茶だということ。漢字どころかひらがなにしても同じ。今どきの先生は鷹揚で、あまり気にしないのだろうか。しかし箸の持ち方と同じで、いったん誤って覚えると、あとで矯正するのは難しい。

 早くきれいに字が書けるなら、それほどやかましく言うことでもないのかもしれない。そう思いつつ、目につくと思わず注意してしまう。子供たちは「また始まった…」と顔を見合わせている。

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2008年7月 5日 (土)

漢字とカタカナ

 ここのところ、連日、新聞にウナギとかエビとかいう大きな活字が躍っている。

 中国産ウナギの偽装問題やエビ養殖詐欺の関連記事である。

 ところで、こういう動物や植物の名前を書くときに、漢字、ひらがな、カタカナをどんなふうに使い分けるのだろう。最近よく出てくるウナギの場合は、新聞はほとんどカタカナ、ネットはたまにひらがなもあるが、漢字は見たことがない。

 「カタカナだと表音文字の羅列になって原意が失われるから、学術表記以外は漢字が好ましい」という意見があるらしい。しかし、これもケースバイケース。原意といわれても固有名詞にはとんでもなく難しい字を使うものもあって、ふつうの人には読めない。團 伊玖磨の『パイプのけむり』などには難しい字がいっぱい出てきて辞書と首っ引き。苦労して読めても、今度は姿かたちが浮かばない。

 ボクは原則、動植物の名前はカタカナで書く。ひらがなにしないのは、言葉の切れ目が分かりにくいからで、特別な意図はない。

 たまに漢字を使おうかと迷うのは、犬、牛、馬、桜、柿、桃、竹…あたり。比較的平易な漢字で、日常でなじみの深い動植物が多い。漢字かカナか、他人が書いたものを読んでいる分にはあまり気にならないのだが、自分で書いてみるとなかなか悩ましい。

 ただし同じ魚の名前でも、食卓に上がると断然漢字がいい。雲丹豆腐、穴子の八幡巻き、海老しんじょう、真名鰹の西京焼。壁に貼られたお品書を眺めているだけで、皿に盛り付けられた生き生きとした姿が目に浮かぶ。

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2008年5月25日 (日)

「新解さん」

 辞書を引いたり地図を調べたりするのは、半分趣味みたいなもの。

 仕事机の脇やテレビの前に常備していて、分からない単語や知らない地名はその都度確認する。もちろん昨今はインターネットで調べることもできるが、やっぱり使い慣れた辞書や地図にはかなわない。

 Smk6img12_s辞書では『新明解国語辞典』(三省堂)が出色。一部の熱狂的なファンは『新解さん』と呼んでいて、『新解さんの謎』(赤瀬川原平)という本が出るほど独断と偏見に満ちた個性的な辞書なのだ。言葉の意味を調べる辞書という範疇からは大きく逸脱していて、読み物としても充分に楽しめる。

 たとえば「恋愛」という言葉。広辞苑なら「男女間の恋い慕う愛情」と、いかにも人畜無害で素っ気ない。

 ところが『新解さん』(第六版)では
「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」とまで踏み込んでいる。
 これが辞書だろうか。編者が特別な思い入れで書いているとしか思えない。

 しかもこれが版を改めるごとに微妙に変化していて、手元にある第四版では、
「特定の異性に特別の愛情をいだいて、一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態」とある。
 どうやら失恋を繰り返した人らしく、その独善的な決めつけ方は何度読んでもおかしい。

 辞書がここまで書くのかと眉をひそめる向きもあるが、無味乾燥な解説よりもずっと楽しい。他の辞書で調べた言葉でも「新解さん」独自の解釈を知りたくて、ついついもう一度引いてしまう。

 辞書のくせに、強烈な個性を放っている。

 「善処」は「うまく処理すること。政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる」とある。反骨精神があって、ひとこと言わないと気がすまない性格のようだ。

 「実社会」は「実際の社会。美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞(ぎまん)とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す」。ずいぶん屈折した苦労人とお見受けする。

 「動物園」はよほど気に入らないらしく、「捕らえて来た動物を人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設」と手厳しい。
 ちなみに第四版はもっとすさまじく、「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし飼い殺しにする人間中心の施設」。ここまで書くとケンカを売っているとしか思えない。

 例文では「雪子」がやたらと出てくる。第四版では「ぞっこん」の例文として「私は、雪子の美貌と気性にぞっこん引きつけられていたが」 を引用している。いきなりの固有名詞は唐突だが、あこがれの人なのだろうか。

 「新解さん」は無類の食いしん坊である。巷間のグルメ本の如く、まったくの主観で「うまい」「美味」を連発する。なかでも注意深く読んでいくと、魚介類に点数が甘い。おこぜ・はまぐり・あわび・赤貝などはいずれも高評価だが、牛肉や馬刺しには関心を示さない。

 優等生的なNHKのアナウンサーが広辞苑なら、放送禁止用語を頻発するローカル局の解説者に似ている。彼がたどってきたこれまでの人生や、ちょっと斜めに構えた価値観が透けて見える人間臭い書きぶりは、情熱的で正義感が強く心やさしい。

 最後に「凡人」。自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。マイホーム主義から脱することの出来ない大多数の庶民の意にも用いられる」とある。「新解さん」は凡人なのか。

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2008年5月21日 (水)

『あほらし屋の鐘が鳴る』

 『あほらし屋の鐘が鳴る』(斎藤美奈子)を本屋で斜め読み。

 タイトルが懐かしくて思わず手にとってみたが、中味はちょっと期待外れ。

 筆者は「何をゴチャゴチャゆうとんねん、あほらし屋の鐘が鳴るわ」と、平成のおやじたちのカン違いを一刀両断に切り捨てる。巷で繰り広げられるトンチンカンな発言にズバっと切り込んで、浅慮や偏見をあぶり出していく。軽い読み物としては面白いものの、強引な結論づけや女性特有のひがみがちょっと気になる。

 10分ほど立ち読みして本屋を出たが、電車に乗ってもタイトルが頭から離れない。幼い頃よく聞いた言葉だが、もう何十年も封印されていて今では耳にすることもない。納屋の奥からホコリだらけの骨董品を見つけてきたような感覚で、遠い記憶をたどれば亡くなった祖父母の口癖だったような気もする。

 少なくとも、ボクが育った昭和30年代の大阪ではよく使われていた。小学校でも、つまらないギャグを言うと「あほらし屋~の鐘が鳴る!」と切り返された。

 この「あほらし屋の鐘」とはいったい何なのか。その本によると、唐突に力の抜けそうなひと言を耳にしたときに、脳の中で鳴り響く「カーン」という高らかな鐘の音だそうだ。

 ためしにウチで使ってみた。
   長女 「あほらし屋ってナニ売ってるん?」 
   次女 「カネってナ~ニ?お金くれるの?」 
   妻 「……(反応なし)」 
  しばし沈黙の後、何ごともなかったかのように淡々と他の話題に。どうやらスルーされたらしい。

 ボクはこの言葉に気の抜けたような郷愁を感じたが、世代間ギャップは大きいようだ。

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2008年4月21日 (月)

くいだおれ

 大阪名物「くいだおれ」が7月8日で閉店するらしい。

 「くいだおれ人形」と「づぼらやのフグ」「カニ道楽のカニ」が道頓堀の三大名物。でも考えてみたらボクは、知人が来阪したときにあの人形の横で写真を撮ったことはあっても、店に入って食事をした記憶がない。

 2008421先日何人かでその話題になったが、やはり誰も店に行ったことがなかった。報道によると売上げは最盛期の半分くらいになっているという。あれは飲食店というよりも、観光名所なのかもしれない。

 その「くいだおれ太郎」の引き取り先が注目されている。通天閣に移すとか、タイガースが買うとか… しかし、これだけ国民的人気のある大阪の顔だ。大阪市が買い取って、ミナミのどこかに残したらどうか。よそに移設するのは反対である。

 閉店する前に一度店を見ておこうと、混みあう昼どきを避けて11時過ぎに行ってみた。するとすでに長蛇の列。2階から上の和食フロアには入れそうにないので、1階の洋食レストランでハヤシライス(750円)を注文した。味は可もなく不可もなく。ボクと相席になったお婆さんは常連客のようで、メニューも見ないでエビフライとハンバーグのセット定食を頼んでいた。ものの10分足らずで食事をすませて表に出ると、もうその頃にはレストランにも客が並んでいる。まだ11時半にもなっていないのに…

 高齢化した従業員たちはてんてこ舞い。「あの報道から毎日こうですよ」とレジのおばさんが恨めしげに言う。閉店を発表したとたんに店がごった返しているというのも、何やら皮肉な話。

 「支店を出さない、家族で力を合わせて経営する、看板人形を大事にする」という創業者の経営方針が、今の世の中でうまく機能しなかったのだろう。古いものが時代の波に流されるのは世の習いとはいえ、見慣れた街の風景が消えていくのは寂しい。

 閉店までにもう一度行ってみよう。

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2008年4月 2日 (水)

細君と宿六

 たまにホコリを被った本棚に手を伸ばすことがある。

 昨夜、たまたま漱石の『我輩は猫である』をパラパラと眺めていると、やたらと「細君(さいくん)」という言葉が出てくる。百年ほど前までは面と向かって相手に「キミの細君は…」などとやっていたらしいが、ボクは残念ながら生ではその言葉を耳にしたことがない。

 廊下に人影が見えて、座敷の障子がそっと開く。お茶と和菓子を盆に載せて、和服姿の楚々とした女性が現れる。庭から漂うのは甘酸っぱい梅の香り。こういうときに細君というのはピッタリの言葉で、細面(ほそおもて)で薄化粧の女性の姿が目に浮かぶ。

 それでは近ごろの男性諸氏は、自分の奥さんのことを人前で何というか。

 同年代の連中は「ヨメサン」とか「カミサン」と呼ぶ人が多い。「女房」というのはもう少し上の世代。若い連中は平気で「ウチの奥さん」などというが、これはどうもおかしい。少し改まると「妻」か「家内」で、口語ではさすがに「配偶者」はない。「ワイフ」は気障だが、クチの悪いのになると「ヤマの神」とか「ウチのかかぁ」…

 そう考えると日本語の語彙は豊富である。ニュースは「妻」で統一しているようだが、これはいかにも無味乾燥。「妻の真須美容疑者は…」くらいならいいが、「第一発見者の妻が…」では失礼だろう。

「太っていても細君とはこれ如何に 宿六なのに主人の如し」というのを聞いたことがある。ちなみに語源は、細君とは前漢の文人・東方朔の妻の名、転じて自分の妻、さらに転じて他人の妻を指すらしい。いっぽうの宿六とは、宿のろくでなしの意。妻が自分の夫を、卑しめたり親愛の情を込めていうそうだが…

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2008年3月23日 (日)

「2001年宇宙の旅」

 『2001年宇宙の旅』の原作者であるアーサー・C・クラークが亡くなった。

 この映画は劇場でもテレビでもビデオでも見た。これと『地獄の黙示録』とがボクにとっては難解な作品の双璧で、いまだに訴えたい内容がよく分からない。

 ちょうどアポロ11号が月面着陸を果たした前年(1968年)に日本で初公開されたらしいが、そのときの記憶はない。ボクが新宿の映画館で見たのは、その10年後くらいだと思う。

 音楽と映像の素晴らしさには圧倒されたが、映画の意味はまったく分からなかった。ちなみにクラークは「もし、この映画が一度で理解されたら我々の意図は失敗したことになる」と言ったとか。

 当時のイメージとしては、2001年なんてとんでもない未来で、この映画のように宇宙ステーションがあって、コンピューター制御された宇宙生活があっても不思議でないように感じた。何十年先の未来というのは、それくらい曖昧なものだ。

 この作品のテーマは、人間とコンピューターの相克。宇宙船を管理していたスーパーコンピューターHALが船内で思わぬ反乱を起こして、人間が人工知能に翻弄される。

 上映から40年。コンピューター技術は格段に進歩した。意思や感情を持つコンピューターこそまだ夢の世界だが、面倒な計算や記憶を肩代わりして時間や労力を省いてくれる。

 だが彼らが進歩した分だけ、われわれ人間が退化してはいないか。漢字は書けない、計算はできない。地図は読めない。何やら今流行りのアウトソーシングの話に似ていて、機械に頼りすぎると、やがては母屋まで取られかねない。

 今でもまったく色あせない映画であることに驚くが、鬼才キューブリックは、コンピューターによる人間社会の空洞化まで予期していたのだろうか。

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2008年3月 1日 (土)

ルール社会

 最近はほとんど毎日のように車で出かける。

 いちばん気を遣うのは駐車違反。近ごろはわずか10分でも油断できないから、駐車場があれば必ず入れる。初めての訪問先の場合は、あらかじめ車を停められる場所を確かめておく。繁華街ならまだしも、コインパーキングがない住宅地もあって、そんなときはヒヤヒヤしながら手短かに話を済ませる。

 飲酒運転はもちろんしないが、検問を受けたこともない。ネズミ捕りの網を張っている地点ならだいたい知っているから、制限速度を多少越えることがあっても、スピード違反で捕まったことはない。

 それよりも怖いのは、信号が赤になっても突っ込んだり右折したりするいわゆる『大阪運転』。はじめのうちは驚いたが、郷に入っては何とやら。あまり杓子定規に停止しても後ろから追突されるので、近ごろは流れに乗って運転している。逆に信号が青に変わってもすぐには発進しない。左右の安全確認をしてからでないと、赤信号でも平気で進入してくる車があるからだ。

 アメリカで何度かレンタカーを借りたことがある。日本と違うのは、直進の信号が赤になると同時に交差する信号が青に変わること。だから赤で突っ込んだりすると大事故につながる。

 ルールに対する考え方が異なっているのだろう。多民族国家では社会の掟は絶対だが、日本ではバレなければいいという考え方が横行している。

 世界に類をみない単一民族国家であるわが日本。社会の構成員がそれぞれ節度をもって行動しているうちは「ナーナー」でも何とかやってこられた。しかし価値観が多様化する中で、その日本もルール社会に移行せざるを得ないときを迎えている。

 信号が青に変わった。左右の安全を確認して、いざ出発…

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2008年2月 1日 (金)

英語教育

 はたして小学校で英語を教える必要があるのだろうか。

 世界の共通言語が英語であることは間違いない。最近は中国や旧ソ連圏でも、英語で意思疎通する光景がごく日常的に見られる。ところが日本人は英語力、とりわけ英会話能力が極端に低いから、次世代を担う若者たちを真の国際人に育てるためには、英語の早期教育が必要である。

 とまあこんな論法だが、どうも首を傾げたくなる。

 もちろん、英語はできないよりできたほうがいいし、英語を教えることが悪いとは思わない。しかし優先順位の話として考えれば、小学校の限られた授業時間の中で、もっと他に教えることがたくさんある。まずは国語、次に社会。これらの大切な教科を減らしてまで英語を教えるということには賛成しかねる。そうでなくても近ごろは、日本のことを知らない若者が多すぎる。

 ボクなどは、英語ができなくても仕事でも生活でもちっとも支障はない。そもそも今の日本社会で、英語ができないと困るような人はそれほど多くない。必要だと思うなら、中学や高校、大学で勉強しても遅くはない。

 いくら流暢な英語を話せても、まるで意思疎通ができない人がいる。それは表現すべき中味がないからで、これは英語ができないよりもずっと恥ずかしいことだ。

 英語はコミュニケーションのツールであって、国際社会で求められているのは英語力ではない。自分の意見を述べて他人と議論し、まとめあげていく力だ。日本人が海外で通用しないのは、自分の考えをキッチリ表現できないからであって、英語の力など二の次だと思う。

 英語ができれば国際人というのは、大いなる幻想である。

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2008年1月31日 (木)

あらたにす

 今日から「あらたにす」というWebサイトが開設された。

 日経・朝日・読売の3紙のニュースや社説などを読み比べできるサイトで、なかなか面白い。

 ボクは家では日経を読んでいるが、駅の売店で他紙の1面トップニュースをチラっと見て、興味があれば買って読む。

 これからはそんなことをしなくても、Webで簡単に読み比べができる。便利なのは注目テーマのニュースクリップ集で、話題のニュース記事をまとめてチェックできる。ちなみに今日のメインテーマは「中国製ギョウザ食中毒」で、「ハンドボール五輪再予選」「ガソリン税」「米大統領選」「花粉の季節」と続く。1つのテーマについて過去の記事にまで遡れるので、読み落とした旬の話題や一連の流れをまとめて知ることも可能。

 IT時代の新聞の役割は難しい。スピードと臨場感ではテレビやインターネットに歯が立たないが、信頼性では新聞が勝る。時間を見つけて、落ち着いて活字を拾うのも楽しいものだ。

 ともあれ、しばらくは新聞を買わないでパソコンで読み比べを楽しむことにしよう。

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2008年1月18日 (金)

親父ギャグ

 ついこの間の夕食時の話。

 焼肉を食べている子供たちに向かって
 「野菜も食べヤサイ!」
 「レバーも食べレバ~」

 こういうのを世間では親父ギャグというらしい。

 次女は「寒(さぶ)~」と軽く受け流す。長女はスルー(無視)して黙々と箸を運ぶ。妻は聞こえないフリ。マロンだけが遠くでキャイ~ンと合いの手を入れる。

 今月発売された『広辞苑(第6版)』(7,875円)には、この『親父ギャグ』なる言葉が新しく収録されていて、「年輩の男性が口にする、時代感覚からずれた面白くない冗談や洒落」とある。単に「遅れた」ではなく「時代感覚からずれた」というのがミソ。

 書店でちょっと迷った末、大枚叩(はた)いて買ったこの広辞苑。その誕生は意外と新しく、ボクが生まれた翌年の昭和30年だそうだ。敗戦国日本にとって文化回復の象徴で、その後似たような辞書はあちこちから出版されているが「広辞苑では…」という言葉の重みは他の追随を許さない。

 しかし、今やその広辞苑とて無敵ではない。今回は10年ぶりの改訂だが、電子辞書の普及やウィキペディアの台頭で、初刷部数も前回の半分だとか。

 収録の基準を見ていると、NHKの紅白と似たような道徳臭さを感じ取る。それがいいという人もあろうが、保守的なのだ。これに載れば言葉として一人前。大きく手を広げて、品のない言葉は弾き飛ばす。

 言葉は生き物である。おまけに近ごろは流行り廃れが速くて、10年に一度くらいの改訂では追いつかないだろう。

 さて気の早い話だが、次の第7版では『親父ギャグ』は残っていますかな…

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2007年12月21日 (金)

国語絶対論

 学校での読書事情が改善されつつあるらしい。小学生は年間10冊の本を読み、読書量は10年前の2倍になっているとか。むしろ問題は大人になるにつれて減っていることだという。

 子供には幼い頃から本を読む習慣をつけてほしい。最近よくマスコミに登場する数学者の藤原正彦さんは「国家の浮沈は小学校の国語にかかる」と断言する(『祖国とは国語』)。

 藤原さんは『国語教育絶対論』というエッセイで、国を立て直すには第一に教育。中でもすべての知的活動の基礎であり、論理的思考を育て情緒を培う『国語』を中軸に置けと自説を展開する。

 そういえば中曽根元総理も石原都知事も国語絶対論者で「日本語も満足にできないのに、小学校で英語教育だのと愚の骨頂」だという。同感である。

 言葉は単なるコミュニケーションの手段ではなく思考の道具。語彙が豊かであれば思考の幅が広がる。

 たとえば、「好き」という感情一つとっても、「片思い」「胸を焦がす」「密かに慕う」「一目惚れ」「横恋慕」など日本語には微妙な心のひだを表現する言葉がたくさんある。語彙力が乏しくて「好き」という言葉しか知らなければ、細やかな情緒など育つはずがない。若い女性が「カワイイ~」「オモシロ~イ」とかいう薄っぺらな言葉を連発するのを聞いていると実に情けなく思う。

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2007年11月27日 (火)

ミシュラン

 ミシュラン東京版が発売された。

 93077431今回の調査は東京都内だけで、最高評価の三ッ星を獲得したのは、日本料理・すし・フランス料理の8店。150店もの写真や紹介文が掲載された本の値段は 2,310円とけっして安くない。

 それによると「東京は世界一級の美食の町」で、星の数では他の外国都市を圧倒的に押さえて堂々のトップだという。でも、この大盤振る舞いはちょっと怪しい。

 ミシュランがレストラン格付けの世界的権威だということくらいは知っているが、こんなに大騒ぎする理由が分からない。六本木ヒルズでの発売イベントには、午前零時のカウントダウンに 500人もの列ができたというから恐れ入る。 

 だいたいフランス人に、微妙な日本料理の味など分かるだろうか。この騒ぎは、広告代理店と出版社、レストラン業界の連中とそれを取り巻く業者たちが巧妙に仕組んだものだというのに気づかないのか。

 書店には、いわゆるグルメ本がヤマほど積んである。情報誌などでも、流行のレストラン特集の活字が並ぶ。ボクもたまにこういうネタを頼りに店に足を運ぶことがあるが、自分の舌で感じる評価とは異なることも多い。味覚には個人差が大きく、他人の話は鵜呑みにはできない。

 なかには値段だけ一人前という店もあるが、高くて美味いのは当たり前。銀座の一流店でサイフを気にしながら注文するよりも、ひなびた漁港の小さな寿司屋で新鮮なネタを腹いっぱい食べるほうが、自分には合っている。

 引退した芸人の名セリフ。「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」というのを懐かしく思い出した。

 埋もれた美味い店を自分で探すのも楽しいではないか。

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2007年11月 3日 (土)

「が」と「は」の違い

 昨夜、次女が宿題が分からなくてボクの部屋に来た。

 大げさにいうと、父親たるモノの権威が問われる瞬間である。国語だと聞いてホッとした。理科あたりになるとお手上げの難問が多いからだ。

 「が」と「は」の違いを理解させるための文法の基本問題。だがこれを子供に分からせるのは意外と厄介だ。「私○プールで50メートル泳げるようになりました」という場合、「が」は未知の情報を示し「は」は既知の情報を示す。

 つまり「誰が食べたのか?」の答えが「私が食べた」。「何を食べたのか?」の答えが「私はケーキを食べた」。前の質問者は私が食べたことが分かっていないが、後の質問者は私が食べたことは前提として知っている。

 こう教えたら、キョトンとして帰って行った。

 ちょっと思い出したことがあって、六法全書を開いてみた。国家賠償法1条1項。「・・・国又は公共団体、これを賠償する責任を負う。」とある。やっぱり・・・

 年金問題から始まって直近ではC型肝炎の患者リストが倉庫に眠っていた問題など、このところ厚労省の役人の不始末が次々と明るみに出てくる。ところがこの国賠法1条1項の書き方だと、賠償責任を負うのは国又は公共団体であって、加害公務員は責任を負わない。

 いったい誰がこんな法律を作ったのか。大日本帝国憲法時代には『国家無答責の法理』というのがあって、官吏は天皇に対してのみ責任を負ったらしいが、相次ぐ官僚の不祥事を見るにつけ腹立たしく思う。

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2007年10月13日 (土)

話すことと聞くこと

 午後から、妻に誘われて辛坊治郎さんの講演会に行ってきた。

 現在の活動の拠点は東京だが、彼の自宅はボクと同じH市。今日は地元の団体に招かれての講演で、オラが町の有名人をひと目見ようと、市民会館は立ち見客も出るほどの大盛況。

 ボクは朝のニュースはNHKしか見ない。だから、彼が出演する「ズームイン!!SUPER」はほとんど見たことがない。しかし、母も妻も彼の大ファン。イヤミのないハッキリした物言いが女性には好評らしい。

 本日の講演内容は、主題である地域コミュニティの話から時事ネタ、テレビ局の内輪話まで幅広い。しかも硬軟織り交ぜて澱みなく、あっという間の1時間半。今までさまざまな文化人やマスコミ関係者の講演を聞く機会があったが、地元ということは割り引いてもこれだけ聴衆を沸かせる語り手は少ない。客席の反応を確認しながらの話し方は名人芸で、ついつい引き込まれてしまう。

 でもそのなかで、話すことよりも聞くことのほうがずっと難しいという話は説得力があった。

 話すことは、ともすれば聞き手の許容力を無視した押し売りになる。いつも短い時間の中で自分の思いを伝えようと懸命になっているが、それよりもむしろ相手の話を聞くことに時間や精力を注がねばならないのではないか。

 話すことと理解してもらうこととは違う。明日からはもう少し「聞き上手」になろうと思いながら帰ってきた。

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2007年10月 1日 (月)

幸せのレシピ

 『幸せのレシピ』を見てきた。

 家から車で30分ほどのシネコンに朝一番で入った。子供たちには二人で好きな映画を選ばせて、大人は『幸せのレシピ』へ。『夫婦50割引』を使うと二人で2千円で観られるのはありがたい。そのせいかどうか知らないが、予想外に熟年カップルが多いのにも驚いた。

Noreservation1  美人で仕事もバリバリできる。でもプライドが高くて人づきあいが下手。だから部下や客ともしょっちゅうトラブルを起こす。そんな主人公の女性シェフが、母親を事故で亡くした姪を引き取ることに。店をちょっと休んでいた間にオーナーが臨時に雇ったイタリアンのスゴ腕料理人と敵対しながらも徐々に恋に落ちていく。ハリウッドの恋愛映画によくあるストーリーだが、涙も笑いもありのまずまずの味つけ。

 こういうキャリアウーマンが都会では増えているのではないか。職場では自信にあふれていてスキがない。仕事に取り組む姿はピンと背筋を伸ばして覇気がある。ところが待つ人もいない自宅に帰って化粧を落とせば、力が抜け切って精彩もない。オンとオフの使い分けといえばそれまでだが、そんな主人公を自分に重ね合わせる女性が多いのではないかとふと感じた。

 印象に残ったのは、厨房でのリズミカルな動きと軽妙なやりとり。昼前でお腹がへっていたこともあったが、手際よく料理が出来上がっていくシーンはなかなか面白かった。

 映画の舞台となっているニューヨークの冬景色がとても美しい。早朝の魚市場での仕入れのシーンなど、凛とした空気の冷たさが頬に伝わってくるようだ。

 BGMもいい。とくにラストのオペラ音楽が映像にマッチしていて心に残る。

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2007年9月29日 (土)

読書の秋

 さすがに朝夕は涼しくなってきた。いよいよこれから『読書の秋』。

 それにしても、ウチの子供たちは本を読まない。たまに開いているのはマンガかゲームの攻略本。まったく情なくなるが、これはウチだけに限ったことではないらしい。

 ボクたちが小学校低学年の頃は、やたらと国内外の伝記モノを読まされた。エジソンやファーブル、徳川家康などを読んで、感想文ばかり書かされた。高学年では子供向けに平易に書き直された世界の名作を片っ端から読破した。こうして自然に読書習慣が身についていく。ところが今の学校はあまり読書を薦めないらしい。そのくせ塾では難しい読解問題ばかりやらされている。どうも本末転倒に思えてならない。勉強だと思うからイヤになるのだが、読書はすべての知的活動の源泉。小学校では国語の時間をもっと増やして、読書の楽しさを子供の心にしっかりと植えつけてほしいものだと思う。

 大人も本を読まなくなったらしい。ある統計によると、日本人が本を読む時間は週4時間くらいで、諸外国に比べたらかなり少ないそうだ。

 本屋に行くと、平積みされて売れているのは実用書ばかり。若い人が難解な文学書や哲学書を手にしなくなったのは寂しい。

 もちろんそんなものを読んでも、実社会では何の役にも立たない。でも戦前の旧制高校の時代から、われわれの先輩たちは青春のあり余る時間を読書に充ててきた。真の教養人とは、実生活とはおよそ縁のない膨大な知識を頭の引き出しに入れている人をいう。もちろん実践的な知識も必要だが、教養というのは人間の厚みであり深さなのだ。

 この歳になって、若い頃に読んだ本を読み直してみると、読み飛ばしていた行間の深い意味に気づくことがある。また同じ表現の箇所でも、自分の経験を織り交ぜると解釈が違ったりすることがある。

 自分が感想を書き込んだ走り書きのメモなんかを見つけると、さらに楽しい。そこでお気に入りのウィスキーをひと口含んで、虫の大合唱を愛でながらページをめくる。こうして秋の夜長もいつしか更けていく。

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2007年9月21日 (金)

慫慂と吹聴

 なんだか難しい漢字熟語だけど、読めますか?読めたとしても、意味が分かりますか?

 『慫慂』(しょうよう)は最近よくお役人の答弁で聞く言葉。辞書を引くと「するように誘って、しきりに勧めること」とある。

 たとえば「消費税の期限内納付を慫慂する・・・」というような使い方。何としてでも期限を守って納めさせるという意味合いだが、それではあまりに赤らさまだから少しオブラートに包んでこういう言い方をする。でも新聞にはこんな難しい漢字は使えないから「しょうよう」とひらがなで書いてある。う~ん・・・商用、小用、従容? かなでは余計に通じない。

 典型的な役所言葉である。こんなの誰も分からないから、やめるべきだと思う。

 もうひとつの『吹聴』(ふいちょう)。これは辞書には「言いふらすこと、言い広めること」とある。ただし、言いふらすヒトをあまり良く思わないときの表現で、誉めるときには使わない。

 でもこれが、前に勤めていた会社ではそうではなかった。とにかくジャンジャン話を広めてウワサにしてほしいときに使うのだ。
 「来月から『○○様』(飲食店)で当社ビールの取り扱いが開始されますので、関係先にせいぜいご吹聴下さい!」

 はじめてこの文章を見たときは、書いた人のセンスを疑った。お腹でもこわしそうなビールだと笑ってしまった。でもみんな平気なのだ。社内文章だからいいようなものの、やはり違和感がある。あれから十数年、今でも使っているのだろうか。

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2007年9月14日 (金)

桂千朝独演会

 ワッハホールで『桂千朝独演会』を聴いてきた。
 Sencho
 千朝は桂米朝の最後の内弟子。タレント稼業に精出す噺家が多いなかで、高座一本に固執する渋くて粋な正統派。しばらく高座を離れていたが、熱心なファンや先輩同輩から才を惜しむ声が多く、ラブコールにこたえる形で復帰したらしい。

 たまたま彼は、ボクのお客さん(Hさん)の高校時代の剣道部の後輩。そんなご縁で知遇を得て、その後毎年Hさんから独演会にご招待いただいている。

 出し物は『本能寺』『愛宕山』『馬の田楽』の三席。けっして派手さもないし、大向こう受けするタイプでもない。しかし落語が好きで、じっくり聴きたい人にはいいと思う。正統派の芸で観客をつかむのが噺家の真骨頂だろうが、千朝はまさにそのタイプ。声質は師匠とは違うが、話しぶりはさすがによく似ていて、当初『米朝のコピー』と言われたというのもうなずける。

 三席ともそれぞれ鳴り物囃子の入った味わいのある古典もの。初めて聞く噺ばかりだったが、組み合わせも良かったし、お手本のような高座。

 こういう実力派の噺家が正当に評価される時代が来てほしい。

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2007年9月 3日 (月)

立ち上げる

 最近よく「立ち上げる」という言葉を見聞きする。「新規事業を立ち上げる」とか「パソコンを立ち上げる」とかいうふうに使うが、違和感を感じませんか?

 10年ほど前にNHKの調査で「“新製品開発のプロジェクトを立ち上げる”は、おかしいと感じるか?」という質問があった。これに対して当時は半数近くの人が「おかしい」と答えていたが、今同じ調査をしたらもっと少ないだろう。

 ボクもはじめて聞いたときは抵抗を感じたが、最近では慣れたせいかごく普通に使っている。最新の広辞苑でも「立ち上げ」は「コンピューターに必要なソフトを読み込ませて動くようにすること」と、こんな文法から外れた言い回しまで認めてしまった。

 この「立ち上げる」は「立つ」と「「上げる」がくっついてできた言葉。「立つ」は自動詞で「上げる」は他動詞だから、これが一緒になるはずがない。だから文法的には「立ち上がる」か「立て上げる」しかない。コンピューターなどの場合は「立ち上がらせる」というのが正しいのだろうが、イマドキ誰もそんな言い方はしない。

 どうしてそんな理屈をいったかというと、われわれ日本人は生活の中で言葉を覚えていくが、文法から入ってくる外国人にこういった日本語表現を理屈で教えることは難しいと思っているからだ。

 若い頃に勤めていた会社に、社員に英会話を教えるアメリカ人がいた。数人で飲みに行ったときに、店のメニューに『きまぐれシェフのわがままサラダ』という一品があった。

 彼いわくは、「きまぐれ」や「わがまま」というのは非難する意味合いが込められていて、そんな名前だと残り物を使って遊びで作ったような料理を想像する、とのこと。

 その言葉が今でも妙に頭の隅に残っている。
 ふだんわれわれが何気なく使っている言葉でも、もう少し丁寧に扱ったほうがいい。そういえばこの「何気なく」にしても、近ごろの若者は「ナニゲニ」という妙な省略形を使う。ふざけて使っていると分かっているウチはいいが、これが正しいと思ってしまうと不幸である。『言葉は生き物』だけど、何でも許されるというわけではない。

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2007年8月14日 (火)

阿久悠の時代

 阿久悠が亡くなった。

 今月になってから追悼番組を何度か見た。どの番組でも『昭和歌謡史に偉大な足跡を刻んだ作詞家』というようなタイトルがついているが、改めて作品を聞いてみると、たしかにスラスラ出てくる懐かしい歌詞ばかり。みんなが知っている曲の多さでは、この人の右に出る者はいない。

 考えてみたら、それまでの歌謡界では作詞者や作曲者は裏方で表に出ることはあまりなかった。しかし阿久悠はよくテレビにも出ていたし、彼の顔を知らない人は少ないと思う。

 追悼番組で芸能関係者は「彼の詩には日本人の心がある」と口を揃えるが、彼は詩人ではなくコピーライターだったのだと思う。けっして練られた歌詞ではないが、インパクトのある短い言葉を重ねて人の心をつかむ天才・・・

 今どきの音楽が心に響かないのは、詩に力がないためだ。言葉に魂が宿っていないから、印象にも残らない。阿久悠の詩は重たくもないが、共感できる強烈なフレーズがある。ボクはどんなにいい曲であっても、詩が好きになれないと口ずさむ気がしない。外国の音楽にいまひとつ傾倒できないのは、言語の理解力にも理由があるのかもしれない。

 ところで、詩と曲というのはどちらが先にできるのだろうか。ずっとボクは、先に詩を作って曲を合わせるのだと思っていたが、たいていは逆だそうだ。以前に小田和正がそんな話をしているのを聞いて、非常に驚いた記憶がある。阿久悠の場合もそうだったのだろうか。すでにできている曲に詩をつけるのは自由度が制限されて難しいだろう。

 その彼は生涯にいったい何曲書いたのだろうと思って調べてみたら、何と 5千曲を超えているらしい。そのなかからあえて好きな曲を 5つ選ぶと、

  『時代おくれ』(河島英五)
  『熱き心に』(小林 旭)
  『北の宿から』(都はるみ)
  『街の灯り』(堺 正章)
  『舟歌』(八代亜紀)

 それ以外にも、ジュリーの『勝手にしやがれ』と『時の過ぎゆくままに』は外せない。『ジョニーへの伝言』みたいなメローなポップスもいいし、おなじみの『津軽海峡冬景色』も捨てがたい。

 5千曲もあれば、1曲ごとへの思い入れも薄くなるだろうと思いきや、けっしてそうではなかったらしい。ある雑誌にこんなエピソードが紹介されていた。
『北の宿から』の歌詞について、ある記者が彼にちょっと茶化した質問をぶつけたことがあったそうだ。
「歌詞に出てくる『着てはもらえぬセーター』。
その女性はどこにいて、
なぜ着てはもらえないセーターなんか編んでいるのですか?」

 すると即座に返ってきたのは真面目な答え。
「その女性は30歳過ぎで、東京で不倫をして、信州あたりの温泉宿にいます」

 記者は、彼が詩を書く時のディテールの細かさに驚いたと結んでいる。
 まさにプロたるモノの鑑(かがみ)~ 合掌!

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2007年8月11日 (土)

こころ

 昨日の朝刊に、8月10日は『帽子の日』であり『こころの日』であるという記事があった。8月10日をハットとハートになぞらえた語呂合わせらしい。そしてその帽子とこころから、夏目漱石の『こころ』が思い浮かぶという。

  家に帰ってから、その話をふと思い出した。気になって本棚の奥を探してみたら『こころ』の文庫本が出てきた。半分黄色くなっている。薄っぺらい本といっても 256ページで 110円。あの頃はお金の値打ちがあった。奥付を見ると、昭和46年54刷とある。

 たしか、高校時代の現代国語の教科書に使われていた。教材はその一部で、残りはこの文庫本で読んだ。当時の文字フォントは小さくて見にくいが、頑張って最後まで斜め読みしてみた。
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 主人公である私は、学生時代に先生と出会う。世間の目を逃れるようにひっそりと学問をして美しい妻と暮らす先生には、人には言えない暗い過去があった。先生はその過去を妻にも隠していたが、私との交際が深まるにつれ、その過去をうちあけられる相手であると認めるようになる。そして帰省していた私に先生から分厚い封書が届く。そこには秘密にしてきた過去が記されてあった。
 先生がまだ学生だった頃、Kという親しい友人がいた。そのKの恋する相手が、自分が思いを寄せる下宿先のお嬢さんであるということを知った先生は動揺する。先生はKを出し抜いて、お嬢さんの親に結婚を申し込む。そして結婚することになった先生はKに詫びようとするが、Kは自殺してしまう。そして私にこのことを告白した先生も自らその命を絶つ。

 若い頃は感動して何度も読んだ。解説には、近代知識人のエゴイズムと倫理観との葛藤がテーマだと書いてあった。

 今改めて読み返してみると、乾いた水路に水を流すようにあらすじはすぐに思い出せる。しかし懐かしさ以外に何の感動もない。いったいこれはなぜだろう。若い時分には、好きな文学作品を問われたら迷わず『こころ』と答えていたこともあったのに・・・

 何だか浮世離れした話で、感情移入できる登場人物がいないのだ。みんな脆弱で、自分とつながるものが感じられない。

 先生がKに対してしたことは、倫理的には誉められた行為ではない。だからといってKも死ぬことはないだろう。情けないというよりも、卑怯ではないか。自殺するということは相手に対する決定的な復讐である。まだ若かった先生の将来に大きな十字架を背負わせることになる。しかしそれを私に告白した先生も、なぜ自ら命を絶たねばならないのか。

 この40年近くの間に、自分の価値観が変わったのかもしれない。それを成長というべきかどうかはよく分からない。たぶんこの本は青春時代に読むべき本なのだろう。

 久々に夜更かしが過ぎた。昔は明け方まで本を読んでいたこともあったことを懐かしく思う。

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2007年8月10日 (金)

千の風になって

 半年ほど前から次女がよく歌っている。

  「私のお墓の前で 泣かないでください
   そこに私はいません 眠ってなんかいません
   千の風に
   千の風になって
   あの大きな空を
   吹きわたっています」

 いきなりイントロから奇妙な歌詞。まだ詩に感情を込められない子供には、あまりふさわしくない歌だと思った。

 これは訳詩で、原作は数年前から欧米で静かに広がっていた原作者不詳の一編の詩。ニューヨークの同時多発テロで犠牲になった父親を偲んで11歳の少女が朗読していた。イギリスのBBCが、テロで亡くなった青年の遺書にこの詩が残されていたことを取り上げて大きな反響を呼んだこともある。

 日本で一躍有名になったのは、4年ほど前に天声人語で紹介されたからだ。そのときには作家の新井満が、すでにこの日本語の詩をつけていた。ガンで早世した同級生の奥さんのために訳した作品だという。

 優れた原作を巧みにアレンジしている。だだ気になるのは過度な商業性だ。聞くところによると、彼は「千の風」で歯磨き・化粧品・ビール・清涼飲料など、多くの商標登録をしているという。少し利に聡すぎないか。村の共有財産だった美しい水源に勝手に金網を張って、ミネラルウォーターとして瓶詰めするようなあざとさを感じてしまう。

 ただ心に沁みる名作であることは間違いない。
 たとえ身体は朽ちて土になっても、心は大空高く飛んでいる。死ぬということは風に生まれ変わること。手の届かない遠くに消えたのではなくて、すぐ近くで見守ってくれているということ。これまでとは異なる鮮烈な死生観に満たされている。

 もうすぐお盆。今年はちょっと違う気持ちで、先祖の墓前に手を合わせてみようと思う。

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2007年7月17日 (火)

インサイドパークホームラン

「ホームランと言っても、インサイドパークホームランだから・・」
そのイチローの言葉で、ランニングホームランという言葉は和製英語だと知った。

 野球はアメリカから来たスポーツなのに、こういう和製英語が多い。

 耳慣れないせいか、インサイドパークホームラン(=球場内の本塁打)という言い方はいかにも無味乾燥に聞こえる。ランニングホームランのほうがはるかに臨場感にあふれていて、はね返った打球が外野を転々とする間に、打者が二塁から三塁を蹴って本塁に走る光景が目に浮かぶ。

 和製英語が多いというのは、それだけ野球が日本に定着している証拠。ナイター、トンネル、フォアボールなども本場では通じないらしいが、日本で使う分にはいっこうに差し支えない。

 でもなまじ英語だと思い込んでいるだけに、彼の地に行くと和製英語は始末が悪い。ボクが以前にロスのホテルで困った話。

 まずはモーニングコール。6時に起こしてもらおうと思ってフロントに頼んだが通じなかった。あとで英語に詳しい同行者に教わったら”wake-up call”というそうだ。

 もうひとつは電気のコンセント。壁に埋め込まれた差込口のことだが、コンセントと言ってもフロント嬢は首を傾げるだけ。これもあとで調べたら”electrical outlet”または”socket”というらしい。ついでに電気器具についている電源コードの先は ”plug”。

 まあよくご存知の方もあるでしょうが、恥ずかしいボクの経験談であります。

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2007年6月28日 (木)

みずうみ

 ときどき夜中に目が覚めることがある。

 若い頃は目覚ましが鳴るまで熟睡していたものだが、年とともに眠りが浅くなっているのだろう。すぐにまた寝てしまうこともあるが、昨夜はたまたま目が冴えてしまった。

 時計を見たら3時半。家中静まり返っていて物音ひとつしない。自室の灯りをつけたら、机の上には読みかけの単行本と専門誌。書棚に目をやると、古い文庫本に目がとまった。

 シュトルムの『みずうみ』。パラパラとめくりながら斜め読みを始めた。この作品は彼の代表作で、幼なじみで相思相愛だった男女が女性の母親に仲を引き裂かれて、女性は別の金持ちの男性と結婚させられてしまうというよくある話。老人がふるさとの我が家で幼い頃の彼女の肖像画を見ながら、若かりし日を回想するという構成になっている。 

 この物語のいちばん美しい部分は、主人公が月夜の湖に飛び込んで、遠くに浮かぶ白い蓮の花まで泳いでいくシーン。まるでベートーベンの月光が散文になったかのような流麗さ。いくら泳いでも縮まらない蓮の花は自分のものにならなかった女性を象徴している。ため息が出るメルヘンの世界。結ばれなかった悲恋の回顧談という古臭さがまたいい。人生を重たく語るロシア文学もいいけれど、眠れぬ夜にはドイツロマン文学を堪能されたし。たぶん今の若者にはウケないでしょうが・・・

 結局そのまま夜が明けた。今日は少し寝不足である。

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2007年6月24日 (日)

バレンシアの熱い花

 Revue_img 何十年ぶりかで宝塚歌劇を観てきた。

 『バレンシアの熱い花』は19世紀初めのバレンシア地方を舞台に、復讐と恋を織り交ぜて描いたミュージカルロマン。

 予備知識がないとストーリーが分かりにくいが、ビギナーとしてはきらびやかなコスチュ-ムに歌と踊りだけでも充分に楽しめる。

 会場を見渡すとほぼ満席で 9割近くが女性客。上から下までビシっと決めたマダム風の女性グループもパラパラ。これがいわゆるヅカファンなのか、大阪あたりではあまり見かけない客層だ。

 ちなみに宝塚音楽学校は20倍以上の超難関。いつも合格発表光景がニュースで流れるが、そのブランドたるや有名私立高校なんて比較にならない。

 開演前に別室で、スタッフの方に30分ほどお話をうかがった。驚いたのは劇場の稼働率。ここだけでも年間に450回近くも公演をして、平日も含めて91%のチケットが売れているそうだ。もちろん日曜日の今日は完売で、立ち見チケットまで販売している。

 4割近くが固定客で、その人たちの年間来場回数は平均14回だとか。いったい宝塚の魅力とは何なのだろう。出演者は女性だけで、男役も男装した女性が演じる。見かけは歌舞伎と反対だが、その公演内容は、ミュージカル、レビュー、ショーと多彩で、また和洋どちらもこなす幅広いレパートリーを誇る。

 きらびやかなフィナーレまでたっぷり堪能してきたが、慣れないせいかどうも腰が落ち着かない。情けないけど、ボクには甲子園でビールを飲んでいるほうが性に合っている。ちなみにS席 7500円也。

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2007年6月18日 (月)

ニュー・シネマ・パラダイス

 車でFMを聴いていたら『ニュー・シネマ・パラダイス』の主題曲が流れてきた。

 あの物悲しいメロディは一度聴いたら忘れられない。日本で公開されたのは約20年前。ボクが見たのはシネスイッチ銀座という200席ほどの小さな映画館だった。周囲の立ち見まであふれ返っていて、通路の階段に腰掛けて見た。感動のラストシーンには涙がこぼれて、そのまま椅子席に移動してもう一度見た。

 舞台は戦後間もないシチリアの小さな村。ここでの唯一の娯楽はパラダイス座という映画館。少年トトは親の目を盗んでは映画館に通いつめていた。彼を魅了したのはフィルムの宝庫である映写室とそれを操る映写技師のアルフレッド。そして二人の奇妙な友情の絆が深まっていく。

 青年になって村を離れるトトに、アルフレッドは「どんな事があっても帰ってくるな」と言う。そして彼は二度と故郷を振り返らずローマで大成功を収める。その彼に田舎の母からアルフレッドの死を伝える電話。

 ここが映画の冒頭のシーン。愛人が隣に眠っているベッドで知らせを受けたトトが昔を回想するシーンからストーリーが始まる。過去と決別した空白の40年間、故郷に背を向けて彼は世俗の地位と名声を得た。しかし「電話したらいつも出る女性が違う」という母親の言葉からは、けっして幸せではなかった私生活が思い浮かぶ。

 そして、その1本の電話から、封印された過去への思いが堰を切ったようにほとばしり出ていく。

 これは室生犀星の『小景異情』の世界。まさに「ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむ」想いだっただろう。

 いい映画は優れた文学作品と同じく何度見てもいい。 

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2007年6月15日 (金)

縦書き

 仕事柄、いろいろなお宅にお邪魔する。

 訪問先で資料を探してもらっていたりするときに、応接間でひとりきりになることがある。そんなときは、退屈しのぎに部屋の中をグルリと見回す。

 美術品や絵画からはその家の主の趣味をうかがい知ることができる。あまりそちらの方面には明るくないが、掛け軸くらいだと読み方や意味を訊ねることがある。

 いつだったか横一列に書かれた漢字を左から読んで恥をかいたことがある。あれは右から読むらしい。今のボクたちには横書きが当たり前だが、江戸期まで日本語には横書きはなかった。だから横長の額に書かれている横書きに見える文字。あれは実は1行に1文字を書いた縦書きだそうだ

 昔の人は巻紙に筆でサラサラと縦に書いた。上から下への運筆の流れがある草書体などは、縦書きだからこそ生まれたもの。でも最近は縦書きの機会などめったにない。公用文もビジネス文書も横書きが主流で、縦書きが残っているのは新聞や雑誌、小説くらいだろうか。

 日本語を勉強する外国人は、日本語に縦書きと横書きがあるということに驚くらしい。もういいかげん学校の国語も横書きにしたらどうかと思うが、文学者などからは頑固な反対論があるとのこと。ボクのような合理主義者には、そのあたりの感性はよく分からない。 

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2007年5月16日 (水)

天満天神繁昌亭

 『天満天神繁昌亭』に行ってきた。1_2

  大阪ではずっと漫才優位で、落語の定席が復活したのは何と60年ぶりのこと。

 これは大阪落語界の悲願で、昨年9月の柿(こけら)落とし口上で、桂三枝(上方落語協会会長)が泣いたという話が週刊誌に出ていた。ボクも初モノ見たさでウズウズしていたのだが、ようやく念願がかなった。

 館内は思ったよりこじんまりしていて、2階席と合わせても250席くらいだろうか。昨夜は若手噺家ばかりの月例会で、客席も半分くらい。ボクは前から2列目に陣取って、前座から大喜利までたっぷり聴かせてもらった。

 名前も知らない噺家ばかりだったが、会場が狭い分だけ臨場感がある。噺家の汗や息づかいが伝わってきて結構楽しめた。観客は噺家の身内が多いらしく、トチると野次や激励が飛ぶ。円熟した名人芸もいいが、まだ未完成な若手の青臭さも新鮮で楽しい。

 ボクのおすすめは日本第1号女性落語家の露の都と、とぼけた味のある笑福亭仁福

 たっぷり笑わせてもらってお開きはちょうど9時。出口には噺家たちが待ち受けていて客に挨拶して送り出す。こういうのもいい風景である。

 夜の天神さんにお参りした後、商店街の外れの居酒屋で一杯。また近いうちに行ってみよう。

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2007年4月14日 (土)

勉強します

 「勉強しま~す!引越しのサカイ」というCMがある。
 これを聞いた長女が、引越し屋さんがいったい何の勉強をするのかと訊ねる。かねがね不思議に思っていたらしい。

 たしかに無理もない。ボクたちが子供の頃は、大阪の商売人は値引きすることを「勉強する」と言った。でも最近はほとんど耳にすることもないから、若い人たちには通じないだろう。

 しかし、これは話が逆なのだ。
 もともと勉強という言葉の意味は「難しいことを無理してやる」ということで、学習という意味はない。だから商売人の使い方のほうが原義に近い。値段交渉で露骨に「マケる」「マケない」という言い方をするのを避けて「勉強する」という言葉に行き着いたのかもしれない。でも、今ではそんなことを知る人も少ない。

 商売人が困った顔をして「勉強します」というのはまだ可愛らしいが、学校の勉強というと、どうも「イヤなことを強制されて仕方なくやる」という語感がある。意欲をかきたてるにはこの言葉はちょっと重たい。大学あたりになると、好きで選んだテーマもあるだろう。そんなときは、学習とか研究とかいう方が自発的意思が感じ取れていいと思う。

 ボクは昔から勉強と聞いただけでアレルギー反応を起こす子供だったが、自主学習とか自由研究とかいわれると、意外と素直に机に向かっていた。それは今でも変わらない。

 天邪鬼を上手に使うには、漢字や言葉のイメージを大切にするのがいい。これは商品のネーミングの基本でもある。

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2007年4月12日 (木)

ローカル紙

 地方に行くと必ず、ローカル紙(新聞)に目を通す。

 地方で発行部数がいちばん多いのは、たいてい地元のローカル紙。中日新聞、北海道新聞、京都新聞、神戸新聞あたりになるとスタッフや取材網も充実していて、いくら全国紙の支局が頑張っても勝負にならない。

 さて先日、高知のホテルでロビーにあった高知新聞を広げると、いきなり「自由は土佐の山間より」という活字が躍っていた。
 ちょっと時代錯誤な気もするが、土佐というと板垣退助の出身地。日本の自由民権運動の高まりに大きな役割を果たした自負が見てとれる。

 1面からして、まったくの地域ネタが全国的な記事と同列で報じられている。このアンバランスが面白い。でも、地方で暮らしている人は全国紙も一緒に読んで、その情報のすき間を埋めておくのがいいと思う。

 ページをめくると、生まれた子供の名前が並んでいて、死亡記事もやたらと詳しい。地元室戸高校のセンバツでの活躍は、スポーツ面の半分を割いただけでは足りず、社会面から1面にまではみ出している。

 その昔、青森県の用地買収をしていた頃、地元の情報収集のために東奥日報を購読していた。大相撲が始まると地元出身力士の勝敗が大きく報じられていたり、地方選挙の予想記事から、県内の花見や紅葉の情報まで載っていた。

 しばらくして知ったことだが、青森県というのは一枚岩ではなく、明治以来 津軽と南部との根深い対立がある。東奥日報(青森)、デーリー東北(八戸)、陸奥新報(弘前)の3つのローカル紙の購読層もハッキリと色分けされていて、読んでいる新聞を見ただけで出身地が分かるとまで言われている。これがキッカケで歴史の勉強までできて、ボクにしてみたら新しい発見があった。

 ふだん大阪や東京で暮らしているとそんなことは想像もつかない。たまに旅先でローカル紙に触れたり、ローカル番組を眺めたりしていると、さまざまな気づきがあって楽しいものである。

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2007年4月 9日 (月)

ロング・グッドバイ

027553690000_1  『ロング・グッドバイ』(村上春樹訳)533ページを、ゆっくり時間をかけて読み終えた。

 やたらと速読のボクにしては珍しい読み方。登場人物をひとりずつメモに書いて本にはさみながら、ときどき戻って読み直したりして、行間まで丁寧に味わった。

 この新訳は大都会の孤独と死をテーマとしたハードボイルドではなく、現代における愛と友情を浮き彫りにした純文学だ。

 改めて感じるのは、これまでの村上作品の多くがチャンドラーの影響を受けていたということ。とくに『羊をめぐる冒険』の語り手などは、明らかにフィリップ・マーローの面影を宿している。この新訳には「あれ、どこかで見たぞ・・・」というような箇所があちこちにあって、自分が長年慣れ親しんできた村上作品の原型を発見したようでとても興味深い。推理小説のラストで種明かしを知って「ああこういうことだったのか」と思う気持ちに近い。

 44ページという異常に長い訳者あとがきを2回読んで、いっそうその思いを強くした。彼のルーツは、チャンドラーでありフィッツジェラルドである。

 村上春樹という革命的な作家が好きな人にはぜひお薦めする。単に硬質なハードボイルドを読みたいというなら、以前の清水俊二訳のほうがいいと思う。

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2007年4月 4日 (水)

平均値

 西アフリカに、シオラレオネという国がある。

 この国の平均寿命が34歳。これを聞くと、働き盛りの人たちが死んでしまうのかと思うが、そうではない。
 アフリカの発展途上国では乳幼児の死亡率が高い。シエラレオネでは 1,000人の赤ちゃんが産まれても、そのうち177人が1歳の誕生日の前に命を失っている。そして5歳になるまでには、なんと3分の1もの子供が亡くなる。この地球上には、シエラレオネのような国が他にもいくつもある。

 日本では 1,000人中命を落とすのはたったの3人。この乳幼児死亡率の低さが、平均寿命を押し上げる要因になっている。

 だから、シエラネオネの平均寿命のデータは、よく調べてみると「壮年期の大人がバタバタと死んでいく」ということではなく「乳幼児を保護する医療環境が整っていない」ということを意味する。

 平均値というと、まるでそれが一般的な値だと感じてしまう人が多いが、これが平均値(アベレージ)のマジックである。

 大人は平均所得、子供は平均点に一喜一憂する。前にも書いたが、平均値とは総額を単純に対象数で割り返したもの。中央値(メジアン)や最頻値(モード)と一緒に読まないと正確な評価はできない。

 先日の週刊誌に、勤労世帯の貯蓄額の平均は1,356万円という記事があった。
これを読んだ多くの人は、自分は世間水準以下だとガッカリしたのではないか。ところが、このデータの中央値は 900万円であり、最頻値にいたっては 265万円。上から順番をつけていったら全体の中央値の貯蓄額は900万円で、この数字のほうが標準のイメージに近いのではないか。数億円、数十億円もの貯蓄をしている世帯がわずかながらもいるために、平均値は高めの数字になるのだ。

 新聞にはいつも日経平均の株価が踊る。ニュースでは経済評論家とやらが、したり顔でそれを解説する。しかし、本当の景気の中味は個々の企業業績の積み重ねだ。単なる平均だけで判断するのは極めて危険なことだと、いつもながらボクは思っている。

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2007年3月29日 (木)

カバーと翻訳

 カラオケで『亜麻色の髪の乙女』をリクエストしたら、どうも勝手が違う。よく知っているヴィレッジ・シンガーズの曲ではなく島谷ひとみの曲だったのだ。ナンだこりゃ・・・お陰で最後まで音程が合わずじまい。

 こんなふうに、原曲を他のアーティストが歌うことをカバーというらしい。

 昔から『シクラメンのかほり』といえば布施明だが、これを作った小椋佳も以前から歌っていた。原曲は少し音域が低くて、声量豊かな布施明と違って独特のかすれ声にも味がある。

 『百万本のバラ』は加藤登紀子で有名だが、ボクが初めて聴いたときは久米小百合が歌っていた。彼女はかつて久保田早紀として『異邦人』をヒットさせたクリスチャンシンガーで、今でも伝道コンサートなどを続けている。もともとロシア語の歌だからかなり訳詞も違っていて、比較して聴くのも面白い。

 かつて読み漁った『車輪の下』『デミアン』などのヘッセ作品では、やっぱり高橋健二の訳が一級品。学生時代にドイツ語教材の訳本を選んでいて、他の訳者の作品を間違って買ったことがあった。でもその日本語は自分の感性には合わず、改めて高橋訳の偉大さを知る。

 最近では村上春樹の翻訳本が好評だ。
 フィッツジェラルドの信奉者である彼は、昨年その代表作である『グレート・ギャツビー』の新訳を出してベストセラーになったが、今度はチャンドラーの『ロング・グッドバイ』。これはフィリップ・マーロウが登場するおなじみのハードボイルドの金字塔。ボクたちは若い頃に清水俊二の名訳で親しんだが、彼は映画の字幕で有名な人だから省略箇所も多かったらしい。今回の作品は「新訳によって作家がまるで別の生命を得る好例」とまで専門家から高く評価されている。ゆっくり読んでみようと思う。

 最後に、マーローといえばギムレット。
 ボクはバーでギムレットを注文するときに、必ずベースのジンを指定する。本当は味の違いなどあまり分かっていないのだが、それを聞いたバーテンダーとの緊張関係を楽しんでいるのだ。

 でも、さすがのマーローも予想しなかっただろうね。「○○の翻訳で!」などいう洒落たセリフは。

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2007年3月12日 (月)

子供たち

 『子供たち』という言葉はヘンだ・・・とある人にいわれた。

 そんなこと考えもしなかったが、2つの意味でおかしいという。
 まずは『子』は単数で『子供』は複数。この複数形にさらに『たち』をつけると二重になる。だから、どちらかひとつでいい。
 さらに『達(たち)』とは、公達(きんだち)のように高貴なものに使う言葉。一般の複数形には『等(ら)』や『共・供(とも)』が正しいとのこと。

 まあ原義はそうかもしれないが、言葉は生き物だから仕方がない。今となっては、子供という言葉が複数形だというのも、指摘されなければ気がつかない。

 日本語は英語と違って、単数複数の区別が曖昧だ。以前に外国人記者に聞いた話だと、英語で記事を書くときは主語が単数か複数かをハッキリ確認しなければならない。記者会見でよくその質問が出るらしいが、そんなことを考えたこともない日本人は即答できないことが多いという。
 官房長官「その法案には態度を保留している閣僚もあります。」
 外国人記者「それは1人ですか。2人以上ですか?」
 官房長官「・・・(ムカ~ そんなこと言えるかよ~)」
とまあこんな調子。

 さらに複数でもイロイロあって、普通は a few、some、several、many の順番に多くなる。具体的にいくつぐらいを意味するかは状況によっても異なるが、一般的に a few は一桁の前半、 some は一桁の真ん中ぐらい、several は一桁の後半、manyはそれ以上。これも活字になるとそのニュアンスは誤魔化せない。

 幼い頃から叩き込まれた習慣なのだろうが、主語の単複によって動詞まで変わるというのはスゴイことだ。おまけにドイツ語やフランス語には名詞に性別まである。覚えるのはたいへんだがルールが決まっているから逆に教えやすいかもしれない。

 それに比べたらわが日本語、複雑で奥が深いことこのうえない。まあそうやってシロクロをはっきりさせないのが、日本人の美徳でもあり限界でもある。

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2007年3月 9日 (金)

数字の吉凶

 ボクはモノを数えたり計算したりする商売である。

 そしていつも数字を見ているから、あまりその数字に感情移入できない。しょせん数字は数字なのである。

 この時期は、毎日のようにヒトの財布の中身や通帳の残高を見ている。たとえば昨日は、ある青空駐車場の収支計算をしていた。駐車場の番号が1番から38番まで。それで満杯だから38台・・・と単純に考えてはならない。縁起を担ぐ人なら、4番とか9番とかを欠番にする。だから、番号が続いているかどうかもチェックしておく必要がある。昔気質(かたぎ)の商売人などは、4(死)とか9(苦)とかいう数字をいやがる。とくに4は嫌われていて、病院やマンションでは4階がないというところまである。

 野球の背番号でも、4番、9番は外人選手の指定席。タイガースの背番号4はかつてはバッキー、今はシーツ。日本人の川藤や藪が4番をつけたのは不思議だった。

 逆に13番をつけた外国人選手を見たことがない。
 イエス・キリストを裏切ったユダが13人目の弟子だったことから、キリスト教徒にはこの数字は人気がない。

 しかし、ところ変わって東洋では十三は縁起がいい数字。自分の生まれ干支が一巡する節目の年で、武家の元服も数え十三歳が多かった。今でも十三参りは子女が知恵と福徳とを授かる行事とされる。

 好きな数字を問われたら、昔の子供は、王・長嶋の1、3というのが圧倒的に多かった。でもボクは、そういう無機的なものに気持ちをこめられなかった。

 ウチの母は、ヒトにものをあげるのに4つでは縁起が悪いといってわざわざ1つ買い足すタイプの人間。でもボクは数字を道具としてしか考えられない合理主義者。つまらない人間なのかな・・・  

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2007年3月 6日 (火)

言葉は・・・

 よくエライ人の釈明会見などで、「言葉がひとり歩きしてしまいまして・・・」なんていうのを聞く。

 舌下事件を咎(とが)められて、そんな意図で発言したのではないという言い訳に使うときの常套文句だ。

 でもそれはおかしいと思う。言葉は手段であって、その言葉に魂を込めるのは使い手であるわれわれ人間のはずだ。それを言葉のせいにするのは、殺人事件で犯行を凶器のせいにするようなものだ。言葉自体には何の罪もない。

 ちょうど昨年の今ごろだったと思うが、朝日新聞が『ジャーナリスト宣言』というキャンペーンをしていた。

  「言葉は身勝手で、残酷で、ときに無力だ。
  それでも私たちは、言葉のチカラを信じている」

  これはそのときのメインコピーで、これをたしか天野祐吉が、どこかのコラムで絶賛していた。ボクはそれを読んで、すごく寒々しい気持ちになったのを覚えている。

 サザエさんとフジ三太郎で育ったボクにとって、朝日は子供の頃から慣れ親しんだ新聞だった。天声人語やスポーツ欄もよく読んだ。それが大人になった頃から、少しずつ違和感を感じはじめる。そして決定的転機は文化大革命。それ以降の報道姿勢にはまったくついていけない。でもまあ考え方の違いは距離を置けばすむからいいとしよう。しかし、サンゴ礁事件に代表されるモラル低下はいったいどうしたのか。

 朝日に代表される新聞社に言いたい。「我々のペンの力で愚かな民衆を啓蒙してやる」という思い上がりは捨てたほうがいい。読者はそんなにバカではない。マスコミの役割は正確で迅速な情報伝達であって、世論誘導ではないことを肝に命ずべきである。

 ボクはどうもこの『言葉のチカラ』という奇妙な言葉に、旧態依然とした新聞社の驕りを嗅ぎ取ってしまう。考えすぎかな・・・

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2007年3月 4日 (日)

ひらがなの地名

 手元に置く日本地図を買い換えた。

 ボクは昔から、テレビや新聞で知らない地名に出くわしたら、どこにあるのか地図で確かめないと気がすまない性格。ところがここ何年かの『平成の大合併』とやらで、最近やたらと知らない市町村が増えてきた。さすがに5年前の地図ではお手上げで、新しい地図を本屋で探してきたのである。

 持ち帰って開けてみたら、ちょうど巻頭に『平成の大合併特集』として、新しく誕生した市町村を紹介してある。「これ!これ!」と思って眺めていたら、やたらとひらがな名が多い。

 奥入瀬川が流れる町はおいらせ町(青森県)。芦原温泉の里はあわら市(福井県)。ため池日本一・満濃池のある町はまんのう町(香川県)。童謡「赤とんぼ」のふるさとはたつの市(兵庫県)。その他、ひたちなか(常陸那珂)、かほく(河北)、うきは(浮羽)、いの(伊野)、おおい(大飯)…。特に最後の3つなんかはどこにある地名だか分かりますか。(正解はそれぞれ、福岡・高知・福井県)

 今までは地名はたいてい漢字だった。ところがひらがなにはやさしさや親しみが感じられるという理由で、昨今はひらがな市町村が乱造されているらしい。

 少し前のニュース番組で、キャスターが「つるが市で…」と言いかけたら隣のアナウンサーが「つがる市です」と訂正した。漢字で『津軽』と書いてあれば読み違えることもなかったはず。かなだと読みやすいというのは思い込みで、漢字から切り離された平板な音だけでは語感が湧かない。

 何かと最近注目を浴びている柳沢厚労相。社会保険庁の一部が『ねんきん事業機構』となる予定だったが、大臣の一声で『日本年金機構』に変わった。「ひらがなで書くようなことではなく、ちゃんとまともに年金の仕事をここでやることを示す」という趣旨らしいが、ボクもこれは漢字のほうがいいと思う。

 世の中ちょっと『ひらがな』が溢れすぎではないか。難しい漢字にかなルビをふるというのがあるけれど、そのうちにひらがなに漢字のルビをつける時代が来るかもしれない。

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2007年1月21日 (日)

外来語

 もう20年以上前のこと。

 会社の社員食堂で向かいに座っていた女性2人がパンツの話を始めた。
 「私の今日のパンツは白だから・・・」というあっけらかんとした言い方に、ボクの隣でカレーを食べていた上司はノドを詰まらせた。

 もちろんこのパンツというのは下着のことではなく、ズボンの話である。でも、いつの間にこんな言い方に変わってしまったのか。ちなみに男性用下着にも、ブリーフとかトランクスとかいうお洒落な呼び名がついている。

 バンドはベルトになり、チョッキはベストになった。チャックはジッパーからファスナーに進化し、ジャンパーはジャケット、ちょっとよそ行きだとブルゾンになる。

 この間 靴屋のチラシを見ていたら、今どきの若い女の子が履くサンダルをミュールというらしい。以前はスリッパとかツッカケとかいう名前で店先に並んでいたヤツのことだ。

 カッコいいから外来語を使うのだろう。でも慣れてくると新鮮さが薄れてしまう。するとまた、どこからか他の名前を探してくる。日本人というのはかくも忙しい民族である。
 そんなことを考えながらボクは、最近カフェ・ラテといわれるようになったミルクコーヒーを飲んでいる。

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2007年1月15日 (月)

かぞえ年

 戦前に育った人はともかく、正月になるとひとつ年をとるという感覚は、ボクも含めて今の人にはあまりないと思う。

 年齢の数え方には、かぞえと満がある。

 今の満年齢に統一されたのは昭和25年のことだそうだ。ボクが幼い頃、一緒に暮らしていた明治生まれの祖父母は、当然かぞえで年を数える。子供は早く年をとるのがうれしいから、年寄りっ子だったボクは小学校にあがる頃までかぞえ年を使っていた。「かぞえで6つ、満では5つ」というような言い方が、当時は一般的だったと思う。

 しかし今から思えば、正月になるとみんないっせいに年をとるというのは、ちょっと奇妙な感じがする。

 現在でもかぞえ年を使うのは『七五三』や『厄年』くらいだと思うが、最近の七五三は満年齢を使う家庭が増えたと神主さんが言っていた。

 人が亡くなった後の法事の数え方はちょっと変則的。1周忌だけは満1年で、その翌年からはいきなりかぞえになって丸2年目が3周忌。

 最近知った話だが、還暦というのは60年が終わって暦が還るという意味だから、本当は満年齢や誕生日とは関係ないらしい。つまり1946年生まれの人は2006年になればみんな還暦。元旦にいっせいに還暦になるから「オレは7月(誕生日)に還暦だから」というのはおかしいことになる。

 ついでに享年というのも「年を享(う)くること○年」という意味らしい。この世で過ごした年数のことで、その年はマルマル1年でなくてもかまわない。つまり12月生まれの赤ちゃんが翌年1月に亡くなったら享年2歳。でも、これも最近は勘違いして使われている。

 生まれてからの期間が満年齢、生きた年の数がかぞえ年。もう少しキッチリと使い分けたほうがいいかもしれない。

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2007年1月 5日 (金)

年賀状雑考

 今日が仕事初め。

 混雑を予想して6時に家を出たら35分で事務所に着いた。年末の仕事納めの帰り道は渋滞に巻き込まれて歩いたほうが早いと思ったくらいだが、車は本当に時間が読めない。

 事務所でゆっくりお茶を飲んでから、自宅と事務所に届いた年賀状を積み上げて、もう一度ジックリ目を通してみた。大半がパソコン製の年賀状だが、ビジネス用は別として旧知の知人などはせめて一言肉筆の添え書きが欲しい。これは自分自身も反省すべきところだ。

 ひと通りハガキの裏面を眺めた後は、差出人の整理。
 まずは元旦に届いたモノから順番にヤマを作る。1枚ずつリストと照合しながら、お互いが出し合っているモノは○、コチラは出していないのに相手から届いたモノには◎、コチラは出したのに相手から来ていないモノには△をつけていく。
 ○はそのままで問題ない。◎には基本的に返信する。△のうち遅れて相手から来たモノは▲に塗りつぶす。△が2年続くと、翌年からは出さない。相手が虚礼を好まない場合もあるからだ。

 古いと思われるかもしれないが、ボクは年賀状は元旦に届くように出すのが礼儀だと思っている。年末はそれぞれ忙しいだろうが、時間くらいは何とかヤリクリして作れるものだ。遅れて届く年賀状は価値が半減する。

 そう思って自宅の年賀状を整理していたら、両親からの年賀状が遅れて届いていた。これは事務所の年賀状とまとめて、ボクが25日(月)の朝に郵便局へ持ち込んだもの。みんな同じ日に投函したから、他のも遅配されている可能性がある。だとしたらエラそうなことを言う資格もない。来年からはもう少し早く出しますので、遅れて届いた方はどうかお許しを。

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2006年12月25日 (月)

公用文の手引き

 ここ数ヶ月、業界団体の会員向けの小冊子を作る仕事をしている。もちろんすべてボランティア。

 小冊子とはいっても 130ページほどになるから相当な分量だ。各自で書いた原稿を持ち寄って、月に2回くらいのペースで編集会議をする。

 内容のチェックも大切だが、文体や言葉使いを統一するのが案外難しい。Word文書で切り貼りしたらフォントや体裁は簡単に揃うが、内容はそれぞれ書き手の個性が出る。ズタズタに修正しないとならない箇所もあって、書いた人には申し訳ないが蛮勇を奮って手を加える。

 漢字や送りがなも結構難しい。悩んだときは『公用文の手引き』に従う。これにはふだん我々が何気なく使っている言葉の使い分けが細かく書いてあって、なかなか面白い。ただし平易な文章を基本とするから、やたらとかな書きが多い。ボクもどちらかというとかな書きを多用するほうだが、『研さんをつみ』とか『懸念を払しょくし』などという漢字との併用はかえって分かりにくい。新聞を読んでいても『信頼にこたえ』『職責にかんがみ』くらいは漢字にしたらどうかと思う。

 ところで休憩時間にメンバーの一人が出したクイズ。この文章はかな書きすると2通りに解釈できます。あなたは分かりますか?
  「ここではきものをぬいでください」
  「ゆでたまごをくったむすめ」

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2006年12月21日 (木)

シャボン玉ホリデー

 青島幸男さんが亡くなった。

 青島さんといえば、ボクの時代は何といっても『シャボン玉ホリデー』。
 ザ・ピーナッツがシャボン玉の中でテーマソングを歌うシーンから始まり、クレージーキャッツの軽妙なギャグやコントが続く。今でいうバラエティ番組のはしりだったのだが、この時代ではまだ珍しく新鮮だった。

 昭和30年代後半の日曜の夜。まだ来たばかりの我が家のテレビはフル活動。
 6時からはおなじみ『てなもんや三度笠』。目はテレビにクギづけで、夕食の箸が止まっていつも母に怒られていた。そしてその後6時30分からが『シャボン玉ホリデー』。泥臭いドタバタコメディの直後だけに、余計にスマートさが際立った。
 ボクが青島幸男という名前を知ったのはこの時分のこと。ついでにウチの近所の牛乳石鹸なんてローカルな会社がテレビ番組のスポンサーをしていることにも驚いた。

 青島さんは多才な人だが、この時代がいちばん輝いていた。タレントブームに乗って政界入りした後の印象はうすく、表情も冴えない。参議院議員を4期務めた後 東京都知事に転じたが、都市博を中止したくらいしか記憶には残っていない。評判も芳しくなかった。

 政治は一人ではできないし、反対すればいいというものではない。彼は進む方向を間違えたと思う。強靭な反骨精神や溢れるエスプリを違う方向に向けたら良かったのにと、ボクは青島さんの才を惜しむ。

 天国ではわき道にそれないで活躍されることを願って、冥福を祈る。

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2006年12月 2日 (土)

「三丁目の夕日」

 昨夜、テレビで『ALWAYS 三丁目の夕日』を見た。

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 帰宅が遅かったので後半しか見られなかったが、ストーリーも背景も小道具も素晴らしい。昭和33年というとボクは4歳、この風景も音も匂いもすべてリアルタイムで経験している。同じような髪型で似たようなセーター姿で撮った懐かしい写真が今でも残っている。

 感動したのは2人の子役の表情。最近、こんなに目がキラキラ輝いている子供たちがいるだろうか。小銭を握りしめて都電で実母を探しに行ったり、貧乏文士のところに戻ってきて抱き合うシーンなど思わず涙がこぼれる。

 心の豊かさとはモノの豊かさではない。まだ家にテレビも冷蔵庫もなかった時代。繕った靴下を最後まで大切に履かされた。給食はコッペパンに脱脂粉乳。おやつは駄菓子と粉末ジュース。日が暮れるまでドロンコになって遊んでいた腕白坊主たちも、みんなそれぞれ立派な親父に成長している。

 改めてそんな時代に育って良かったと思う。わずか50年ほどの間にわれわれの日本はとてつもなく豊かな国になった。でもカネでは買えないモノがある。自分よりずっと若いケータイ・コンビニ世代が、この映画を見てどういう感想を持つかボクは知りたい。そしてこの感動が単に自分のノスタルジーにとどまらず、世代を越えて共有できるものであってほしいと思う。

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2006年11月27日 (月)

吹き替えと字幕

 映画を観るときに、あなたは吹き替え派ですか?それとも字幕派ですか?

 ボクが子供の頃は2ヶ国語放送なんて洒落たものはなかったから、テレビで見る洋画は吹き替えと相場が決まっていた。ショーンコネリー(007)の顔には若山弦蔵の声、アランドロンの顔には野沢那智の声が強く結びついていて、初めて映画館で本人の声を聞いたときに奇妙な感覚を持ったことを覚えている。

 だいたい映画好きを自称するような人は字幕派が多い。好きな俳優の生の声を聞ける字幕のほうがいいに決まってるという。

 以前に字幕翻訳者として有名な戸田奈津子さんのインタビュー番組を見たことがあるが、スクリーンで目で追える文字数には限度があるという言葉が印象に残っている。ただ訳せばいいというものではないらしい。彼女の大胆な意訳にはさまざまな賛否があるが、短い言葉に精一杯の意味を込めるというのは、われわれ素人が考えても難しい。

 何かの映画雑誌で、欧米では吹き替えが主流で字幕はほとんど使われていないという記事を見た。原語で理解できる人は何の問題もないが、字幕ばかり追っているボクなどは長い映画になると首が疲れるし、肝心の大切な映像を見逃すことがある。

 やっぱりもう少し英語を勉強して「あの字幕はないよね~」なんて言えるようになりたいモノである。

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2006年11月 5日 (日)

オルセー美術館展

 昨日の朝から1泊2日で南淡路に行ってきた。

 天気にも恵まれて穏やかな休暇だった。ホテルの部屋から見下ろす鳴門海峡は穏やかで、秋の柔らかな陽が海面(うみも)にきらめく。このホテルは何度か利用しているが、家から2時間弱でこんなに豊饒な別天地があるのはうれしい。

 大阪からだと混んでいるのは神戸あたりまでで、明石海峡大橋を越えるとその先はもうガラガラ。わずか4kmの橋を渡るだけでも片道2千円、阪神高速から南淡路まで高速を乗り継いでいくと6千円近くかかる。淡路島の発展のためにも、もう少し高速料金を安くできないものかといつも思う。大橋を渡ったところの淡路SAから神戸を眺める景色は絶品だが、それを知らない人が多いのは勿体ない。

Pt01  帰りに神戸に寄り道してオルセー美術館展を観てきた。駐車場を探すのも一苦労で、館内は人でゴッタ返している。淡路島の静寂とはエライ違いだ。

 パリには15年ほど前に一度だけ行ったことがある。もちろんルーブル美術館にも行ったが、ボクはこのオルセーのほうが気に入っている。ルーブルが荘厳なクラシック音楽なら、オルセーは洒脱なアメリカンポップス。旧オルセー駅舎を改造して作った建物は垢抜けしていて、19世紀以降の絵画や工芸を中心とした展示品は親しみやすい。

 今回の出品作品の大半はオルセーから出たことのないものばかりで、好きな人なら一日たっぷり楽しめるだろう。

 なお神戸展は1月8日までで、その後東京展の予定。興味のある方はぜひどうぞ。

 それにしても、こんな展覧会は京都や神戸が多くてなぜ大阪で開催しないのだろうか。大阪には文化が育たないのか。でもまあこんな機会に京都や神戸に遊びに行けるからそれもいいか・・・

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2006年10月11日 (水)

日本橋

 地下鉄の中で、サラリーマンの二人組みが路線図を見ながら話をしている。言葉遣いからすると、どうやら東京の人らしい。「日本橋って書いて、ニッポンバシと読むんだよ」「へ~面白いネ・・・」 

 たしかに面白いかもしれないけど、こういうのは固有名詞だから、それに従うしかない。会社の名前でも、JALは日本航空(にほんこうくう)、ANAは全日空(ぜんにっぽんくうゆ)が正解。また、以前の日本社会党はニッポン、日本共産党はニホンと読ませていて、何か理由があるのかと国会中継を見るたびに不思議に思っていた。(そういえば日本新党というのはニホンだった)

 それじゃ、単に日本と書いてあったら、アナタはニホンと読みますか?それともニッポンと読みますか?

 ワールドカップで日本のサポーターたちが「ニッポン!チャチャチャ!」とやっていたのが耳に残っている。こういうときはニッポンのほうが盛り上がるが、ふだんの生活ではどちらが優勢ともいえない。

 ボクは記憶にないが、東京オリンピックの頃に対外的にはニッポンにすると政府が決めたらしい。たしかに切手は NIPPON になっているし、お札には NIPPON GINKO と印刷してある。外国人にはニッポンのほうが発音しやすい(NIHON だとフランスでは”におん”と発音されてしまう)だろう。

 ところが、われわれ日本人が使うときは明確な基準がなく、迷うケースはたくさんある。こういうときに新聞や雑誌は気楽でいいが、テレビやラジオのアナウンサーは悩むだろう。たとえば『元日本兵』と書いてどう読むか。ヒマ人だと笑われそうだが、ニュースを聞いているとNHKと民放でバラバラだった。

 ニッポンにはどこか緊張感があり、ニホンには落ち着いた響きがある。そして、こんなふうに曖昧に共存させることが「日本」らしさなのかもしれない。

 そうこうするうちに「次はニッポンバシ~」とのアナウンス。その二人連れは駅の表示を確認しながら降りていった。

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2006年10月 3日 (火)

君が代と日の丸

 不思議な判決だと思う。

 入学式や卒業式で、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、東京地裁はこれらを強要するのは憲法違反だとして処分を禁じ、東京都に1人当たり3万円の損害賠償を命じた。

 ボクはこの判決について意見があるが、まあそれはいい。
  それよりも、この日の新聞各紙の対応が面白い。日経はいつものように素っ気なく、読売は平べったい。突出しているのは朝日と毎日。1面トップだけでは収まらず、3面と社会面にまで綿々と書き綴って、挙句の果てには社説でまで念を押す。よほど君が代と日の丸に恨みがあるらしいが、この偏向ぶりはいったい何なのか。

 週刊文春は「法律以前の問題と思います。人間として国旗や国歌に敬意を表するのは、人格・人柄・礼儀の問題じゃないですかね」という小泉さんのコメントを紹介している。同感である。ボクはこの人のこういう淡々としたストレートな物言いが好きだ。

 この判事も相当変わった人なのだろう。君が代や日の丸を「皇国思想や軍国主義の精神的支柱・・・」と決めつけるのはいかがなものか。それじゃオリンピックやワールドカップはどうなのか。高校野球はどうなる。

 朝日と毎日は、春と夏の高校野球を主催している。ボクは読まないけど、地区予選から多くのムダな紙面を割いて、その力の入れようは尋常ではない。でも、たしか甲子園の開会式では国歌を吹奏して国旗を掲揚してなかったかナ・・・両紙の記者に聞いてみたい。あれは構わないんですか?

 まあ歴史的意味合いはさておき、今どき君が代や日の丸に帝国主義のニオイを嗅ぎ取るという感覚のほうがどうかしているとボクは思う。

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2006年9月29日 (金)

「プラド美術館展」

 今頃、本当ならバンコクでこのブログを書いているはずだった。

 現地ホテルのビジネスセンターでは持参のパソコンが使えることも確認していた。ノートパソコンの充電までして準備万端だったのだけれど・・・まあ、いずれまた機会もあるだろう。

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 気分を変えて『芸術の秋』。午後から大阪市立美術館で『プラド美術館展』を見てきた。つまり、タイからスペインに行き先変更と相成ったわけだ。これまでヨーロッパには2度行ったが、スペインは未踏の地である。

 平日の3時過ぎ。館内は思ったより人が多く、その7割は女性。男性はシルバー世代が大半で、スーツ姿はボクくらいのもの。きっと仕事をサボっている営業マンに見えたと思う。

 展示品は中世の宗教画が多く、残念ながらボクはあまりよく分からない。でも小1時間ほど館内を歩いていると、何となくヨーロッパの空気を吸ったような気になるから不思議なものだ。

 外に出たら、いきなり大阪の下町にカミングアウト。久々に天王寺公園を散歩して、秋の空気をたっぷり吸い込んできた。

 いつの日か、本物のプラド美術館に行ってみたい。

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2006年9月17日 (日)

MIHO MUSEUM

 台風が九州に近づいているらしいが、朝起きたら青空が覗いている。思い切って MIHO MUSEUM に車を飛ばすことにした。

1273 平成9年に滋賀県の山中に建設されたこの美術館は、全国的には知名度も低いから知らない方も多いと思う。ひとことで言えば、熱海のMOA美術館みたいなのを、長野県の山奥あたりにヒッソリと作ったようなものだと思えばいい。ただし、かなり足の便が悪いから、来館者数はMOA美術館の比ではない。

 ボクは数年前から名前だけ知っていて、機会があれば行ってみたいと思っていたが何しろ遠い。名神栗東ICから山道を30分。対向車にヒヤッとする急カーブをしばらく走ると、深い緑に囲まれた山中に特徴のある建物が現れる。受付の後、専用カートに乗り換えてトンネルと橋を越えると、そこは桃源郷・・・

 ボクは宗教の世界にはトンと疎いが、この美術館は神慈秀明会とやらの会主・小山美秀子(みほこ)さんの個人コレクションを展示するために開館したらしい。それにしても膨大な館蔵品だが、これって信者の寄付が財源なのだろうか。常設展示では、エジプト・ギリシャから中近東・インドを経て中国へと至る古代美術品の数々。個々の作品はあまりよく分からないが、広大な館内を見て歩くだけでも楽しい。一歩外に出るとタップリ森林浴ができて、身も心も洗われる。

 帰り道、ついでに琵琶湖博物館に寄ってみた。コチラは連休とあって家族連れでゴッタ返している。琵琶湖の淡水魚たちが気持ちよさそうに広い水槽の中を泳ぎながら、ガラス越しに人間たちを眺めている。

 前は気づかなかったが、昭和30年代、40年代、50年代のそれぞれのコーナーにその年代のテレビ(40年代なら家具調テレビ)が置かれていて、それぞれの世相フィルムを流している。思わず30年代で足が止まってしまったが、紙芝居、粉末ジュース、グリコのおまけ、紙石鹸など懐かしい小道具が並んでいて、しばし時を忘れてしまう。

 外に出たら、鉛色の空からポツポツと冷たいものが・・・ 帰り道、子供たちに何が楽しかったか訊ねたら、長女はザリガニをつかんだこと、次女はカートに乗ったことだとか・・・感性の違いはまだ大きい。

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2006年8月12日 (土)

辯護士と醫者

 名刺箱に弁護士の名刺が20枚近くある。その大半は『弁護士』と書かれているが『辯護士』と書かれたものも数枚。

 もちろん戦前の正字は『辯』で、ものの言い方という意味の漢字。「辯が立つ」とか「大阪辯」とかいうように使う。今はみんな『弁』で統一されたが、もともとは『辯』『辨』『瓣』『辦』『辮』と本来の『弁』がある。『辨』は区別、辨別するの辨。『瓣』は花びらの花瓣。ヒラヒラするものの意味だから、心臓の瓣膜や安全瓣もこの字を使う。『辦』は処理するの意で中国には辦公室なんていうのがあった。そして『辮』は辮髪の編むという意味。

 もともと『弁』は帽子という意味なのに、この文字ですべての意味を引き受けることになった。だから、辯護士という名刺を使っている人たちは、漢字の元の意味が分かっていて意識的に区別して使っているのだろう。

 年に何回かお会いする内科医の先生は『○○醫院』という看板を上げている。医院ではなく醫院と書いてある。聞いてみたら、『醫』の字を分解すると『医』と『役』と『酒』。『役』は人に奉仕するということ、そして『酒』を神に奉って癒す。醫者とは、優れた技術と奉仕の心と癒しを持っている人という意味なのだそうだ。「医は仁術なり」と昔から言うのはこのことですよ、と教えられた。

 ちょっとした言葉でも、深い意味を込めて使っている人たちがいるのです。少し賢くなったかな・・・

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2006年8月 8日 (火)

先生の話

 先日発表された文化庁の『国語に関する世論調査』の結果を、興味深く読んだ。

 自分も含めて勘違いして使っている言葉が意外と多いことが分かった。そうは言っても言葉は生き物だから、みんなが間違えて意味が変化してしまっている言葉を、原義がこうだからと頑張ってみたって仕方がない。ちょっと寂しいけど、言葉がコミュニケーションツールである以上は、それは宿命みたいなものである。

 そのなかで「外部の人に対して上司をどう呼ぶか」という質問があって、これには7割が呼び捨てと答えている。なかなか社員教育が徹底しているようだが、学校と病院だけは例外らしい。

 たとえばボクが教科書納入業者だとして、担当の○○教諭に電話をかける。「○○先生いらっしゃいますか?」「○○先生は授業中です」という答えが返ってくる。先生というのは尊称だから、身内につけるのはおかしいと思う。子供たちに謙譲語(敬語)を教えるはずの学校で、そんな基本的なマナーが徹底されていないのはどうだろうか。

 以前に子供が入院していたときに、担当の若い医師と話す機会があった。彼は「今日は△△先生が回診に来られますから・・・」と、上司である教授に敬語を使う。いったいドッチを向いているのか。いくらエライ先生とはいっても、間接的に患者を謙(へりくだ)らせるその物言いに、ボクは好感を持てなかった。

 その点では同じ士業でも、弁護士事務所や監査法人に電話して「××先生お願いします・・・」というと、秘書の女性が「あいにく××は外出しておりまして・・・」と正しい日本語を使ってくれる。まだこちらのほうが、サービス業の自覚があるように思う。

 先生と呼ばれる心地よさに胡坐をかいていられたのは昔の話。専門性を磨くことは当然のこととして、社会人としての基礎的なマナーもぜひ身につけていただきたい。

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2006年7月28日 (金)

東西南北

 先日、たまたまCNNニュースを見ていたら、朝鮮半島の南北問題を”North and South Problem”といっている。

 ちょっと気になって和英辞書を引いたら、東西南北は”North, South, East, and West”、つまり北南東西の順に表記してある。英語だけでなく、ドイツ語などのヨーロッパ系言語ではだいたい同じらしい。北を最初に言うのは、北極星や方位 磁石(磁針)との関連があるのだろうか。

 麻雀をする人なら誰でも知っているが、中国では四方を東南西北という。たぶん古代の人は、太陽の運行を見ながら方位を定めたのだろう。回転を重視したら東南西北になるのが自然だが、日本では「東西東西(とざいとうざい)」という舞台口上が示すように、東西で隅から隅を表していて、南北の意識が薄かったのかもしれない。

 東西南北の言い方だけを取り上げても、それぞれの文化による違いがあって面白い。

 もうずいぶん前に、ノースウェスト機に乗ったときのこと。機内誌の地図を開いたら、アメリカ大陸が中央にあって、その左に太平洋とアジアの途中まで、そして右側には大西洋とヨーロッパとアフリカ大陸があり、その右側(つまり地図の右端)にアジアの残りの部分がポツンと描かれていた。ふだん見慣れている地図との違和感もさることながら、アジア大陸が地図の右左に分断されているのがとても奇妙だった。

 もっと驚いたのは、ニュージーランドの空港で見た地図。オーストラリアやニュージーランドが地図の上部にあって、何とボクたちが普段見ている地図と南北が逆になっていた。そして日本列島はというと、地図の下の方で弧を描いているが、九州が上にあって北海道が下にある。 世界には多くの地図があるから、それぞれの地図で各国の位置関係を確かめると、違った視点でモノを見る良い機会になるかもしれない。

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2006年7月25日 (火)

関西の話

 スポーツニュースで、高校野球の映像が流れていた。

 兵庫県地区予選、ユニフォームに”KWANSEI”とある。一般には『関学(カンガク)』と呼ばれているこの学校の正式名称は『関西学院(カンセイガクイン)』。カンサイと読まずにカンセイと読ませる。この関東・関西という区分けは明治以降の言い方で、当初はカンセイと読むのが一般的だったらしく、この学校はその名残りをそのまま残している。

 さらに面白いと思ったのは、カンセイではなくクァンセイと読ませること。このクァとかグァとかいう表記や読み方は、戦後の新かなづかいですべて淘汰されてしまったはずだが、こんなところに生き残っていた。慶応と書かずに慶應と旧字を使うのと似たようなこだわりなのだろうか。

 ボクの記憶では、テレビに出てくるような有名人でクァやグァをはっきり発音していたのは、三木武夫総理が最後だったと思う。この人は、国会(クォッカイ)、官僚(クンリョウ)、外務省(グイムショウ)などと言っていて、まだ高校生だったボクは、入れ歯の具合でも悪いのかとトンチンカンな心配をしていた。

 高校野球といえば、10年ほど前の選抜大会で大阪の関大一高が選ばれた。こっちはカンセイではなく普通にカンサイと読むが、ユニフォームは”KWANSAI”だった。ちなみに岡山代表で関西という学校が最近よく出てくるが、この読みはカンゼイと濁る。

 日本語は難しい・・・

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2006年7月14日 (金)

嫌いな言葉

 ここ数日、熱帯夜が続いている。

 寝苦しさもあるし、身体がワールドカップに慣れてしまったこともあって、用もないのに5時前には目が覚めてしまう。シャワーを浴びたり、朝刊を読んだりして時間をつぶしているうちに、妻や子供が起きてくるというのが最近の毎日。

 その新聞に、口うるさい評論家が最近のキライな言葉遣いを並べていたので、ボクもマネをして、ここ数日気になった言葉をいくつか紹介する。

 まずファミレス言葉。もう聞き慣れたが「ご注文はビーフカレーでよろしかったでしょうか」という耳障りな過去形。天邪鬼なボクは「昨日だったらカレーでよかったけどネ」と意地悪のひとつも言いたくなる。どうして素直に「ご注文はビーフカレーですね」と言えないのだろうか。

 次に郵便局で切手とハガキを買ったら、「合計で○○円になります」ときた。これも厳密にいうと「なる」は変化を表す言葉なので、「合計で○○円です」が正解。言葉の意味を考えて正しく使ってほしい。

 事務所に事務用品のセールスが来た。まだ若い女性である。初対面なのに少しなれなれしい口の利き方が気になっていたが、いきなり自分の話を始めて「ワタシって一人っ子じゃないですか~」と言い出したのには驚いた。この言い方は、お互いの共通認識を確認するための物言いで、ボクはアナタの家族構成など知らないし興味もない。何も買わずにお引取り願ったのは言うまでもない。

 いつもの書店で雑誌を買ったときの話。ちょうど小銭入れが重たかったので、レジで全部整理することにした。当然キッチリの金額だからお釣りは要らない。ところがレジの店員は「××円からお預かりします」と言う。「から」も変だが「預かる」もおかしい。だいたい取られたままで返してくれないのだから「××円頂きます」ではないのか。

 最後に、注文すると「ハイよろこんで~」を輪唱する居酒屋での話。「焼き鳥と生ビール下さい!」「焼き鳥と生ビールいただきましたぁ~」「ハイよろこんで~」まではいい。ところが追加で「イカそーめん」を頼んだら、しばらくしてその店員が「あいにく品切れになりました」と戻ってきた。すると追い討ちをかけるように「ハイよろこんで~」と大合唱。オイオイ そんなに品切れがうれしいのか!もうあの店には二度と行かない。

 言葉遣いを知らないのは、まわりの大人も悪いが、自分自身が本を読んでいない証拠だ。コマメに辞書を引く習慣も廃れてしまったのは悲しい。

 どうも暑いとグチっぽくなるなぁ・・・イカンイカン!

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2006年6月29日 (木)

東京言葉

 先月、初めてうかがったあるお宅での話。

 その家の主は、大正12年生まれの女性。早くにご主人を亡くされて、女手ひとつで二人のお嬢さんを養育してこられた方だった。初対面の挨拶の後、しばらく世間話。ところが、彼女が話すのはチャキチャキの東京言葉。気になって尋ねてみたら、やっぱり本郷は団子坂の生まれとのこと。漱石や鴎外の小説に頻繁に登場する由緒ある地名である。

 戦前に、東京から大阪の農家に嫁いでくるというのも珍しかったと思うが、結婚して60年近く大阪で暮らしていて、言葉がまったく上方訛りにならず、東京言葉のままというのにも驚いた。ウチの妻は東京生まれの東京育ちだが、大阪に来て11年、すでに大阪弁に毒されつつある。

 標準語と東京弁というのは似て異なる。東京人はそのことに気づかないが、異なる言語圏から来た人間にはすぐ分かる。ちなみにボクが初めて上京した30年前のこと、耳慣れない東京弁のシャワーの中で、まるで落語の世界にいるようだと感じた。

 江戸っ子の話し言葉には、独特のテンポがある。『それで』は『そいでもって』、『食べない』は『食べやしない』、『落とす』は『落っことす』。関西弁のように短縮しないで、リズムを重視する。大阪にいると、テレビで標準語を聞くことはあるが、生粋の東京弁を耳にする機会は意外と少ない。

 これからは、そのお宅に年に何度かうかがうことになる。少し楽しみが増えたかな・・・そう思いながらボクは、彼女の薄く紅を引いた上品な口元を眺めていた。そして、そこから出てくる流暢な江戸言葉を聞きながら、遠い昔を思い出していた。

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2006年6月22日 (木)

「ご苦労様・・・」

 1年ほど前に、家の近くにインド料理店ができた。

 先日初めて行ってみたら、経営者はインド人。料理は本格的でなかなか美味かった。会計をすませて店を出ようとしたら、後ろから「ご苦労様!」と声が・・・ 日本語が上手だと感心したばかりなのにと思って振り向いたら、その声は早番の従業員に向けられていた。

 先日読んだ週刊誌に、「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」の使い分けの話が出ていた。「ご苦労様」というのはねぎらいの意がこもっていて、地位の高い人が自分より目下に使うというのが、一般的な用例だそうだ。だから、そのインド人経営者の使い方は正しい。

 ボクも新入社員の頃、「お先に!」と先に退社しようとする上司に、「ご苦労様でした」と声をかけて、先輩に注意されたことを思い出した。

 でも、この「ご苦労様」というのは、必ずしも上から見下ろした言葉ではない。たとえば、同僚の披露宴で職場の上司に会ったときの挨拶。身内ではないから「お忙しい中ありがとうございます」ではおかしいし、やはりここは「ご苦労様です」しかない。しかし、その言葉には苦役をねぎらうような意味が感じられて、新郎新婦に対して非礼だと思うが、他に適当な言葉が浮かばない。

 先日、事務所のコピー機のメンテナンスに来た男の子の話。何か機械の不具合があったらしく、何度も自社に電話する。そして、その度に「○○部の△△です。ご苦労様です!」とくり返す。会社の習慣なのだろうが、客の前で社内の人間に気を遣うのは何だか奇異に感じる。

 部活で疲れて帰ってきた子供に玄関で掛ける言葉は「お疲れさん!」。イラクでの任務を終えた自衛隊員を成田で迎える言葉は「ご苦労様でした」。サッカーW杯のメンバーが帰国したら、やっぱり「お疲れ様」かな?

 ムム~日本語は難しい・・・

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2006年5月20日 (土)

「男の作法」

 池波正太郎に『男の作法』というエッセイがある。

 下町で育った筆者は、ひと昔前の粋な江戸っ子。『鬼平犯科帳』『真田太平記』などの時代小説で有名だが、食通としても名前が通っている。

 今でもハッキリ目に焼きついている光景がある。今から30年近く前のこと、社会人になりたてだったボクは、テレビで、彼が下町の蕎麦屋の小上がりで日本酒を嗜む姿を見たことがある。焼き海苔と台抜き(天麩羅蕎麦の蕎麦を抜いたもの)を肴に、ぬる燗のお銚子を独酌でゆっくり味わいながら干していく。そしてまだお腹に余裕があればザル1枚。そののんびりした時間のかけ加減が何とも洒脱で、マネして挑戦してみたものの若い胃袋には物足りなかった。まだ人生の修行が足りないということだったかもしれない。そして、ようやくそういう飲み方が分かる年恰好に差しかかってきたが、あいにく大阪には気のきいた蕎麦屋が少ない。

 この本は、豊富な人生経験に裏打ちされた大人の男の常識論。食べ物から着こなし、人とのつき合い方まで話題は幅広いが、彼の『ダンディズム』の原点は自然体、つまり謙虚で通ぶらないということに尽きる。でも、こういう基本的な作法を教えてくれるいい大人が少なくなってきた。この人ならではの人間観察の鋭さは、人を見る目の温かさに収斂されるような気がする。

 この本を読んだ頃はまだボクも20代。筆者がとんでもなく大きな存在に思えた。でも、今ふと気がつけば自分もそんな年代になりつつある。読み返しながら、こんな一丁前のことを言えるかな・・・と改めて自省したのが今日の収穫!

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2006年5月17日 (水)

初老の人

 たまに図書館で時間があると、ボーと棚に並んだ本を眺めている。

 本屋で新刊書を見ているのと少し様子が違っていて、ふだんあまり目にすることのないような本に出くわすことも多い。

 気が向くと、古い辞書をパラパラ開くことがある。面白いと思うのは、時代の流れで言葉の意味が変わっていること。そして、今回調べたかったのは『初老』という言葉。いったい何歳くらいのことだろう。自分のイメージとしては60~65歳くらいだが、最近 漱石や鴎外を読み返していると、もう少し若いような気がして気になっていた。

 調べたらやっぱりそうだった。戦前の辞書はすべて初老とは40歳。『不惑』と同じ。これが最近の辞書だと「・・・ 一般には60歳前後をいう」と最後に断り書きがついている。

 高齢化社会の進展も原因だろうが、ボクはどうも『老』という言葉に『役割を終えた年寄り』というような意味合いを感じる人が多くて、敬遠されたのではないかと思う。

 しかし、漢字のふるさと中国では『老』という言葉には最大限の敬意が含まれていて、若くても尊敬すべき人には『老』がつく。『老』は知恵と経験の証なのだ。日本でも江戸時代までは『家老』『老中』『大老』『若年寄』なんていう職制があった。これはもちろん年齢と関係なく、福山藩主阿部正弘がその才能を認められて老中職についたのは、わずか25歳のときだった。

 だから初老といわれても、年相応の分別が備わっているならば、それほどイヤがらなくてもいいと思うけど・・・ 昨年40歳になったヤクルトの古田監督がブログで、不惑はいいけど初老はイヤだといっている。いい大人になったという意味なんだけどなぁ・・・

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2006年5月11日 (木)

消えた漢字

 5月1日から新会社法が施行された。そこで今日は難しい中身の話ではなく、言葉づかいの話。

 今回の改正の趣旨の中に『会社法の現代語化』というのがある。これまでの会社法は明治33年の施行以来、毎年のように改正を繰り返して継ぎはぎだらけ。非常に読みづらくなっているから、この際全面的に書き改めようということである。10年ほど前に刑法が現代語化されて今度は会社法。あと残るのは民法くらいになってしまった。

 時の流れだから、総論は賛成。でも心中は少し寂しい。どうして寂しいかというと、旧法典には世間に忘れ去られた懐かしい漢字がたくさん残っているからだ。大学で初めて六法全書を開いたときに、ボクはそのカビ臭い漢字の行列に面食らった。読み方すら分からずに辞書を引いたので、今でもよく覚えている。その漢字が消えてなくなるのがちょっと残念だと思うのだ。

 もうなくなった以前の刑法からいくつか紹介する。

 まずは『瀆職(とくしょく)の罪』。戦後の当用漢字から『瀆』の字がなくなったから、新法では『汚職』と書く。『汚』は単に汚すだが『瀆』は尊厳・名誉をそこなうという意味。それまでは疑問も持たなかったが、たしかにこの犯罪は単に職を汚すというだけでは軽すぎる。

 ちょっと古めかしい言葉だが、『賭博及び富籤に関する罪』というのがあった。これは新法では『富くじ』とかな書きになっている。字がなければこのようにかなでいいと思う。『抽籤』を『抽選』と書くのはおかしい。もともと『籤』はくじ、『抽』はひくという意味。『籤』が当用漢字から洩れたので『選』を使ったのだろうが『選をひく』では意味をなさない。

 次に『名誉毀損の罪』。これは新法でもちゃんとこの字を使っている。ところが新聞によってはなぜだか『棄損』と書く。これも『毀(こぼ)つ』と『棄(す)てる』とでは意味が違う。

 『証拠湮滅罪』『騒擾罪』は、それぞれ『証拠隠滅罪』『騒乱罪』になってしまった。原義は少し違うが、このあたりは許容範囲と思う。

 法律用語でいちばん抵抗があるのは『濫用』を『乱用』と書き替えるもの。『乱(みだ)して用いる』よりも『濫(みだ)りに用いる』という方が正確にニュアンスが伝わっていると思うが、もう気にしない人のほうが多いかもしれない。言葉は生き物だから仕方がないが、ちょっと悲しい。

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2006年5月 5日 (金)

かなづかい

 今日は『かなづかい』の話。

 さすがにパソコンにも慣れてきたが、ローマ字変換で入力するときによく迷うことがある。いちばん迷うのは”zi”(じ)と”di”(ぢ)、”zu”(ず)と”du”(づ)の使い分けで、これは結構難しい。

 戦後の『現代かなづかい』は、一音一字の表音主義を採った。これによって、原則として『じ』『ず』に統一することになったが、『ぢ』『づ』を使う例外もたくさん残してしまった。 しかもこの例外のさらに例外もあって、話はややこしい。

 まずこの基本原則は、  

 (1)原則 『じ』『ず』に統一して、『ぢ』『づ』は使わない。
 (2)例外として『ぢ』『づ』を使うもの
   ①二語の連合によって生じた『ぢ』『づ』
   ②同音の連呼によって生じた『ぢ』『づ』

 (2) ①の例は『鼻血』『三日月』などが当てはまる。両語とも鼻と血、三日と月の二語を連ねてできた熟語だから『はなぢ』『みかづき』と書く。入れ知恵(いれぢえ)馬鹿力(ばかぢから)手綱(たづな)手近(てぢか)なども同じ。これは分かりやすい。

 ところが、すべてがそうではなくて例外のまた例外がある。たとえば稲妻(いなずま)家路(いえじ)世界中(せかいじゅう)なんかはみんなそうだ。こうなると基準そのものが分かりにくくて、結局は一つずつ覚えるしかない。

 次に(2)②の同音の連呼によって生じる『ぢ』『づ』の場合の例は、『ちぢむ』『つづく』『つれづれ』『つくづく』など。しかし『いちじるしい』『いちじく』はもともと『じ』なので、同音連呼であっても『ぢ』としないらしい。

 やっぱり、いちばん難しいのは(1)と(2)①の使い分け。固有名詞は特に厄介で、明治(めいじ)は(1)により『じ』。ところが島津(しまづ)は(2)①により『づ』。どうして違うのかと子供に訊ねられても答えようがない。

 こんなこと知ってましたか? 『地面』『地主』というときになぜ『じ』とふりがなをつけるのか。(1)の原則によって『ぢ』が『じ』になったという答えは不正解。辞書を調べて下さい。この『地』という字の読みは『ち』と『じ』があって、地面というのは『ち』が濁ったものではなく元々『じ』だった。だからこの法則とは無関係。

 ウ~ン 日本語は難しい(≧∇≦)

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2006年4月15日 (土)

アホとバカ

 『全国アホバカ文化考』(松本修・新潮社)という奇妙な本がある。

 著者は『探偵ナイトスクープ』のプロデューサー。この関西のお笑い番組で、アホ(関西)のバカ(関東)の境界線がどこにあるかを調べたのが話の始まり。つまらない本かと思いきや、なかなか文化論としても奥深い。

 ちなみにウチでは、東京育ちの妻はバカには免疫があるが、アホと言われると傷つくらしい。アホバカ応酬の夫婦喧嘩は、異文化の壁との戦いでもある。

 番組では、北野誠探偵局員が東京駅から新幹線に乗ってアホバカ分布を実地調査する。東京はバカ、静岡もバカ、ところが次の名古屋でいきなりタワケが現れる。岐阜もタワケで、米原がアホ。そして調べてみたらアホバカ境界線は岐阜県関ヶ原町だったというのが番組での結論。

 ところが話はここで終わらない。続いて、番組スタッフが「アホ」「バカ」「ダラ」「ハンカクサイ」「アンゴー」「ダラズ」「フラフージ」など全国の罵倒語を集め始める。そして、この分布図は、みごとに柳田國男の「蝸牛考」と一致する。蝸牛(=カタツムリ)の呼び名は、近畿では「デンデンムシ」だが、その外側には「マイマイ」、そしてそれ以遠には「カタツムリ」「ツブリ」「ナメグジ」圏が広がっている。同じように、言葉は京都を中心にした同心円状に分布するというのが「方言周圏論」である。

 番組は、罵倒語の全国調査を敢行する。それを日本地図に落とすと、多くの罵倒語が近畿を挟んでに東西に分布していて、その最遠部として「本地なし系」の言葉が東北(「ホデナシ」など)と鹿児島(「ホがない」など)に残っていることを突きとめる。鎌倉時代に京都で使われた「本地なし」が遥かな旅をして、日本列島の両端にまで押しやられたのだ。この話は日本方言研究会にも報告され、その年のテレビ関係の賞を総ナメにしたらしい。

 そういえば、松本清張の『砂の器』でも、東北弁が出雲地方の一部に残っているという話が事件のカギだった。

 それにしてもアホ・バカもここまで極めるとスゴイ! 暇つぶしには面白い本です。

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2006年3月19日 (日)

昔の美人

 『美人』というのは、時代とともに変わってきているらしい。

 歴史の教科書で江戸時代の浮世絵を見たときに、どこが美人画なのかと首を傾げた。かなりデフォルメした描き方をされているが、それにしても現代の美人とはほど遠い。日本では昔から『お多福顔』が美人とされていて、その基準の変化が起こったのは18世紀以降のことだという。だから200年くらい前までは、山田邦子みたいな顔が典型的な美人顔だったのだ。

 今の日本の若いモデルは、一様に長身で顔が小さい。欧米の価値観がそのまま持ち込まれたのだと思うが、あまりにも痩せすぎていて、ボクなんかはあまり魅力を感じない。

 クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と その時代を代表する美人たちも、今とはモノサシが違うから、タイムマシンで拝みに行ってもガッカリして帰ってくることになるかもしれない。

 ミャンマーの難民キャンプにカレニー族という人たちがいて、その女性たちは首に真鍮の輪を填(は)めている。彼らの美人の条件は首が長いことで、女性たちは、真鍮の重さで肩の骨を下げて首を長くするらしい。

 また、現在は禁止されたが、戦前まで中国には『纏足(てんそく)』という奇習が残っていた。古来から足の小さい女性が好まれて、女の子はみんな足の成長を妨げるために布で縛って特殊な靴を履かされた。

 優生学の立場からすると、美人には男が群がるから子孫を残しやすいはずだ。そして、劣性種は自然淘汰され、何代、何十代か先には、優性種の美人ばかりが生き残る。でも、中国女性の足は小さくならず、カレニー族の首は長くならなかった。また、日本女性はお多福顔ばかりではないし、洋の東西を問わず、時代が下るにつれて女性の顔立ちが美しくなってきているという話は聞かない。結局のところ、美人の概念は時代によって変わるし、人間の好みも多様だから、劣性種も生き残ることになる。

 昔から「蓼(たで)食う虫も好き好き」というけれど、この複雑な嗜好が進化を阻害したのかもしれない。

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2006年3月10日 (金)

アンコール

 昨夜、ブラームスを聴いてきた。子供たちにも、たまには本物の音楽に触れさせたいという妻の提案で、家族4人で、朝日放送の『ザ・シンフォニーホール』まで足を運んできたのだ。クラシック音楽なんかおよそ縁のないボクには、珍しいことである。

 開演を待つ観客たちが談笑するホワイエを通り抜けてホールに入ると、正面にパイプオルガンが鎮座している。そして、クラシックホール独特の高い天井と客席の急勾配に圧倒される。

 平日で場所柄もあってか、勤め帰りのカップルが大半で、子供連れは少ない。待つことしばし。オーケストラのメンバーが舞台に上がってきて、思い思いの音合わせが始まる。最後に指揮者が颯爽と登場しておもむろにタクトを振り上げると、ホールは水を打ったように静まり返る。この瞬間がいい。そして、演奏が始まる。しばらくは退屈そうに動き回っていた次女が急に大人しくなったので、ふと横を見たらスーと寝息が洩れていた。思わず妻と顔を見合わせた。まだ、ちょっと無理だったかもしれない。それでも、子供の頃にこうした雰囲気を味わったという記憶が、将来頭の隅に少しでも残ればそれでいいと親は自己満足している。

 予定の最終曲が終わって、指揮者は一礼して舞台から去る。しかし、なおも聴衆からは怒涛のような拍手が鳴り止まない。アンコールに応えて、指揮者は再び壇上に現れてタクトを持つ。曲名はよく分からないが、どこかで聴いたようなメリハリのハッキリした協奏曲だろうか。

 最後の拍手で、子供たちも目を覚ましていた。ホールを出るときに、次女に「どうだった?」と尋ねたら、「心に響く音楽だったよ。」と予期せぬ一人前の答え。ホントかなぁ・・ ずっと寝てたクセに・・ 耳に響く拍手だったような気がするけど・・

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2006年3月 1日 (水)

辞任ということ

 堀江メール問題で、永田議員が陳謝した。しかし、昨日の会見内容はあまりにもお粗末で、バカバカしさを通り越して悲しくなってしまった。

 毎度思うことだが、どうしてこんな低次元の問題に国会の貴重な時間を費やすのだろうか。税制、外交、年金、少子化対策、金融政策 等々 国政の場で議論すべき重要課題はヤマほどある。3千万円の送金問題がどうでもいいとは言わないが、その程度の話は特別委員会にでも任せておいて、予算委員会や本会議はわき道にそれずに本筋の議論を深めるべきではなかろうか。それにしても、永田議員は1週間も入院して何をしていたのか。民主党内のゴタゴタ解決の時間稼ぎのために、無理やり病院に幽閉されたと思われても仕方がない。

 今朝の新聞を読んでいると、『進退』とか『辞任』とかいう活字があちこちに見られる。当の永田議員だけでなく、前原代表や幹事長、国対委員長の責任を問う声もある。

 企業が不祥事を起こしたときに、トップが引責辞任することがよくある。でも、辞めたらそれで済むという考え方には、ボクは同調しない。職を辞するというのは、場合によっては敵前逃亡になる。非常時に本人がいきなり辞めても混乱が深まるだけで、事態の収拾には何の役にも立たない。真相解明や再発防止についてキッチリとした道筋をつけてから自らの判断で身を引くというのが、大人の責任のとり方だろう。少なくとも、民主党幹部は今辞めるべきではない。

 そういう意味では、尼崎で脱線事故を起こしたJR西日本の垣内社長の態度はマトモだと思う。やや内向きの性格が災いしてマスコミ対応などで損をしているが、被害者補償と企業風土改革を優先課題にあげて、これにメドがつくまで辞任しなかった。さらに、この2月で社長を退任したものの、犠牲者遺族との補償交渉のために取締役に留まるらしい。責任を放棄せず、針の筵(むしろ)に座り続けて責任をまっとうすることこそ、トップの使命だと思う。

 引責辞任という考え方は、元を辿(たど)れば『斬首』より『切腹』を名誉とする日本人の精神構造に由来する。古来から日本人は、自らの命や職を捨ててその罪を贖(あがな)ってきた。しかし、生き永らえて責任を果たすことは、死ぬよりもずっと辛く難しい。

 太平洋戦争に最後まで反対し、終戦の日に自決した阿南陸軍大臣の遺言には「一死、大罪を謝す」とある。こういう感性が当時の日本人の琴線に響いたのかもしれない。

 ちょっと違うかもしれないが、幕末から明治初頭に活躍した旧幕臣で榎本武揚という人物がいた。函館五稜郭で降伏した後、明治新政府で重用されてその才能を如何なく発揮した。「二君に見(まみ)えず」とか「生き恥を晒(さら)す」と言って、その生き方を咎(とが)める人もいるが、ボクは過ちを改めて生きて責任を果たすというのも一つの立派な人生だと思うのである。

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2006年2月18日 (土)

カタカナ礼賛

 カタカナや英語だとカッコイイと思う人たちがいる。

 1年ほど前に愛知県で、中部国際空港の開港に合わせて、町村合併で『南セントレア市』という名前の自治体を作るという構想があった。結局は住民投票で反対票が多く、あえなく白紙撤回されたが、この住民の判断は賢明だったと思う。

 正月に年賀状を見ていたら、マンションの名前でも大仰なものが多い。『タワー』や『パーク』あたりはまだいいとして、『レジデンス』(大邸宅)『パレス』(宮殿)など、外人が聞いたらどんな大豪邸かと思う名前も多い。やっぱり『日の出荘』では売れないのだろうか。

 1ヶ月ほど前の朝日新聞に、最近の私立中・高で、カタカナ名のコース名が増えているという話が紹介されている。かっては『普通』『特進』『国際』の漢字2文字が大半だったが、最近はカタカナのコース名をつけるのが流行りらしい。

 大阪の明星高校は、『ルミエール』(光)『エスポワール』(希望)というフランス語のコース名をつけた。レストランの名前みたいで何を教えるのかよく分からないが、学校側としては、少子化時代に生き残りを賭けて、まずはお洒落な名前で生徒や保護者を引きつけたいという思惑があるようだ。

 京都でも、東山高は従来の『普通』『特』の2コースを、文系の『プラトン』、理系の『パスカル』に分けて、その上に『スーペリア』(上級)、『クレセント』(三日月)を置いたら、翌年から受験生が3割近く増えたという。

 当の学校は、教育改革の一環と説明しているが、看板だけ代えても中身を改革しないと意味がない。同じように『スープリーム』(至高)『エクシード』(卓越)『チャレンジ』(挑戦)などのコースを作った京都外大西高には、「どっちの偏差値が上か」という問い合わせが絶えないという。

 どうやら『普通』という名前が嫌われたようだが、これだと今度は、コース間の違いが分かりにくい。意味不明の横文字なら差別意識を持たないですむだろうが、肝心の教える中身だけは明確にして欲しい。

 そういえば、ウナ重の松・梅・竹を決めるとき、他人(ひと)と一緒だとミエがあって、「竹!」とは言いにくい。

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2006年2月17日 (金)

元号の話

 さすがにもう、『平成』という元号にも慣れてきた。しかし、昭和天皇が崩御された直後に、当時の小渕官房長官が『平成』と書いた紙を持って記者会見したときは、何と奇妙な言葉だろうと思った。

 物心ついたときから元号は昭和だったから、昭和という元号には違和感もないし、好きも嫌いもなかった。しかし、この平成という元号は唐突で、なかなか馴染めず、色々と考えさせられた。

 小渕さんは、出典は史記と書経だと説明していたが、よほど漢籍に通じた人以外は縁のない言葉だ。また、このとき最後まで候補に残ったのは、『平成』のほか『正化』と『修文』。いずれも、我々にはまったく馴染みのない言葉である。元号の必要性の話は別として、ボクがいちばん気になったのは、なぜ自分の国の元号を決めるのに異国の書物から探してこないとならないのかということだった。元号というのは、そうやって勿体ぶって名づけるものといえばそれまでだが、記紀や万葉集にも親しみを持てる美しい大和言葉はいくらでもあるはずだ。ちょうどその頃、雑誌の投稿欄で、どこかの大学の先生が、この話を例にとって日本人に染みついた中華崇拝思想を批判していたが、ボクもそれに近い気持ちを持っている。

 おそらく平成の次の元号も、すでに候補が準備されていることと思う。不謹慎だから、あまり表立って議論はされないようだが、女帝論議だけでなく、この元号制度も、存否を含めて真剣に考えてみたらどうだろう。ボクは元号を廃止しろとまでは言わないが、いつまでも中国の古典から引っ張ってくるのだけは反対である。

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2006年1月21日 (土)

苗字の話

 昨年、マンションの構造設計問題で『姉歯』という変わった苗字が有名になった。いったいどこの出身の人なのだろうと不思議だったが、どこかで見たことのある名前だという気がしていた。

 そうしたら、宮城県北部の金成(かんなり)町に『姉歯の松』という古跡があると、他人(ひと)から教えられた。そんなトコ 行ったこともないのに、どうして頭に残っていたのか不思議だが、『伊勢物語』や『奥の細道』にも出てくる由緒正しい場所らしい。

 ということで、多分 彼もルーツは宮城県だろう。

 苗字から、こんな風に出身地の見当がつくことがある。

 若い頃、ひょんなことから、山梨県北部のあるゴルフ場の会員名簿を作る仕事を手伝ったことがあった。車で新宿から1時間半くらいの場所だから東京の人も多いが、半数は地元のメンバーである。そして、その地元のメンバーをアイウエオ順に並べてみたら、苗字にかなりの偏(かたよ)りがあることに気がついた。もう今では かなり記憶が怪しいが、雨宮、深沢、中込、小林、望月などの苗字が多かったと思う。そして、その後、こうした苗字の人に出くわした時に「山梨出身ですか?」と訊ねたら、ほぼ当たっていた。中込なんていう苗字は関西ではあまりお目にかからないが、数年前までタイガースにいた中込伸投手も、たしか甲府工出身だったはずだ。

 その山梨で、ボクがいちばん変わった苗字だと思ったのは『薬袋』。これで『みない』と読む。

 これには由来があって、戦国時代に、武田信玄が狩りの途中で薬袋を落としてしまった。これを拾って届けた百姓に、信玄が「お前はこの中を見たか?」と訊ねると、「恐れ多いこと。見ないです」と答えたらしい。そこで、信玄は、その百姓に『薬袋』(みない)という姓を与えたという。今でも甲府あたりではタマにある苗字で、子どもでも読めますと、タクシーの運転手さんが自慢げに言っていた。ホントかなー・・

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2006年1月 3日 (火)

年賀状雑考

 昨日 家で年賀状を見ていたら、9割近くがパソコンで作成されたものだった。一時流行ったフォトカードも減って、デジカメで撮った写真をパソコンで編集して印刷するという方式に取って代わられている。そういえば、近所の印刷屋さんも注文が減ったと嘆いていた。これでは商売上がったりだろうと、同情もしたくなる。

 仔細に見たら、表面の宛名書きも、大半がパソコン印刷だ。カルタのように並べてみたら、多少の字体の違いはあるものの、ほとんど一緒で区別がつかない。裏面はパソコン製でもそれなりの個性があって楽しめるが、この表書きはDMみたいでつまらない。

 しかし、ボクの年賀状も両面ともパソコン印刷だから、他人(ひと)のことをいえた義理ではない。それでも数年前までは、せめて宛名書きだけでもと思って頑張っていたが、ついにあきらめた。時間がないこともあるが、何でもパソコン入力するようになってしまって、いわゆる『手書き』が極端に遅くなってしまったからである。

 でも、頂いた手書きの年賀状を読むのは楽しい。ボクは、他人の筆跡を読み取ることが得意で、長い間会っていない人でも、昔 一緒に仕事をした仲間などの筆跡はすぐ分かる。もちろん奥さんに代筆させているのも一目瞭然である。しかし、代筆は止めたほうがいいと思う。

 今はどうだか知らないが、ボクが昔勤めていた頃、年末になると、役員の年賀状を書くのが秘書の女性たちの大変な作業だった。もちろん何百枚という宛名書きはすべて秘書の仕事で、役員は彼女たちが書いた年賀状をチェックするだけである。

 あるとき、高名な弁護士事務所に年始の挨拶に伺ったら、「キミの会社は専務も常務も同じ字だね。」と苦笑された。そして、その机の上には、まったく同じ筆跡の年賀状が2枚並んでいた。たしかに、こんな年賀状なら出す意味がない。

 最近は、残念なことに肉筆に接することが少なくなった。それでも、添え書きの短い文章を見て、間違いなく本人だと確信することがある。いくら下手な字でも、その部分だけに生身の人間の血が通っているように思えてホッと安心するのは、アナログ人間の証拠だろうか。

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2005年12月27日 (火)

制服はどうも・・・

 だいぶ前のことだが、ゴルフ場で頭を剃り上げた人たちを見た。眼光も鋭く、首には金のペンダントが光っている。さてはそのスジの人たちかと思って、知り合いのフロント男性に訊ねたら、「お坊さんのコンペですよ。今日は友引だから、葬儀はないのです。」と説明されて合点がいった。

 僧職は、法衣を脱いでも頭でそれと分かる(最近はそうでもないが)が、警察官や消防士、デパートや銀行の女性などは、私服姿だと、どこの誰やら分からない。いつだったか、朝早く病院の玄関で、Gパン姿の若者と一緒になったことがある。後でその若者が白衣姿で診察室に現れたのに驚いたが、白衣を身につけると、何となくそれらしく見えるから不思議なものだ。

 日本人は見た目で判断し、体裁を気にする国民だ。そして、制服には一種の安心感や信頼感がある。職業によっては、制服や作業服が必要な場合があるだろう。でもボクは、学生の制服だけは好きになれない。何より、制服は大切な個性を殺してしまう。偏見かもしれないが、制服の多くはどう見ても時代錯誤なファッションで、似合う子は少ない。これから思い思いの方向に伸びていこうとする若い芽を、生垣を刈り揃えるように画一的な枠に閉じ込めるのは止めたほうがいい。太った子、小柄な子、それぞれに向いた服装がある。パンパンの詰襟やダブダブのセーラー服に出くわすと、もう少しこの子たちに似合う格好があるはずだと思って、いつも可哀相になる。

 私服だと親が経済的に大変だというのも分からなくはない。しかし、いわゆる名門私学などは、その制服自体がブランドになっている。そして、その制服姿の子供を連れ歩くのが親の見栄で、親のほうが制服廃止に反対しているらしい。実に馬鹿げたことで、制服に頼るのは中身のない証拠だ。それに、制服を着せておけば悪いことはしないというのは幻想で、ボクはむしろ、青少年の健全な個性の発育が、制服という仮面に埋没してしまうことを危惧する。ちょっと考えすぎだろうか。

 ボクは、大阪の公立中学、公立高校出身で、どちらも詰襟の制服だった。そして、これがイヤで仕方がなかった。だから、せめて自分の子供にはそんな思いをさせたくないと思っているが、当人たちの気持ちはまだ分からない。

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2005年12月 9日 (金)

紅白歌合戦

 今年の『NHK紅白歌合戦』の出場歌手が発表された。ボクなんかは、半分くらいは聞いたこともない名前だ。しかも、Def Tech、T.M..Revolution、BoA、w-inds と横文字が続くとまったくのお手上げで、グループか個人か、男か女かさえ判別できない。

 ボクたちが子供の頃は、『紅白』は大晦日の一大イベントだった。あの時代は、お茶の間のテレビの前に家族の団欒があった。ビデオもないから、家族全員でテレビを囲んで、その一回限りの映像をシッカリと瞼に焼きつけた。そして、人気歌手たちを一堂に集めた紅白は、歌謡曲全盛時代の最高の音楽番組だった。『明星』や『平凡』などのグラビア雑誌には紅白の特集が組まれ、出場全曲の歌詞はもちろんのこと、ご丁寧に紅組・白組の採点表までついていた。当時は今のように歌う順番が予告されていなかったから、最初から最後までテレビの前から動けない。おせち料理の半端モノをつまみながら、この日だけは特別に夜更かしも許されて、子供には楽しい大晦日の夜だった。

 しかし、その歌謡曲が往時の輝きを失い、音楽もテレビで聴くものではなくなった今、紅白も、ごく普通の番組になってしまった。

 そして、今年の紅白は、『スキウタ』アンケートを番組改革の目玉にと目論(もくろ)んだ。何かとNHKに批判が多いなかで、視聴者の意見を取り入れて出場歌手を選ぼうという試みだったらしいが、上位に入っていたはずの橋幸夫が選に洩れたとか、100位にも入っていない歌手が選ばれているとか、いろいろと不透明さが週刊誌で指摘されている。

 しかし、もう紅白だけを特別視する時代でもないから、あまり騒ぎ立てるのもどうかと思う。昔みたいに、紅白に出たというだけでギャラが跳ね上がることもないだろう。宇多田ヒカルやサザン、松田聖子のような大物には断られ、年寄りが見たい昔の歌手は落選し・・・ 世代を越えて支持される歌手などいないのだから、総花的な編成にすると焦点がボケてしまうのだ。それなら、いっそのこと若者はあきらめて、中高年以上に的を絞ったナツメロ番組にしたらどうだろう。いったい紅白はこの先どこに行く・・ たかが紅白、されど紅白である。

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2005年12月 5日 (月)

「上様」の今昔

 仕事柄、他人(ひと)の領収書を見ることが多い。宛名によく『上様』と書いてあるが、この読み方を知っていますか? 10人に訊ねたら、多分9人までが『ウエサマ』と読むだろう。でも、正しいのは『ジョウサマ』で、どの辞書を引いてもチャンとそう書いてある。

 ボクは、昔からこの読み方を知っている。たまに、自分で領収書をもらうとき、宛名を聞かれたら、以前は「『ジョウサマ』でお願いします。」(税務上は問題があるのだが、ついつい面倒くさいので・・・)と言っていた。しかし、絶対と言っていいほど通じない。「えーと、『城さま』でよろしいんですか?」「いや、『城』じゃなくて『上』です。」「それじゃ『ウエサマ』ですね。」「いや、だから『ジョウサマ』です。」という訳の分からない説明に疲れてしまう。

 世の中は多数派が強いから、ひとりで意気がってもしようがない。最近は、さすがに面倒くさくなって、自分でも『ウエサマ』で通している。

 ちなみに『ウエサマ』とか『オカミ』というのは、かつては天皇や将軍など天下人のことで、名前を言うのは畏れ多いから、代わりに『ウエサマ』と呼んだのだ。それじゃ領収書の『上様』はと言うと、もともとは『○○上様』というように名前の下につけた尊称だったのが、いつの間にか名前が外れて『上様』だけで一人歩きし始めたものらしい。そして、この『上様』が重宝されるのは、そう書いておけばその領収書が誰の経費にでもできるからだ。もらう本人も実名を言いたくないのは、「経費で落とす」胸の内を見透かされることのの後ろめたさがあるのかもしれない。

 『昔の上様』は、誰でも本当の名前は知っているが、口に出すのは憚られるほどの高貴な人。『今の上様』は、あとで誰になるか分からないので、とりあえず誤魔化しておく仮の名前。同じ『上様』でも、ずいぶん様変わりしたものである。

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2005年12月 3日 (土)

四字熟語

 琴欧州の大関昇進が決まった。

 来日3年のスピード出世で、愛嬌のある笑顔には、まだ22歳の幼なさが残っている。ヨーロッパ出身の初の大関らしいが、この先、基礎体力に優れたアフリカや中南米あたりの力士が現れるかもしれない。でも、日本の国技としては、それもちょっと寂しい。

 伝達式で何を言うのかと思って、たどたどしい口上を聞いていたが、一時期流行した四字熟語は使わなかった。でも、ボクはそのほうがいいと思う。格式にとらわれず、自分の素直な気持ちを自分の言葉で表現することが大切である。

 かって貴乃花は、大関に推挙されたとき「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で相撲道に精進・・・」と口上し、横綱になるときには「横綱の名を汚さぬよう・・・ 相撲道に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫きます」と言った。 このときは、ニュースを見ながら慌てて辞書を引いたが、それまで聞いたことも見たこともない言葉だった。

 その後、弟より一足遅れた若乃花は、大関になるとき「一意専心の気持ちを忘れず・・・」と口上を述べる。これぐらいまでは、何となく意味が分かった。ところが、横綱に推挙されたときは、今度は遅れを取り戻そうと張り切って「横綱として堅忍不抜(けんにんふばつ)の精神で・・・」と、どこからか難しい言葉を探してきた。しかし、覚えきれずに「けんしんふばつ」と誤読してしまうが、ボクは誤読だということすら分からなかった。

 いったい誰がこんな難しい熟語を教えたのだろう。もう少し、自分の身の丈に合った言葉で分かりやすい決意表明をさせたらいいのにと、そのときは当人たちが少し可哀相になった。

 子供の笑い話だが、四字熟語で、『○肉○食』の○に適当な漢字を入れて四字熟語を完成させる問題があった。答えはもちろん『弱肉強食』だが、『焼肉定食』と書いた子が何人かいて、これも間違いではないので先生たちも困ったらしい。ボクはその話が好きで、相撲の世界でも、もうちょっと親しみを感じる言葉を使ったらどうかといつも思っている。

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2005年11月23日 (水)

姓名の逆転

 日本人の姓名をローマ字で表記する場合、姓と名を逆転させる。ボクたちの世代は、中学校で英語を習ったときからそう教えられていたし、会社で支給される自分の名刺にもそのように表記されていた。だから、今まであまり疑問にも思わなかったが、最近、これを元に戻すべきだという意見をよく聞く。

 姓・名の順に表記するのは東アジアに多いが、中国人や韓国人の名前は、英語の新聞や雑誌でも、姓・名の順に書かれている。先日、釜山で開かれたAPEC首脳会議のニュースを見ていたら、中国の国家首席は Hu Jintao (胡錦濤)、韓国の大統領は Roh Moo Hyun (ノ・ムヒョン=慮武鉉)と表記されているのに、日本の首相だけは Junichiro Koizumi (純一郎小泉)とひっくり返っている。「人名は、その国で一般に呼ばれている形式で記す」という国際ルールからすると、これは極めて非礼なことだが、実は当の日本政府が「自主的に逆転表記」しているので、文句は言えない。

 この習慣は、西洋人から押しつけられたのではなく、明治の欧化主義時代に、欧米の人名の形式に合わせて、日本人が自らすすんで始めたものらしい。

 パスポートの表記は10年以上前に、姓・名順表記に改められたし、今では大半の中学の英語教科書も姓・名順に変更されている。先日、ある文化人が、歴史上の人物「源頼朝」みたいに、「の」で繋がっている名前は逆転させたらどうなるのかと、真面目な顔で言っていたが、元に戻せばそんなバカなことも考えずにすむはずだ。

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2005年11月16日 (水)

同音異義語

 ときどき出る会議で、「キサダ」と「キホド」という言葉が飛び交っている。何のことかと思っていたら、「規定」と「規程」のことだった。紛らわしいので区別して使っているらしいが、どう違うのかいまだによく分からない。

 法律を読むときに、「者」はたいてい「シャ」と発音する。これは「物」との混同を防ぐためで、「○○するシャは・・・」というように使う。「私立」と「市立」を「ワタクシリツ」と「イチリツ」と言うようなものだが、一般の人にはちょっと分かりにくい。

 以前にボクが勤めていた会社は酒の会社だったので、「酒類」という言葉をよく使う。そしてこれを普通に発音すると「種類」と区別がつかないため、「サケルイ」「タネルイ」というように使い分ける。しかし、これこそ社内用語で、会社の外で「タネルイ」なんて言っても怪訝な顔をされるだけだ。

 ボクは、ワープロソフトは”Word”を使っているが、漢字変換するときに、奇妙な同音異義語が先に出てきて戸惑うことがある。もう少し頻繁に使う言葉から順番に出てくるように改善できないものだろうか。

 2ヶ月ほど前に、日本漢字能力検定協会が、ワープロ変換ミスの年間優秀作品を公表していた。最優秀賞は、念願の海外移住を実現させた友人からのメールに記されていた「今年から貝が胃に棲み始めました」(今年から海外に住み始めました)だとか。それ以外でも、「寄生虫で重体だ」(規制中で渋滞だ)、「500円で親使わないと」(500円でおやつ買わないと)、「同棲しよう!…でも家なかった」(同棲しよう!…でも言えなかった)、「うちの子は時価千円でした」(うちの子は耳下腺炎でした)など、機械は人間がとても思いつかない誤りをしてくれて楽しい。

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2005年11月13日 (日)

「君」の凋落

 小学校の先生は、ボクたち児童の名前を呼ぶとき、男の子は「○○君」、女の子は「○○さん」と呼んでいた。ところが、中学1年の担任の先生は、男女を区別せず「○○さん」と呼ぶ人だった。「君」と呼ばれるのに慣れていたボクは、その時、何かくすぐったいような奇妙な感じがしたことを覚えている。その先生がどういう考えでそうしていたのかは分からないが、ボクのほうは、何となく「君」より「さん」のほうが上だと思っていて、中学生になって少し大人扱いされるようになったと感じたのだろう。

 そして今、この年になって、面と向かって相手のことを呼ぶとき、たいていの場合は「さん」である。そして、「君」というのは、自分と同等か少し下だが呼び捨てにするほど親しくはない、というような場合だろうか。

 しかし、漢字の故郷である中国では、「君」には尊敬の意味が含まれている。また日本でも、少なくとも明治の頃までは「君」は尊称で、先輩や身分が上の相手に対しても使っていた。明治23年に帝国議会が開設された時、議員間で「君づけ」で呼ぶことになったのは、それが最高の尊称だったからだ。その名残りなのか、いまだに国会の質疑などでは、「内閣総理大臣○○君」というように使われている。

 また、慶應大学では、「先生」というのは福沢諭吉翁だけで、他の教職員はすべて「君」で呼ぶならわしがあるとか。教務の掲示板などにも「○○君休講」というように書かれているらしいが、これも決して蔑んでいるわけではない。

 そうはいっても、「君」が敬語として残っているのは一部の世界だけで、世間一般ではすっかり凋落してしまった。漢詩などには頻繁に使われていて、親愛の情に溢れたなかなかいい言葉だと思うが、ふだん尊称として使うには、ちょっと誤解を招くかもしれない。

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2005年11月 6日 (日)

サザエさん

 次女が、テレビの『サザエさん』を見ている。

 その横顔を見ながら、いったいどんな気持ちで見ているのだろうと、ふと考えた。サザエさんは、戦後まもなく新聞の4コマ漫画で連載が始まり、もうすでに半世紀を数える。スタート当初は、戦後の新しい家族像を先取りしていたのかもしれないが、さすがにもう今の時代には合わない。また、三世代同居の大家族とか、昔風の縁側に廊下がある間取りなんかも、近頃の子どもには分かりにくい。この何十年かの間に『家族』というものがどんどん変貌していく一方で、まったく年をとらない登場人物だけが時代に置き去りにされてしまった感がある。

 時代を先読みしていたと思うのは、妻の実家に同居するという生活スタイルで、『マスオさん現象』という言葉まで作りだした。作者の真意は分からないが、まだ男中心の考え方が色濃く残っていた時代に、なかなかの先見性を感じる。

 逆に、分かりにくいのは、サザエとカツオ、ワカメが年の離れた兄弟だということ。昔は子沢山で、忘れた頃に子どもが生まれるなんていうこともよくあった。ところが、今は一人っ子が多く、カツオとワカメは、サザエと親子だと思っている子どもも多いのではないだろうか。

 核家族化、少子高齢化、家庭内暴力、老人介護など、現代社会のさまざまな問題に、この漫画はまったく無縁である。およそピントの外れたホノボノとした平和なこの家庭に、今の子どもたちは、いったい何を見てとるのだろうか。

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2005年10月30日 (日)

長幼の序

 ホワイトソックスの「シャンパン掛け」を見ていたら、興奮した選手たちが監督をファーストネームで呼んでいる。それがとても自然だった。いっぽう、1ヶ月ほど前のタイガース祝勝会の乾杯の前に、岡田監督は、ヤジを飛ばした選手に向かって、「誰や、呼び捨てにしたな!」と睨んでいた。そこには、日米の文化の違いが垣間見える。

 欧米人、とりわけアメリカ人は、あまり「長幼の序」ということを意識しない。年下が年上に敬意を表することはあっても、日本のように年齢が上か下かの違いを重んじる習慣はない。親しい仲なら、20歳の若者が70歳の老人を「ジョージ」と呼び捨てにしても構わない。でも日本だと、どんなに親しくても、若いおニイちゃんが自分の親くらいの年格好のオヤジに向かって、「純一郎!メシでもどう?」なんて言ったら、礼儀知らずだと烙印を押されて、まともに相手にされなくなる。

 そういえば学生の頃、英語の時間に、”brother”という言葉をどう訳すか悩んだことがあった。日本語にするためには、「兄」か「弟」かを決めなければならないが、文脈から判断するのは結構難しい。アメリカ人は生まれたのが先か後かということを重要視しないから適当に使っているようだが、日本語だとそうはいかない。「おじさん」も、英語では”uncle”だが、漢字で書くと、父母の兄は「伯父」、弟は「叔父」の字を用いて区別する。

 日本でも、終身雇用や年功序列がだんだん崩れつつあるが、アメリカにはもともとそういう考え方がない。だから、年下の上司が年上の部下を叱り飛ばすなんてことも、お互い平気なのだ。我々の社会に根づいている「長幼の序」という儒教的価値観は、これから真の能力主義を推し進めていくうえで、妨げになることもあるかもしれない。両チームの祝勝会を見ていて、ふとそんなことを考えていた。

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2005年10月 5日 (水)

ポケモンの話

 ポケモン人気も、さすがに少し下火になってきた。ブームになった6、7年前、ボクは年甲斐もなく、子供と一緒にゲームボーイに熱中していた。発売日にトイザラスで並んでようやく手に入れたあのソフトも、今ではどこに行ったのか見当たらない。

 昨年、グァムで大型ショッピングセンターに行ったら、ポケモン関連のおもちゃが山積みされていて、現地の子供たちが群がっていた。まだまだ海外では、”Pokemon”として人気が衰えていないようだ。手にとって見ていたら、ポケモンキャラクターそれぞれの英訳も味があって面白い。あれっと思ったのは、地名の英訳で、シオンタウンは LAVENDER TOWN 、クチバシティは VERMILION CITY、グレン島は CINNABAR ISLAND となっていた。そのときは妙な訳語だなぁと思ったが、しばらく考えていて謎が解けた。シオン、クチバ、グレンはそれぞれ漢字で書くと、紫苑、朽葉、紅蓮ということで、それぞれの色を英訳しているのだ。日本ではカタカナで書いてあるので、意味など考えたこともなかったが、地名ひとつにしても、こんな隠し味がついていたとは・・・ 思わず唸ってしまった。

 また、深読みすると、ポケモン同士の勝ち負けも、中国の五行循環の思想に基づいている。たとえば、水ポケモンは火ポケモンには強い。火ポケモンは鋼(金)ポケモンに勝つ。草(木)ポケモンは土ポケモンを撃退する。 というように・・・

 ポケモンは、子供のおもちゃにしては完成度が高いと思うが、あまりそれを言い出すと、自分が一緒にのめりこんでいた言い訳に聞こえそうなので、今日はこれまで!

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2005年10月 2日 (日)

「ハイ 喜んで!」

 昨日の日経に、「気になる言葉づかい」という記事があった。

 その上位には、いわゆる「ファミレス言葉」が並んでいた。第1位は「○○でよろしかったでしょうか」、第2位は「○○円からお預かりします」、第4位は「○○のほう」・・・

 言葉は時代とともに変化する生き物だが、ハッキリ言ってどれも耳障りだ。しかも、若者が仲間ウチだけで使っているだけならまだ許せるが、こういう公的な接客用語として使うのは首を傾げたくなる。

 今でこそコチラも慣れてしまって、「また言ってるワ・・・」程度で済むけれど、最初の頃はすごく違和感があった。特に嫌いなのは、ランキング1位の「○○でよろしかったでしょうか」という婉曲過去形。何だか自分の間違いを念押しされているみたいで、非常に不愉快になる。それから、やたらと「○○のほう」と連発するのも情けない。「禁煙席のほうにご案内します。」くらいは許すとして、「メニューのほうをお下げします。」「ご飯のほうはお代わり自由になっております。」「こちらは取り皿のほうになっております。」と容赦なく攻め立てられるとイヤになってくる。

 この間入った居酒屋は、客が注文したら、店員が「ハイ、喜んで!」と大声で叫ぶ。体育会系のオーナーの方針なのだろうか。注文を取った店員が「ハイ、喜んで!」と言うと、他の店員も少し遅れてその言葉を繰り返す。最後は遥か彼方の厨房の奥からも声が聞こえてきて、店中に響き渡る。追加の枝豆一つ頼んでも同じで、知人は恐縮していた。遅れてきた友達がトイレの場所を聞いたら、何を思ったのかその店員が「ハイ、喜んで!」と言ったから、店中の客がコッチを向いて、彼はその輪唱の中で、恥ずかしそうにトイレに案内されていった。

 その店を出てからも、しばらくその声が耳から離れない。気分を変えようと2軒目に連れて行かれたバーの無愛想さが、何と心地よいこと。ホスピタリティ(訪問者を丁重にもてなすこと)とは何なのか、改めて考えさせられた。

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2005年9月27日 (火)

関西人

 先日、東京で知人と食事をしていたときのこと、アルコールが入って声が大きくなったのだろうか、店の主に「関西の方ですか?」 と聞かれた。「ハー、そうですが・・・」 と答えると、「ということは大阪ですね。」 と返ってくる。「ウン、でもどうしてですか?」 と訊ねたら、「だって、京都や神戸の方なら、『関西ですか?』 と聞いたら、『ハイ。でも京都(神戸)です。』 と言われます。ただ 『ハイ』 とだけ言うのはたいてい大阪の方です。」 とのこと。

 なるほど、同じ関西人でも、京都や神戸の人間は、大阪人と一緒にされたくないらしい。

 最近、旅行雑誌などで、京都・大阪・神戸をまとめて「三都」という言い方をすることがある。この3つの町は、お互いの自己主張がハッキリしていて独自の世界を持っている。京都はいうまでもなく歴史と文化の古都、神戸はお洒落で近代的な港町。関西経済の中心は大阪だが、京都や神戸はけっしてその大阪に謙(へりくだ)ることはない。

 いっぽう首都圏は、すべてにおいて東京が圧倒していて、横浜を除いては取り立てて個性がない。だから、関東の人には、この京阪神三都がお互いに張り合っている微妙な関係は分かり辛く、さきほどの居酒屋の店主は不思議に思ったのかもしれない。

 試しに京都の友達に聞いてみた。「大阪、嫌い?」、「ウン、好きやないナ・・・」京都人らしいまわりくどい言い方だ。神戸の知人に同じことを聞いても、あまりいい返事は戻ってこなかった。分かったよ・・・ それならコッチも覚悟がある。アイツらと一緒にされないように、これからは聞かれたら、「エエ関西です。大阪ですワ・・・」と一言断ることにしよう。

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2005年9月 6日 (火)

色鉛筆

 子供の頃、24色とか36色とかの色鉛筆セットを買ってもらった記憶があると思う。そのときに、つけられていた色の名前を覚えていますか? ボクが子供の頃は、桃色、山吹色、橙色、黄土色、群青色、鼠色 等々 和風の名前が多かった。日本に古くからある自然や動植物などから名づけられたもので、そこには日本人ならでは感性が込められている。

 ふだん目にしていても、何と言葉で表現したらいいのか分からない色もある。たとえば着物の色。染料は多種多様で、紺系でも、瓶覗(かめのぞき)、浅葱(あさぎ)、縹(はなだ)、藍(あい)、紺(こん)・・・こうした微妙な色合いの違いを意識して、名前で表現するということが、昔の日本人は得意だった。それがいつしか似た色を総称して呼ぶことが多くなり、異国から来たカタカナの色名にとって代わられてしまった。古来からの日本の文化を捨てて、豊かな感性までをも忘れ去ってしまったのだろうか。ボクは、子供たちにもこういう色彩感覚を教えてあげてほしいと思う。チャコールグレーよりも鈍色(にびいろ)、オリーブよりも鶯色(うぐいすいろ)といったほうが何となく趣(おもむき)深い。

 ふだんから、「日本人なんだから、和の色彩感覚を大切にしてほしい」と思っていた。そうしたら、最近、フェリシモという会社が『 500色の色鉛筆 』というのを販売していると人から教えられた。実物は見たことがないが、色見本と色の名前を見て、命名した人の感性の豊かさに驚嘆した。同じような柿色でも、「晩秋の柿の実」、「夏祭りのほおずき」、「夕暮れの彼岸花」、「ノルマンディの海に沈む夕日」、「博多の辛子明太子」・・・  半分お遊び的な要素もあるが、ロマンチックなネーミングに溢れていて眺めているだけでも楽しい。こういうのは、先に色があってそれに名前をつけるのだろうか。あるいは、その逆なのか・・・ 考えていたら目が冴えて眠れなくなる。秋の夜長にはまだ遠いけど・・・

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2005年8月20日 (土)

たそがれ清兵衛

 一昨年の夏、ホノルルからの帰りの飛行機で、真田広行・宮沢りえの「たそがれ清兵衛」を見た。日本の映画賞を総ナメにして、アカデミー賞候補にもなった山田洋次監督の作品である。

 「Twilight Samurai」というタイトルになっていて、日本語放送で英語の字幕がついていた。英語字幕付きの邦画を見たのは初めてで、映画そのものも面白かったが、字幕との比較もなかなか興味深かった。日本の侍(さむらい)文化を、英語圏の人たちに理解してもらうのは、相当の苦労があるだろう。単に直訳するのではなく、意味が伝わるようにと、随所の苦心の跡がうかがえた。

 ボクたちがふだん見ている洋画でも、日本語字幕を作るには同じような難しさがあるのだろう。ほとんど原語が聞き取れずに字幕ばっかり追っているボクのような人間と、字幕の要らない映画好きとでは、同じ映画を見ていても、理解度に大きな差があるはずだ。映画関係者によると、ロードショーの初日初回に来る客は、さすがにレベルが高く、反応が早いという。笑わせる場面でも、字幕が出る前に原語で聞いて大笑いしているらしい。

 そんなときに行くと肩身の狭い思いをしそうだから、映画は、ちょっと一段落して、観客も減ってきてからのんびりと見るに限る。でもそうすると、緊張感がなくなって、途中で眠ってしまったりして・・・

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2005年8月 6日 (土)

地名のアクセント

 東京で暮していた頃、地名の「渋谷」と人名の「渋谷」のアクセントが違うのが不思議だった。地名は「シブヤ」と平坦に発音するが、人名は「ブヤ」と第一音節を強く発音する。「上野(ウエノ)」や「蒲田(カマタ)」なんかもそうだ。この地名の平板アクセントは、北関東や東北南部の無アクセント地帯から東京に入ってきたらしい。東海道線の駅名も「品川」「横浜」から「小田原」までが平板アクセントで、「熱海」から起伏型に切り替わる。これが言語でいう東京圏だというのが、金田一春彦先生の説である。

 地元での発音と、NHKのアナウンサーの発音が違うので、地元の人が違和感を感じるという話はよく聞く。なかでも、名古屋の発音は有名で、知り合いの名古屋人は、上京の折に、「ゴヤからですか?」と聞かれたら、笑いながら「いーや ナゴからだワ。」と言い返すらしい。

 こういった固有名詞のアクセントを誰がどうやって決めるのか知らないが、それまであまりポピュラーでなかった地名を初めて電波にのせるときは、それなりの配慮が必要だ。倉本聡の『北の国から』で富良野という地名が全国区になったが、そのとき、ドラマで使われていた「フラノ」の発音が違うという話があった。この場合は報道と違ってドラマなのだから、やはり地元の発音を採るべきだろう。

 長野オリンピックのときも、「ナガノ」の発音でずいぶんモメた。まずNHKのアナウンサーの発音が地元と違うという話。それから、日本人にはあんまり関係ない話だが、外国での報道の際の発音。長野は、東京や大阪と違って外国では耳慣れない地名なので、それまで発音やアクセントが確立されていなかった。大半のメディアでは「NOG-gin-noh」と「ナ」に妙なアクセントのある発音で、それではあんまりだと地元が再三クレームをつけたが、結局、最後まで統一されないまま閉会式を迎えてしまった。

 大阪府に池田市というところがある。大阪では「ケダ」と「イ」を強く発音する。ボクもそう言うが、これは大阪弁だと思っていた。ところが最近、ラジオの交通情報を聞いていたら、アナウンサーが「阪神高速 ケダで・・・」と言っている。ただし、これはローカル局なので、地元のリスナーに配慮してそう発音しているのか、地名の標準語としてそのアクセントが確立されているのかは定かでない。

 地名くらいは、地元で使われているアクセントにしてあげてもいいように思うけど・・・ 逆にそれだと、ニュースを聞いている他の人に違和感があるのだろうか。

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2005年7月18日 (月)

ビミョーな話

 「それ分かったの?」

 「ビミョー」(あんまり分かってない?)

 「おなか空いた?」

 「ビミョー」(おやつ食べ過ぎた?)

 最近の長女との会話である。この「ビミョー(微妙)」というのは、イマ流行りの若者言葉らしく、話のなかでやたら頻繁に出てくる。実年齢よりもさらに一世代くらい精神年齢の古いボクは、こういう中途半端な言い回しが嫌いで、「どっちなんだかハッキリしろ!」と怒鳴りたくなる。

 しかし、先日発表された文化庁の日本語に関する世論調査では、いいか悪いか判断がつかなかった時に「ビミョー(微妙)」という言葉を使う人が全体で58%、十代では96%を超えるという結果が出ていた。でも、よく聞いていると、昔から使われている「微妙」と、最近流行りの「ビミョー」とは少しニュアンスが違う。

 「微妙」というのは、「本当にどっちか分からない」ときに、「郵政民営化法案が参議院を通過するかどうかは、微妙な情勢になってきた」というように使う。五分五分というよりも、ちょっと危ないぞという意味合いが込められているかもしれない。

 「ビミョー」のほうは、もう少し奥深い。「あの娘の洋服のセンスってビミョーじゃない?」と言う場合、本来の意味で言うこともあるかもしれないが、含意として「彼女のセンスは変だ」と言っていることが多いように思う。「この料理、ビミョー」とか言うと、「あまり美味しくない」という意味で、判断に困るというよりも、明らかに水準以下のものを「ビミョー」ということで婉曲に表現している。これは、若い子がよく使う「ありえない」とセットになっている。同じネガティヴ表現でも、絶対にダメなものは「ありえない」で、ダメなりに許せる範囲が「ビミョー」というような使い分けだろうか。

 しかし、さらに、「ビミョーに美味しい」とか「ビミョーにカッコいい」とか肯定的な言葉とくっつくと、ワケが分からなくなる。この場合は、「ご飯にバターを塗ったら、ビミョーに美味しい」のように使っていて、「最初はマズイと思ったけど、食べてみたら意外とイケルよ」というように、否定から肯定に変わるといったニュアンスなのかもしれない。

 このあたりは曖昧さを身上とする日本語の特殊領域で、若い世代がそのDNAをしっかりと受け継いでいることに、ある種の安堵と懸念を感じる。しかし、まさにこの微妙(ビミョー)なニュアンスは、なかなか英語には訳しにくいだろう。

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2005年7月14日 (木)

「悠々として急げ」

 作家の開高健が、生前によく使った言葉である。ボクはこの言葉の響きが好きで、今でも時々反芻している。彼が言った意味と、ボクの解釈とは少し違うかも知れない。でも、ボクはこの言葉をこんな風に理解している。

 人生は、よく登山にたとえられる。山頂をめざして一生懸命人生の山登りをしてきた人が、ようやく中腹の峠までたどり着いた。もうすぐそこに頂上が見えている。谷からの涼風に汗が乾いて、火照った身体を冷ましてくれる。さあ、もう少し頑張ろう。自分がこれまで歩いてきた道を振り返りつつ、これから進んでいく道を確かめながら、リュックを担ぎ上げたときに、自分に言い聞かす言葉が「悠々として急げ」なのである。「悠々」という言葉のおおらかさと、「急げ」という言葉の緊張感、そのミスマッチが何とも言えず好ましい。

 彼の茅ヶ崎の自宅は、今は記念館として無料で公開されているらしい。彼が亡くなってしばらくしてから、そのお宅に伺ったことがあった。世界中から集めてきたとおぼしきガラクタが、所狭しと並べられていた。彼の強烈な魂が、主(あるじ)を失った家の中にまだ横溢しているような気がした。旅、釣、食、酒、夢 ・・・・ 地球を丸かじりするかのごとく外へ外へと向かう、旺盛な好奇心と行動力の奥にあったものは何だったのだろう。

 そう言えば、肉太の特徴のある字で、「遠い道を、ゆっくりと、けれど休まずに歩いていく人がある」と書かれた色紙が、自宅のトイレに無造作に置いてあった。でも、凡人から見たら、こんなに個性が詰まった玉手箱のような人生は羨ましい。長い間道草を食っていたかと思えば、急に走り出したり、わめいたり、そして疲れたら、また浴びるほど酒を飲んでその場で寝てしまう。凝縮した人生を、勝手気ままに足早に駆け抜けていった人。その色紙を眺めながら、何か彼自身の生き方とはずいぶん違う地味なことを書いてるなぁ と、庭の蝉時雨(せみしぐれ)を聞きながら、不思議な感覚にとらわれた。 あの日も、梅雨明けを予感させるようなこんな暑い日だった。ちょうど15年前の今頃のことである。

 

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2005年7月11日 (月)

ミネラルウォーター

 先日あるところの会議に出たら、出席者の机のうえにミネラルウォーターのペットボトルが並べられていた。最近、こういうときに、お茶やミネラルウォーターのボトルによく出くわす。同じ値段でも、ジュースでは好みがあるし、甘くて万人受けしないのだろう。

 おそらく20年くらい前までは、お金を出して水やお茶を買うなんて考えもしなかった。日本では、水と安全はタダだと信じられてきたからである。ところが、飲料メーカーの戦略にうまく乗せられたのかどうか分からないが、今では買う方の抵抗もなくなり、自動販売機でもお茶から先に品切れになっている。

 タダの地下水をボトルに詰めて売るのだから、さぞかしいい商売だろうと、門外漢は考える。しかし、親しい飲料メーカーの知人に聞いたら、意外とそうでもないそうだ。まず深い井戸を掘るのがたいへんで、また商品にするには消毒や殺菌のための大掛かりな設備投資が必要だとのこと。われわれ素人が考えるほど投資回収は簡単ではないらしい。

 先日の新聞報道で、山梨県が、水源地整備の財源として「ミネラルウォーター税」の導入を検討したところ、メーカーの強い反発にあっているとか。メーカーによると、新税には反対。そして万一導入するとしても、もっと大量の水を使う半導体メーカーにも同じように課税しないと不公平だという。

 半導体がそんなに水を使うとは知らなかったが、たしかにメーカーの主張にも肯けるところがある。県としたら、タダの地下水で儲けているのだから課税してもいいだろうと、単純に考えたのかもしれない。しかし、メーカーは、いい水があるからわざわざそこに立地したのである。地元は、固定資産税や事業税、それに雇用の確保などで潤ったのだから、あまりそれ以上ツメを伸ばさないほうが良かったのかも知れない。県の勇み足のようにも思えるが、抜いた刀も納めにくく、どのように収拾するのか注目される。

 そんなことを考えつつ、キャップを捻ってひとくち飲み込んだ。ボトルのウラを見たら、「山梨県○○郡」と表示してある。よく冷えてウマい水だが、税金がかかると味が変わるのだろうか・・・

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