辞書を引いたり地図を調べたりするのは、半分趣味みたいなもの。
仕事机の脇やテレビの前に常備していて、分からない単語や知らない地名はその都度確認する。もちろん昨今はインターネットで調べることもできるが、やっぱり使い慣れた辞書や地図にはかなわない。
辞書では『新明解国語辞典』(三省堂)が出色。一部の熱狂的なファンは『新解さん』と呼んでいて、『新解さんの謎』(赤瀬川原平)という本が出るほど独断と偏見に満ちた個性的な辞書なのだ。言葉の意味を調べる辞書という範疇からは大きく逸脱していて、読み物としても充分に楽しめる。
たとえば「恋愛」という言葉。広辞苑なら「男女間の恋い慕う愛情」と、いかにも人畜無害で素っ気ない。
ところが『新解さん』(第六版)では
「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」とまで踏み込んでいる。
これが辞書だろうか。編者が特別な思い入れで書いているとしか思えない。
しかもこれが版を改めるごとに微妙に変化していて、手元にある第四版では、
「特定の異性に特別の愛情をいだいて、一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態」とある。
どうやら失恋を繰り返した人らしく、その独善的な決めつけ方は何度読んでもおかしい。
辞書がここまで書くのかと眉をひそめる向きもあるが、無味乾燥な解説よりもずっと楽しい。他の辞書で調べた言葉でも「新解さん」独自の解釈を知りたくて、ついついもう一度引いてしまう。
辞書のくせに、強烈な個性を放っている。
「善処」は「うまく処理すること。政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる」とある。反骨精神があって、ひとこと言わないと気がすまない性格のようだ。
「実社会」は「実際の社会。美化・様式化されたものとは違って複雑で、虚偽と欺瞞(ぎまん)とが充満し、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す」。ずいぶん屈折した苦労人とお見受けする。
「動物園」はよほど気に入らないらしく、「捕らえて来た動物を人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設」と手厳しい。
ちなみに第四版はもっとすさまじく、「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし飼い殺しにする人間中心の施設」。ここまで書くとケンカを売っているとしか思えない。
例文では「雪子」がやたらと出てくる。第四版では「ぞっこん」の例文として「私は、雪子の美貌と気性にぞっこん引きつけられていたが」 を引用している。いきなりの固有名詞は唐突だが、あこがれの人なのだろうか。
「新解さん」は無類の食いしん坊である。巷間のグルメ本の如く、まったくの主観で「うまい」「美味」を連発する。なかでも注意深く読んでいくと、魚介類に点数が甘い。おこぜ・はまぐり・あわび・赤貝などはいずれも高評価だが、牛肉や馬刺しには関心を示さない。
優等生的なNHKのアナウンサーが広辞苑なら、放送禁止用語を頻発するローカル局の解説者に似ている。彼がたどってきたこれまでの人生や、ちょっと斜めに構えた価値観が透けて見える人間臭い書きぶりは、情熱的で正義感が強く心やさしい。
最後に「凡人」。「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。マイホーム主義から脱することの出来ない大多数の庶民の意にも用いられる」とある。「新解さん」は凡人なのか。
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