ふだん何の疑問もなく使っている言葉でも、改めてじっくり漢字を眺めていると、どうしてこんな言い方をするのだろうと思うときがある。
たとえば「大統領」。言うまでもなく”President”の訳語だが、この奇妙な日本語はいったい誰が考えついたのか。
幕末にペリーが”President”の親書を携えて浦和に来たときのこと。いきなり現れた黒船に国をあげての大騒ぎになった。幕府ではこの言葉をどう訳すかが問題になったらしい。「国王」「親分」「旦那」…さまざまな意見が出て、結局は一族・郎党のリーダーをさす「棟梁」という言葉が残った。日本では古来から「源氏の棟梁」というように使われていて馴染みもある。でもそのままだと大工の棟梁みたいだから、文字を変えて、しかも「大」をつけて「大統領」。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、竜馬は”President”を「王さま」と呼んでいる。黒船を見た後、土佐に帰ってアメリカという国について仲間に説明するところが面白い。「アメリカって国はすごいぞ。王さまをみんなで選ぶんだ」。幕府の役人たちもペリーの持ってきた親書を「王さまからの国書」と受けとめたはずだ。そしてその王さまが世襲でないことに肝をつぶしたのだ。
それから150年。大統領制をとる国は少なくないが、主要国で大統領の権限が大きいのはアメリカ、フランス、さらにロシア。ドイツとイタリアは対外的な元首に過ぎず、実権は首相にある。
そのなかでアメリカが特異なのは、行政府の長としての首相がいないこと。こんなことができたのは、過去を引きずらずに白紙で国家制度を構築したからだ。
アメリカでは大統領が代わると主要官僚もすべて交替する。だからその権限は絶大で、竜馬が王さまと呼んだのは間違ってはいない。日本みたいに「霞ヶ関の抵抗」で改革が遅れることなどありえないのだ。
それにしても訳語というのは難しい。アメリカの”state”は「州」と訳されているが、これだとふつうの日本人は「都道府県」のように考えてしまう。
しかし”state”なるものは、それぞれに憲法があって法律も作る。おまけに軍隊まで持っているから、独立国家に近い。そしてその連合体が”United States of America”。「アメリカ連邦」とでもいえばよかったのに、どうしてまた「合衆国」なんて難しい言葉を中国の古典から探してきたのか。
日本では、中華民国のトップを「総統」と呼ぶ。ところが「対華21ヶ条要求」(1905年)の頃の新聞を見ると、袁世凱の肩書きは「支那共和国大統領」。その後呼び名が変わったのは、アメリカの大統領との違いに気づいたからだろうか。
中国では”President”を「総統」と訳している。ついでに中国の「国家主席」は英語では”President”。
外国語をすでに自国にあった言葉に置き換えると、その国の国民はそれがもともと自国でその言葉で呼ばれていたものと同じものだと考えてしまう。
そこで冒頭の「大統領」。こんな聞きなれない言葉を引っぱってきたことで、幸いにして誤解も生じなかった。今ではごく普通の日本語だが、なかなか名訳だと思っている。