2008年7月 8日 (火)

私学助成

 大阪府の私学助成金削減問題でもめている。

 橋下知事は、私立学校に対する助成金を大幅に削減する方針を固めた。これによれば、1人あたりの助成金額が小中学校で全国最低に、高校はワースト2位の水準に転落する。

 かつて石原東京都知事が「私学助成は憲法違反」と発言して物議をかもしたことがあったが、憲法89条がそんな趣旨でないことは明らかだ。

 橋下知事が言うように、私学の付加価値を求めるなら、公立よりもお金がかかるのは当然のこと。公教育のメニューが準備されているのに、あえて私学を選ぶ人にはそれなりの負担をさせてもいい。

 問題は、それがどの程度が適当かということ。今の私学は、この助成金なしには経営が立ち行かない。とくに大阪の私学の現状は厳しい。共学トップ校でさえも3年もすれば資金不足を起こし、人員削減や賃金カットが確実視される情勢だそうだ。ゼロから教育制度を作るのならともかく、強権発動するには影響が大きすぎる。

 助成金を減らせば、直ちに授業料にはね返るから、生徒募集にも影響が出る。それでなくても少子化で受験者が減っているのに、私学はたちまち存亡の危機に立たされる。

 公教育の底上げを図るのは大賛成だが、当面はソフトランディングが望ましいのではないかと思う。府議会での論議に注目したい。

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2008年6月29日 (日)

後期高齢者医療制度

 始まったばかりの後期高齢者医療制度が、袋叩きにあっている。

 野党もマスコミも評論家も、いっせいに集中砲火を浴びせ、「年寄りは死んでくれ」という悪しき制度だと決めつけてかかる。

 タイミングも悪かった。原油高騰に相次ぐ物価上昇で、庶民の暮らしは苦しくなるいっぽうなのに、霞ヶ関では次々と不始末が露呈する。そして、歳出削減や公務員制度改革の青写真が見えないまま、高齢者医療についての国民負担が先行してしまった。

 実に下手くそだ。小泉改革で2年前に法制化されていたのに、広報活動がまったく不充分。この制度には国民の大半が反対しているというが、マスコミが上手に世論を誘導したにすぎない。国民のやり場のない怒りが、一点に振り向けられてしまったのだ。

 ボクは、この制度自体には原則賛成である。

 医療費の総額は30兆円を越えている。科学技術や医療の進歩は長寿社会を実現したものの、老人医療費の総額は11兆円にまで達した。そしてこれから先、ますます減少する現役世代が、増え続ける高齢者を支えていかねばならない現実を、われわれは直視すべきである。

 破綻する国の財政。これをいっそう深みに埋没させて、子や孫に過大な荷物を残していいはずがない。

 もともと日本の医療費の自己負担額は、先進国の中でも最低に近い。つまり患者本人の財布が痛まない。だから無駄づかいをする。医療費がこんなに膨れ上がった原因はここにある。

 たしかに病気になって医者にもかかれないようでは困る。しかしマスコミは、特別なケースばかりをクローズアップしすぎる。少し体調を崩したくらいですぐに病院に行って、検査漬け、薬漬けというのもどうなのか。

 高齢者イコール経済的弱者ではない。余裕のある人には、所得に応じた保険料を負担をしてもらうべきだ。さらに応分の窓口負担によって、無駄な医療費が抑制できると思うが如何。

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2008年6月22日 (日)

橋下改革

 先週末、橋下知事と労働組合が夜を徹してバトルをくり広げた。

 いくつか感じたこと。

 Soci01まずそのエネルギーがすごい。延々12時間以上かけて、一歩も譲らない白熱した議論が続く。組合側は345億円の人件費削減案(平均12%の給料カット)に強く反発して、幹部が交代でまくしたてる。対する府側。ほとんど知事ひとりで声を嗄らして熱弁を奮う。パフォーマンスという人もあるが、ボクはすざまじいパワーと情熱を感じた。

 報道陣100人・テレビカメラ6台というのも前例がない。今や圧倒的な支持率。しかもメディアを上手に使いこなし、開かれた政治姿勢を印象づける。新しい時代の政治スタイルかもしれない。

 「厳しい内容だと重々承知しているが財政再建のためには避けて通れない道だ」という知事。この理にかなった正論には、公の場で堂々と反論しにくい。

 彼が府民に支持される秘訣は、財政再建のプロセスの一部始終をテレビカメラに公開していること。PTと各部署とのやりとりがテレビを通じてそのまま府民に届くから、現状の問題点や対策の方向性が理解しやすい。これは画期的なことだ。

 いちおう知事の第一ラウンドは終わった。次はいよいよ議会。府民は注目している。

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2008年6月 9日 (月)

減反

 世界的な食糧不足が続き、食糧高騰が止まらない。

 そんな中で、町村官房長官が「食糧不足の中で、日本で5割の減反をしているのはもったいない」と見直しの方向を示唆した。これに対しては、農家に誤解を生み米価の暴落を引き起こしかねないとして、自民党内からも反論が相次いでいる。

 しかし、よく考えてほしい。この町村発言が正論なのだ。

 ボクが小学生の頃、20年の歳月と852億円もの巨費を投じて、八郎潟で干拓事業が続けられていた。とにかくコメの生産を増やすのが国策だった時代だ。ところが日本が豊かになり、生活様式の欧米化が進むにつれて、コメの消費がどんどん減り始める。放っておくとコメは暴落するから、政府は米価安定のために強制的な生産調整に入った。畑作への転作を奨励し、補助金を出し始めたのだ。これが減反である。

 今にして思えば、こんな保護農政が日本の農業をダメにしたのだ。土地があって働き手もいる。ところがコメを作りたくても作れない。そして作らなければ国から補助金がもらえる。おかしな話である。コメ農家の保護というが、およそ産業とはいえないような小規模零細農家を守ってどうするのか。むしろ自然淘汰によって競争力をつけさせるべきではなかったのか。

 対照的なのが養鶏卵分野で、農業では珍しく保護農政が行き渡っていない。卵が安価で大量に供給されているのは自由競争のたまもの。その結果、国内の養鶏卵生産が衰退するどころか生産力を高めたのは、皮肉というしかない。

 いっぽうで、いくら減反してもコメは余っている。そのうえウルグァイ・ラウンド(1993年)による部分開放で、要らない大量のコメを輸入し続けている。

 どうも日本の農業政策は、グローバルスタンダードとは違う方向に進んでいる。もう減反はやめるべきだ。深刻な食糧不足によって世界中の多くの人々が飢餓に苦しんでいるのに、悠長な生産調整などしている場合ではない。

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2008年5月23日 (金)

減反政策

 食糧危機が世界で大きな問題になっている。

 国連などの発展途上国への食糧援助が行き渡らなくなり、暴動で死者まで出るという異常事態。

 そんな中で国内に目を転じると、クローズアップされているのは食品の値上がり問題ばかり。これとて今日明日の生活が脅かされるわけではないので、食糧危機という意識は薄く、毎日のように余った食べ物が大量に捨てられている。

 今、地球上では、食糧生産は増えているのに食糧備蓄率が急速に下がっている。その原因は2つ。『人口の増加』と『穀物の燃料化』である。

 日本の食糧自給率は40%を切ってしまった。エコノミックアニマルたちが、YENを振りかざして世界中から食糧を買い漁ってくる。でもこんなことがいつまで続くだろうか。世界にもっと深刻な食糧危機が押し寄せて、YENの神通力が消え失せてしまったらと、考えただけでも恐ろしい。

 その中で、相変わらず米の減反政策を続ける我が日本。この悠長な生産調整を、餓死寸前の途上国ではどんなふうに見ているのだろう。アジア各地に広がる米騒動をよそに、日本の米価格は国際市場とはかけ離れた動きをしている。

 日本の農業は一般に収益性が低い。そこへ国が巨額の補助金を投入してきた。当然『親方日の丸』の甘えが出る。事業として儲かる仕組みを作るには、思い切った合理化で競争力をつけるしかない。国が保護するだけでは力はつかない。

 世界の食糧危機のニュースを見ていると、どうも日本の農業政策が浮世離れしているように思える。

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2008年5月20日 (火)

年金改革

 年金改革で、保険料方式か税方式かでもめている。

 面白いのは、新聞社によって意見が真っ二つに分かれていて、紙面でくり返し自説を展開していること。日経はずっと全額税方式を主張し、読売と朝日は保険料方式を譲らない。これまで日本のマスコミというのは、政権与党には批判的であっても、自らの立場を旗幟鮮明にして激論を交わすなんてことはあまりなかったのではないか。

 そんな中、政府の社会保障国民会議が各案についての財政試算を発表した。どっちにしても消費税は上げざるをえないようだ。そうでないと年金制度がもたない。

 細かいことは読んでも理解できないが、なぜここで税方式なのかという素朴な疑問が湧いてくる。

 年金制度の基本に戻れば、老後の生活保障は本来は自助努力によるべきもの。現役時に保険料を負担してきた者が、その努力に応じて年金を受け取る。この保険料方式は、自助と自律の精神がベースにあって分かりやすい。

 保険料は目的が決まっているから、透明性を高めればしっかりした運用ができる。しかし税金の場合はドンブリ勘定になる危険がある。しかも財源を消費税にすれば、高齢者まで負担する側に回ってしまう。これでは何をしているのか分からない。

 今の議論は未納問題と財源論に焦点が当たっていて、社会保障改革の全体ビジョンとの整合性が見えない。制度の根幹に関わるだけに、党派を超えた分かりやすい議論を望む。

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年金改革

 年金改革で、保険料方式か税方式かでもめている。

 面白いのは、新聞社によって意見が真っ二つに分かれていて、紙面でくり返し自説を展開していること。日経はずっと全額税方式を主張し、読売と朝日は保険料方式を譲らない。これまで日本のマスコミというのは、政権与党には批判的であっても、自らの立場を旗幟鮮明にして激論を交わすなんてことはあまりなかったのではないか。

 そんな中、政府の社会保障国民会議が各案についての財政試算を発表した。どっちにしても消費税は上げざるをえないようだ。そうでないと年金制度がもたない。

 細かいことは読んでも理解できないが、なぜここで税方式なのかという素朴な疑問が湧いてくる。

 年金制度の基本に戻れば、老後の生活保障は本来は自助努力によるべきもの。現役時に保険料を負担してきた者が、その努力に応じて年金を受け取る。この保険料方式は、自助と自律の精神がベースにあって分かりやすい。

 保険料は目的が決まっているから、透明性を高めればしっかりした運用ができる。しかし税金の場合はドンブリ勘定になる危険がある。しかも財源を消費税にすれば、高齢者まで負担する側に回ってしまう。これでは何をしているのか分からない。

 今の議論は未納問題と財源論に焦点が当たっていて、社会保障改革の全体ビジョンとの整合性が見えない。制度の根幹に関わるだけに、党派を超えた分かりやすい議論を望む。

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2008年4月23日 (水)

泣いたらあかん

 大阪府の橋下知事が、府下の市長たちと財政再建をめぐる意見交換の席で感極まって涙を見せた。

 民間企業なら倒産寸前の府の財政。これを立て直すには相当な荒療治が必要で、思い切った経費の切捨て、とくに人件費削減に大鉈をふるわねばならない。今回提示された案には市町村に対する大幅な補助金削減が含まれていて、これに市長たちがいっせいに反発した。もうすでに20年度予算案はできあがっているから、今さら府の補助金をカットするなどと言われても地元が承知しないという気持ちは分からないでもない。

 この間の日曜日、テレビでその映像を見た。若い知事に集中砲火を浴びせる百戦錬磨の市長たちは、既得権益にしがみつく抵抗勢力としか映らない。これだと知事の支持率が上がるだろうと思っていたら、ネットでの世論調査は軒並み高得点。逆に市長たちへの抗議電話が絶えないという。

 既成勢力に背を向けて、選挙民の絶大な支持をバックに改革を進めるというやり方は、かつての小泉総理が得意とした政治手法。でも、あの場で涙を流すのは禁じ手だと思う。

 日本人は涙に弱い。しかし企業が不祥事を起こしたときの涙の謝罪会見などというのは、反吐が出るほど見苦しい。泣いてすむ話ではないのに、涙で論点がぼやけたり、立場が入れ替わったりする。女の涙も卑怯だが、男の涙など論外である。大阪府知事として改革の矢面に立つつもりなら、断じて泣くべきではない。 
 
 感情ではなく理屈できっちり説得してほしい。市長たちも財政改革という大きな方向では同じはずだから、話せば分かると信じたい。たとえ正論であっても、泣くとかすんでしまってパフォーマンスにしか見えないのである。

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2008年4月13日 (日)

大統領

 ふだん何の疑問もなく使っている言葉でも、改めてじっくり漢字を眺めていると、どうしてこんな言い方をするのだろうと思うときがある。

 たとえば「大統領」。言うまでもなく”President”の訳語だが、この奇妙な日本語はいったい誰が考えついたのか。

 幕末にペリーが”President”の親書を携えて浦和に来たときのこと。いきなり現れた黒船に国をあげての大騒ぎになった。幕府ではこの言葉をどう訳すかが問題になったらしい。「国王」「親分」「旦那」…さまざまな意見が出て、結局は一族・郎党のリーダーをさす「棟梁」という言葉が残った。日本では古来から「源氏の棟梁」というように使われていて馴染みもある。でもそのままだと大工の棟梁みたいだから、文字を変えて、しかも「大」をつけて「大統領」。

 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』では、竜馬は”President”を「王さま」と呼んでいる。黒船を見た後、土佐に帰ってアメリカという国について仲間に説明するところが面白い。「アメリカって国はすごいぞ。王さまをみんなで選ぶんだ」。幕府の役人たちもペリーの持ってきた親書を「王さまからの国書」と受けとめたはずだ。そしてその王さまが世襲でないことに肝をつぶしたのだ。

 それから150年。大統領制をとる国は少なくないが、主要国で大統領の権限が大きいのはアメリカ、フランス、さらにロシア。ドイツとイタリアは対外的な元首に過ぎず、実権は首相にある。

 そのなかでアメリカが特異なのは、行政府の長としての首相がいないこと。こんなことができたのは、過去を引きずらずに白紙で国家制度を構築したからだ。

 アメリカでは大統領が代わると主要官僚もすべて交替する。だからその権限は絶大で、竜馬が王さまと呼んだのは間違ってはいない。日本みたいに「霞ヶ関の抵抗」で改革が遅れることなどありえないのだ。

 それにしても訳語というのは難しい。アメリカの”state”は「州」と訳されているが、これだとふつうの日本人は「都道府県」のように考えてしまう。

 しかし”state”なるものは、それぞれに憲法があって法律も作る。おまけに軍隊まで持っているから、独立国家に近い。そしてその連合体が”United States of America”。「アメリカ連邦」とでもいえばよかったのに、どうしてまた「合衆国」なんて難しい言葉を中国の古典から探してきたのか。

 日本では、中華民国のトップを「総統」と呼ぶ。ところが「対華21ヶ条要求」(1905年)の頃の新聞を見ると、袁世凱の肩書きは「支那共和国大統領」。その後呼び名が変わったのは、アメリカの大統領との違いに気づいたからだろうか。

 中国では”President”を「総統」と訳している。ついでに中国の「国家主席」は英語では”President”

 外国語をすでに自国にあった言葉に置き換えると、その国の国民はそれがもともと自国でその言葉で呼ばれていたものと同じものだと考えてしまう。

 そこで冒頭の「大統領」。こんな聞きなれない言葉を引っぱってきたことで、幸いにして誤解も生じなかった。今ではごく普通の日本語だが、なかなか名訳だと思っている。

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2008年3月16日 (日)

ねじれ国会

 国会のねじれ現象で、日銀総裁が決まらない。ガソリン暫定税率も道路問題も暗礁に乗り上げたまま。民主党の小沢代表は強気の姿勢をくずさない。

 日銀総裁人事に関して面白いのは、主要紙がこぞって民主党の対応を非難していること。衆参両院のねじれ現象の中で、政党間の軋轢や主導権争いで総裁選任が遅れるような事態は避けるべきだ。金融政策の舵取り役としての重要性を考えれば、意地の張り合いなどしている場合でないというような論調。

 その通りだと思う。しかしそういわれても民主党はツライ。所詮は右から左までの寄り合い所帯。与党案反対では簡単にまとまっても、対案を出したり妥協点を見い出すとなると百家争鳴。直ちに不協和音が噴き出して分裂の危機になりかねない。いつもこの党の幹部会を見ていると、さまざまな異物を詰め込みながら、横に広く伸び切って大空をあてもなく舞っている薄い紙風船のような危なっかさを感じてしまう。

 反対するだけなら誰でもできる。しかし近い将来の政権奪取を視野に入れるなら、もう少し大人になるべきではないのか。

 今思えば、自民党の一党独裁がちょっと長すぎた。政権交代可能な2大政党制に向けて動き出したものの、民主党は数を増やすために少し無理をしすぎた。この際、考え方がかけ離れている異分子とは袂を分かつべきだと思う。

 子供のケンカではないのだから、個々の案件ごとに是々非々で臨んでほしい。予算案や税制関連法案などの取り扱いと日銀総裁の人事がなぜ絡んでくるのか全く意味不明。政治が経済の先行きを不透明にしている。大所高所から国益を第一に考えた判断をしてもらいたい。今週が正念場である。

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2008年3月 5日 (水)

所信表明演説

 橋下知事の所信表明演説を聞いた。

 なかなかいい。言っていることは正論で、スジが通っている。知事として「大阪府庁を変える」「大阪の未来をつくる」「大阪を輝かせる」の3点に取り組むとした。府のあらゆる事務事業、出資法人、施設について「聖域なくゼロベース」で総点検して見直すと表明。子供たちのために現役世代が泥をかぶるとの決意とともに、今年を「大阪維新の年」と位置づけて改革素案を6月までにまとめる方針を打ち出した。

 ほとんど原稿を読まずに改革を訴える姿は、小泉元総理と似た印象を受ける。素人っぽいところもいい。小泉さんが圧倒的な支持を受けたのは、永田町や霞ヶ関から背を向けて、国民の視線で本音を語ったから。役人の反発を買っても、府議会から叩かれても、一般府民の感覚を大切にして府政を変えてほしい。

 『大阪維新』。いい言葉だと思う。これから始まる府議会でのバトルに注目。

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2008年3月 2日 (日)

ガソリン税

 道路づくりの財源になるガソリン税の暫定税率を維持するか廃止するかで、与野党がもめている。原油価格の高騰は国際経済の話だが、ガソリン税は純粋に国内問題。キッチリ区別して考えるべきである。

 それでは日本のガソリン税は高いか。それが国際的にみたら、ちっとも高くないのである。

 たとえば産油国イギリスのガソリン価格は、何と日本の1.5倍。豊かな北海油田を持ち、石油の自給率が100%を超える国にしてこうである。

  ガソリンそのものの値段は約70円、しかし税金は日本が60円、イギリスが140円、つまり倍以上である。大きな違いはその税収を日本みたいに特定財源化せず、環境・教育・福祉などに使っていること。EU諸国ではドイツがイギリスと同じやり方。

 そもそも30年以上、暫定税率なんて言葉を使い続けるのもおかしい。租税特別措置法なんかでママ子扱いせずに、堂々と認知して一般財源化したらどうか。そしてそれを環境対策や教育・科学の振興などに使えばいい。

 ガソリンの税負担を下げることにはボクは反対。京都議定書を守らない日本が、この低税率をさらに下げるということは、地球温暖化防止を訴える国際世論が許さないだろう。イギリスは高い税金を取って、CO2の削減を目ざしているのだ。

 くりかえすが日本のガソリン税は高くない。ここでそのガソリン税を下げて、この先もしも原油価格が暴落したらどうなるか。ガソリンがまた100円を切ったら、当然使用量は増える。運送業者はいいだろうが、CO2排出量は増加して大気汚染が進むことは間違いない。

 酒やタバコとは同列に論じられないが、ガソリンも政策的に消費を抑制すべきもの。であれば、それなりの税金を課して然るべきものと思う。

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2008年2月23日 (土)

対症療法

 中国製ギョウザ事件は、日本人の食の安全神話に大きな衝撃を与えた。

 昨年来の『赤福』や『白い恋人』『船場吉兆』などの一連の事件は、いずれも表示偽装の話。悪いことには違いないが、今回のように毒物が混入されていた事件とは質が異なる。

 輸入食品の検疫体制を早急に強化しなければならない。しかし、それはあくまで対症療法。熱が出た患者に解熱剤を処方するようなもので、何ら根本治療にはなっていない。

 目を向けるべきは、食料の6割を外国に依存している食料自給率の改善だと思う。もちろん急にはどうにもならないが、さりとて手を拱いている場合ではない。今こそ政治が出動すべき緊急事態である。

 昨今のガソリン騒動もしかり。とかく店頭価格の上がり下がりに目を奪われがちだが、その本質はエネルギー問題。資源に乏しい日本あたりが新しいエネルギー開発に率先して取り組むべきなのに、残念ながらわが国の政治家にはそんな意欲は感じられない。これでは、いつまでも産油国に振り回され続ける。

 われわれも反省せねばならないが、モグラ叩きのように、とりあえずの応急手当をして安心してしまう。しかし、それでは本質は何ら変わらない。そんなときに大きな視点から国民をリードしてくれるのが政治の役割だと思うが如何。

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2008年1月20日 (日)

棄権

 先週行われた新テロ特措法の衆院本会議採決で、民主党小沢代表は途中退席して消えてしまっていた。

 大阪府知事選遊説のために、採決を棄権したらしい。

 マスコミは非難轟々。いわく。国会議員にとって採決に参加することは最低限の責務だ。しかも野党第一党の党首の立場で他の議員に示しがつかない。云々…

 民主党執行部は小沢代表の大阪遊説の日程を知っていながら、なぜそれを止めなかったのか。もし独断ではなく執行部の承認を得て棄権したならば、組織ぐるみの議会軽視ということになる。このほうがもっと問題が大きい。

 棄権というのは議決における消極的な意思表示のひとつとされている。あの大連立構想のとき以来、小沢代表は自民党と正面切って対立する気概を捨てたのではないか。反自民で盛り上がる党内若手とは距離を置いて、実は内心では冷めている。そういえば、先日の党首討論も火花は散らず。党首同士の一騎打ちにふさわしい大局的なやりとりもなく、政権交代をかけた大一番の前哨戦にしては迫力不足だった。

 この先 再び大連立構想が沸き上がれば、副総理で迎えられる可能性もなくはない。その日に備えて「自分は反自民ではない」という態度表明をして秋波を送っておく。というのはちょっと穿った見方だろうか。

 その後、小沢代表は棄権の意味を記者団には一切語っていない。政治の世界は魑魅魍魎が暗躍する。不思議な採決だった。

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2007年11月 6日 (火)

電話作戦

 4日、大阪市長選が告示された。

 昨日事務所にいたら、早速 知人から投票を依頼する電話。
「残念ながら大阪市民じゃないから選挙権がないよ!」と答えたら、
「ああそうやったね~」と笑い声。電話の向こうでは、同じように投票を依頼する声が重なってこだましている。どうやら選挙事務所に詰めているらしい。

 あまり他人(ひと)には言えないが、実はボクはこの電話作戦には縁がある。もう20年ほど前に、勤めていた会社でしばらく永田町の担当をさせられていたことがあった。

 政治のつきあいは義理と人情の世界。一定のルールの枠内で、政治家や官僚と良好な関係を醸成しておくのがボクたちの仕事だった。面白いもので、政治家は企業に弱く、企業は官僚に弱く、官僚は政治家に弱い。主務官庁には直接通らない話でも、政治家を通じて陳情するとクロがシロになることもある。

 だから、いざというときに備えて彼らに貸しを作っておかねばならない。パーティ券の購入、支持者の子弟の就職の世話、工場見学の斡旋からゴルフ場の予約、イベントのチケット手配など、さまざまなことを頼まれた。その中で、とりわけ重要なのが選挙応援である。

 選挙が近づくと、事前に選挙区に住む社員や取引先から質のいい名簿を集めておく。告示日には10台ほどの臨時電話を引いて、会議室をにわか選挙事務所に仕立て上げる。半日単位で管理職に割り当てて電話作戦。机の上にはのど飴とウーロン茶。電話の反応は◎ ○ △ の3種類に色分けする。

 一日の仕事が終わると、集計表を作って上司に報告。
「今日はのべ15人で2,000件電話をして、反応は◎が1,000件、○が700件・・・」というような調子。

 しかし、あんな電話が投票行動に結びつくとは思えない。選挙のプロたる永田町の秘書連中はそんなことは百も承知のはずだが。

 そして開票が終わると「ウチの会社で2万票ほど上積みした」などと大風呂敷を広げる。相手は本気で感謝しているのかといつも不思議だった。かくも選挙とは奇妙なイベントである。

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2007年11月 4日 (日)

大連立

 先週末の党首会談で、自民党から民主党に対して大連立の申し入れがあったらしい。

 小沢代表はこれを党に持ち帰って幹部会に諮ったが、結局は承認が得られず構想は白紙に戻ったとか。しかし、小沢代表がこの提案を持ち帰ったこと自体が驚きである。

 真相は藪の中。でも、そこに至った背景は分からないでもない。このところ衆参のねじれ現象で法案は1つも通らないから、自民党は政権与党の責任を果たせない。いっぽうの小沢民主党も反対するだけでは芸がない。この膠着状態を打破するには、解散総選挙か大連立しかなかった。

 ということで大きな賭けに出たのだろうが、結果的には今回の提案で二人とも大きく男を下げてしまった。

 小沢代表は参議院選で大勝した後、非公開での党首会談には応じないとくり返してきたはず。それなのに、なぜここでまた密室談合を復活させるのか。水面下で政権にすり寄る姿勢を見せたことには、党内からも批判が起こるはずだ。

 大連立構想は、自民党政権の延命策でしかない。民主党は次の総選挙で堂々と政権奪取を狙うべきだ。そもそも民主主義の原点は、その違いを鮮明にすることにある。先の参議院選で、選挙民は党のマニュフェストや候補者の公約を比較しながら、自分が信頼できる政党や候補者に一票を投じたはず。それが政権延命のために、ある日いきなり大同団結されたら選挙民はたまったものじゃない。日本にもようやく政権交代可能な2大政党制が生まれつつあるというのに、ここにきての大連立など有権者に対する重大な背信行為でしかない。

 と、総論では思う・・・

  だがしかし、いっぽうで政界再編を見越しての大連立という荒業も考えられなくはない。とくに民主党は内部に大きな意見の隔たりを抱え込んだ政党。これが今後も一枚岩を維持していけるとも思えない。壊し屋の面目躍如。一つの揺さぶりかもしれない。

 そう考えると、来たるべき大きな地殻変動の予兆にも思える。投じたこの一石の影響はけっして小さくない。

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2007年9月23日 (日)

選挙サンデー

 3連休の中日(なかび)で仕事も休みにした。

 今日は自民党総裁の投票日だが、わがH市も出直し市長選の投票日。8時前に妻と近所の小学校へ投票に出かけた。投票用紙を受け取ってブースに足を運んだら、目の前に貼られている3人の名前の上にはいずれも素っ気なく無所属と記されている。どの候補者も党の正式な公認を受けていないとこういうことになるらしい。

 「あれっ?誰だっけ・・・」
 顔も浮かんでこないし、隣の妻に確認しないと区別がつかない。駅前で街頭演説もしていたのだろうが、昼間は家にいないから実物を拝したことがない。ベッドタウンの首長選なんてこんなものなのだろうか。

 公選法の関係もあろうが、投票所にせめて候補者のプロフィールや写真くらい掲示しておいてくれたら親切で分かりやすいのにと思う。

 午後からは自民党総裁選。こっちは両候補の顔や声は充分に堪能した。われわれ一般国民には投票権がないのに、全国を行脚していったい誰に支持を訴えているのだろう。

 開票結果は予想どおり福田候補の圧勝。当初は麻生有利と目されていたのに、一夜にして形勢逆転。不思議なことに、政権構想も発表されていない段階で、水面下での多数派工作によって勝者が先に決まる。あとはポストを得るために勝ち馬に乗るだけという図式にも納得がいかない。これでは以前の自民党の派閥政治に逆戻りだ。

 新政権の船出は前途多難である。コメントを求められた東国原知事が、
 「大切なのは、国民や住民の声にアンテナを張ってそれを吸い上げること」と感想を述べていたが、まさに同感。年金問題にしてもテロ特措法にしても、永田町の論理ではなく有権者の視線でモノを考えることが重要だと思う。

 週明けから国会審議が再開される。民主党は手ぐすね引いて待ち構えている。しばらくは熱い論戦に注目しよう。

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2007年9月19日 (水)

総理の器

 自民党総裁戦も中盤に突入した。

 このところの報道番組では、福田・麻生の両候補が連日ナマ出演。慎重派とべらんべえ派という個性の違いは明確だから、人柄の好き嫌いもハッキリ出てきそうだ。しかし肝心の政策の相違点はほとんど分からずじまいで、ディベートが深まらない。こんな浅い論議でいやしくも日本国の総理大臣を決めていいのかと首を傾げてしまう。それよりもこの二人の無理に作った笑顔や握手姿に見え隠れするあざとさのほうがずっと気になる。

 安倍総理の突然の辞任や今回の後継総裁選にからめて、最近『総理の器』という言葉をよく耳にするようになった。
「いきなり政権を投げ出した安倍さんは責任感や判断力に欠けていて、『総理の器』ではなかった」というような論調である。

 『器』は象形文字。旧字は四つの『口(祝詞を入れる箱)』の中央に清めのための『犬』を置いた字形だ。儀礼の際に使われる清められた『うつわ』が元の意味で、そこから転じて人の能力や度量などの意味に使われるようになったらしい。

 ボクが思う『総理の器』とは、先見性、指導力、国際感覚、カリスマ性、決断力、情熱、行動力、克己心、バイタリティー、爽やかさ、健康・・・など挙げたらキリがないが、その中で、国民の気持ちを理解して政治にスピーディに取り入れる対応力、というのを上位に入れておきたい。いわゆる庶民感覚というヤツである。

 そしてこの庶民感覚は、長年かかって体内に蓄積されていくもので、一朝一夕で会得できるものではない。安倍さんは言わずと知れた華麗なる政治一家のサラブレッドだが、今回のお二人にしても庶民というには程遠い。なるべくして政治家になった人たちなのだ。

 どちらが総理総裁を射止めるにしても、沈みかけた泥舟の船頭である。まずはわれわれ国民をしっかり正視してほしい。永田町の魑魅魍魎とは決別しておかないと、あっという間に沈没してしまいそうである。

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2007年9月13日 (木)

辞任・・・

 安倍首相がいきなり辞意を表明した。

 ボクがこのニュースを聞いたのは昨日の午後。車を運転しているときだった。BGMにいつもの音楽番組をつけていたら、急に臨時ニュースに切り替わる。またどこかで不幸な事故でも起こったのかとボリュームを上げたとたん、いきなり首相辞任の知らせ。読んでいるアナウンサーも驚いたらしく、声から緊張が伝わってくる。

 信じられない!いったい今ごろどうして・・・

 昨夜は10時前からテレビの前に陣取って、日付が変わる頃までずっとこの関連ニュースを見ていた。今朝の朝刊もいつもより丁寧に読んでみた。

 でも分からない。各種の記事が伝え識者がコメントするように、なぜこの時期に辞めるのだろう。責任を取るというのなら、惨敗した参議院選挙の後が順当。しかし針のムシロに座り続けるというのだから、それはそれで立派な判断だと思った。そして苦労して組閣、臨時国会での所信表明演説を終えて、いよいよこれから代表質問という矢先にいきなりの退陣表明。

 いったいどういうことなのか。あきれてモノがいえない。閣僚の面々はせっかく手にした大臣のイスを早々と失った。国会論戦を手ぐすね引いて待ち構えていた小沢党首も肩すかしを食らわされた格好。国民もポカンと口を開けている。株価は様子見で上がったり下がったり。

 日本人というのは、引き際を大切にする国民だ。美しく散ることを何より尊ぶ文化がある。しかしこれだと自爆テロで、国政が混乱するだけ。記者会見では「辞めることで局面転換になる」とくり返すが、総理のクビと引きかえに与党が得るものは何もない。国会軽視、国民軽視と言われたら反論の余地なしと思う。

 健康問題がとりざたされているが、子供が学校を休むのとはワケが違う。厳しいようだが一国の総理たるもの、身命を賭すべきである。

 またこれから、後継総裁をめぐってドロドロの多数派工作が始まる。

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2007年9月 4日 (火)

身体検査

 また閣僚の辞任・・・

 遠藤武彦農水相が、補助金を不正受給していた問題で引責辞任。

 マスコミや野党は一気呵成に安倍総理の任命責任を追及しはじめたが、このところ『身体検査』という言葉がよく出てくる。

 これは首相官邸が閣僚候補者について、金銭や異性問題、暴力団らとの交際、過去の失言歴、家族の不祥事といった問題を抱えていないかを調査すること。警察や公安調査庁などが集めた情報を内閣情報調査室を通じて吸い上げて、厳重な情報管理下で秘書官以下の官邸スタッフが精査する。問題の農水相にしても、そのあおりで当初の意図とは違った人が滑り込んでしまったのだろうか。

 しかしこの難しそうな作業に、身体検査なんて子供じみた名前をつけたことがおかしい。腹の出た政治家のおじさんたちがパンツいっちょにされて、順番に体重計にのせられている姿を想像すると、何だかユーモラス。

 しかし笑ってばかりもいられない。官邸の有能なスタッフたちがお盆休みも返上して丁寧に調べ上げてパスしたはずの政治家にして、この体(てい)たらく。誰でも叩けば多少のホコリは出るが、政界には健康優良児はいないということか・・・

 アメリカでは、閣僚候補者の私生活や資産についてまでFBIや国税当局が徹底的な身辺調査をしている。日本の大手企業あたりでも、役員候補者については借金や取引先との関係などを徹底的に洗うらしいが、これも企業価値を損ねることに対する危機管理のひとつ。

 わが官邸にももっと上等の検査機械を買うことをお勧めしたい。でも、まさか服を着せたままで身体検査したんじゃないだろうね・・・

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2007年8月31日 (金)

ネットと政治

 先月23日、アメリカのサウスカロライナ州で、民主党の大統領選候補者討論会が行われた。

 20070725k0000m030062000p_size5動画投稿サイト「ユーチューブ」CNNが共催したもので、あらかじめ市民が投稿したビデオ質問に8人の候補者が答えるという新しい趣向の政策討論会(ディベート)。

 3,000本もの質問ビデオが寄せられ、その中から40本ほどが選ばれたらしい。ごく短時間のビデオだが、多くの人々の目に触れることもあって、無視できない影響力を持ち始めている。

 新鮮に感じるのは、市民本人が候補者に直接質問する形式だ。
「私たちの結婚を許してくれますか」と聞くレズビアンのカップル。息子が戦死した父親は米軍のイラク撤退時期を問いただす。同じ内容でもキャスターを通さず当事者の顔が見えると、切実さが浮き彫りになる。

 もちろん、当意即妙のセンスも求められる。
「イリノイ州の○○です。ヒラリー・クリントン候補に質問します。あなたが選ばれると、ブッシュ、クリントンの二つの家族の大統領が続きますが・・・」
 さすがヒラリー女史は動ぜず「むしろブッシュが2000年に大統領に選ばれたのが問題でした」と切り返して、一気に聴衆を沸かせた。

 カンザス州から映像を送った黒人の男性は、オバマ候補に質問。
「あなたは純粋の黒人ではないと批判されていますが・・・」
 黒人の父親と白人の母親を持つ彼は、
「マンハッタンでタクシーが停まってくれなかったくらいだから、黒人と言われる資格はあると思う」とはぐらかす。

 この討論会を日本の政治家たちはどんな思いで見ていたのだろうか。内容については専門家の評価もさまざまで、まだこれから改善の余地もあるだろう。それにしても、昨年から爆発的に広がってきたIT時代の花形ともいえるユーチューブを、すぐさま選挙に取り入れるアメリカというのは何と先進的な国か。同じく投稿動画を交えた共和党の討論会は、来月中旬に予定されている。

 日本もアメリカ並みにIT環境は整いつつあるが、こと政治の分野ではまだまだ。先の参院選では候補者のブログ更新すら禁じられた。この時代錯誤の公選法はどうにかならないものか。

 今やインターネットは不可欠の情報源。若者の政治離れを防ぐためにも、ぜひネットの本格的活用を考えてほしい。

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2007年8月25日 (土)

内閣改造案

 週明けに党三役と新内閣が発表されるとのこと。

 もうだいたい決まっているのだろうが、今ごろ首相官邸は最後の調整やら身体検査の真っ只中かもしれない。

 先日の産経新聞で面白い記事を見た。小泉さんにあって安倍さんに欠けているのは『飯島・塩爺・竹中』だという。つまり、政官界への人脈・内閣の重し・政策の発信力に欠けているというのだ。

 なかなかうまいこというと感心した。今の布陣はお友達内閣と揶揄されているが、仲間ばかりを重用せずにあえて使いにくい人材を取り込む度量の深さを見せてもらいたい。

 そこで、ボクの仰天人事案をナイショで教える。

   外務大臣  小池百合子
   財務大臣  平沼赳夫
   総務大臣  北川正恭(民間)
   厚生労働大臣  長妻 昭(民主党)
   防衛大臣  前原誠司(民主党)
   官房長官  舛添要一

 かねてから外務大臣は女性がいいと思っている。防衛次官のゴタゴタで入閣を望まないと報じられているが、誰にも臆せずモノがいえる数少ない人材。また経済閣僚の要というべき財務大臣はこれくらいの重鎮がいい。総務大臣は元三重県知事で、いわずと知れた地方行政のエキスパート。

 まあ、衆議院で過半数を制している限りは、民主党の面々を閣内に取り込むことはありえないだろう。しかし、もはや政党とか政治家とかいう了見の狭いことをいっている場合ではない。民間人も含めて、その分野に精通していちばん力を発揮できる人材を選ぶべきだ。白羽の矢を立てられたほうも、党首や派閥のボスと相談などせず、憂国の志をもって引き受けてほしい。

 安倍さんは人事で妥協することなく、戦う姿勢を鮮明にすべし。変人の前任者は人任せにせず、本当に自分で決めていたらしいから。

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2007年8月13日 (月)

大勝負

 参議院選挙で自民党が大敗して2週間。

 今回はフタを開ける前から勝負は決まっていた。問題はどの程度の負け方かということだったが、年金問題への対応や相次ぐ閣僚の失態に対して有権者の審判は厳しく、地すべり的な大敗を喫した。

 ところがよく考えてみたら、実はこの選挙ではたいした政策論争は行われていない。一昨年の衆議院選挙は郵政民営化一本に絞って大勝したが、今回は振り子の振幅が逆に大きく揺れたにすぎない。自民党は年金不払いという大きな妖怪に蹴散らされてしまったのだ。

 われわれ日本人は、流行に惑わされやすく飽きやすい国民である。時代の寵児だったホリエモンや村上ファンドにしても、逮捕されたとたん手のひらを返したかのようにこぞって攻め立てる。同じように内閣支持率が下がったとみると、いっせいに政権党に逆風が吹き荒れる。就任当初はクリーンで清新に見えた安倍さんが、くたびれていかにも頼りなげに映るのは悲しい。

 でも冷静にみると、就任後の安倍さんにはこれといった大きな失点は見当たらない。経済は安定し、外交安保、訪中・訪韓、日米首脳会談、防衛省の昇格、国民投票法や教育基本法改正などいずれもソツなくこなしている。格差問題やら年金不払いなどは彼一人の責任ではない。

 ただ、前任の小泉さんに比べたら真面目一本やりで華がない。聴衆の反応を意識した老獪な演技ができない。しゃべりが回りくどくて活舌が悪い。小泉さんならまず結論を言う。そしてワンテンポ置いてから、必要に応じて理由を説明するだろう。ボクはエライ人はこのスタイルがいいと思う。話が長いと言い訳がましく聞こえて損をする。

 いっぽう、大勝した民主党の本当の正念場はこれからだ。何でも反対するだけの万年野党から脱皮して、自ら政権を担当する力を身につけねばならない。しかし、右から左までの寄り合い所帯だけに党運営は難しい。その意味では、主張の当否は別にして小沢党首が首尾一貫してテロ特措法延長に反対の姿勢を堅持していることは立派だと思う。党の基本方針はコロコロ変えるべきものではない。

 当面はお手並み拝見というところだが、ボクの描く理想的なシナリオは、年内に衆議院解散・総選挙、そして民主党への政権交代。そのなかで民主党は大きな血を流してウミを出す。さらに政界再編が加速して、次回の総選挙では新自民党が巻き返す。

 ということで、これからしばらくは面白くなりそうだが・・・

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2007年8月 2日 (木)

官製談合

 わが町H市のN市長が、清掃工場建設工事をめぐる談合で逮捕された。また全国紙にH市の名前が出るが、あまり名誉なことではない。

 この事件にかかわったとされる府議や副市長、O組幹部が逮捕されてからもう2ヶ月近く経つ。この種の事件では短期間のうちに関係者に官憲の手が伸びて、一網打尽に逮捕されるのが普通である。ところが今回はあまりにも時間がかかりすぎていたので、もしやシロではと一縷の希望を持っていた。別にボクは市長の知り合いでもないが、地元民の一人としてそう信じたかったのである。

 しかしその淡い期待も砕かれて、ついに逮捕。しかも容疑は収賄ではなく競争入札妨害(談合)である。

 検察は収賄でさんざん調べたはずだ。しかし結局はカネの動きを抑えられず、容疑を談合に切り替えたのだろう。

 新聞などによれば、市長は話し合いの場には同席していたという曖昧な供述をくり返しているという。当局がどの程度の証拠を握っているかは分からないが、市長が談合に主導的役割を果たしたとも思えない。

 この手の事件はたいていカネがからむ。そしてカネの授受によって行政の公平性が歪められるから可罰性が高まる。今回は大挙してガサ入れしてみたものの本丸(収賄)が落とせなかった。検察の見込み違いで、この程度の談合で自治体のトップを起訴するのかという喧々諤々の議論がギリギリまであったものと思う。それでも最終的に談合で逮捕したのは検察の面子でしかない。

 他の関係者の起訴はやむをえない。しかし市長に対するカネの流れがないことが当初から分かっていたら強制捜査はなかったのではないかと、ちょっと気の毒に思う。

 この裁判の行方に注目したい。

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2007年7月27日 (金)

消費税

 いよいよ明後日は参議院選挙の投票日。

 今回の選挙で気になるのは争点が年金一辺倒になっていること。政党や候補者が『消えた年金』ばかりを論じ、マスコミがそれを焚きつけて、国民の関心もそっちに向いている。たしかに年金は重要なテーマだろうが、国政選挙の争点としては、経済、財政、外交、安全保障、憲法改正、公務員制度改革、教育、福祉から環境問題まで重要課題はいくらでもある。

 それなのに、与野党候補者の演説や政見放送を聞いていると、出てくるのは年金の不払い問題ばかり。

 ちょっとバランス感覚がおかしくはないか。ボクは今回の選挙で隠された最大のテーマは消費税だと思っているが、これについては誰も触れない。この選挙が終わって国会が始まると、財源確保のために消費税増税の話が必ず出てくる。そしてこの問題については、堂々と有権者の審判を仰ぐべきだと思う。

 得票に影響するから、みごとに緘口令が敷かれている。でも安倍さんは正直な人だ。テレビ番組で「私は消費税を増税しないとは言っていない」という本音がポロっと出た。あとで選対本部長あたりからずいぶん叱られただろう。

 中曽根大勲位は首相在任時に売上税を導入しないと大見得を切って「この顔がウソをつく顔に見えますか」と大ウソをついた。これくらい腹黒くないと大物政治家にはなれない。

 そもそも消費税は福祉目的税として導入されたはず。しかしその後、老齢年金の支給開始年齢は65歳にずれこんだ。介護保険制度では保険料に加えて利用者負担など、社会保障はあとすざりの一途。この15年間で消費税の税収は累計 136兆円に達したが、逆に法人三税は不況と減税で 131兆円の減少。話を単純化すると、消費税の増分がそのまま法人税の税収減の穴埋めに充てられたことになる。消費税は福祉に使われたのではなく、大企業の減税に消えたといっていい。

 もう少し時間をかけて、将来の税制をキッチリ議論してほしい。国政選挙はそのための絶好の機会だと思う。教育や福祉を充実させて、老後を安心して任せられるのなら、消費税は10%になっても構わないとボクは思う。

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2007年7月24日 (火)

連呼

 参議院選挙もいよいよ終盤。

 ちょうどウチの事務所の前に信号があって、いつも信号待ちの選挙カーが連呼している。おまけに近所に救急病院があるから、救急車と鉢合わせでもしたら電話も聞こえない。

 数日前の新聞に「騒音公害をまき散らして平気な候補者を信用できようか」という投書があった。なるほどと思う。彼らは騒音だけでなくCO2もばらまいている。

 病人や赤ちゃんのいる家はさぞかし迷惑していることだろう。夜勤明けの人も睡眠不足になる。病院や学校の周辺では音量を落とすことを義務づけられているはずだが、まったくそんな配慮も感じられない。

 こんな前時代的なことをくり返していたら有権者の反感を買うだけで、得票に結びつくとはとても思えない。

 公職選挙法は連呼を禁じているが、選挙期間中の車上からの連呼は例外として認めている。そもそもこの法律ができたのは60年近く前で、今みたいに馬鹿げた連呼は想定していなかったのではないか。

 各党のマニフェストの入手にも手間がかかるし、限られた情報で比較するのは骨が折れる。不正防止を目的とした今の公職選挙法自体が時代遅れで、有権者の関心を高めるという視点が欠けている。もっとインターネットなどを活用して、政治参画意識の高揚を図ったらどうなのか。

 それとも、あまり投票率が上がると何か具合の悪いことでも…

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2007年7月12日 (木)

参議院選挙

 参議院選挙が告示されて、いよいよ選挙戦に突入した。

 20070712at3s1101x110720071fたしか学校では参議院は『良識の府』だと習ったが、それにしてはおよそ良識とは縁のなさそうなタレントやスポーツ選手が顔を並べている。

 いったい第二院たる参議院の役割は何なのか。「第一院に一致するなら無用であり、それに反対するなら有害である」というのは、フランスの政治家シエースの悩ましい言葉。

 中世ヨーロッパでは、国王の独裁に歯止めをかけるのが議会の目的。だから、貴族代表の上院と市民代表の下院から成る二院制というのはそれなりの存在理由があった。

 そして現在、二院制をとる国の大半は連邦制国家か貴族制度を残している国。つまり、それぞれ二院の性格が異なる。逆に同じような議会を2つ残している国は少ない。

 一昨年の夏、郵政民営化法案が参議院で否決されたことは記憶に新しい。これは参議院の独自性を印象づけることとなったが、党議拘束をかけるようでは衆議院と変わらない。良識の府という以上は、できるだけ政党色を薄めて個々の議員の判断を尊重する仕組みにすべきだ。

 憲法改正のなかで参議院改革はいったいどうなるのか。今回の各党のマニュフェストを眺めていても、あまり具体的な姿は見えてこない。

 国権の最高機関では慎重な審議を行う仕組みが望ましいが、衆議院の補完・抑制機能というだけでは分かりにくい。参議院を残してもいいが、その役割だけは明確にしてほしいと思う。

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2007年6月14日 (木)

大変なこと

 消えた年金の話やらコムソンの不正受給問題やらで、日本中が連日大騒ぎだ。

 しかしもうすぐもっと大変な問題が起きる。6月の給料日から一部の高額所得者を除いてほとんどの人の住民税が上がるのだ。

 これは小泉改革で地方への税源委譲が行われたことによるもので、国税と地方税の負担総額は変わらない。そのうち所得税の減税は1月分の給与からすでに始まっていて、今回の住民税の増税はその先行減税に対応するもの。でも何しろ増税幅が大きい。年収500万円(夫婦+子供2人)の給与所得者だと、年税額は約7万円から14万円近くに跳ね上がる。理屈はともかく、給与明細を見たとたんサラリーマンの不満が爆発するだろう。

 あまり報道されていないが、ここのところの長期金利の上げ幅もキツイ。たったの半年で1.4%から1.9%に急上昇して、事業用借入金を直撃している。また変動で住宅ローンを組んでいる人たちにも負担が大きくのしかかる。

 上場各社は史上最高決算だと浮かれているが、庶民の暮らしはちっとも楽にならない。増税、年金、介護そして談合。国民の怒りは頂点に達している。内閣支持率の低下は止まるところを知らない。

 そんな最中に、タイミング悪く来月の参議院選挙。かなり心配である。

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2007年6月 7日 (木)

消えた年金

 このところ年金問題が取り上げられない日はない。

 ボクが退職して厚生年金から国民年金に切り替わったのは12年前。しかも住所も何度も変わっている。だからかなり危ないらしい。でも社会保険事務所に照会したくとも、電話がパンク状態では確認のしようがない。

 今さら年金を払っていた証拠を持って来いと言われても、10年以上前の領収書が残っているはずがない。政府がやっていることだからと安心していたが、生命保険会社の未払い問題よりはるかに罪が深い。

 最近よく『救済』という言葉を耳にする。しかしその意味は救い助けること。天災ならともかく、明らかに社会保険庁の人為的なミスなのに救済というのは不適切だと思う。

 安倍さんもサミットなんかに行ってる場合ではない。7月の参院選は赤信号が灯りだした。週刊誌では、すでに退陣を見越して後継総裁の話が賑やかだ。

 民主党は千載一遇のチャンスである。ボクは民主党を支持するわけではないが、早く政権交代可能な2大政党制になってほしい。理想は左派を切り捨てて自民党の革新勢力と大同団結すること。まあそこまでは無理だろうが、ちょっと7月が楽しみになってきた今日この頃である。

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2007年5月 3日 (木)

還暦の憲法

 今日は憲法記念日。

 今の憲法が施行されて今年でちょうど60年になる。また改憲論議がにぎやかになってきたが、今朝の日経新聞によると、51%の国民が憲法改正に賛成だそうだ。

 改憲というと、まずは9条の話。
 たまたま昨夜のNHK番組『その時歴史が動いた』(10時30分~11時30分)で『憲法9条・平和への闘争』を取り上げていた。終戦後の復興期に、憲法9条と日米安保、自衛隊をめぐるさまざまの論議があったことを改めて知った。乳飲み子を抱えて安保反対デモに参加する女性の姿。そのモノクロ映像からは、戦争を経験した人々の平和への熱い思いが伝わってくる。それに比べたら、今のわれわれには危機感が足りない。

 占領統治下で押し付けられた憲法だから改正すべきだという人がいるが、今から30年前にボクが大学で憲法を勉強した頃、憲法学者の大多数は護憲派だった。制定過程はともかく、冷戦構造の中で平和憲法を守るのが日本の進むべき道だというのが当時の学識経験者の総意であったと思う。

 しかし、それからさらに30年。内外の環境も大きく変わった。そろそろ改憲の機は熟しつつある。ただし、そのためにはわれわれ国民がもっと憲法に関心を持ち、勉強しなければならない。

 戦争放棄と国際貢献のあり方、環境問題、参議院改革、地方分権、個人情報やプライバシー権など21世紀的課題は多い。時間をかけて丁寧に国民的合意を形成していってほしいと思う。拙速は禁物である。

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