2008年12月15日 (月)

ビッグスリーの救済

 未曾有の金融危機と販売不振で、アメリカ自動車業界に百年に一度の逆風が吹き荒れている。

 自動車産業といえば 20世紀のアメリカを代表する産業分野で、アメリカ資本主義の代名詞といっていい。

 ところが、ゼネラル・モーターズ(GM)・クライスラー・フォードのビッグスリーは今まさに火だるま状態。低燃費の中小型車開発で後塵を拝し、ガソリン高騰や金融危機、消費低迷の直撃を受けた。運転資金が尽きるのは時間の問題だという。

 そのビッグスリーの破綻を、公的資金で救済すべきかどうか。

 難しい政治判断だが、私企業救済のために血税を投入するのはスジが通らないと思う。自由競争社会では自己責任が原則であって、放漫経営のツケをいちいち行政に回されたらかなわない。雇用や経済全体への影響が大きいことは分かるが、いったんは市場原理に任せて、キチンとけじめをつけるべきだと思う。

 何よりもボクは、ビッグスリー首脳たちのあの傲慢な態度が許せない。何十億円という気の遠くなるような年俸をもらって、専用ジェット機でワシントン入りしたかと思えば「自動車産業を救済しなければ米経済に破局的な影響が出る」と議会を恫喝する。自分たちの責任を棚に上げて、いったい何様のつもりなのか。

 先週末、アメリカ上院はその救済法案を認めず、協議は打ち切りになった。決定の評価は今後の歴史に委ねられることになるが、この判断は正しいと思う。中途半端な延命策よりも、生死を賭した大手術を選ぶべきだ。

 考えてみたら、オバマもたいへんな時期に大統領になったものである。 

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2008年11月 7日 (金)

Yes,We Can!

 オバマが歴史的勝利を収めた。

 20081106k0000m030138000p_size5初めての黒人大統領。しかも47歳と若い。

 大きな時代のうねりを感じる。ブッシュ政権の行き詰まり。強引なイラク戦争で国際社会から孤立し、金融危機で超大国の威信は地に落ちた。

 時代が彼のような大統領を求めたのだろう。巧みな演説で聴衆を魅了する姿は、リンカーン、ケネディの再来とも評される。

 地元シカゴでの勝利演説を聴いた。20万人以上の支持者たちが会場に詰めかけて、歓喜の叫びと拍手が地鳴りのように響く。胸が熱くなった。これだけの多くの人たちが大統領選挙に真剣に参加できる国を本当にうらやましく思う。

 たしかにオバマの話し方は人の心をつかむ。ニューハンプシャーでの予備選でヒラリー候補に負けたあとの演説は、何度聴いても素晴らしい。これがミュージックビデオになっている。

 Yes we can! 私たちにはできる。

 Yes, we can.
 それは、この国の運命を宣言した建国の文書に書き込まれた信念だ。

 Yes, we can.
 それは、真暗な闇夜を抜けて自由への道を切り開いた奴隷や、奴隷廃止活動家たちがささやいた言葉だ。

 Yes, we can.
 それは、遠い岸辺を出発した移民たちや、容赦ない未開の地を西へ西へと進んだ開拓者たちが、歌った歌。


 
防弾ガラスの前で、変革の時が来たと勝利宣言する若き指導者の演説は感動的だった。話術の巧みさは申し分ないが、行政経験は皆無に等しい。これからアメリカはどうなる。世界中が注目している。いよいよお手並み拝見である。

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2008年10月 3日 (金)

国家機密

 北の将軍様の健康状態が、さまざまな憶測を呼んでいる。

 2008092400000513sanintview000_2このところ公の場に姿を見せないので、重病説、死亡説などが飛び交っている。

 国家元首の健康は、重大な国家機密である。特に社会主義国家や軍事独裁政権ならなおのこと。

 有名な話だが、かつて死の床についた武田信玄は、重臣を枕元に集めて「3年間我が喪を伏せよ」と命じた。しかしこの情報化時代に、とてもじゃないがそんな芸当はできそうにない。

 若い頃に読んだ『影武者徳川家康』(隆慶一郎)は、関ヶ原の合戦で家康が暗殺されて、そのあとは影武者に入れ替わっていたという話。荒唐無稽な展開は読みごたえがあるが、いくら似ていても近臣たちまで欺けまい。あの時代とはいえ、厳しい緘口令で真実を塗り込めてしまうなどという芸当は難しかったはず。

 冒頭の話に戻ると、父親である金日成主席の健康状態も伏せられていた。そしてその死は34時間隠されていたが、今ならせいぜいそのあたりまでが限度だろう。本当かどうかは知らないが、アメリカ国防省はハイテク技術を駆使して、髪の毛1本、小皺1つのレベルでその動静を監視しているらしい。

  はたしてあの将軍様が、独特の服装で手をたたきながらまた、公の場に姿を見せることがあるのだろうか。

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2008年9月 1日 (月)

アメリカ大統領選挙

 海の向こうの大統領選の話。

 次から次から新しい役者が登場して、話題にはこと欠かない。こういうのを見せられると、つくづくアメリカというのは底の深い国だと思う。

 今朝の日経コラムを読んでいて気がついたのだが、1年前の世論調査では、共和党はジュリアーニ・前ニューヨーク市長が有力とされていた。あの9.11テロで一躍有名になった人である。対する民主党はヒラリー・クリントン上院議員が頭ひとつ抜け出していた。イラク戦争の余波もあって、アメリカ初の女性大統領を予想する向きが多かったように思う。

 それがこの1年の間に、さまざまの紆余曲折があって、最終的にはオバマとマケインの一騎打ちとなった。今や両陣営の勢力は拮抗していて、予断を許さない。

 これまでの経緯をふり返っても政治はドラマだという感を強くするが、さらにここにきて副大統領候補をめぐる戦術が巧妙で、観衆を飽きさせない。

 47歳のオバマは、あえて予備選で激戦を演じたヒラリーを外して、18歳も年上のバイデン上院議員を女房役に選んだ。

 報道によると、彼はオバマのアキレス腱とされる外交・安全保障を得意分野とする論客だとか。白人でカトリック教徒という毛並みは、共和党支持層への食い込みが期待できるだろう。そして何よりも35年という議員歴が、オバマの若さや経験不足を補える。

 いっぽうのマケインは、アラスカ州のペイリン女性知事(44)を指名した。こちらは筋金入りの保守主義者だという。地味なマケインの脇に、人目を引く派手な花を配するのは心憎い演出。陸軍兵士からダウン症の乳児まで5人の子の母で、今や全米メディアの話題を独占している。

 共通しているのは、オバマ・マケインともに自己の弱点を熟知していて、これをカバーできる人材を補佐役に選んでいるということ。

 さらにこの二人の副大統領候補が、ほとんど中央政界では無名だったということにも驚く。アメリカという国は、人事について先例や年功序列などをまったく気にしない国なのだ。

 国民性の違いもあるが、党大会の盛り上がりや観衆の熱狂ぶりは少々うらやましい。目を転じてわが日本。福田改造内閣や民主党の無風選挙を見ていても、「この国を変える!」という熱い心意気が伝わってこないのが何だか悲しい。

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2008年7月10日 (木)

洞爺湖サミット

 洞爺湖サミットが終わった。

 いくつか感じたこと。

 Cap_053まず議長の福田首相だが、どうもこの人には華がない。少なくとも国際舞台の中央に座る人ではない。英語力不足もあろうが、引っ込み思案で各国首脳が談笑する輪に入っていけない。日本の顔としてはもう少し存在感が欲しいところ。

 政治家にとって、サミットの議長というのはそれほど魅力的なものなのか。モトはと言えば、前任の安倍さんが務めるはずだったのが、急な辞任劇でおハチが回ってきたにすぎない。この人はむしろ、裏方をソツなくこなすのが向いている。

 思い起こせば8年前の沖縄サミットのときもそう。お膳立てをした小渕さんの急逝で森さんに思いがけない大役が転がりこんできた。でも無神経な森さんは、上機嫌で終始うれしそうだった。

 この8年でサミットの顔ぶれもすっかり代わったが、3人もトップが交代したのはわが日本だけ。この腰の落ち着かなさは、諸外国からはどう思われているのだろう。

 沖縄で開催したのは、基地問題を前進させるという政治的思惑があったから。でも、今回はなぜ洞爺湖なのか。自然にあふれた北海道は安倍さんが提唱した美しい国のイメージに合うからか。ついでに自著『美しい国へ』の宣伝効果も期待していたのかもしれない。それにしてもロシア大統領が初めて北海道の地を踏んだというのに、積年の北方領土問題については解決の糸口すら見えない。

 いったい費用対効果、つまり収支計算は合うのかどうか。何百億円という血税を投じて得たものは何か。警備上の障害が少ない会場とはいえ、飛行機や船で日本中の警官を集めたのだから、かかる費用もハンパじゃない。

 あのプレスセンターだって、30億円もかけて作って、終わったらすぐに取り壊すらしい。環境とかエコとか言いながら、やってることが首尾一貫しない。

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2008年5月16日 (金)

四川大地震

 ミャンマーのサイクロンにも驚いたが、今度は中国で大地震。このところ世界で大きな自然災害が続いている。

 ようやくテレビで国際映像が流れてくるようになったが、その被害規模は想像を絶する。肉親や家を失い、飢えや病気に苦しむ人たちの労苦や悲嘆を思うと心が痛む。

 日本政府が中国側と協議して、5億円規模の支援をすると発表した。しかし始動が遅い。被害状況の全貌をつかむことも大切だが、瓦礫の下で救援を待ちわびる人たちがいるのだ。こういう支援活動は一刻も早く、直ちに日本中の自衛隊機を現地に差し向けるくらいの心意気でなければならない。

 断っておくが、ボクは中国など好きではない。冷凍ギョーザ問題や東シナ海の天然ガス開発など懸案山積だが、しかしそれとこれとは質が違う。ややこしい話はすべて棚上げしてでも、とりあえず人命救済と災害復興に全力を挙げねばならない。

 中国に恩を売るためではない。同じ人間として、東アジアの隣人として当たり前のことだ。政治的思惑もない。ここは世界に率先して、日本が援助の手を差しのべるべきと思う。

 まったく感謝もされないODA(政府開発援助)とやらで、日本はこの20年間で6兆円もの税金を中国というドブに捨ててきた。それに比べたら、ずっと生きた金の使い道ではないか。

 救援物資を満載した自衛隊機が被災現場に次々と着陸する。瓦礫の中を日本人医療スタッフたちが走り回る。そしてその一部始終が、世界中に映像として配信されるのだ。こうした非常時こそ、われわれの行動力や決断力を国際社会に示す好機。傍観しているときではない。

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2008年4月28日 (月)

アメリカと中国

 今日で54回目の誕生日。

  自分があと何年生きるかは分からないが、平均寿命まで残り20~30年。その間に、この国際社会はいったいどうなっていくのかと思うことがある。

 アメリカと中国。この2つの大国の間にあって、これからの日本丸の舵取りは難しい。

 人口で国力を計るなら圧倒的に中国が優位。日本の各企業も、この国の潜在的な市場を視野に入れて、橋頭堡を築こうと懸命になっている。商社しかり、メーカーも銀行も。しかし、社会主義国家への投資リスクは軽視できない。

 今年は北京オリンピックを控え、開放された自由な国家というイメージを世界に示そうと懸命になっている。でも、食の安全や環境・エネルギー対策など、自国に不利な話になると貝のように口を閉ざしてしまう。積年の台湾問題は未解決で、さらに今回のチベット暴動。わが国との戦後問題もいまだに引きずっていて、信頼できる東アジアの同胞として胸襟を開き合うところまではほど遠い。

 いっぽうのアメリカ。戦後の日本は、否応なしにこの国との安全保障体制を機軸とした外交政策を展開してきた。そのアメリカは今や大統領選一色で、日本のメディアの過熱ぶりも異常だ。民主党の候補者選びでヒラリーだオバマだと大騒ぎしているが、この2人の演説を聞いているとアジア政策は中国一辺倒。こんな大統領が出てきたら日米関係が冷え切ることは間違いない。日本人としては、せめて共和党マケイン候補の勝利を願う。

 さらに気になるのは、台湾総統選での国民党圧勝。台湾独立派の後退は、覇権国家中国の思うつぼ。中国が台湾を支配して、やがては太平洋をアメリカと二分する安定勢力になれば、アメリカの極東軍事政策も変わってくるだろう。

 日本の頭ごしに米中の連携ができたら、日本はその狭間で力を削がれて孤立化していく。内政も大切だが、外交にはもっと大きなエネルギーを注がねばならない。

 とは言っても、今の日本の政治家にはそんな余裕はなさそうだが…

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2008年4月26日 (土)

聖火リレー

 長野市での聖火リレーの中継を見ていた。

 警察から機動隊まで、まさにアリの入り込むすき間もない厳戒体制。空から爆撃でもしない限り、妨害するのは難しそうだ。

 77481_c450本来なら、お祭りの前哨戦としての楽しいイベントだったはず。それがこんな大騒ぎになって、聖火は国賓なみのお付きを従えてやってきた。出発・点火式会場へは一般観客は立ち入り禁止。聖火ランナーの走る区間も原則公表されない。そんなに危険ならやめたらどうかと言いたくなる。

 これこそ国威発揚の場でしかない。日本政府は国家の威信をかけて万全の警備体制で臨み、中国は中国で開催国の面子をかけてハラハラしながら対岸の騒ぎを見守っている。あとの国はきっと面白半分で眺めているのだろう。

 気の毒なのは長野県警と長野市民。連休どころではない。こんなに膨大な費用や手間をかけて、何のための聖火リレーなのか。

 とりあえず大きな事故がなかったのは幸い。爆弾を抱えたまま、聖火は今夜ソウルに旅立つ。しかし厄介払いをしてホッとするのも束の間。あと10日もすれば、今度は胡錦濤国家主席がやってくる。国際世論を慮ったのか、数日前にいきなりダライラマとの対話を言い出したのには驚いたが、このヒトもなかなかの難物で、福田さんには荷が重い。

 成田空港は出国ラッシュだそうだ。景気はいいのやら悪いのやら。でもそんなのカンケーナイ…

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2008年4月 7日 (月)

北京オリンピック

 北京オリンピックをボイコットする動きが広がるなかで、フランスのサルコジ大統領が開会式に出席する条件として、中国政府とチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世との対話開始など3つを挙げている。

 いずれも中国側の受け入れが困難なものばかりだが、今のヨーロッパでは「人権」は錦の御旗。オリンピック期間中、EU議長を務めるサルコジが正式に欠席を決めれば、EU諸国に同調が広がる可能性も出てくる。

 サルコジは好きではないが、この揺さぶりはなかなか老獪。外交とはこういうものであって、思わず拍手喝采したくなる。音なしの構えを決め込む福田首相にはとうていマネできないだろう。

 1980年のモスクワオリンピックのときには、当時のカーター大統領がソ連のアフガン侵攻に猛然と噛みついた。日本国内でもスポーツと政治をめぐって激論が戦わされたが、たしか不参加が優勢だったと記憶している。

 テレビでも討論特番が組まれた。そのときコメンテーターの大島渚が「公式行事拒否・競技には参加」という折衷案を主張していて、ボクはなかなかいい案だと思った。

 結局、日本はアメリカに追随し、ボイコット国の総数は50ヶ国に及んだ。しかし、政府がJOCに参加を見送るように圧力をかけたこと自体がおかしい。選手たちが気の毒だったし、後味の悪さだけが残った。
 
 その反省も踏まえて、今回の対応を考える必要がある。

 たしかにオリンピックと政治は一緒にすべきではない。しかし政治から切り離すべきは競技であって、国威発揚の場である開会式は別なのではないか。

 国家権力によって無辜の少数民族が蹂躙されていることを、われわれは看過してはならない。スポーツ競技は政治的に無色透明であるべきだが、全世界が注目する開会式こそ、国際社会がこぞって中国政府にレッドカードを突きつける絶好の機会なのだ。旗手だけの行進や、一部のドイツ選手が提案しているように、チベットの民族衣装を着て参加でもされたら、中国の面子などマルつぶれだ。「競技に参加はするけれど、ひとこと言わせてもらう」という明確な意思表示が必要と思う。

 このオリンピックで中国の民主化が進むというのは大きな幻想だ。中国では厳格な情報統制が行われていて、国民には知る権利すら与えられていない。インターネットも閉ざされ、都合の悪いサイトには自由にアクセスできない。そんななかで開会式は、中国国民に国際世論の批判に気づかせる絶好の機会といえる。

 そこでわが日本はどうすべきか。対中関係が大切なのは分かるが、それとこれとは別。許されないことには毅然としてNOと言おう。様子を窺っている国が多いなかで、世界に先んじて開会式をボイコットすべし。それによって国際社会の日本を見る目が変わることは間違いない。

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2008年3月20日 (木)

チベット暴動

 チベットで血なまぐさい暴動が起きている。

 北京オリンピックの開催地として、世界中から注目される中国。ところが食の安全に大気汚染、そして今回のチベット暴動と、次から次へと厄介な問題が勃発している。

 ちょっと世界地図を広げてみる。中国からヒマラヤ山脈の北側につながる平均海抜4,500mの高原地帯。面積は日本の3倍ほどで、険しい荒野には豊富な天然資源の埋蔵が確認されている。

 東洋史をひも解くと、もともとチベットは古代から独立国家だった。そして最初にこの辺境の地に手を伸ばしてきたのは、秦の始皇帝。言葉も文化も違うのに、強引に本国に統一してしまう。

 世界の中心を意味する中華という言葉。その後、漢民族を中心にこの中華思想が深く根を下ろし、一つの中国を維持することが為政者の最大の使命とされてきた。

 歴史に『もしも』はないけれど、もし始皇帝が出現しなかったら、中国もヨーロッパみたいに多くの国家に分割されていたのではないか。

 アメリカは合衆国であり、かつてのソビエトは連邦だった。中国とひと口に言うけれど、民族(漢民族を含めて55の民族)も言葉も宗教も文化もさまざまで、これをひとつの統一国家として維持していくのは並大抵のことではない。

 近世では、清の滅亡後いったん独立国家となるが、1950年に中国人民解放軍による侵攻を受けて軍事制圧される。チベットが国連に加盟していなかった不幸もあり、国際社会は中国による蹂躙を黙殺してしまう。

 既成事実が積み上がって歴史が形勢されていく。台湾問題や北方領土問題も然り。チベットの経済的、軍事的価値が高いことを考えれば、今となって中国政府がチベットの独立や自治を安易に受け入れるとは思えない。 

 看過してはならないのは、今回の暴動の根幹には、中国がチベットに対して行ってきた不当な占領と弾圧の歴史があるということ。一部のチベット族の騒乱ではなく、長い悲惨な歴史の延長線上の事件なのだ。国際社会は、ことによってはオリンピックのボイコットも辞さずというくらいの腹を据えて中国に圧力をかけるべきだ。少なくとも、ダライ・ラマの帰還と信教の自由あたりを保証しないと、チベット族の怒りは収まらないだろう。

 レーニンは異なった民族を国家に束ねるには平等政策が必要だと説いた。少数民族を圧迫するから民族主義が台頭するのだ。いまだに中国がマルクス主義を標榜するならば、まずは社会主義の原点に戻って平等政策を徹底すべきであると思う。

 今回の暴動は、ひとつ対応を誤ると中国という国家の崩壊につながりかねない危険性を孕んでいる。

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2008年1月22日 (火)

サルコジ

 フランスのサルコジ大統領が、イタリア出身の歌手と再々婚するらしい。

 大統領職は独身では荷が重いことを理由にしているが、それは表向きの話。フランスといえば恋愛至上主義で有名なお国柄で、公人とて例外ではないということだ。

 52歳の現職大統領が、離婚後すぐのバカンスに大スターの恋人を同伴し、手つなぎ&水着で2ショット写真を撮られる。時あたかも年金改革反対ストの中、私生活を意識的にさらけ出すことで政治批判の矛先をかわす。何ともしたたかなフランス流だが、独身だった小泉元総理がこんなことをしたら、タダではすまなかっただろう。

  過去にもミッテラン大統領がエリゼ宮に愛人と隠し子を囲っていたのは公然の秘密だった。でもそれが失脚につながることはなかった。フランス人はプライベートにはおおらかで、官舎に愛人を住ませていたくらいで公職を追われるどこかの国とは大違い。

 それがいいとも思わないし、サルコジは生理的に好きではない。しかし、その悪びれない堂々たる振る舞いはご立派。大統領だって生身の人間だから、50歳を過ぎても恋愛はできる。ただ多くの人は、年齢や肩書きのためにその欲望を封殺するものだ。

 もちろん、福田総理にこんなパフォーマンスを期待するわけではない。しかし、国際舞台に目をやると、サルコジを始め、メルケル、プーチン、ブラウン…ひと癖もふた癖もありそうな各国の首脳と比べるといかにも地味で華がない。

 このところの株価の急落や円高の進行に何の手も打てない。現状打開のためには、ここらあたりでそろそろ腕っ節の強いリーダーの出番ではないか。歴史はくり返す。功罪半ばするものの、気宇壮大な夢を熱く語り、馬車馬の如く突っ走る田中角栄のような豪腕宰相が望まれる。

 ギラギラした色気などいらないが、どうも今の総理を見ていると、ちょっとアドレナリンが足りないのではないかと思う今日この頃である。

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2008年1月10日 (木)

女の涙

 アメリカの大統領選というのは分かりにくい。

 今やっているのはそれぞれの党が各州で行う予備選というヤツ。日本でいうと各党の都道府県連が誰を推薦するかというレベルの話で、これがバラバラと延々6月頃まで続く。泣いたり抱き合ったり大騒ぎしているが、まだ序盤戦が始まったばかり。これがようやく終わった頃に各党の大会が開かれて、両党の正副大統領候補者が決まる。

 一般投票は11月4日。これで当選者が事実上決定した後、12月15日の選挙人投票で正式に当選者が決まる。就任式は来年1月20日だから、これから丸1年かけて大統領選挙をやるのだ。

 2008010900000029jijpintthum000ということで、まだ一喜一憂してもしかたがないのだが、劣勢を伝えられていたヒラリー・クリントン候補がニューハンプシャー州予備選を制し、民主党の指名争いに踏みとどまったらしい。

 海の向こうの、しかもどこにあるのか分からないような州の予備選の結果などあまり関心もない。日本のマスコミも少し騒ぎすぎだと思う。

 しかし興味があるのは、アメリカ大統領選という大掛かりな舞台装置に登場する候補者ともなると、さすがに芸達者が揃っているということ。

 数日前にアイオワ州で敗れたヒラリーの涙は、テレビを通じて世界中を駆け巡った。「女の涙は武器」というのは日本の某元首相の言葉だが、アメリカの風潮(涙を見せるのは弱虫)と彼女のキャラからすればマイナスだと思った。同情されるよりも、むしろ「やっぱり女には大統領を任せられない」という印象を与えるだろうと感じた。

 しかし結果は逆。今回の出口調査の結果を見ると、あの涙が好感度アップに寄与している。役者が違うと感じた。計算づくだとしたら、女はしたたかである。

 この人には油断はできない。名うての対日強硬論者。このまま勢いがつけば、日米関係は難しくなるような予感がする。

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2007年12月19日 (水)

北欧に学ぶ

 各報道機関の調査によると、福田内閣の支持率が急落しているらしい。

 国民とは移り気でとらえにくいものだが、どうも我々の期待値と政策とがうまく噛み合っていない。そういうもどかしさが数字に表れている。

 安倍前内閣の「戦後レジームからの脱却」にしても、福田内閣の「自立と共生」にしても、スローガンとしてはきれいだが、一国の政府たるものの中核に座るような言葉ではない。つまりは本質から外れている。

 内閣の目的は、単純化すれば2つだと思う。

 外向きには、国際的地位の向上。まずは競争力を高めて日本の経済基盤をゆるぎないものにすることだ。

 情けないデータがある。世界経済フォーラムの調査によると、今年の日本の競争力は8位、1人当たり国内総生産(GDP)は何と18位。15年前には競争力はダントツの1位、GDPは3位だったはずだ。このままでは日本は坂道を転げ落ちていきかねない。国際貢献とやらも大切だが、それは余裕があっての話。さしたる資源もなく慢性赤字に悩むこの国では、喫緊の政治課題が山積している。もっと危機感を表に出して、大胆な戦略的政策を国民レベルで議論できないものか。

 そして内向きには、国民生活の質を向上させること。豊かで安心できる暮らしのための社会基盤の整備に力を入れてほしい。北欧諸国は社会福祉がいき届いていることで知られているが、驚くべきは、その社会保障のために国民が所得の7割もの税金や社会保険料を負担しているという事実。

 税金が少々高くても、使い道が納得できて安心できる老後が保証されていたら誰も文句は言わない。たとえばスウェーデン。まずは徹底した情報公開による透明性の確保、さらに国民の意思を手際よく政治に反映させるための仕組み、政策決定への住民参加など、日本も見習うべき点が多い。

 週末の日経の中外時評が面白かった。
 レイモン・チャンドラーの「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という名文句を引き合いに出して、(経済の)強さと(社会保障の)優しさを兼ね備えた北欧諸国から学べという。

 長年、酷寒の地で自然と戦ってきた人々。そしてそこで培われた大人の分別と自立心、環境への対応力と相互扶助の精神が今大きく花開いている。

 日本も戦中・戦後の物不足の時代はもっと大人だった。高度成長時代はみんな歯を食いしばって働いてもきた。しかし、豊かになりすぎたのだろうか。過ぎたるは及ばざるが如し…

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2007年8月30日 (木)

モンゴルと日本

 あれだけ世間を騒がした朝青龍が、師匠の高砂親方と主治医に加えて大勢の報道陣まで引き連れて、故郷のモンゴルへ帰ってしまった。

2007082900000922sanspothum000  相撲協会も悩んだ末、進退窮まって大きな賭けに出た。「盛り場に出るな」とかバカバカしい注文までつけているみたいだが、コントロールのきかない異国で素直に従うとも思えない。

 おそらくまた向こうでも、24時間日本のマスコミに追いかけ回されるのだろうが、国辱モノだからやめたほうがいい。そんな半病人の一挙手一投足など誰が興味があるものか。

 さっきから地球儀を見ながら、モンゴルの位置を確かめている。日本の4倍の国土を有し、人口は日本の25分の1。日本人とモンゴル人は顔がよく似ているし蒙古斑もある。モンゴル語にも母音と子音の組み合せがあって、主語と述語の関係も日本語に似ているという。

 だから朝青龍はあんなに日本語が上手いのだろうか。しかし、残念ながら日本人にはなれなかった。しょせんは出稼ぎで、日本人の心で相撲をとれなかったのだ。

 イチローや松井にしても、もしメジャーでの習慣に従わなかったとしたら大ブーイングを受けることは必定。角界はもっと閉鎖的な社会だから、言葉だけでなく礼儀やしきたりも新弟子のうちにキッチリ教育すべきだった。

 一連の騒動を見ていると、親方自身がなめられている。相手が横綱であろうが弟子は弟子。ルールを守れないなら引導を渡すくらいの性根が座っていない。またこの問題については最高責任者である北の湖理事長自らがキチンと会見して、ファンに納得のいく説明をすべきだと思う。

 事態をここまで大きくしたのはマスコミにも責任がある。放っておけばいいものを報道陣が大挙して自宅まで取り囲むものだから、精神的にも追い詰められて本人も逃げ場がなくなる。

 世論の反応を見ながら、最後は医師の判断を理由に帰国を黙認するのだろうと思っていたが、予想通りの結果になった。帰国を承認した理事会の後、コメントを求められた理事たちの口は一様に重く固い。相撲協会の責任逃れだといわれたら弁解の余地もあるまい。

 この腰の据わらない不定見とだらしなさを悲しく思う。伝統ある相撲社会が今の世の中で支持され生き残っていくためには、大鉈(おおなた)を振るう必要がある。いきすぎた封建制度も見直して、タニマチとのつきあいや法外なご祝儀などヤミの部分にも思い切ってメスを入れたほうがいい。

 ピンチはチャンスでもある。永田町の自民党もそうだけど・・・

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2007年8月 9日 (木)

タリバンと韓国人

 韓国人のキリスト教徒23人がアフガニスタンで拉致されて、2人が殺害された。

 彼らは布教活動のためにあえて危険地域に入ったとされているが、なぜ外国の紛争地帯に無防備で行くのか。戦乱に苦しむ民衆の救援だとしても、非常識としか思えない。

 15年ほど前に一度だけ韓国に行ったことがあるが、記憶に残っているのはキムチの臭いと教会の多さである。韓国人の約3分の1はキリスト教徒だという。ソウルでは喫茶店の数より教会の数のほうが多いという話も聞いた。国内では教会同士の競争が激しく、牧師も就職難だといわれている。だから新天地を求めて海外での布教活動に目をつけたのかもしれない。

 それにしても、あんな国に行くことはないだろう。各国の報道記者たちも次々と拘束され、日本人の中学教師も射殺された。だいたいイスラム原理主義者というのは、教派が違えば同じイスラム教徒でも殺してしまうような野蛮な連中だ。ましてやキリスト教の布教など至難の業だろう。未伝道地域に対する過度の使命感は自らを滅ぼすだけでなく、多くの人たちに迷惑をかけることを肝に命ずべきである。

 不適切なたとえかもしれないが、台風の最中に回りの制止も聞かずに山登りに出かけて遭難し、大金をかけて救助活動をしてもらうのに似ている。

 なぜそのような危険や困難を冒す必要があるのか。関係者には気の毒だが、これは本来自己責任。アフガン政府はテロリストたちの不当な要求に断じて屈してはならないと思う。

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2007年7月25日 (水)

バイオエタノール

 原油価格が高騰するなかで、新たな自動車用燃料としてバイオエタノールが注目されている。

 これはサトウキビやトウモロコシなど植物を使って作られるエタノールのことで、環境にもやさしい新型燃料だとされている。

 このバイオエタノールに世界的関心が高まったのは、アメリカのエネルギー戦略の中核に据えられたからだ。これによって、原油の中東依存を減らして原油価格の高騰に歯止めをかけられる。穀物相場が上昇したら農家への補助金が削減できる。さらに地球温暖化防止にも効果がある。などと、たしかにブッシュ政権にはいいことづくめだ。

 先日の報道特集によれば、ブラジルではバイオエタノールで走る車が全体の15%にものぼるという。環境にやさしく値段が安い(ガソリンの半分くらい)のが魅力。欧米でも需要が高まってきていて、こうした世界的なエネルギー政策の転換を見越して、バイオエタノール先進国であるブラジルは世界への輸出拡大を狙っているらしい。

 しかし、いいことばかりではない。

 アメリカでは、生態系を無視してトウモロコシに生産が集中し、土壌浸食や砂漠化が進んでいる。ブラジルでは、サトウキビ生産拡大のために大規模な森林伐採が行われている。そのほかの途上国でも、多国籍企業による食料から燃料用作物への転換やプランテーション型の農業の押しつけによって、小規模農民が農地から追い出される事態なども起きているらしい。
  
 トウモロコシの需給は逼迫(ひっぱく)し、国際価格はこの1年で倍近くに高騰した。メキシコでは庶民の食生活を直撃し、大規模な抗議デモが起こった。日本でも家畜飼料や食用油の値段が高騰し、マヨネーズなどが値上がりしている。

 そして何よりも、この地球にはまだ貧困にあえぐ10億人以上の子供たちがいる。彼らからの「なぜ食べ物で自動車を走らせるの」という素朴な疑問に対して、いったいどう答えるのか。『人と車の食料の奪い合い』は発展途上国や低所得者の食料を脅かしかねない。

 日本政府も昨秋から、バイオエタノールの導入に本腰を入れ始めた。しかし、国際市場と比べて割高なサトウキビから作った国産エタノールが、輸入品と競争できるはずがない。結局は大部分が輸入になるだろう。CO2削減をいいながら、遠隔地から石油を使って輸送するというのは本末転倒ではないか。

 化石燃料から自然エネルギーへの転換のためには、バイオ燃料の開発が重要なのは分かる。でもそれは食料と競合しない植物資源を活用すべきだ。その地域で廃棄される資源を利用するという発想も大切で、日本なら稲わらや廃材が使えないものかと思う。   

 この問題についての日本政府の対応を見ていると、アメリカのお先棒を担いでいるとしか思えない。食料やエネルギー戦略には長期的展望が必要だが、今の農水省にはそんな余裕もないでしょうね~

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2007年5月11日 (金)

フランス大統領選

 先日行われたフランス大統領選の開票結果をテレビで見ていた。

 まずは 85%という驚異的な投票率に目を見張った。もし日本で首相公選が実現したとしても、70%がいいところだろう。フランス人は昔から政治に関心が強いといわれている。夜9時というゴールデンタイムの政治討論会で 30%近い視聴率を稼ぐ国だ。そういえば大学で第2外国語を選ぶとき、法学ならドイツ語、政治学ならフランス語を選ぶのが普通だった。

 右派サルコジの圧勝で、停滞していたフランス経済は活性化するのか。ボクは彼の政策を支持しないし、その強引な政治手法は好きではない。相手のロワイヤル候補が力不足だったことが悔やまれる。ともあれ、これでフランスはかなり変わってしまうような予感がする。日本との付き合いにしても、有数の親日家として知られたシラクとのようにはいかない。

 フランスの格差問題は深刻で、とりわけ移民にかかわる問題は根深い。人口6千万人の国で、5百万人の移民が社会の底辺に巣食い沈殿している。

 昨年、サルコジは内相として移民を選別する法律をつくった。簡単に言えば、移民に格差をつけて、高学歴の外国人は受け入れるが、そうでない者は追い出す。力ずくで事態を打開するやり方は暴発を招きかねない。

 ルノワールに『雨傘』という作品がある。傘が開くパリの街角で一人、雨にぬれたままの娘が立っている。産業革命で貧富の差が拡大した頃のことだ。西洋史学者の木村尚三郎は、この絵に当時の格差社会を見る。安い傘1本買えない娘。ルノワールはその悲しみを描いたという。

 はるかヨーロッパの話だと、安閑ともしていられない。格差と外国人労働者というのは、近い将来の日本が直面する課題でもある。

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2007年4月17日 (火)

温家宝首相

 中国の温家宝首相が、日本での訪問予定を終えて帰国した。

 彼の人柄と呼び方のことで、それぞれ感じたことを1つずつ。

 まず人柄だが、国会演説でも派手なパフォーマンスはなく、温厚で誠実に仕事をこなす実務派という印象を受けた。今の中国指導部は彼を含めて理系優位である。人を威圧するカリスマ性はないが、感情に左右されない沈着さがある。

 いっぽう日本で理系のトップといえば、土木を学んだ田中角栄元首相(ただしこの人は理系に見えないが)くらい。技術屋というとどうも裏方の役回りが多いが、ものづくり立国を標榜するなら、科学技術に理解の深い人たちがもっと政治や経済の表舞台に出てもいいと思う。

 もうひとつは呼称の話。
 ここしばらく新聞で何度も『温首相』という活字を目にするが、これは実は日本だけの言い方で、中国では『国務院総理』という。それをどういうわけか、日本のマスコミは首相と呼んでいる。

 ボクは1990年代前半に、たびたび上海や北京に出張していた時期があった。朝起きると読めないながらも現地の新聞を手にする。すると、当時の朱鎔基首相の肩書は総理となっていた。帰国して調べてみたら、『相』とは『大臣』と同じく国王の補佐人で、首相とはそのボスのこと。国王のいない中国では大臣や首相はいないはずだ。

 実際、各国の元首を日本語にどう訳するかは難しい問題だ。
 一般に議院内閣制における行政府の長を首相と訳しているようだが、漢字の意味からすると、国王不在の国で首相というのはおかしい。
 アメリカには国王がいないから、ブッシュ大統領の下の役職は長官という。女王陛下の国イギリスは、ブレア首相で善しとしよう。フランスやドイツには国王はいないのに、なぜだか首相がいる。

 日本と中国は同じ漢字を使っているから話がややこしい。でも、これも外国語の一種だと割り切って、すべて原語で統一したらどうだろうか。日本の新聞を中国人が読むと、いらぬ誤解を与えかねないと思う。

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2007年2月11日 (日)

ヒラリー・クリントン

 才色兼備とはこういう人をいうのだろう。

 ヒラリー・クリントンが、公式HPで来年のアメリカ大統領選挙に出馬を表明した。ビル・クリントン元大統領のファーストレディ。『知名度と人気』に加えて『政治参謀』『資金力』という三大兵器がある。

 こういうニュースを見ていると、アメリカというのはつくづく凄い国だと思う。現政権下でのライス国務長官にしても、国際舞台で堂々とした活躍ぶりだ。

 いっぽうのわが日本では、いまだに「女性は子供を産む機械」などと言う大臣がいる。最近さまざまな分野で女性の進出が目立ってきたが、そのたびに「女なのに・・」という形容詞がつくのは、男尊女卑の残滓が根深いことを物語る。欧米に比べると、国民の意識はまだまだ遅れていると言わざるをえない。

 ヒラリー女史のほか同じ民主党からオバマ上院議員も出馬宣言しているが、こちらは弱冠45歳。彼がもし大統領になれば、史上初の黒人大統領ということになる。この熱い戦いは、なかなか面白くて目が離せない。

 わが日本の安倍さんも、どうやら新鮮味が薄れてきてしまった。しかし、もっと残念なことは、この国には自民党に代わって政権を担える政党が存しないことである。民主党にはもっと期待していたが、こうも右から左までバラバラでは話にならない。何でも反対するだけなら共産党と変わらない。

 日本に健全な議会制民主主義が育つのは、いったいいつのことだろうか。対岸のニュースを見ていて、思わずため息が出てしまう今日この頃である。

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2007年1月26日 (金)

アフリカ

 昨夜遅く家で仕事をしていたら、長女がボクの部屋に入ってきた。

 中学の地理で、アフリカを習っているらしい。そして来週、国名を書かせる試験があって、いちおう全部覚えたつもりだからテストしてみてほしいという。

 「どれどれ・・・」と一緒に地図を開いてみた。現在の独立国家は53ヶ国。もちろん知っている国のほうが少ない。場所と名前が一致するのは、エジプト、南アフリカ、エチオピア、モロッコ、マダガスカルあたりまでで、ケニアやコンゴになると名前は知っていても場所は危なっかしい。

 ボクたちが学校で習った頃はいったい何ヶ国あったのだろう。まだ植民地も多く、同じコンゴでもベルギー領とかフランス領とかいうのがあった。

 「いったいこんなの暗記して何になるんだろうねぇ~」とブツブツ言いながら、長女は結局全部覚えてしまった。やっぱり若い頭は柔軟だ。サントメプリンシペ、カーボベルデ、ナミビア、ボツワナ・・・何度聞いてもボクの固い頭には入らない。

 ボクは子供の頃から大自然や動物が好き。キリマンジャロの麓でジープを走らせながら、野生のライオンやキリンの姿を見てみたいと思う。でもさすがに遠い。なかなかそんな日は来ないだろうから、当分は地図を見ながらのお楽しみ・・・

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2007年1月14日 (日)

ニュージーランドの思い出

 正月休みにニュージーランドに行ってきた知り合いから、キウイのクッキーをもらった。

 少し酸味のある風味を楽しみながら、十数年前に行ったニュージーランドのことを思い出していた。

 ボクはその頃、ある中堅のハンバーガーチェーンに出向していた。当時も今も、日本で使われているハンバーガーパティ(肉のこと)の大半はアメリカ産かオーストラリア産。酪農国であるニュージーランドは日本市場に出遅れていて、お誘いを受けたボクは10日間の視察旅行に行くことになった。

 一緒に行ったのは同業各社の仕入れ責任者4人。旅費から滞在費まで全部向こうの政府持ち。飛行機はビジネスクラスでホテルは4ッ星以上と、大盤振る舞いの大名旅行だった。

 面積は日本の4分の3くらいだが、人口はたったの4百万人。昼間の繁華街でも閑散としていて、ふだん大東京で人の海を泳いでいるわれわれには不思議な感覚。物価も安くて暮らしやすいらしいが、何せ寂しい。

 視察といっても日程はゆったりしていて、呉越同舟の楽しい旅だった。ただし公式行事として、農務省幹部とのミーティングやパーティが組み込まれていたのには往生した。こういうときに英語でちょっと気のきいたジョークを言うのは日本人は苦手である。

 その後、仕事ではニュージーランドとはご縁がなくて、結局はボクの食い逃げに終わって申し訳ないことをした。難しい話はすっかり忘れてしまったが、今でもマブタを閉じると、彼の国の美しい自然が蘇る。

 また招待してくれないかなぁ~
 でもきっと、何も買わなかった会社(ブラックリスト)のいの一番にボクの名前があるだろうネ・・・

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2007年1月 9日 (火)

フセインの絞首刑

 年末の30日、イラクでフセイン元大統領の絞首刑が執行された。

 死刑判決が確定して4日目のこと。ボクは車のラジオでこのニュースを聞いて、あまりの早さに驚いた。

 しかし、いったいあのイラク戦争とは何だったのか。大量破壊兵器は存在せず、開戦の大義は揺らいだまま。フセインはシーア派住民148人を殺害した人道に対する罪で死刑にされた。ただしここには戦争やテロで殺した数は勘定に入っておらず、同じように何千人もの無辜(むこ)の人々を殺戮したブッシュのほうはお咎めなし。国際正義とは常に勝者の一方的な正義であることを、改めて思い知らされる。

 衝撃的だったのは、絞首刑の映像がテレビで流されたこと。また携帯で撮影された生々しい処刑の瞬間の映像が、インターネット上で飛び交っていた。しかし、こんなものを好んで見る人の神経が分からない。罪人であっても最期は静かに迎えさせてやるのが日本流の武士道。でも情報化社会の前では、そんな人間の感情など隅っこに追いやられてしまう。

 サダム・フセインの輝かしい栄光と悲惨な結末は、この先アラブの伝説として語り継がれるのだろうか。しかし彼の歴史的な評価を下すには、まだかなりの時間がかかる。

 いったいイラクは民主国家として再生の道を歩むのか、それとも分裂・内戦による国家崩壊に向かうのか。そしてこれからの国際社会で、テロや紛争の撲滅にわれわれの日本はどう貢献していくのか。さまざまな疑問や不安を抱えつつ、今日1月9日防衛省が発足した。

 家でこの処刑のニュースを見ながら、ふと北朝鮮の将軍サマの顔が目に浮かんだ。膠着する6ヶ国協議の陰で、彼もひょっとしたら「明日はわが身」と危機感を募らせているかもしれない。独裁者は常に孤独なものである。

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2006年11月 4日 (土)

国務長官

 膠着していた北朝鮮問題が動き出しそうだ。

 米中朝3カ国の首席代表が北京で非公式協議を開き、近く6ヶ国協議を再開することで合意したらしい。

 難しい話は別にして、いつもながらアメリカ政府の役職名は分かりにくい。たとえば最近よくビル次官補とかいう人がよく出てくるが、この次官補とはいったい何ぞや?

 アメリカには国務長官(Secretary of State)という役職がある。ライス女史という飛び抜けて優秀な黒人女性がよく登場するが、これは日本の外務大臣を相当エラくしたようなポストだと思えばいい。でもこの役職に国務長官なんていう日本語をあてるのが良くない。お陰でボクは大学に入るまで、これがアメリカの外務大臣だとは知らなかった。

 そして、その国務長官を補佐する国務副長官(Deputy Secretary)がいて、その下に分野ごとに6人の国務次官(Under Secretary) が配置されている。またその補佐官として国務次官補(Assistant Secretary)がいて、さらにその下には国務次官補代理(Deputy Assistant Secretary)とかいうのがたくさんいるらしい。もうこうなるとワケが分からない。誰がこんな訳語を考えるのか知らないが、もうちょっと気のきいた言葉を考えたらどうか。

 英語はともかく、漢字の訳語だって難しい。たとえば中国と台湾。この2つの国で外交を担当する役所の名前は同じく外交部。ところがニュースを聞いていると、中国は外務省、台湾は外交部と呼んでいる。かねがね不思議に思っているが、区別する理由がよく分からない。

 役職といえば、中国や北朝鮮の総書記という言葉もピンと来ない。よく国会で下を向いて筆記している速記係の親玉みたいで、とうてい国家元首の呼び名だとは思えない。首領様とか将軍様とかいうほうがマヌケな山賊の親分みたいな感じが出ていてお似合いだと思うが如何・・・

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2006年10月20日 (金)

またまた英語

 英語ができなくても国際舞台で活躍している日本人はたくさんいると、数日前に書いたばかり。でもやっぱり、できないよりはできたほうがいいのは間違いない。

 北朝鮮制裁決議をめぐって、最近よく国連安保理がテレビに登場する。日本の大島大使やら中国の王大使が頻繁にニュースに出てくるが、いつも感心するのは彼らの流暢な英語。特に王大使。主張の当否は別にして、こんなにきれいな英語を使う中国人をボクは見たことがない。いったいどこで習得したのだろう。

 CNNニュースを見ているとそれがよく分かる。ところが日本のニュースは、本人の映像に日本人アナウンサーの音声をかぶせてしまう。これはいかにも勿体ない。せめて字幕にしてほしい。ボクは英語を母国語としない国の人がどんな英語を話すのかとても興味がある。

 安倍さんの英語は聞いたことがないが、英国に留学していたという小泉さんの英語はお世辞にも上手いとはいえない。でも堂々としていて、気持ちは充分ブッシュに伝わっている。アレでいいのだ。難しい話は通訳を介せばいい。

 最近スポーツの世界でも日本人が海外で活躍している。野茂が英語をしゃべる姿は見たことがないが、イチローや松井は話せるようになってきた。でもダントツで上手だったのは長谷川。自著『適者生存』で「日本でどう報道されるかより米国のファンへ思いを伝えることの方が大事だ」と書いているがまさにその通り。アメリカで腰を据えて頑張るつもりなら、せめて英語をマスターしてほしい。ここ数日プレーオフで活躍している田口も、きれいな発音でインタビューに応じている。

 中田英のイタリア語、福原愛ちゃんの中国語には舌を巻くが、引っ込み思案といわれた日本人もずいぶん変わってきたものだ。街で外国人と出会うと思わず視線を外す情けない内弁慶の一人としては、尻ごみせずに海の向こうで活躍する若者の姿は眩しい。

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2006年9月 2日 (土)

香港IT事情

 今回の香港旅行には、買ったばかりの超軽量ノートパソコンと、海外でも使える携帯電話を持っていった。

 ノートパソコンは結構重宝した。
 メールをチェックしたり、ブログを書いたりするのはもちろん、インターネットで飲食店やショッピングセンターの情報(特に定休日や営業時間など)を探したりするのに便利だ。日本の新聞もこれで読める。空港やホテルでは無線LANで高速インターネットにアクセスできるが、日本のように無料のフリーエリアがないのが残念(ホテルでも1日2千円くらいが相場)

Ph_100  街に出ると、あちこちで電脳城とか電脳中心とかいう看板を見かける。怪しげなパソコンパーツや海賊版のDVDなんかも並んでいて、若者が群がっている。まあ、ニセモノの本場だからネ・・・

 携帯電話もあると便利だ。
 海外で、昼間 外出先で公衆電話を探すのに苦労した経験はないだろうか。でも、携帯電話が1本あればそんな不便はない。外からでも簡単にレストランの予約や時間変更ができる。ただし、日本からかかってくる電話の国際料金は受信者負担なので、あまり頻繁にかかってくる人にはお勧めしない。(世界中どこにいても 090-XXXX-XXXX でかかってしまう)

 それから、話には聞いていたが、香港の地下鉄内での携帯電話(こちらでは手携電話という)の話し声はすざましい。もともと中国語は耳にうるさく響くが、これがいっせいに四方八方で喚(わめ)いていて、ここは動物園かと思うほど・・・暑さと喧(やかま)しさで頭が痛くなる。みんなシーンとメールをしている日本の電車を懐かしく感じた。

 しかし、こんなものを持って家族旅行している自分は ITに毒されている。あると鬱陶しいが、ないと寂しい・・・

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2006年7月17日 (月)

国連安保理

 国連安保理事会が、北朝鮮決議案を全会一致で採択した。

 ミサイル発射後の日本政府の初動は迅速で、直ちにアメリカと共同歩調をとって国連に持ちこんだ。それから10日ほどの間に、各国間で相当激しい水面下でのやりとりがあったものと思う。従来こうした根回しが不得意だったはずの日本が、今回は主導的な役割を果たしたのには驚いたが、このあたりまでの動きは及第点である。

 ところが国際社会を一本化することは難しい。当初、日米が提案した制裁決議案に対して、中国は拒否権をチラつかせる。また、それぞれの国益や思惑は微妙にズレていて、ミサイルや核開発に対する抵抗にも温度差がある。

 最後はアメリカが中国に譲歩してしまった。英仏はこれに追随するから、日本がいくら頑張っても単独では勝ち目がない。結局は玉虫色の妥協案が採択された。

 全体的な印象としては、当初は大いに期待させたが、だいぶ押し戻されたところで最終決着したという感じ。大国アメリカも中国やロシアの意向を無視できなかった。ただ今回の収穫は、日本の対外折衝能力と、迅速な安保理決議。しかも、全会一致の決議の意味は重いと思う。これを教訓に、外交能力をいっそう磨くことが日本の課題である。

 そして、いったいこれから日朝関係はどうなるのだろうか。日本の動きが目立ったことで、北朝鮮の対日政策が悪化することが懸念される。でも、”NO”は”NO”と勇気を持って毅然とした態度で臨むことにボクは賛成だ。それが正しかったことは、必ず長い歴史の中で証明されるはずだ。

 電車の中で無法者がナイフを振り回している。見逃したら増長するだけだ。車内の乗客が一致団結して取り上げようとしたが、足並みがそろわない。やむを得ずナイフを鞘に収めるように乗客全員で説得することにした。暴力には、数の力を結集してあたることが大切なのだ。

 反則があっても、サッカーみたいに即退場といかないのが国際社会。『北の将軍』を退場させて、ピッチの外で大暴れされても困るし・・・

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2006年7月10日 (月)

国家と民族

 サッカーワールド杯が終わった。決勝戦は延長戦でも決着がつかず、結局はPK戦でイタリアがフランスを下した。

 ボクは、もちろん夜中の3時からゲーム終了までずっとライブで見ていた。いくらモノ好きと言われても、こればかりは見逃すわけにはいかない。でも、後で聞いた話だと、視聴率は東京・大阪ともに10%を越えていたらしい。この時間帯としては驚異的な数字で、ちょっとビックリした。

 ゲームの中味とは関係ないが、感じたことを2つ。

 まず1つ目は、中継したフジテレビの青嶋達也アナウンサーが良かった。イタリアのPKが決まった瞬間「決めた~イタリア!世界一!」と言っただけで、その後20秒ほどは無言中継。カメラがピッチで抱き合う選手たちと興奮の坩堝(るつぼ)と化した観客席を写すだけ・・・ 最近しゃべりすぎるスポーツアナが気になっていたが、これは実に良かった。言葉が多いのが必ずしも優れた報道ではない。

 そして2つ目。ヨーロッパ対決とは言いながら、フランス選手の半分以上は移民系で純粋フランス人ではない。ジダンしかり、アンリしかり。でも、ボクの記憶だと、『将軍』プラティニの黄金時代(80年代)は、まだフランス代表の大半が白人だったと思う。これは、フランスが国策としてサッカー強化に努めた結果なのだが、国家(=ナショナルチーム)というのは民族を越えて融合できるものなのだろうかと、少し考えさせられた。

 われわれの日本は世界に名だたる単一民族国家。いくら日本国籍を取得しても、三都主やかつてのラモスが日本人だと言われたら違和感がある。またプロ野球では、昔から外国人選手は『助っ人』と呼ばれて主役にはなれない。国技の大相撲が今ひとつ盛り上がらないのも、モンゴル勢やロシア勢に牛耳られているからだろう。

 先日、スポーツ雑誌で面白い記事を見た。マドリッドに住む人に、スペイン代表とレアルマドリッドとどちらが大切かと訊ねてみたら、ほとんどの人がマドリッドを選ぶという。民衆の愛着がない代表チームよりクラブチーム・・・スペインは内乱の絶えない多民族国家で、ひとつの国の中に日本と韓国があるようなものだ。血の気の多いスペイン人にとって、サッカーはマドリッドとバルセロナの代理戦争で、スペインの政治的安定にサッカーが大きな役割を果たしたと指摘する声もある。

 今大会でも、旧ユーゴからクロアチアとセルビア・モンテネグロの2国が出場した。銃を向け合う敵国とフェアなゲームができるものなのだろうか。

 ふだんあまり民族とか宗教、言語というようなことを考える機会のないわれわれに、4年に1度のワールドカップはさまざまなことを教えてくれる。

 最後にそのスペイン人が問う。「どうして、日本は韓国と連合チームを作らないのか」と。彼らにとって、国家とはそれくらい絆の弱いものなのだが、この感覚は、とうていわれわれには理解できない。

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2006年7月 6日 (木)

ミサイル発射

 北朝鮮によるミサイル発射問題・・・ 昨日から、新聞もテレビも日本中これ一辺倒である。

 ボクもこの問題について思うところはヤマほどあるが、長くなるからやめておく。その代わりにといってはナンだが、韓国と北朝鮮という2つの国のことを少し考えてみたい。

 先日、韓国人の拉致被害者 金正男氏が、28年ぶりに肉親と再会を果たした。

 母と子の抱き合う姿を見ながら、ボクは何年か前に読んだある雑誌の記事を思い出していた。その記事は、終戦から60年経って、韓国と北朝鮮の言葉の違いが、単に意思疎通が不便だという次元を超えて深刻なレベルに達していることを伝えていた。同じ言語での相互理解が、だんだん困難になってきているというのだ。そしてボクは、抱擁しているこの親子は、いったいどんな言葉を話しているのだろうと考えていたのである。

 もともとは一つの国。それが人為的に二つに引き裂かれて一切の交流を絶たれるというのは、経験のないわれわれの想像を絶する。幸いにしてわが日本は、敗戦後も単一国家として残った。終戦がもう少し遅れて、ロシアが北海道にでも侵攻していたら、どうなっていたことか。事実、連合国側で日本の分割統治計画が進められていたし、現実に分断されたドイツにはベルリンの壁が立ちはだかり、その統一には40年以上の歳月を要したのである。

 国境を隔てて、同じ民族が軍事衝突をくり返していがみ合うというのは、悲劇というしかない。しかも、たまたま別れて暮らしていた肉親と引き離されてしまう悲しみは、とても言葉では言い尽くせない。歴史に翻弄される人間の運命など、何と儚(はかな)いものか。

 今回のミサイル発射によって、北朝鮮に対する経済制裁が発動されるだろう。あんな狂気の国に多額のODAやコメ支援なんて冗談じゃないと、ボクも思う。しかし、国際社会から孤立して困窮するのは、結局は北朝鮮の罪もない一般人民たちなのだ。歴史をふり返れば、たまたま終戦時に北側に残っていたことで、不幸にして彼らのその後の運命が決定づけられてしまった。

 われわれの日本も、一歩間違えば同じ道を歩んだかもしれない。今では当たり前のことだと思っているが、そうした悲惨な経験をせずにすんだ僥倖(ぎょうこう)を感謝しなければならない。『国家統一の悲願』というのは、他人事ではなかったかもしれないのである。

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2006年5月 8日 (月)

台湾の話

 『台湾』という国のことを少し書いてみたい。

 『国』といっても、まだ日本政府はこの政権を承認していない。だから正式な国交はない。しかし、ほぼ自由に行き来もできるし、貿易もできる。

 台湾はとかく複雑な東アジアの中で最も親日派が多く、孤立する日本に唯一好意を持ってくれている国だ。ところが日本側の態度が煮え切らない。日本政府は中国に遠慮して、台湾とは中途半端な距離を置いた外交をしているのだ。 

 数年前に、李登輝元総統に対する入国ビザ発給問題で中国政府から脅迫まがいの内政干渉があった。およそ文明国とは思えない非礼なやり方だと思ったが、そこまでしても中国は台湾を許せないということなのだ。

 実は、ボクはそれまで李登輝という人をよく知らなかったので、興味を覚えて彼の著した『台湾の主張』という本を読んでみた。まずガツーンときたのは、政治経済から自然科学やコンピューター、果ては易経に至るまでの膨大な読書量。そして、その向学心の源は『同胞のために』という大きな志だったということにいたく感心した。

 彼の考え方すべてに賛成するわけではない。しかし、翻って戦後の日本にこんなスケールの大きい政治家がいただろうか。そして、こうした高潔の士たちに導かれて、台湾は着々と民主主義国家への道を歩みつつある。いっぽうの中国では、相変わらず時代遅れの共産党独裁。

 もう今となっては、中国統一は難しいだろう。そして中国が対日強硬政策を続けていくならば、われわれもここらあたりで腰抜け外交は止めにして、思い切って台湾独立にヒト肌脱いでみたらどうだろう。旧植民地の台湾にそれくらいの義理は果たしてもバチは当たらないし、そうすることで日本も国際社会で一目置かれるようになると思うが如何・・・

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2006年5月 4日 (木)

北朝鮮の呼び名

 横田めぐみさんの母 早紀江さんが米下院公聴会で証言し、ブッシュ大統領に支援を求める姿が世界中に配信された。いつもながら、彼女の悲痛な魂の叫びは聞く者の心に響く。もしめぐみさんが生存しているのなら、この両親が健在なうちにせめて一目だけでも会わせてあげたいと思わざるをえない。

 ところで、この北朝鮮報道のときにいつも感じること。

 何で『北朝鮮』と言ったあとで、いちいち『朝鮮民主主義人民共和国』とつけるのだろうか。それが北朝鮮の正式国家名であることは学校で習って知っている。でも、『大韓民国』は単に『韓国』、『中華人民共和国』にしても『中国』としか言わない。北朝鮮だけどうして・・・

 先日外務省OBの人が書いたコラムを読んでいたら、これは日本が北朝鮮を国家として承認していないことを示しているという。つまり、朝鮮半島を支配する国家は韓国だけで、北朝鮮は朝鮮北部にある独立した地方政府にすぎないという立場らしい。

 正式な国交はないから、外務省のホームページにも北朝鮮は出てこない。でもその地域を支配する国家があることは事実で、その国名を封印してしまうのは国交正常化交渉を進めるのに妨げになる。だから、そんな長ったらしい名前で呼んでいる、ということらしい。 

 でも、この説明はあんまりピンと来ない。正式国交がないのは台湾とて同じだが、コッチはどうして『台湾・中華民国』と呼ばないのだろうか。正式国交があろうがなかろうが、そこには立派な政権が現に存在する。だったら継子(ままこ)扱いせずに、ちゃんとした名前をつけてあげよう。それは『北朝鮮』でいいとボクは思う。植民地時代の蔑称だと忌み嫌う人たちがいるが、一般的には北朝鮮という言葉に差別的意図は含まれない。事実 新聞各紙は数年前に小さな断り書きを入れて、いっせいに北朝鮮に変えてしまった。テレビもいい加減にしたらどうかと思う。

 北朝鮮に対する腫れ物に触るような扱いと台湾に対する冷淡な態度が、どうもアンバランスに思えてしようがない。

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2006年4月21日 (金)

竹島問題

 ここのところ、日韓両国が領有権を主張する竹島問題が再燃し始めた。韓国では過激なマスコミが煽りたてて、反日の気運がまた巻き起こっている。日本も『韓流ブーム』で浮かれている場合ではない。

 この問題には長い歴史があって、政治や外交について1冊の本ができるくらいのボリュームがある。それについては長くなるからここでは触れないが、喚(わめ)き立てて日の丸の旗を燃やしている韓国人の姿を見ていると、四方からの外敵から国土を守ってきた民族の血の猛々しさを感じる。

 ボクは韓国にも中国(さすがに北朝鮮はないが・・)にも行ったことがあるが、同じ東アジアといっても彼らはわれわれ日本人とはかなり気質が違う。

 端的にいうと、激しやすく闘争的で、自己主張が強い。靖国や教科書問題への対応を見ていても、その執念深さはわれわれの想像を遥かに超える。日本人には「罪を憎んで人を憎まず」という考え方があって、許すことを善しとする文化がある。しかし、この隣人たちはいつまでも恨みを持ち続け、400年以上前の秀吉の朝鮮出兵を今だに『倭乱』と呼んで忌み嫌う。昨年あの蓮池薫さんが翻訳したことで話題を集めた『孤将』(金薫 著)を読んでいて驚いたのは戦争の描写の凄惨さ。日本の歴史小説なら、ここまでリアルに書かないだろうと本筋以外のところで感心した。

 先の大戦の記憶にしても、歴史の中に風化させることなくいつまでも子孫に語り継いでいくことだろう。反日教育も徹底していて、植民地支配の陰の部分ばかりを誇張して、日本からの巨額のODAなんて学校では教えてくれない。指導者が政権維持のために反日エネルギーをガス抜きに使っていることも理由だろうが・・・

 彼らとうまくやっていくためには、まずは戦争責任という負の遺産をキチッと清算することが重要。彼らの中ではまだ戦後は終わっておらず、この問題にけじめをつけなければ将来の展望は見えてこない。そのうえで、言うべきことはハッキリ主張しよう。「竹島は日本の固有の領土である」と・・・ 「黙っていても分かるはず」というのは日本の中でしか通用しない考え方である。

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2006年4月 7日 (金)

シンガポールの話

 シンガポール滞在中に感じたことを、少しずつ書いてみようと思う。

 今回はその第1回目で、ちょっと大きな視点で気づいたことを2つほど。

 まずは、シンガポールの人たちが、われわれ日本や日本人のことをどんなふうに思っているのかということが非常に気になっていた。いったい彼らの心の中で、戦後問題は解決しているのだろうか。もう終戦から60年が経過したとはいえ、中国や韓国、北朝鮮みたいに、いまだにこの戦後補償問題を引きずっている国がある。もとより侵略戦争を正当化するつもりはないが、もういい加減にしよう、もっと建設的にお互い前を向いて歩いていこう、というのがボクの本音である。

 でも、この問題は、シンガポールに関してはどうやら杞憂のようだ。滞在中、空港やホテルではもちろんのこと、タクシー、飲食店や商店でも、日本人だからといってイヤな思いをさせられたことは一度もなかった。応対はおおむね丁寧で好意的だったと思う。

 2つ目は、それに関連する話だが、日本企業や日本製品がいかにシンガポール経済や生活に入り込んでいるかということを痛感させられた。車はトヨタ・日産・ホンダなどの日本車が圧倒的に多い。地下鉄車両は川崎重工、ホテルのエレベーターには三菱のマークがついているし、部屋の便器までTOTOだった。日本製品の高い品質や技術は他を凌駕し、信頼できる高級品として一般に認知されている。これは、日本人として素直に嬉しく誇らしい。

 敗戦後、日本は焼け跡から驚異的な戦後復興を果たした。そして、その原動力は、ボクたちの親の世代かそのもっと上の世代の人たちの勤勉な努力の積み重ねであったことはいうまでもない。そして、彼らは、自国の急速な経済成長だけでなく、シンガポールを初めとするASEAN諸国の近代化にも大きく貢献したのだろう。彼らは、踏みにじられた国土を復興させて、戦争の爪あとを癒やすのに多大な貢献をした。金銭的な補償もさることながら、熱い血の通った経済交流が傷ついた人の心に灯をともしたのだ。

 われわれ戦後生まれは、今その成果を享受させてもらっている。しかし、これから先、これを引き継いで次の世代に形あるものとして残していくことがわれわれ世代の責任だ。でも、ボクたちにはその自覚があるだろうか。

 そういう視点で今の日中関係を見ていると、どこかおかしい。これまでの日本のODA(無償経済協力)総額は、すでに3兆円以上。それだけ出して感謝もされないのだから、言葉は悪いがドブに捨てるようなものだ。世の中 カネだけではすまない。10年以上前に上海で接した中国人たちの挑戦的な表情を思い出しながら、改めてそんなことを考えていた。

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2006年3月 6日 (月)

韓流

 野球の国別対抗・WBCのアジア予選を見ていたら、中国と台湾の選手名は漢字で表記されている。アナウンサーが現地語で発音するのはしようがないとして、活字で見るときはカタカナより漢字のほうが分かりやすい。

 ところが韓国チームの選手名はカタカナ表記で統一されている。1番 イ・ビョンギュから始まって、『イ』姓の選手が5人もいる。以前にサッカーのワールドカップでも同じようなことがあった。試合前に、15人のスターティングメンバーの名前がテレビの画面にカタカナで写された瞬間、思わず目を細めたが、非常に分かり辛かった。

 これは相互主義というらしい。戦前から韓国・北朝鮮系はすべて漢字表記の日本語読みだったが、昭和50年代初め、全斗煥大統領の時代に韓国から申し入れがあって、お互いに本国の読み方に変わった。韓国では公式には漢字が使われなくなったこともあって、この頃からカタカナ表記になったようだ。

 ボクは読み方は本国読みでいいと思うが、書くときはせめて漢字を併記してほしい。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領、金正日(キム・ジョンイル)総書記と表記するのに目クジラたてることもないだろう。いつも野球やサッカーの試合で、舌を噛みそうなカタカナの名前が並ぶのには正直閉口する。

 最近の韓流ブーム、そういえば韓国スターたちの名前が漢字で書かれているのを見たことがない。オバさんたちが、あんな難しいカタカナの名前をよく覚えられるものだと感心するが、裴勇俊(ペ・ヨンジュン)、崔志宇(チェ・ジウ)、元斌(ウォン・ビン)なんて書くとイメージが悪いのだろうか。でも、ボクなんかは逆に、カタカナだと覚えられなくてすぐに頭から抜けてしまう。自分では書けなくても、漢字で目に入ったほうが記憶に残るような気がするが・・

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2006年2月12日 (日)

「ビルマ」と「ミャンマー」

 アメリカ政府が、ミャンマー軍事政権に対して経済制裁を発動するらしい。昨夜、たまたまケーブルテレビをつけたら、CNNニュースが流れていた。何気なく見ていたら、アメリカ政府高官は”Myanmar”ではなく”Burma” と発音している。これは、いかにもアメリカらしい。

 外国の国名をどう呼ぶかは、なかなか難しい。

 この『ミャンマー』という国は、以前は日本では『ビルマ』と呼ばれていた。ところが、1989年のクーデターで民主化運動を圧殺した軍事政権は、世界に向けて英語表記を”Burma” から”Myanmar”に変更するよう求めた。でも、『ビルマ』と『ミャンマー』の語源は同じで、これを無理に変えようとしたのは政治的思惑によるものらしい。ここで冒頭の話になるのだが、アメリカを初めとする多くの国は、この呼びかけを無視して、いまだに”Burma” と呼んでいる。ところが、日本の政府やマスコミは、どういうわけかこれに応じて、この国の日本名を『ミャンマー』に変更してしまった。長年呼び慣れた『ビルマ』を、あっさりと捨ててしまったのである。

 こうした国名を、最初に誰がどうやってつけたのかは知らない。しかし、『アメリカ』にしろ『イギリス』にしろ『中国』にしろ、これはもう立派な日本語だ。たとえば、中国の英語表記が”China”だからといって、日本語としての『中国』が『チャイナ』になることはない。

 ビルマの軍政当局が求めたのは、英語表記の変更であって、日本語としての『ビルマ』を変える必要はなかったと、ボクは思う。

 日本では、明治初期に外国名に漢字を当てた。これは音だけをとって組み合わせたもので、漢字に意味はない。亜米利加(アメリカ) 英吉利(イギリス) 仏蘭西(フランス) 露西亜(ロシア) 伊太利(イタリア) 独逸(ドイツ) 豪太利(オーストラリア)などが有名で、いまでも米国、豪州というように使われる。その昔、「米を食べないのに米国とはこれ如何に?」と聞かれたら、「仏がいないのに仏国というが如し」と切り返すというトンチ問答があった。

 以前に、香港で筆談をしていて、『米国』と書いたら不思議そうな顔をされたことがある。中国ではアメリカのことを『美国』と表記するのだ。ずっと昔は『米国』が使われていたらしいが、義和団事件でアメリカが中国に友好的態度をとったことに感謝して、同じ音の『美国』(メイグオ)が使われるようになったらしい。

 言葉には、それぞれの歴史がある。日本語の『米国』、中国語の『美国』、どちらが正しくて、どちらが間違っているとかいうものではない。相手の国の人たちがどう思うかは分からないが、ボクは、日本語としては長年慣れ親しんだ『米国』や『ビルマ』がいいと思っている。

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2006年1月23日 (月)

地図を広げて

 飛行機や新幹線で、機(車)内誌の地図を見るのが好きだ。飛行(運行)径路をボンヤリ眺めながら、いろいろと空想を膨らませていると、あっという間に1時間くらいは経ってしまう。

 でも、これは男だけの楽しみのようだ。数年前のベストセラーで『話を聞かない男、地図が読めない女』というのがあったが、たいていの女性は、地図とか時刻表とかいうのが苦手らしい。

 たまに、家族で長距離の飛行機に乗る。ボクが地図を見ている横で、妻はたいてい、機内に備えつけのショッピングカタログに見入っている。そして、時々コチラを見やって、「まだ、そんなモノ見てるの?」と言いたげな表情で、地図から目を離さないボクの顔を呆れたように覗きこむ。

 お互い異国への関心はあるものの、その対象はかなり違うようだ。どこに行きたいか、何が見たいかと聞かれたら、ボクなら北欧の白夜やオーロラ、アメリカだとグランドキャニオン、アフリカのサハラ砂漠やサバンナの猛獣など、どちらかというと自然の造形物に惹かれる。人が創ったモノなら、いっそのこと太古の遺跡がいい。トルコのカッパドキアとか南米ペルーのマチュプチュなどは、機会があれば一度は行ってみたいと思う。いっぽう妻や子どもたちは、異国情緒に溢れる外国の都市や風光明媚なリゾート地を好む。

 旅の目的は、日常性から脱出することだと思う。そして、思い切って脱線してしまうか、ふだんの延長線上で考えるかで、行きたい先は変わってくるだろう。ちょっと格好をつけて言うなら、ボクは大自然に包まれて地球の息吹を感じたい。およそ美食家ではないし、買い物にも興味がない。せいぜい、死なない程度の食料とウィスキーのポケット瓶ひとつあればそれで充分。そして、ふだんの仕事や生活からはいちばん遠いところで、ひとときの命の洗濯を楽しみたい。

 でも、まだ当分は難しいかな・・ そんなことを考えながら、ボクは相変わらず地図を見ている。

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2006年1月20日 (金)

遠い隣国

 もう十数年前のことだが、中国で合弁事業をしていて、その契約交渉のために上海に何度か出張したことがあった。

 現地に赴く前に、中国通の知人の商社マンに、いろいろと彼の国の事情やその国民性について教えを乞うた。その知人からは、中国は同じ東アジアの国といっても、考え方などは日本人と相当隔たりがあって、彼らと心底理解し合うのは難しいというような話を聞かされた。そのときはそんなものかと黙って聞いていたが、あれから10年以上の年月が経っても、いまだに戦後処理や靖国・教科書問題など未解決の難問が山積していて、関係の正常化にはほど遠い。そんなニュースを聞くたびに、眉間に皺を寄せて相互理解の難しさを説明してくれた知人の表情が目に浮かぶ。

 そのときに、彼が漢字の話をしてくれた。中国は、日本と同じく漢字を使うので、町の看板や店のメニューなどもある程度は見当がつく。『電脳』はコンピューター、『便利店』はコンビニ。でも、まったく違う意味の言葉もあるから気をつけろよ、という話で、いくつか教えてくれた単語を紹介する。

 まずは『手紙』。これは中国ではトイレットペーパーを意味するので、「落ち着いたら手紙を下さい」なんていうと変な顔をされる。次に『娘』というのは母親や目上の既婚女性で、『愛人』というのは恋人ではなく配偶者をさす。だから「娘のような愛人がいる」というと「自分の母親のような妻がいる」という意味になる。中国人の団体客が日本の温泉で『男湯』『女湯』という表示に戸惑うという話も聞かされた。中国では『湯』はスープの意味で、日本では男用スープと女用スープが分かれているのかと思うらしい。

 西洋人とは姿かたちが違うから、きっと生活様式や食生活からモノの考え方まで違うだろうというのは想像がつく。しかし、よく似た外観の中国人や韓国人なら同じ価値観だろうと油断すると、ひどい目に合うことがある。近所付き合いの難しさに似たところがあるかもしれない。いずれにしても、21世紀は中国の時代といわれている。そして、この巨大な隣国と友好的な信頼関係を築きあげるのが、外交上の緊急課題である。お互いの国益を尊重しつつ、対等な立場でモノが言える大人の関係になる日は、いったいいつ来るのだろうか。

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2005年12月16日 (金)

「クロアチア」ってどこ?

 サッカー『ワールドカップ』のグループ分けが決まった。

 日本は『グループF』で、ブラジル、オーストラリア、クロアチアと同じ組になった。ブラジルとオーストラリアはともかく、クロアチアという国がどこにあるか知っていますか? かく言うボクもちょっと自信がなくて、地図を開いて確認したら、アドリア海をはさんでイタリアの東側にあった。調べてみたら、15年ほど前に旧ユーゴスラビアから独立した国で、まだ政情も不安定だから、行ったことのある日本人はほとんどいないと思う。

 クロアチアは、ボクたちが学校で地理を習った頃にはなかった国だから、知らなくても許してもらおう。でも、先日の日本地理学会の調査で、大学生・高校生の4割以上がイラクがどこにあるか知らなかったというのには驚いた。また、北朝鮮の場所も、大学生の約1割、高校生の4分の1が不正解だったらしい。あれだけ連日のように報道されていたのに、関心がないのかと不思議に思う。

 自慢するわけでもないが、ボクは子供の頃から地図が好きだった。知らない土地に行った気になって、地図を見ながら想像を膨らませるのは、子供でも楽しいものだ。今でも日本地図と世界地図を手元に置いていて、ニュースで知らない地名を見聞きすると、必ず地図で確認するのが習慣になっている。

 日本の都道府県はさすがにすべて分かるが、小学生の頃は、群馬県と栃木県の位置関係が苦手だった。逆に、東京の子は、京都府や兵庫県が日本海に接していることを知らないと聞いて、そんなものかなと思った。

 地図を見るのは楽しいが、一度でもその地を訪れると印象がすっかり変わることがある。そして、頭の中に具体的な姿がハッキリと刻まれるから、二度と間違うことはない。そして、ボクも社会人になってから前橋や宇都宮には何度も行ったから、今だと群馬県と栃木県を取り違えることはあり得ない。

 自分が将来、クロアチアに行くことがあるかどうかは分からないが、当分は頭の中で、そのイメージを膨らませておくことにしようと思っている。

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2005年9月11日 (日)

自由と平等

 今日は9月11日、衆議院選挙の投票日だが、海の向こうアメリカでは、4年前にニューヨークで同時多発テロ事件が起きた日である。そのアメリカが、今また未曾有の自然災害に見舞われている。

 今朝、投票を済ませた後、家でテレビの報道番組を見ていたら、「カトリーナ」による被災映像が目に入った。日本でも、先日「台風14号」が大きな爪痕を残したことは記憶に新しいが、このカトリーナによる被害は桁外(けたはず)れで、未だにその全貌さえもつかめず、復旧も立ち遅れている。原油価格の高騰に加えて、失業増加や被災者の健康問題なども憂慮されていて、ブッシュ政権の基盤をも揺るがしかねない事態に発展する可能性もある。

 自然災害は予期できないし、防ぎようがない。しかし、マスコミが指摘しているのは初動体勢の遅れである。イラクに多くの軍隊や予算を割いたために、災害復旧が後手に回ったと報じられているが、被災者が黒人中心であったことから、人種差別問題と絡めて論じられている。

 ボクは、かねがね、移民の国であるアメリカの強さは、人種や出自にかかわらず能力のある者を認める”懐の深さ”だと思っていたし、それがヨーロッパの階級社会との大きな違いだと信じていた。しかし、今日のテレビである学者が、「アメリカは自由の国だが、平等の国ではない。」と言っていた。たしかに、国民の8割が中流階級だとされる日本に比べたら、米国社会の貧富の差は極端である。貧しい黒人家庭に生まれたら、本人がいくら努力しても、高等教育を受ける機会はないだろうし、実社会で成功を収めるのは難しいだろう。アメリカンドリームは過去のものになりつつあるのかもしれない。

 もとより、自由主義経済は「結果の平等」を保証するものではない。だから、本人の能力や努力によって、経済的格差が生じるのは当然だ。しかし、生まれたときの格差を生涯背負っていかねばならない社会は病んでいるし、貧しい者、身分の低い者に対しても「機会の平等」を担保する仕組みを作っていかねばならない。

 被災地で救援物資を待つ黒人の表情を見ていて、”世界一豊かな国”アメリカの裏側を覗いたような気がした。一日も早い復興を祈りたい。

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2005年7月26日 (火)

人民元切り上げ

 「2、3日前の新聞に『人民元切り上げ』という大きな活字が躍ってたけど、あれってどういうことなの?」

 「読んで字の如く。ずっと固定されていた中国元の交換レートが、2%だけ切り上げられるということだよ。ここ数年、中国は高い経済成長を続けていたのに、元のレートはずっと固定されたままだった。そして、この「安い元」を武器にして、中国製品があっという間に世界市場を席巻したワケ。安い人件費で安いものを作って世界中に売りまくる。そりゃ他の国は怒るよなぁ・・・ だから、アメリカなんかは中国に対して強硬に元の切り上げを要求してたんだよ。」

 「日本も、タオルやいぐさを安い値段で輸入されて、国内メーカーが苦労していたことがあったわね。」

 「あのときも、輸入品のセーフガードの発動とか騒いでたけど、根本的には為替政策の問題だと思うよ。日本政府も、アメリカみたいに毅然とした態度をとるべきだった。」

 「でも、これで中国製品が高くなったら、だんだん中国から輸入することのウマミがなくなるのかしら。」

 「ボクたち消費者から見たら、いいモノが安く買えたら”made in China”でも何でも構わない。でも、それで中国からの輸入が増えたら、ますます国内産業の空洞化が進んで、街は失業者で溢れてしまうだろう。東大阪あたりには、シャッターが降りたままの町工場がいくらでもあるよ。国の経済全体を考えたら、消費者の利益だけでなく、もう少し大きな視点から為替政策を考えなければならないと思う。」

 「100円ショップの商品は中国製が多いらしいけど、今回の元の切り上げで、値上げになるのかしら。」

 「切り上げと言っても2%だからね。102円ショップというのもインパクトがないし。 前回の消費税のときにも問題になったけど、結局、業者がその分は吸収するのじゃないのかなぁ・・・  でも、なかにはもう一段の切り上げを予測する人もいる。そうなると、ユニクロあたりは、もともとギリギリの値づけをしてるらしいから、値上げに踏み切るかもしれないね。」

 「あっ そう言えば、今朝チラシが入っていたわ。早いとこTシャツ買っとかなきゃ・・・」

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2005年7月22日 (金)

ファジーな言い方

 日本人上司に仕えた外国人女性の話である。

 「そのボスの下で働きやすいか?」と聞いたら、最初は何を考えているのか分からなかった という答えが返ってきた。よく聞いてみると、指示が曖昧で、どうしたらいいのか判断できないのだと言う。「もう少し買っておいて」と言われても、1個なのか5個なのか、100円か1000円か、自分には分からない。もっと具体的な指示をしてくれないと困ります ということだった。

 なるほどと思ったが、日本人は概してこうである。特に、年をとってくると余計にそういう傾向が強くなる。長年連れ添った夫婦の会話で、「アレどうした?」「アソコにしまっておいたワ」なんて言うのはザラで、当人たちはそれで分かっていることが多い。日本人同士、しかも親しい間柄だと、お互いの思っていることは言葉に出さなくても分かるのだ。考えてみれば、この狭い日本には、1億3千万人もの単一民族がひしめき合って暮している。何かで読んだが、紛争を繰り返している旧ユーゴスラビア連邦は7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教からなる複雑な多民族国家らしい。それと比べるのもどうかと思うが、我々の国は、幸いにして単一言語で、しかもほとんど無宗教に近い。価値観は平坦で、お互い理解しやすいはずである。

 しかも、日本人には、細かいことまでいちいち言うのは大人気(おとなげ)ない、ある程度ファジーにして含みを持たせておいたほうが好ましい、という考え方もある。典型的な例は、日本社会の契約書である。ふつうでは起こりえないようなことまで細かく決めておく欧米の契約書に対して、日本の契約書はいたってシンプル。そして末尾に、「何か問題が起きたら、お互い誠実に話し合おう」というような意味の記載があるが、欧米人からすると、これでは何の役にも立たない。

 しかし昨今、この日本社会でも価値観は多様化してきている。青少年の非行、嫁姑(よめしゅうとめ)問題、隣近所のいさかい・・・ 挙げればキリがないが、考え方の違う人と共同生活を送っていると思ったほうがいい。やはり言わなければ分からないのだ。自分の意見をハッキリ主張することは、決して恥かしいことではない。むしろ、陰で悪口を言うほうがよほど始末が悪い。相手と真正面からぶつかり合うことで、進むべき方向が見えてくることもある。

 最初のボスの話に戻ると、たかが部下への指示と言っても”一事が万事”。日本人が国際社会で確固たる地位を築くためには、金額や納期を明確にして、ハッキリ自分の意思を相手に伝える訓練をしなければならないだろう。

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2005年7月 9日 (土)

ロンドンオリンピック

 2012年のオリンピック開催地が、ロンドンに決定したらしい。

 大阪が落選した前回の投票から、もう4年も経ったのかなぁ・・・ とふと考えていた。

 今回は、パリ、マドリード、ニューヨーク、モスクワ、そしてロンドンの5都市の中から、本命と言われたパリを破ってロンドンが選ばれたわけだが、水面下では様々な誘致合戦があったのだろう。面白いと思ったのは、投票のやり方で、過半数に達した候補地がなければ、最低得票の都市を落として、投票を繰り返していく。結局4回の投票が行われたわけだが、ロンドンは毎回1位ではなかった。最下位にならないように、しぶとく勝ち残っていって、最後の決戦投票でパリを破るのである。何だか政治の巧妙な駆け引きを見ているようで興味深かった。

 自分が支持する候補地が敗退した場合、残った候補地のなかで、アッチにするならコッチのほうがマシだとか、アソコには前に借りがあるとか、国同士の様々な思惑や深慮遠謀があるのだろう。ギリシャ・ローマの昔から、こういった交渉事に長けた老獪な欧米人に比べると、わが日本人は、どうもこの手の水面下の根回しは不得手に思える。前回、大阪が、1回目の投票で早々と大差で敗れ去ったのは、そんなところにも原因があるのかも知れない。

 先日の衆議院での郵政民営化法案の多数派工作も、子供の茶番劇みたいだったし、今度の国連の安保常任理事国入りは大丈夫だろうか・・・  ふと心配になってきた。

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2005年7月 4日 (月)

アメリカ独立記念日

 今日は、アメリカの229回目の独立記念日。

 考えてみれば、アメリカはまだ若い国である。歴史も伝統もないそのアメリカが、なぜ世界一の大国になりえたのだろうか。国土の広さ、資源の豊かさ、人口の多さ、強大な軍事力、さまざまな要因があるだろうが、それだけでは説明しきれない。ボクは、アメリカの最大の強みは、懐の深さだと思う。

 アメリカは、移民の国である。もともと本国で食いっぱぐれた連中が、一旗挙げようと新大陸をめざしてやってきた。だから、進取の気性に富んでいるし、格式や家柄などにはおよそ無縁である。新しいものに対する違和感もない。だから、実力次第。力さえあれば、それを受け入れる土壌がある。

 イチローやタイガーウッズに対する評価を考えてほしい。黒人であろうが東洋人であろうが、実力のある者には賞賛を惜しまない。白人でも、結果を出さないとブーイングの嵐に見舞われる。振り返って、われわれ日本人はどうだろうか。国技である相撲に、外国人力士が参入してきたとき、どれだけ大きな抵抗があったことだろう。高見山が輪島を破ったとき、国技館には、座布団が乱舞した。島国根性と言ってしまえばそれまでだが、単一民族で、長年鎖国によって太平の夢を貪ってきたわれわれ日本人は、偏狭であり、かつその割には自己主張がない。

 逆に、ルーツが同じであるヨーロッパの人たちは、成り上がり者のアメリカ人を少し見下すようなところがある。京都人の東京人に対する気持ちに似ていると言えるだろうか。しかし、結局は過去の遺産だけでは食べていけず、アメリカの軍門に下らざるを得ない。

 最後に、それぞれの国民性を示すジョークをひとつ。ある船に、イギリス人、イタリア人、ドイツ人、アメリカ人、そして日本人が乗っていた。船長は重くなった船の沈没を回避する為、各人を海に飛び込ませようと画策。まず、イギリス人に「紳士の君から最初に」とけしかけ、イタリア人には「海底に美女がいる」とそそのかす。ドイツ人には「私の命令だ」、アメリカ人には「保険がカバーする」と言い、最後の日本人にはこうささやいた。「皆さんは飛び込みましたよ」。

 

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