2006年11月26日 (日)

ぼくはくま

 予想通り雨がポツポツ。でも仕事の約束があるのでスーツに着替えて家を出た。
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 車でラジオを聴いていると、最近 宇多田ヒカルの『ぼくはくま』という曲がよく流れている。

 NHK『みんなのうた』で放送されている曲だとか。単調なメロディはすぐに覚えられるが、彼女らしくないツマらない曲だと思っていた。ところが慣れというのは恐ろしい。最近は曲がかかると、車の中で一緒に口ずさんでいる。こんなふうに自然に頭に入り込むのが本当はいい曲なのかもしれない。何となくひと昔前の『およげたいやきくん』を彷彿させる。

 ♪ぼくはくま くま くま くま~♪ 車じゃないよ くま くま くま~♪
 ちょっと抑揚が難しいが、最近の子供は音感がいいから簡単にマスターするのだろう。信号待ちでふと隣を見ると、ワンボックスカーの助手席から男の子がボクの口元を不思議そうに眺めている。信号が青に変わって発進。今日は日曜日だから、どこかに家族で遊びに行った帰りかもしれない。

 事務所で片づけものを済ませて帰途につく頃にはもう外は真っ暗。帰りに立ち寄ったショッピングモールにも『ぼくはくま』のポスターが貼ってある。いきなりひらがなで目に入るとどこで単語が切れるのか迷うが、柔らかい印象を与える。『僕は熊』ではあの都会的なメロディになじまない。ふ~んネーミングって難しいねぇ~

 電車に乗ったら、昼間の男の子とよく似た子が隣の妹とクマのぬいぐるみを取り合いしている。そういえば宇多田ヒカルはテディベアからこの曲のヒントを得たとか。
♪けんかはやだよ くま くま くま~♪

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2006年7月 8日 (土)

ホールインワン!

 2,3日前に帰宅したら、Aさんから大きな封筒が届いていた。

 もう彼とは何年も年賀状だけの付き合いになっている。いったい何だろうと思って封を切ったら、小粋な日本手拭いが入っていた。添えてある手紙によると、ゴルフでホールインワンを達成したらしい。どうやら地元の大きなコンペでの快挙だったらしく、その一部始終がユーモアたっぷりに認(したた)めてあった。

 Aさんは大手ゼネコンの一級建築士だったが、10年ほど前に独立して、今は川崎の自宅で設計事務所をしている。ボクより4,5歳年上だが、愛すべき性格で友達も多い。

 ホールインワンは、ゴルファーにとって『永遠の夢』とされているが、実はたいへんなお金がかかる。キャディなどへのご祝儀から始まって、ゴルフ仲間に記念品を作って配ったり、祝賀会やら果てはコースへの記念植樹まで、プロでなくても50万円くらいは軽いといわれている。Aさんのちょっと困った笑顔が目に浮かぶ。

 最近ボクはゴルフをほとんどやらなくなったが、以前はホールインワン保険に入っていた。とてもそんな腕前ではないのだが、このホールインワンというのは、技術と関係なく偶発的に起こることがある。そう思って万全の備え(?)をしていたのに、結局は残念ながら掛け捨てに終わってしまった。

 Aさんの手紙によると、ゴルフ場から馴染みの寿司屋に電話して、その日のうちに祝賀会をしたらしい。奥さんに頭を下げて、軍資金を持って来させたのは言うまでもない。

 慌てふためいたAさんのスピーチも聞いてみたかったけど残念!でも、またいつか祝賀会やろうネ。Aさんのオゴリで・・・

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2006年5月27日 (土)

ガーデニング

 趣味というほどではないが、ときどき気が向いたら庭いじりをする。   

 5月は、ジャスミン、バラ、クレマチスが次々と花を咲かせる。この時期は草木の生育が早くて、1週間見ないとオリーブの若木が大きく枝を伸ばしていて驚くこともある。

 ボクのお客さんで花の生産農家がある。大阪南部で、ビニールハウスを建ててポット苗を育てている。よくホームセンターなんかで1つ100円くらいで売っているヤツだ。

 ちょうどバブル期に沸き起こったガーデニングブームで、一時はだいぶ稼がせてもらったらしい。どこでも園芸用の苗は引っ張りダコだった。慢性的な品不足で、作っただけすべて完売。生産者によっては、借金してまでビニールハウスを増床したところもあったらしい。ところが、その後の不況で売上げは激減してしまう。みんな食べるのに精一杯で、花にまでお金や時間を回す余裕がなくなってしまったのだ。

 そこの奥さんが面白いことを言っていた。たとえばパンジーの話。昔は咲くのはせいぜい4月くらいまで。ところが品種改良で、最近では6月頃まで咲いている。だから、次の苗が売れないのだという。たしかに元気に咲いている株を抜いてまで、新しい苗を植えたりはしないだろう。

 家電や自動車などの耐久消費財の世界でも、似たようなことがあるかもしれない。過ぎたる技術革新は消費循環を遅らせて、結局は自分の首を絞めるだけだ。メーカーは、壊れる前に買い替えさせるような魅力ある新商品を次々に開発しなければならないが、それもなかなか大変だ。

 我が家のパンジーもまだ健在。競うように大きな花をつけている。植え替えはもう少し先でいいかな・・・ さっきの奥さんの日焼けした顔が目に浮かぶ。

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2006年1月12日 (木)

趣味の話

 今年はサッカーのワールドカップの年だ。

 日本などは、まだ本格的に参戦するようになってから歴史も浅く、国民性も穏健なために、ちょっと理解しにくいが、もともとサッカーが盛んで、血の気が多いヨーロッパや南米の人たちがこの4年に一度の大会に賭ける情熱は半端ではない。

 ちょうど20年前のメキシコ大会の時だったと思う。テレビを見ていたら、ワールドカップ観戦に行くというイタリア人たちがインタビューに応じていた。驚いたことに、彼らは3ヶ月以上の大会期間中、ずっとメキシコにいるという。仕事はどうするのかと思って聞いていたら、ワールドカップのために仕事は辞めるのだという。そして、大会が終わったら、また次の大会に行くために職を探して、4年間働いて貯金して、また次の開催地に出かける。彼らの人生はその繰り返しで、ワールドカップ観戦は、単なる趣味ではなくて、人生の目的なのである。われわれ日本人には到底考えられないような人生観、職業観である。

 ところで、『趣味』って何だろうか? 広辞苑を引くと「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」とある。たまに「仕事が趣味です。」とかいう人がいるが、この意味からすると、これは言葉の遣い方を間違えているということになる。

 以前に知り合いの公認会計士と雑談していたときの話である。彼が真っ黒に日焼けしているので、「ゴルフ焼けですか?」と聞いたら、「いや、釣りですよ。」という答えが返ってきた。彼は明石に船を持っていて、週末はいつも仲間と海釣りに行くのだという。明石海峡には1mを超えるマグロがいるらしく、それを釣り上げるのが夢なんですよと、目を輝かせて語る少年のような表情から皓(しろ)い歯がこぼれる。ボクはちょうどその頃、毎日の仕事に振り回されていたのだが、そんな自分がひどくちっぽけな人間に思えて、何だか情けなかった。

 彼と地下鉄のホームで別れた後で、さっきのワールドカップの話をふと思い出した。そして、その会計士が「お仕事は?」と訊ねられたときに、「漁師です。たまに会計士もやってますけどね・・」と答えたら粋だろうなぁと、つまらないことを考えていたのである。

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2005年10月 4日 (火)

鉄道マニア

 子供の頃から、汽車に乗るのが好きだった。しかし、もう長い間、新幹線以外の汽車に乗った記憶がない。

 三十年ほど前の学生時代、金はなくても時間はふんだんにあるので、時刻表を片手に、よく気ままな汽車の旅をした。はじめは気の合った仲間と一緒に、そして、そのうちに一人でも旅に出かけるようになった。当時はユースホステル全盛期で、旅先はそんな若者で溢れていた。旧国鉄の均一周遊券を買って、ズタ袋一つを肩に担いで北海道や東北に出かける。この均一周遊券は、2週間の有効期間内は指定区域内(たとえば北海道内)の急行自由席は乗り放題で、貧乏学生には貴重な代物だった。旅といっても特にあてはない。ユースホステルで朝起きてからその日の予定を考えるという、風来坊のような旅だった。仲間と行く旅も楽しいが、一人旅は知らない土地の風土や人の心に接する機会に恵まれることが多い。

 当時の友達で鉄道マニアがいた。国鉄の時刻表をバイブルに、路線や汽車の名前を覚えたり、駅名を暗記したりしていたが、その彼は、国鉄乗車距離1万キロ踏破を目標にしていた。ボクも彼の影響で、自分が乗った路線の合計距離を計算してみたが、ある程度の距離に達すると、なかなか数字が伸びなくなる。一度乗った路線は二重にはカウントできないので、わざわざ遠回りして不便なローカル線を乗り継いだこともあった。何もない田舎の駅で、次の列車を待つだけの数時間。退屈しのぎに駅前を歩いてみても、ほとんど人通りもない。商店を覗いてみたら、ホコリを被った棚に、いつのモノやら分からない缶詰やら駄菓子類が雑然と並んでいる。そこだけ時間が止まったような不思議な空間。もう、どこの駅前やらまったく思い出せないが、店の中の饐(す)えたような食料品の臭いだけがボンヤリと記憶に残っている。

 そして、その乗車距離は結局1万キロには少し届かず。これから、あの続きをと思っても、今のところそんな時間はない。懐具合は寂しくても、あの頃のゆったりした時間が、とてつもなく贅沢に思えてくる今日この頃である。

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2005年9月15日 (木)

家電店の散歩

 大型家電店をウロウロするのが好きである。

 別に何を買うというワケでもないのだが、ちょっと時間があると、よくヒマつぶしに店を覗く。なかでも好きなのは、梅田の『ヨドバシカメラ』と天満橋の『ミドリ電化』(松坂屋跡)で、30分くらいは簡単につぶせる。

 たいてい、まずはパソコン売り場に行く。パソコンは2年に1台くらいは買っているが、この商品は進化が早くて、しばらく見ていないとアッという間に置いてきぼりにされる。言葉もカタカナや英語ばかりで難しい。パソコンの容量と言っても、目で見えるモノではないから、○○ギガバイトというのは今ひとつ実感できない。ボクはほとんど文書データしか使わないので、容量的にはフロッピーでも充分なのだが、最近のパソコンはフロッピーが入らないモノが多い。そろそろ他の媒体に移さねばならないかもしれないが、逆に古いパソコンには、CDやDVDの書き込みソフトがついていないので、こちらはフロッピーのほうが便利。Windows98、Me、2000、Xp を併用していると、いろいろと面倒な問題が起きる。

 その次に行くのが、プラズマテレビの売り場。たしかに以前に比べたら、かなり安くなってきた。7年前に今の家に移ったときに、36インチのテレビを買った。当時の家庭用テレビとしてはかなり大型だったが、最近ではそのサイズに慣れてしまって、買った頃の感動はない。しかも、この従来型テレビの難点は奥行きが50センチ近くあって、とにかく重いこと。動かして掃除をするのも大仕事である。今度は50インチくらいのプラズマが欲しいけど、量販店で50万円ちょっとくらい。もう少し安くなるまで待とうかと悩むところだ。

 最後に携帯電話コーナーをちょっと覗いてみるが、この売り場は携帯オンチのボクにはよく分からない。店員にでも捕まろうものなら、いろいろと専門用語が出てくるので、遠巻きに眺めるだけ・・・

 そんなことをしている間に早30分。時間つぶしのつもりが、下手をしたら遅刻だ。急がなきゃ・・・

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2005年8月21日 (日)

鉱物狂時代

 子供の頃、鉱物収集が趣味だった。子供の趣味にしては、かなり入れ込んでいて、大人顔負けの本格的な趣味だったと思う。今でいえば「石オタク少年」とでもいうのだろうか・・・

 きっかけは、小学校の理科室にあった水晶や黄鉄鉱の標本だった。あまりの美しさに魅入られてしまい、自分でもそのような綺麗な結晶を採りに行きたいと思うようになった。詳しい大人たちに教わったり、本で調べたりして、アチコチの産地へ鉱物採集に出かけるようになる。そのうちに大人たちの同好会にも入れてもらって、月例会にも出席するようになった。さらに、和歌山、長野、福岡など各地に同好の友達を見つけて、標本の交換を始めた。バイブルは「日本鉱石図譜」という古めかしい名前の図鑑である。カラー写真や説明文はほとんど暗記していて、手垢で真っ黒になるまで読み込んだ。研究者向けの本だから、子供には理解できない難解な箇所がある。思いあぐねて、編集部気付で、著者のエライ大学教授に質問状を出したら、1ヶ月ほどして丁寧な返事が返ってきた。小学生だと思って、難しい漢字はカナで書いてくれていた。感動して、この手紙はしばらく宝物にしていたが、何度か引越しを重ねるうちに紛失してしまった。

 当時でも、鉱業はすでに衰退産業だった。しかし、中学時代から自分の進路はこれしかないと思い込んでいて、日本で唯一の鉱山学部のある秋田大学に行くと言って親を驚かせたこともあった。学校の宿題は適当に済ませて、夜中まで自分のちっぽけな標本をルーペで飽きずに眺めたり、専門書を耽読する毎日。夢は、いつか自分で大鉱脈を掘り当てることだった。

 ところが高校に進学した頃から、少しずつ鉱物への情熱が失せてきた。大人になっていく過程で、政治や経済、もっと他のモノに関心が移っていったのだろうか。そして、大学は文系を選んで、今ではまったく石とは無縁の生活をしている。

 最近、インターネットを通じて、偶然、昔の”石仲間”数人と連絡をとることができた。あれから四十年近く、驚いたことにいまだにみんな”石”を続けていた。Gは、鉱山会社の幹部技術者として、鉱脈の調査に世界中を飛び回っていた。Sは、アマチュア化石収集家として活躍中で、いくつかの新種の化石を発見して、その学名には彼の名前が冠されているらしい。二人とも、最近書いた論文を送ってくれたが、何十年も進化の止まっているボクの頭ではチンプンカンプンで、理解できるはずもない。

 彼らが、子供の頃の趣味を一生の職業や研究対象にまで昇華させた純粋さには、羨望すら感じる。しかし、あの頃はボクも、文字通り寝食を忘れて”石”に没頭していたはずだ。あの少年の頃の情熱はどこに失せてしまったのだろうか。今、他人(ひと)に趣味といえるほどの道楽を持ち合わせていない自分に、少し寂しい思いがした。

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