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2008年12月23日 (火)

「何でもどうぞ」

 ときどき食事のお誘いを受けることがあるが、招待していただく場合はそれなりの気遣いがある。

 メニューを見せられても、ご馳走になるのが分かっていたら、あまり無遠慮なこともできない。たいていはお任せするか、お招きいただいた方と同じものを注文する。

 「何でもどうぞ」と言われるのは苦手。鰻重のように『松・竹・梅』とあれば、真ん中の竹か、せいぜいそれよりちょっと高いあたりのものを頼むことが多い。

 これは社会人として節度あるマナーだと自分では思っているが、気遣いが過ぎるのか、貧乏性なのかもしれない。

 ボクはふつうの公務員の中流家庭に育った。

 たまに親に何か買ってもらうときでも、必ず値札を見るような子供だった。親の懐具合もある程度分かっているつもりで、値の張るものは欲しがらなかった。いくつか見比べてから、高いものはそっと棚に戻す。「それでいいの?」と親に聞かれて「うん」と答える。売り場で無理を言ったことなど、ただの一度もない。今思えば、物分りの良すぎる、大人からみたら可愛くない子供だったと思う。

 幸いにして、戦時中のようなひもじい思いはせずに育った。しかし、今みたいに豊かな時代ではない。だから、満たされなかった幼少期の反発心がその後の飛躍の原動力になるという話は、何となく分かっているつもりだ。ハングリー精神とでもいうのだろうか。

 それに引きかえ、我が娘たち。買い物に行くと必ず最新モデルの高価なものを欲しがる。そこで妻とのバトルが始まるが、結局は親のほうが根負けするらしい。ワゴンに積んであるバーゲン商品とさして変わらないのに、売り手の戦略に見事に乗せられている。もちろん値札など見ない。

 ボクと一緒に外食するときでも同じ。好きなものを注文しているが、値段など気にしている様子もない。たしかにこちらのサイフを心配して遠慮されるのも、親としては不甲斐ないが…

 この子たちが大人になったとき、そんな幼児体験が逆に向上心の妨げになるまいかとふと不安になることがある。

 間違っても、子供の頃がいちばん贅沢ができたなんて思わないですむようになってほしいが…

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