2008年12月30日 (火)

年の瀬

 今年も年の瀬。いよいよ押し詰まってきた。

 通勤電車も昨日から休日ダイヤ。さすがに今朝はネクタイ姿がめっきり減った。

 官庁や大企業は、もう年末年始休暇に入っている。すでに海外に脱出した人、故郷で新年の準備をしている人もいるだろう。

 毎年早めに仕事を切り上げようと思っているが、いつも結局はギリギリまで動き回っている。今年もようやく今日で仕事納め。

 午前中に墓参りを済ませて、午後から事務所の掃除。掃除といっても、要らなくなった書類のシュレッダーやら、パソコンに入っているデータの廃棄などに時間を費やす。途中で中味を読み始めると、いくら時間があっても足りないから、思い切って処分することにしている。

 今年を漢字一文字で表現すると『変』だとか。英語でいうと”change”だが、これは”chance”でもある。変革のときこそ好機。先見性と決断力があれば、時代が変わる節目は大きなビジネスチャンス。来年こそは大きな転機になってほしい。

 さて、このブログを始めてちょうど3年半。2年で一度やめたが、また再開して1年半経った。読み返すと膨大な量である。

 最近心していることは、簡潔を旨とすること。とりあえず書いてみて、推敲して半分くらいの量にすることが多い。贅肉を削いで、骨組みだけを残すことは存外難しいが、それは楽しい作業でもある。

 つらいのは、読む人の顔が分かっているために、キーボードを叩く勢いが萎えること。ここしばらくは、ずっとその壁を感じてきた。

 書くことが枯渇したは思わないし、書きたいことはまだいくらもある。しかし、思いの丈をストレートに書けないことにはフラストレーションが溜まる。いろいろ考えたが、今回は少し充電期間を置いて、違う表現の場を探してみようと思う。

 ということで、これでひと区切りとします。長らくのご愛読ありがとうございました。

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2008年12月29日 (月)

ジュリー

 昨夜テレビをつけたら、たまたま沢田研二の還暦コンサートを放送していた。

 12月3日に東京ドームで行われたコンサートの一部で、ダイジェスト版といってもたっぷり90分、充分に堪能できる。コンサート会場で最初から最後まで全部見たら、何と6時間40分だそうだ。しかも、ひとりで80曲を歌い切ったというからスゴイ。

 往年に比べるとたしかに太った。小皺も増えて、首のあたりはたるんでいる。でも、声はよく出ていて、運動量も半端ではない。世間の一般的な60歳に比べたら、はるかに若い。

 よく見ていると、若い頃とは微妙に歌い方が変わっていることに気づく。華やかな過去に埋没せずに、この年になってもまだ年齢に応じて進化しているのだ。

 彼はデビュー以来、並外れたルックスと大胆なコスチュームで若者、とくに女性ファンを魅了してきた。しかし、ひょっとしたら見た目だけで評価されることに満足できなかった人かもしれない。

 レコードの売上げが落ちてきた後も、固定ファンを相手にディナーショーで地方回りしたらソコソコ稼げたはずなのに、ジュリーは「毎年アルバムを出して、コンサートツアーを続ける」ことにこだわった。歌手としての軸をしっかり見てほしいということなのだろう。

 もちろん、見た目は悪いよりもいいほうが得だ。しかし、ルックスだけに目がいくことで、本人が勝負したい本筋がボヤけてしまうことがある。医者でも弁護士でもスポーツ選手でも、そんな人がいる。

 世の中には贅沢な悩みがあるものだと、ジュリーの還暦姿を見ながら、奇妙なことを考えていた。

 ちなみに同い年は、チャールズ皇太子、舛添要一、糸井重里、内舘牧子、井上陽水、江夏豊、泉谷しげる、山本益博、都はるみ、月亭八方 など…

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2008年12月28日 (日)

総天然色

 過去はなぜセピア色に見えるのだろう。

 記憶は遠くなればなるほどモノトーンになり、もっと遠くなるとセピアがかかってくる。

 生まれた頃の古いアルバムを開くと、もちろん白黒写真しかない。それが小学校に入った頃からカラー写真が増えてくる。当時の技術ではやむをえなかったのだろうが、今では半分退色して、不思議な色合いになっている。

 幼い頃、亡くなった祖父に連れられて見に行ったチャンバラ映画には『総天然色』という表示が出ていた。当時はまだ一般家庭にテレビが普及しておらず、巨大な銀幕に広がるカラー映像は子供には感動モノだった。

 我が家に待望のカラーテレビが来たのは、小学校高学年の頃だっただろうか。まだ白黒放送のほうが多くて、新聞のテレビ欄に『カラー』と恭しく表示されていた時代のことだ。

 今でも鮮明に覚えているのは、東京オリンピックで聖火が点灯されたシーン。その映像を小学校で見たのか、家で見たのか、それとも後で記録映画で見たのかは定かでないが、抜けるような秋空に聖火の赤い炎が美しく揺らめいていた。

 夢には色がないというが、自分の記憶に色がついてくるのはその頃から。もっと古い幼少時の思い出はセピア色でしかない。いくら幼い視覚でも、本当は幾多の原色を見たはずだ。その中で印象の強いものだけがセピアの単色に圧縮されて、温泉に沈殿する硫黄のように、記憶細胞の奥底にこびりついているように思えてならない。

 今の子供たちはどうなのだろう。もちろん、生まれたときから潤沢なカラーの世界が広がっていたはず。そして彼らが大人になったとき、幼い記憶はやっぱりカラーの極彩色なのか。

 それがセピア色であってほしいと思うのは、自分の育った時代と無理に重ねようとするからだろうか。

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2008年12月26日 (金)

駐車場にて

 もう運転免許をとって30年以上になる。

 はじめのうちはペーパードライバーだったが、少なくともここ10年以上は、ほとんど毎日のようにハンドルを握っている。

 それなのに、さほど運転は上手くならない。とくに駐車場でのバックが苦手。それでも、両隣に先客が停まっていてその間に納めるというのは何てことはない。不思議とダメなのは、だだっ広いホームセンターの青空駐車場なんかで、車輪止めもなく殺風景な白線だけ引いてあるところ。

 ガラガラでどこでもご自由にどうぞ、というのはカラッきし下手くそ。まずはどこに入れるかで迷う。そして迷った末に、中途半端な入れ方をする。だからクルマを降りると、たいてい白線を踏んでいる。もう一度エンジンをかけて入れ直すほどのこともないと思って、駐車場から離れる。ところがあとでクルマに戻ると、いつの間にか周りが混んできていて大迷惑、なんてことも少なくない。

 多すぎる的に、惑わされてはならない。自分の狙いをキッチリ定めるべし。これって人生の奥義かもしれない。

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2008年12月25日 (木)

持ち込み

 たまに、コーヒーを飲む喫茶店がある。

 平日の朝、同じ時間に行くと、同じ席に同じ客がいて、同じものを食べている。まるでそこだけ時間が止まっているような不思議な空間。

 ボクが座るいちばん奥の禁煙席で、いつもコーヒーを飲んでいる客がいる。年の頃は40代半ばのサラリーマン風で、少しくたびれた背広を着ている。その彼がいつも、店員の目を盗むようにポケットから菓子パンを出して頬張る。トースト付きのモーニングセットなら350円、コーヒー単品なら180円の店だ。その菓子パンが好物なのか、それとも倹約してそうしているのかは知らない。

 禁煙席はちょうど店員から死角になっているのだが、それにしても、いつも目を白黒させながら、瞬時に飲み込むように口に入れるのが哀れである。

 数日前の昼食時のこと。たまたまクルマを停められる店が見当たらなくて、マクドナルドに飛び込んだ。隣席は子連れのヤンママ軍団で、まあ賑やかなこと。テーブルの上にはハンバーバーセットだけでなく、KFCのフライドチキンからたこ焼きまで並べている。彼女たちはまったく悪びれる様子もなく大声で笑い転げていて、店員も見て見ぬふり。

 この店も、もちろん持ち込みはお断りのはず。菓子パンをコソコソ食べていたサラリーマン氏の表情がふと目に浮かんだ。はて、これって男女差なのか、それとも世代差なのか。

 ついでに、先日の忘年会。いい日本酒が手に入ったので店で飲みたいと参加者のひとりが言い出した。ペットボトルに移してコッソリ持ち込んだらと、誰かが悪知恵をつける。でも、そんなことをしたらせっかくの酒が不味くなる。持ち込み料を払ってもいいからと店に掛け合ったら、店主に一杯飲ませるということで交渉成立。

 やっぱり飲み食いは堂々としなきゃ~

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2008年12月24日 (水)

メリークリスマス!

 今日はクリスマスイブ。

 大阪ではホワイトクリスマスとまではいかなかったが、今朝はかなり冷え込んだ。

 首をすくめて、いつもの通勤電車に乗りこむ。紙袋を下げた若い女性がひとりふたり… 彼氏へのプレゼントが入っているのかもしれない。

 うらやましいというわけでもないが、これまでの我が人生を振り返ってみると、クリスマスにはあまり甘美な思い出がない。勉強や仕事ばかりというわけでもなかったはずなのに、いったい何をしていたのだろう。

 さて今年も残りわずか。事務所で仕事の段取りをつけたあと、クルマで外出。今日は予想外に時間がかかって、帰る頃にはとっぷり日も暮れた。OBPの高層ビルの間に、青白いイルミネーションが寒そうに輝く。晩秋から初冬にかけての大阪城界隈の佇まいは、もっとも好きな大阪の景色のひとつである。

 しかし考えてみれば、キリスト教徒でもないのに、こんな習慣を誰が持ち込んだのだろう。しかも欧米の聖夜は家族で静かにすごすものなのに、それを日本風に上手にアレンジして、商売に結びつけるところがまたエライ。バレンタインデーもそうだが、商魂のたくましさにはホトホト感心する。

 そしてあと1週間もすれば、みんないっせいに神仏に詣でてお屠蘇で新年を祝う。何とも忙しいというか、節操のない民族である。

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2008年12月23日 (火)

「何でもどうぞ」

 ときどき食事のお誘いを受けることがあるが、招待していただく場合はそれなりの気遣いがある。

 メニューを見せられても、ご馳走になるのが分かっていたら、あまり無遠慮なこともできない。たいていはお任せするか、お招きいただいた方と同じものを注文する。

 「何でもどうぞ」と言われるのは苦手。鰻重のように『松・竹・梅』とあれば、真ん中の竹か、せいぜいそれよりちょっと高いあたりのものを頼むことが多い。

 これは社会人として節度あるマナーだと自分では思っているが、気遣いが過ぎるのか、貧乏性なのかもしれない。

 ボクはふつうの公務員の中流家庭に育った。

 たまに親に何か買ってもらうときでも、必ず値札を見るような子供だった。親の懐具合もある程度分かっているつもりで、値の張るものは欲しがらなかった。いくつか見比べてから、高いものはそっと棚に戻す。「それでいいの?」と親に聞かれて「うん」と答える。売り場で無理を言ったことなど、ただの一度もない。今思えば、物分りの良すぎる、大人からみたら可愛くない子供だったと思う。

 幸いにして、戦時中のようなひもじい思いはせずに育った。しかし、今みたいに豊かな時代ではない。だから、満たされなかった幼少期の反発心がその後の飛躍の原動力になるという話は、何となく分かっているつもりだ。ハングリー精神とでもいうのだろうか。

 それに引きかえ、我が娘たち。買い物に行くと必ず最新モデルの高価なものを欲しがる。そこで妻とのバトルが始まるが、結局は親のほうが根負けするらしい。ワゴンに積んであるバーゲン商品とさして変わらないのに、売り手の戦略に見事に乗せられている。もちろん値札など見ない。

 ボクと一緒に外食するときでも同じ。好きなものを注文しているが、値段など気にしている様子もない。たしかにこちらのサイフを心配して遠慮されるのも、親としては不甲斐ないが…

 この子たちが大人になったとき、そんな幼児体験が逆に向上心の妨げになるまいかとふと不安になることがある。

 間違っても、子供の頃がいちばん贅沢ができたなんて思わないですむようになってほしいが…

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2008年12月22日 (月)

冬の朝

 子供の頃、朝起きるのが苦手だった。

 とくに冬場は、目が覚めてもなかなか布団から出られない。母の声が階下から聞こえてくるのだが、またウトウト眠ってしまう。

 そんなことを続けていたら、最後は誰かが布団を剥がしにくる。あきらめて下に降りると、火鉢に乗ったヤカンからシューシューと立ちのぼる湯気。そこからホーローの洗面器に少し湯を移して、やけどしないように水を足す。顔を洗いながらも、まだ半分寝ぼけ眼(まなこ)。肌着と靴下はコタツの中で温めてくれていて、急いでパジャマから着替える。

 卓袱(ちゃぶ)台で妹たちと朝食を食べながら、NHKの朝ドラ『おはなはん』を見ていた記憶がある。調べてみたら、やはりボクが6年生のときに放送されていた。

 そのうちに近所の同級生が誘いに来て、一緒に登校する。子供の足で 3、4分。途中でドラム缶で焚き火をしているところが何ヶ所かあった。ちょっと暖をとって、また学校へ急ぐ。

 全国的には珍しいことだが、当時、大阪市内の公立小学校は制服を導入しつつあった。ウチの小学校も、ボクが5年生くらいのときに制服になった。もちろん冬でも半ズボンで、コートなんて誰も着ていなかった。

 教室は石炭ストーブ。毎朝、当番の児童が石炭をとりに行って、先生が火をつける。ストーブで暖まってくると、モップ掛けされた床から安物の油の臭いが教室に充満する。あの鼻をつくような臭いは、学校でしか嗅いだことがない。

 寒い朝の朝礼は苦行である。校長の訓話はいつも長くて飽き飽きしたが、それでもポケットに手を入れることは厳禁だった。

 昭和30年代の学校はまだ軍隊の延長線上だったのか、怖い先生も多かったし、体罰も当たり前。さまざまな環境の変化もあるにせよ、今どきの先生はどうも子供と近すぎる。

 寒々しい廊下に出て、窓ガラス越しに見上げた空は凛として青かった。同じ冬空を仰ぎながら、そんなあの頃のピシっとした緊張感を懐かしく思い出す。

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2008年12月21日 (日)

一陽来復

 今日は冬至。北半球では、昼間がいちばん短い日。

 『一陽来復』ともいう。杜甫が「冬至、陽生じて春復(ま)た来たる」と詠んだように、古来から、万物の陰が極まり陽気の回復へ向かう節目とされてきた。

 しかし最近はどうも影が薄い。あとに天皇誕生日やらクリスマスも控えているし、特に今年は12月21日(22日でなく)だから、忘れていた人も多いだろう。

 暦は周期的に変わっていく。夜の長い冬至はそのどん底で、昔の人たちは厄払いのために身体を温め、無病息災を祈った。

 今年の下半期は、そんな暦の巡りよりひと足早く、金融危機の大寒波が世界中を吹き荒れた。景気は急速に悪化し、雇用不安が拡大して個人消費の低迷に拍車をかけた。

 新聞には暗いニュースが並ぶが、経済もこの日が陰から陽への転換点になってほしい。

 さて、ゆっくりと柚子湯にでもつかろう。

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2008年12月20日 (土)

二毛作

 たまに駅構内のコーヒーショップに入る。

 コーヒーショップといっても、この店は昼と夜との顔が異なるいわゆる『二毛作』業態。昼はコーヒーと簡単なランチ、夜はガラっと雰囲気を変えてアルコールを出す。もちろん昼と夜とではメニューも違うし、店のスタッフもユニフォームも異なる。

 この二毛作というのは、時間帯マーケティングという発想で、売上げのピークを2つ作るために考え出されたもの。今から30年ほど前にこれをシステム化して全国展開したのは当時勤めていた会社の先輩だが、実はボクも今から15年ほど前に、この二毛作業態を真剣に研究していたことがある。

 その当時ボクは、ある中堅ハンバーガーチェーンに出向していた。店舗数80店、売上げ100億円、借入金90億円、正社員200名。何期か赤字決算が続いていて、ボクが派遣されたときには累積赤字が10億円に膨れ上がっていた。

 まさに会社存亡の危機で、株主はこの事業を再建できるかどうかを見極めるためにボクを送りこんだ。資本の論理とは非情なもので、親会社は傷が浅いうちに会社ごと切り捨てるのも止むなしと考えていたのである。

 社員たちと、口角泡を飛ばして連日夜中まで議論をした。そしてボクはいつの間にか、彼らやその家族のために、自らが盾になってでもこの会社を守ろうと思うようになっていた。

 生き残るためには、何としてでも既存店の売上げを伸ばさなければならない。

 一般的な飲食店は昼と夜の売上げ割合は3対7くらいだが、ハンバーガーショップは午後2時までに売上げの6割を稼いでしまう。逆にその後が極端に弱かった。アイドルタイムを活性化するために、デザートメニューを充実させたり、夜のメニューを投入したりしてみたが、思うような成果は上がらなかった。

 そんなときに、思いついたのが二毛作業態。都心立地の店舗なら、夕方から上手に顔を変えたら、フライドチキンやピザを武器にして、ビールやワインが売れるのではないかと考えたのである。

 プロのデザイナーも入れてプロジェクトチームを作った。看板や内装も落ち着いた大人向けにしよう。夕方からあちこちの盛り場を回った。そしてようやくプランができて、親会社に了解を取り付けに行ったら、「そんな中途半端なことをしている場合か!」と一喝されてしまう。

 帰りの地下鉄で、悔しくて涙が出そうになった。ちょうど今ごろの季節で、街は華やかなクリスマスモード一色。

 そしてあれから15年の歳月が流れた。

 つい先日、次女に聞いた話だが、近ごろ学校の社会科では二毛作という言葉を教えないらしい。国の減反政策も一因だが、手間の割に収穫が少ないために、温暖な高知県あたりでも今では二毛作はほとんどないという。

 労多くしてナンとやら。やっぱり中途半端はアカンのか… あのとき怒鳴られた役員の顔がふと浮かんだ。

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2008年12月19日 (金)

大阪府警にて

 2週間ほど前のこと、大阪府警からいきなり電話がかかってきた。

 幸いにしてこれまで元気で暮らしているが、ボクは平成7年の地下鉄サリン事件の被害者の一人である。その一部始終については、以前にも書いたことがある

 刑事事件の推移はたまに報道されているが、これとは別に民事で損害賠償請求をしている。しかし教団にはカネがなく、われわれ被害者は東京地裁に破産申立てをした。簡単にいえば、教団の財産を金銭に換価して、債権者に配当する手続きである。ボクは一度も裁判所に出廷したことがないが、何百人かの原告団の一人に名を連ねている。

 破産管財人は東京でも高名な弁護士。事件から十数年の時間を費やして、ようやくこの11月に配当手続きが終結した。最終配当率は3割ほど。つまり 100万円請求した人は30万円ほどの配当を受け取ったことになる。これは予想をはるかに上回る立派な金額で、被害者救済のために債権放棄してくれた営団地下鉄や、関係者の労苦に感謝申しあげたい。

 民事事件としてはこれで一件落着。しかし今なお後遺症に苦しむ多くの被害者がおられる。そこで国もようやく重い腰を上げて、その救済に乗り出すことになった。

 ということで、この6月に「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律」というのが成立した。今回の電話は、その特別法に基づいて被害内容を確認するためのもの。

 前置きが長くなったが、そういう経過があって、昨日大阪府警の事情聴取を受けてきた。

 完成したばかりの立派な府警庁舎の応接室で、犯罪被害給付事務担当の2人と面談。1時間ほど経緯を説明しているうちに、当時の記憶が鮮やかに蘇ってきた。

 改めて考えたら、事故に遭遇したのは不運だったが、紙一重で助かったのは幸運というしかない。もしあのとき命を落としていたら、すでに13回忌。人々の記憶からも薄れ、残された家族は母子家庭になって、今ごろどこでどうしていただろう。

 人の運命など分からないものだ。あまりアクセクせず、まあのんびりやろう。帰り道、目の前の大阪城を眺めながら、ふとそんなことを考えていた。

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2008年12月18日 (木)

年賀状

 そろそろ年賀状を準備しなければ…

 もうさすがに喪中ハガキも来ないだろうから、宛名リストを更新してみた。

 虚礼廃止とはいえ年々増えてきて、公私合わせると優に300枚を越える。数年前に東京時代の知人は思い切って減らしたが、もらった年賀状に返事を出さないわけにもいかず、結局はまた復活することになった。

 宛名書きは白黒印刷だから、300枚くらいなら瞬時に高速プリンターから吐き出される。きれいに仕上がった宛名を眺めながら、何と味気ないものかと自分でもため息が出る。

 それがすんだら、書店で買ってきたイラスト集を開いてデザインを考える。仕事用とプラーベート用とで多少は変化を持たせて、相手によって家族連名と単独名を使い分ける。そこまでで半日仕事。

 でも昔なら100枚ほどの年賀状を書くのに1週間近くかけていた。忘年会で酔った頭を冷やしながら、夜中までペンを走らせたものだ。平素のご無沙汰を詫びる気持ちがあるなら宛名くらいは手書きしてもいいのだが、それすらしなくなった自分が疎ましい。

 子供こそ手書きでいいと思うが、我が家の子供たちはそれぞれパソコンで自分専用の年賀状を作る。スキャナで読み取らせた肉筆の住所氏名を、器用にパソコン処理してハガキに印刷する。なるほどこうすれば、相手には手書き風に見える。芋版に絵の具をつけて火鉢で乾かしていたわれわれの時代とは、隔世の感がある。

 ちょっと年賀状の歴史を調べてみたら、郵便制度のできた明治以降に簡便な年始の挨拶として広がったものらしい。当時は正月の正式な挨拶は、もちろん足を運んでの年始回り。そんな時代があったことを思えば、せめて添え書きくらいはしないとバチが当たりそうである。

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2008年12月17日 (水)

2冊の手帳

 先月末くらいから、2冊の手帳を持ち歩いている。

 使い古した今年の手帳と、まっさらの来年の手帳。いちばん薄いタイプを使っているから、2冊いっしょに上着の内ポケットにしまっても、胸がふくらむこともない。

 若い頃から、ずいぶんいろんな手帳を使ってきた。勤めていた会社で支給されるものや、銀行などがくれるもの。システム手帳が流行った頃はすぐに飛びついたが、結局は使いこなせなかった。電子手帳とやらも試してみたが、案外使い勝手が悪かった。最近ではケータイでスケジュール管理する人も多いが、ボクのようなアナログ人間には向かない。

 ということで、ここ 6、7年は文具店でいちばん薄いタイプの手帳を買い求めている。これだと左右見開きで1ヶ月の予定を書き込めるので、慣れると一覧性があって重宝する。

 細かい文字で、仕事の約束やプライベートの予定を埋めていく。前年や前々年と見比べると、仕事の進捗状況は一目瞭然。増えた仕事もあるし、縁が切れた人の名前もある。手帳に残された短い言葉には過去の時間が凝縮されていて、ヒマなときに眺めてみるのも楽しいものだ。

 文字が年々乱雑になっていることが気になる。これでも若い頃は几帳面な字を書いていたはずなのに、だんだんパソコンに依存するようになってペンを持つ機会が減ったせいだろう。

 せめて手帳くらいは手書きでと思うが、最近は簡単な漢字が思い出せない。あ~この先が思いやられる。 

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2008年12月16日 (火)

英語と物理学

 今年も残り2週間。そろそろ今年の『10大ニュース』などという活字を見る時期になった。

 ふり返れば暗い事件が多かったが、その中で『日本人学者4人にノーベル賞』というニュースがひときわ輝く。

 文学賞や平和賞ならまだしも、物理学賞など業績を聞いても門外漢にはチンプンカンプン。おのずと注目されるのは受賞者のキャラクターである。

 物理学賞の益川敏英さんは記念講演の冒頭で ”I can’t speek English”と言い放ち、スピーチを最後まで日本語で貫いた。これに対してノーベル財団も、授賞式で授賞理由の一部を日本語で読み上げるという粋な計らい。

 ノーベル賞学者くらいになると、世界を股にかけて研究活動を続ける英語の達人というイメージがあるが、この先生はそんな虚像を木っ端微塵に砕いてくれた。それにしても大学院入試でドイツ語は完全白紙だったとか、パスポートも持っておらず今回が初の海外渡航だとか、平素から英語で肩身の狭い思いをしている我が身には、何やら小気味よくて、思わず拍手喝采を送ってしまう。

 研究ひと筋の偏屈者とお見受けするが、喜怒哀楽が分かりやすくてユーモアにあふれている。インタビューで何を言うのか、いつも楽しみである。

 英語なんかできてもできなくても、物理をやるには関係ないということだけは分かった。しかし逆は真ならず。残念ながらボクは日本語はできるが、物理はさっぱりである。

 日本語が国際舞台で脚光を浴びたらいいと思っていたら、ハリウッド映画『ドラゴンボール』のテーマ曲歌手が浜崎あゆみに決まった。60ヶ国以上で公開予定だが、ジェームズ・ウォン監督の希望は日本語の歌詞だという。

 うん…英語と日本語。やっぱりどっちもできたほうがいいようだ。

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2008年12月15日 (月)

ビッグスリーの救済

 未曾有の金融危機と販売不振で、アメリカ自動車業界に百年に一度の逆風が吹き荒れている。

 自動車産業といえば 20世紀のアメリカを代表する産業分野で、アメリカ資本主義の代名詞といっていい。

 ところが、ゼネラル・モーターズ(GM)・クライスラー・フォードのビッグスリーは今まさに火だるま状態。低燃費の中小型車開発で後塵を拝し、ガソリン高騰や金融危機、消費低迷の直撃を受けた。運転資金が尽きるのは時間の問題だという。

 そのビッグスリーの破綻を、公的資金で救済すべきかどうか。

 難しい政治判断だが、私企業救済のために血税を投入するのはスジが通らないと思う。自由競争社会では自己責任が原則であって、放漫経営のツケをいちいち行政に回されたらかなわない。雇用や経済全体への影響が大きいことは分かるが、いったんは市場原理に任せて、キチンとけじめをつけるべきだと思う。

 何よりもボクは、ビッグスリー首脳たちのあの傲慢な態度が許せない。何十億円という気の遠くなるような年俸をもらって、専用ジェット機でワシントン入りしたかと思えば「自動車産業を救済しなければ米経済に破局的な影響が出る」と議会を恫喝する。自分たちの責任を棚に上げて、いったい何様のつもりなのか。

 先週末、アメリカ上院はその救済法案を認めず、協議は打ち切りになった。決定の評価は今後の歴史に委ねられることになるが、この判断は正しいと思う。中途半端な延命策よりも、生死を賭した大手術を選ぶべきだ。

 考えてみたら、オバマもたいへんな時期に大統領になったものである。 

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2008年12月14日 (日)

肩書き

 日本は肩書き社会である。

 仕事ではじめて会う人とは名刺を交換する。名刺には肩書きが書いてあって、ついついわれわれはその肩書きで先入観を持ってしまう。「支店長がわざわざ来てくれた」とか「部長がそう言った」とか、その人物を見ないで肩書きで判断してしまうのである。

 最近アメリカで行われた学会に参加した知人の話だが、参加者のほとんどが、自分の学歴や肩書きではなく「私は30年にわたって○○という分野で経験を積んできた」というような自己紹介をするという。ところが日本人の場合、たいていは「××大学出身で現在は△△株式会社□□研究所の所長をしています」という話になる。

 肩書きはその人の立場・地位・身分を表わす言葉だが、その属する組織の外では通じないことも多い。近ごろはカタカナの長ったらしい肩書きも増えてきたが、そんな自己満足のような名刺をもらっても迷惑千万。すぐにゴミ箱行きとなる。

 肩書きに寄りかかって仕事をしていた人が肩書きを外されると惨めだ。リストラ、定年、降格…その先には何も残らない。背中に日の丸を背負っているからこそ利権を求めて人が媚びへつらうのに、案外それに気づかないお役人が多い。大企業のサラリーマンとて同じ。肩書きなしで自分に何ができるのかということを、もっと真剣に考えたほうがいい。

 ちなみに広辞苑によれば、『肩書き』とは、
  ① 氏名の右上に職名・居所などを書くこと。
  ② (名刺などで、氏名の右上に記すところから)地位・身分・称号などをいう。
  ③ 犯人・容疑者などの前科

 前科を肩書きというとは知らなかったが、ついでに『江戸語大辞典』(前田勇編)で調べてみると、
   ① 悪党としての名
   ② 姓名に冠していう犯罪名、またそれに因みのある事物名

 いつごろから意味が変化したのかは不明だが、肩書きだけでエラそうにしているのは悪党かもしれない。

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2008年12月13日 (土)

通勤ラッシュ

 何日か前に、懐かしい昭和の画像を特集した番組で、JR(当時は国鉄)山手線の通勤ラッシュ風景が映っていた。

 大阪に戻って早14年半。もうあんな通勤ラッシュには縁もなくなった。ボクが17年間のサラリーマン生活に終止符を打った理由はいくつかあるが、東京の人の多さに辟易したということもあったかもしれない。

 新入社員の頃は小田急線で都心に通っていた。この路線は小田原から新宿まで沿線が長く、広大なベッドタウンを抱えている。だから朝のラッシュも尋常ではない。当時『押し屋』と呼ばれた学生アルバイトが、ホームにあふれた乗客を力ずくで車輌に押し込んでいく。次の駅で乗客はいったんホームに吐き出され、また別な押し屋の手にかかって車内に戻される。そのくり返しで、終着駅に着く頃にはもうクタクタ。

 着ぶくれする冬は余計に混み合うが、もっとツラいのは真夏だった。当時はまだ冷房車ばかりではなく、薄いシャツが肌にベットリくっつくような汗っかきの隣で身体でも密着させられようものなら、朝から気分が悪かった。

 人の心も殺気だっていた。新聞が頭に当たったとか、痴漢騒ぎやらで、大声で言い争っている光景を何度も見た。サワらぬ神にナンとやら… ほとんどの乗客は、巻き添えを食わないように背を向けて知らんぷり。

 帰りは多少混雑が分散される。それでも終電車に近くなると、汗の臭いにアルコールや安物の香水の臭い、それに加齢臭なんかが混ざり合って、疲労の蓄積を加速させる。

 それに比べたら、今は何と楽をさせてもらっていることか。大阪の通勤ラッシュなど、東京とは比ぶべくもない。ましてや時差通勤をしているから、座れはしなくても雑誌くらいは楽に読める。乗車時間もせいぜい20分弱。文句を言ったらバチが当たる。

 田舎暮らしに慣れてしまうと、もうあの大東京には戻れない。

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2008年12月12日 (金)

名前の話

 ベネッセコーポレーションが今年生まれた赤ちゃんの名付けランキングを発表しているが、上位には凡人には思いつかないような個性的な名前が並んでいる。

 男の子の1位は「大翔(ひろと)」、2位が「蓮(れん)」、3位が「悠斗(ゆうと)」。女の子は「葵(あおい)」が1位。「結衣(ゆい)」が2位。「陽菜(ひな)」が3位。

 使われている漢字も読み方もなかなかのものだ。

 ちなみにそれぞれのベスト100位までに、男の子なら「男」「雄」「夫」のついた名前などひとつもない。女の子にしても「子」がつくのは「莉子」「桃子」「璃子」の3つだけ。

 いったい誰が考えるのだろう。近ごろの若者は漢字を知らないと言われるが、このバリュエーションの豊かさを見ていると、けっして捨てたものではない。

 名前とは、個を他者と識別するためのもの。商品名でも自治体名でも相撲の四股名でも、書きやすくて読みやすいものが親しみが持てていい。あまり凝りすぎて、いちいち読み方を尋ねないとならないような難しい名前はやめたほうがいい。

 つい先日、今年の紅白歌合戦の出場歌手が発表された。

 自分が興味がないせいか、Aqua Timez、EXILE、キマグレン、羞恥心、WaT、いきものがかり…と並んでいる名前を眺めていても、姿かたちが浮かばないし、男女の別さえ分からない。

 それにひきかえ、昔の名前は単純だった。麻生首相の名は太郎で、民主党小沢代表は一郎。こんな名前、今どきどこにも見当たらない。

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2008年12月11日 (木)

ケータイ禁止

 大阪府の橋下知事が、府下の公立小中学校でケータイ持ち込みを禁止する方針を表明して、波紋を広げている。

 ケータイを使った犯罪やいじめの増加などを受けての判断で、都道府県単位で禁じるのは初めてのことだそうだ。

 本当は子供にはケータイなどいらない。今思えば、我が家の子供たちにケータイを持たせるようになったのは塾通いがキッカケだった。それでも長女のときは、緊急連絡用に妻のケータイを渡しておけばよかったのが、数年たって次女の頃は、まわりの塾友達はみんな自分専用のケータイを与えられていた。

 そして今、子供たちは四六時中ケータイを手放さない。食事中でも友達とメールのやりとりをしている。まったくのケータイ依存症で、勉強に悪影響が出ているかといわれたら、否定もできないだろう。

 では、どうしたらいいか。強引に取り上げてしまうのは簡単だが、この現代社会でケータイは重要な通信手段。文明の利器である。今どき、ケータイを持っていない大人などまずいない。子供たちにしてもいずれは必要になるのだから、早めにケータイとの正しい付き合い方を教育しておくという方法もある。

 たとえば、走る凶器となるクルマをなくせるか。刃傷沙汰に使われるとして包丁を禁止できるか。すべてはそれをどう使うかにかかっていて、その道具自体には何の罪もない。

 一律に禁止するのはどうだろう。上手に共存できるルールを作って、それを柔らかいアタマに叩き込んでおくほうがいいような気がする。

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2008年12月10日 (水)

替え玉受験

 建築施工管理技士とやらの国家試験で、替え玉受験が行われていたらしい。

 資格の専門学校まで関与した大掛かりな不正事件だそうだ。

 他人の受験票に自分の写真を貼って、替え玉が堂々と試験会場に現れる。試験官がいくらチェックしても、替え玉自身の写真なのだからバレるはずがない。

 いったい、国家試験や入学試験というのは、どの段階でどんなふうにして本人確認をするのだろう。今回は、たまたま替え玉の風貌が受験票に記載された年齢と違いすぎることから疑いを持たれたらしいが、似たような年格好の替え玉を用意しておけば、潜りぬけられたかもしれない。

 報道によると裏で金が動いている組織的な犯罪だというから不潔な感じがするが、一般にこの種の事件はユーモラスで憎めない。むしろ、試験する側の狼狽ぶりを見ているだけでも楽しい。

 替え玉といえば、今から40年ほどに、東京の有名女子大で、何と父親が娘になりすまして受験するという大胆な替え玉事件があった。

 何度も週刊誌ネタになったから、今でも覚えている。もちろんこれはカネ目当てにあらず。ただ娘を思う親心が薄化粧にパンタロン姿(この言葉が古い)を決意させた。世間の野次馬たちは驚きながらも、女装までして娘の合格を果たそうとした度を過ぎた父の愛に、憐憫の情を禁じえなかったのである。

 タメシに娘に話してみた。案の定「キモ~!」と一蹴された。どうも父の愛は通じないらしい。

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